草太の運命と要石から見える、白猫ダイジンの正体とは?
新海誠監督が手がけた映画至上、公開初週の興行収入が最も高い数値でスタートした映画『すずめの戸締まり』。
本作は物語がスピーディに展開するロードムービーであり、全体的にシンプルかつ分かりやすい構成でストーリーが進んでいきますが、一方で劇中では深掘りされていなかった部分も多く存在し、誰にでも分かる物語と同時に考察する楽しみも残してくれていました。
今回は劇中で明確には説明されることがなかった設定の中でも、物語の中心となる謎多き猫「ダイジン」の正体について考察・解説していきます。
映画『すずめの戸締まり』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【監督・脚本】
新海誠
【キャスト】
原菜乃華、松村北斗(SixTONES)、深津絵里、染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、神木隆之介、松本白鸚
【作品概要】
短編映画『ほしのこえ』(2002)で高い評価を受け、2016年に公開された『君の名は。』で記録的な大ヒットを記録した新海誠が手がけた長編アニメ映画。
1700人を越えるオーディションにより、『罪の声』(2020)や『ヘルドッグス』(2022)に出演した俳優の原菜乃華が主人公・鈴芽のCVキャストに選ばれました。
映画『すずめの戸締まり』のあらすじ
高校生の岩戸鈴芽は廃墟を探す宗像草太に出会い、元温泉街の廃村を教えます。
草太の容姿に懐かしい感覚を覚えた鈴芽はひとり廃村へと向かうと、廃墟の中で不自然な「扉」を発見。
好奇心から「扉」を開けた鈴芽は、その奥に母を亡くし彷徨っていた過去に見たものと同じ景色を目撃しますが……。
「要石」と草太の軌跡から考察するダイジンの正体
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮など、全国各地に地震を鎮めるための霊石として存在する「要石」は、映画『すずめの戸締まり』の中でも重要な役割を担っています。
本作では、地震を引き起こす「ミミズ」が現実世界に出てくる道である「後ろ戸」の封印を担う霊石として要石が登場し、鈴芽が要石を台座から外してしまったことで物語が動き始めます。
外された要石は猫に変身し、あざとすぎる猫として「ダイジン」と名付けられながら、鈴芽を翻弄し全国を逃げ回っていくことになります。
そもそも、要石であり「神」でもある「ダイジン」がなぜ役割を放棄するような行動に出たのか。
劇中では「“神”が気まぐれである」とだけ言及されていましたが、ここに「ダイジン」の正体に迫る上で最も重要な要素が隠されていました。
要石となった草太が意味するもの
映画中盤、東京の要石が抜けてしまったことで「関東大震災」規模の大地震を引き起こしかねない巨大な「ミミズ」が「後ろ戸」を通り、東京上空に解放されてしまいます。
草太は捕まえた「ダイジン」に要石に戻るよう命じますが、「ダイジン」は要石となる能力を草太に移しており、草太は自分の意志とは関係なく要石となり、鈴芽によって「ミミズ」の封印に使われることになりました。
その後、草太が要石となったことは鈴芽によって同じ「閉じ師」である草太の祖父・羊朗に伝えられますが、助ける手段を探そうとする鈴芽に対して羊朗は驚くこともなく、役目を全うした草太を誇るような発言をします。
このことから草太は知らなかったものの、「閉じ師」の中では人間が要石となることが初の例ではなかったことが推察できます。
さらに映画終盤では、草太を救うために鈴芽が要石となることを「ダイジン」に相談しており、要石となる人間は「閉じ師」の家系である必要はなく、要石に選ばれるかどうかがポイントであることが判明。
また、草太は決して自身が要石になることを望んではおらず、本人が望む望まないに関わらず要石によって選ばれた人間は要石となってしまうことも分かりました。
ダイジンは草太と同じ「元人間」?
草太が要石となってしまう一連の場面から分かることを「ダイジン」に当てはめていくと、「ダイジン」もまた元人間であった可能性が浮かび上がってきます。
劇中では「ダイジン」は「神」と称されていましたが、その一方で羊朗は要石となった人間が長い時間をかけて「神」になっていくとも発言していました。
また、草太がそうであったように本人の希望の有無に関わらず、要石に選ばれた人間は要石となることを強制されており、「自由を謳歌する「ダイジン」が要石となった過去に本人の意志があったのか」は怪しく映ります。
要石から解放してくれた鈴芽の姿が草太には眩しく見えたように、「ダイジン」もまた自身を解放した鈴芽の姿が眩しく映り、彼女の発した「うちの子になる?」という言葉に強く救われ、鈴芽のために行動していくことを決意したのかもしれません。
まとめ
『星を追う子ども』(2011)や『天気の子』(2019)で、新海誠監督は「自己犠牲」により他者を救う物語を描いてきました。
ですが、それらの作品も本作『すずめの戸締まり』も、「犠牲」となる人物は決してそのことを心から望んではおらず、「自己犠牲を強制された少年少女」が物語の主軸となっており、登場人物たちは失うものに対し強く苦悩しながら選択を迫られます。
どの作品でも新海誠監督は決して「強制された自己犠牲」を良しとはしておらず、仮に世界が歪な形になろうとも他の誰かが救われなかったとしても、「自己犠牲」を受け入れる物語が描かれることはありませんでした。
本作も安易な「自己犠牲」の受け入れを拒絶する一方で、物語は多くの悲劇を生むことなく終わるハッピーエンドの形式が取られています。
しかし「ダイジン」が元々は人間であったと仮定すると、鈴芽の気持ちに感化され救われたとは言え、再び要石に戻り封印の役割を担うことになった「ダイジン」の存在に心揺さぶられるのではないでしょうか。
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