君の幸せだけを願う『君を愛したひとりの僕へ』
TikTokで話題となった小説『君を愛したひとりの僕へ』と『僕が愛したすべての君へ』。
2016年6月にハヤカワ文庫より刊行された乙野四方字のこれらの小説は、同じ名前の少年がそれぞれの物語で別のひとりの少女と恋に落ちるストーリーです。
ラブストーリーではありますが並行世界(パラレルワールド)や時間移動などSF色の強い展開。1本でも完結しますが、2本観ることで複雑にからみ合い作用し合った物語を楽しむことができます。
ちなみにこちらの『君を愛したひとりの僕へ』を観てから『僕が愛したすべての君へ』を観ると幸せな気分になり、逆に『僕が愛したすべての君へ』を先に観てから『君を愛したひとりの僕へ』を観ると切ない気持ちになるといわれています。
CONTENTS
映画『君を愛したひとりの僕へ』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【原作】
乙野四方字
【企画・プロデュース】
石黒研三
【監督】
カサヰケンイチ
【キャスト】
宮沢氷魚、蒔田彩珠、橋本愛、水野美紀、余貴美子、西岡徳馬、田村睦心、浜田賢二、園崎未恵、西村知道ほか
【作品概要】
主人公の日高暦は7歳のときに両親が離婚し父親に引き取られました。父の勤める「虚質科学研究所」の保育室で、同じく母がここに勤めているという少女、佐藤栞に出会います。
ずっといっしょに過ごすうちお互いに恋心を抱くようになっていたふたりはある日、親同士が再婚すると聞かされます。ふたりは兄妹になることを避けるため、そもそも親たちが離婚していなかった並行世界に逃げようと考え実行しますが…。
こちらは共通の主人公「暦」が父親についていった世界の物語です。脳死状態になってしまった恋人の栞を救うため研究に没頭し、これしかないのか、という切ない結末へと向かいます。
監督はテレビアニメ「のだめカンタービレ」や「メジャー」シリーズのカサヰケンイチ。制作は『名探偵コナン』シリーズのトムス・エンタテインメントです。
主題歌はSaucy Dogの「紫苑」。望んでいた未来ではないけれどきっとまた会える、そんな切なさを歌った心にしみる楽曲です。
映画『君を愛したひとりの僕へ』のあらすじとネタバレ
日高暦は虚質科学の研究者である父親から並行世界、パラレルワールドについての説明を聞いています。
この世には無数のパラレルワールドが存在し、近い世界では大した差はなく、人間は日常的に自然にそれらの世界を行き来していること。そして別のパラレルワールドに移動することをパラレル・シフトと言うことなどを知ります。
今日は離婚後別々に暮らしている母親と3人で会う約束の日。しかし母と祖父が飼っていた犬のユノが死んだと連絡があり暦は母の家へと向かいます。庭につくられた墓の前で祖父は涙を流していますが、暦はまだ実感がわきません。
後日、父の研究所の保育室でユノに似た犬の写真を見た暦の目から突然涙が流れます。そこに居合わせた白いワンピースの少女が驚いて話しかけると、暦は「ユノに会いたい」と犬が死んだことを説明します。
すると少女は彼をある部屋に連れていき、そこにあったカプセルに入って「会いたい」と念じるようすすめます。適当に機械を操作する少女を見ながら暦が念じると、彼は川原でユノを散歩させていました。
そのまま母の家に行くと、どうやらここは暦が母と暮らしている並行世界のようでそこでは祖父が亡くなっていました。ショックを受けた暦はその晩母親に甘え、いっしょに寝ました。
翌朝、ひとりで寝ていた暦を起こしに来たのは祖父でした。暦は驚きますが、もとの世界に戻ったことを理解し「おじいちゃん、長生きしてね」と言って研究所に向かいます。
そこで再び会ったあの少女は、実は自分が並行世界に行ってみたくて暦を実験台にしたと白状します。
彼女の両親も離婚していて、仲良く暮らしている並行世界に行きたいと言うので暦は、自分もうまくいったのでいまからやろうと提案します。
彼女をカプセルに入れて念じるよう教えていると、大人の女性に止められてしまいます。それは研究所の所長で少女の母親でした。叱られたふたりはその後改めて「佐藤栞」「日高暦」と自己紹介します。
同年代で家庭環境も似たふたりはあっという間に仲良くなり、ほとんど毎日いっしょに過ごすようになります。
明日から夏休みだという日、栞は急に人助けがしたいと言い出しました。自転車で公園などにでかけては困っている人を探しますが、いつの間にかその目的を忘れて遊んでいるふたり。
暦がなぜ人助けがしたいのかたずねると、栞は別れた父親に会い、見返りを求めず人を助けられる人間になりなさいと言われたと話します。
俺が困ってたら助けてくれよ、と暦が言うと栞は浮かない顔をします。そして、友だちだから「名乗るほどの者ではありません」って言えないでしょ、と言いました。暦はそんな栞にあきれながらも可笑しくなってしまいます。
そんなある日、暦は父に大事な話があると研究所に呼び出されます。保育室に行くとそこには栞とその母親である所長もいました。しばらく虚質科学についての講義を聞いたあと、所長から本題が切り出されました。「再婚しようと思ってる」
ふたりきりになった暦と栞は、それぞれの親が自分の親になることについては反対しないと確認しますが、「いつか暦くんと結婚するんだと思ってた…」と栞が先に口に出します。
そして「でも結婚できなくなっちゃう。兄妹になっちゃう」と泣き出しました。「栞、逃げよう」と暦。
ふたりはかけおちを決意し自転車で走り出します。公園でお菓子を食べたりしながら過ごしますが、やがて夜になると警察官に話しかけられたりして次第に行き場を失っていきます。
そんなとき、ふたりは思いつきます。並行世界に逃げることを。その足で研究所に忍び込み、ふたりでIPカプセルに入って、思わぬ近さに顔を赤らめながらもふたりが結婚できる世界に行けるよう念じます。
「並行世界でお嫁さんにしてね」「並行世界で結婚しよう」
目覚めた暦の目に、リビングでテレビを見ている母の姿が映ります。そして父の姿も。「ふたり、離婚、してないよね?」
栞は雨の中、横断歩道の上にいました。そのすぐ先には並んでこちらを見ている母と父の姿があります。うれしくなってふたりに近づこうと歩き出した栞に、曲がってきた車のヘッドライトが迫っていました。
突然カプセルの中で意識を取り戻した暦。すぐそばに栞もいます。なぜ?そう思って栞を起こそうとしますが目を開けません。
カプセルは中からでは開かないので暦は大声で助けを呼びます。すると父と所長が駆けつけ、ふたりをカプセルから出してくれましたが栞は息をしていません。
栞は病院へ運ばれ、暦は父に経緯を説明します。親が再婚してもその子ども同士は結婚できる、逃げる必要なんてなかったと聞かされ自分の無知を悔いる暦。
そのまま自転車で研究所をあとにしますが、大きな交差点まで来た時、そこに栞の姿を見つけます。「ごめんね…私、幽霊になっちゃった…」栞はそう言いました。
いまの栞は所長によると“虚質素子核分裂症”といい、パラレル・シフト中に片方の肉体が死亡したため、虚質(意識)がもう片方の肉体に戻れなくなった脳死のような状態だと言い、不幸な事故だったと説明します。
研究者らしい冷静な物言いに暦はどうして俺を責めないのかと憤り、「悲しくないのか?」と詰め寄ってしまいます。表情はそのままで涙を一筋流した所長を見て暦はハッと我に返り、栞を元に戻すためになんでもすると誓います。
まずは学業優先と昼は学校、夜は研究所で勉強する暦。優秀な成績で高校に入り、入学式では総代をつとめました。
テストは常にトップでしたが大学には進学せず、そのまま研究所に入所しました。その間パラレル・シフトの実験をくり返し、栞が事故に遭わない世界を探りますがどの並行世界でも栞は幽霊になっていました。
ある日、夜遅くまで研究所に残っていた暦はパラレル・シフトしたのか突然知らない女性とベッドをともにしている場面に遭遇します。
すぐにもとに戻りましたが、裸で「暦」と自分の名を呼ぶ女性の存在に衝撃を受けてしまいます。
そんな暦のところに栞の心臓が動きを止めたと連絡が入ります。ついに恐れていた死がやってきてしまった…。
葬式を終えた暦は久しぶりに交差点に向かいます。憔悴した暦を栞は「私がついてるから大丈夫」とはげましてくれました。
高卒でありながら暦は『不可避の事象半径』という論文を発表し評価されます。それは皮肉にも、暦と出会った栞は事故を避けられないということを証明するものでした。
映画『君を愛したひとりの僕へ』の感想と評価
この映画は、自分のせいで愛する人を死なせ、永遠に交差点から離れることのできない幽霊にしてしまった主人公が、その人生を彼女を救うことのみに費やしていく純愛の物語です。
そして主人公、暦の苦悩や永遠にひとりぼっちで交差点に佇む幽霊となった栞の寂しさはもちろんですが、それ以上に主人公に長年協力しつづける和音の悲哀が映画後半の重要な要素となっています。
原作とのちがい
一番のちがいは、栞との待ち合わせの約束を果たすために高崎暦のIP端末にスケジュールを入力するのがだれか、というところです。
原作では暦自身が入力しに行っています。暦はパラレル・シフトしやすい体質だという設定が明確にあり、栞との出会いのときユノに会いにシフトできたのもその体質のおかげでした。その後幽霊になってしまった栞を救うためにパラレル・シフトをくり返すうちに、暦は和音と結婚したり深く関わっている並行世界が複数存在することを認識しますが、最後までそのことを和音に悟られぬよう過ごしています。
暦にとって愛する女性は栞のみ。和音に感謝し彼女の人生を思いやる気持ちは持ちながらも、その感情を揺さぶるようなことを極力排除しているのです。
一方この映画では、和音がシフトしてスケジュールを入力しています。
おそらく暦に対して複雑な愛情を持って生きてきた彼女への答え、ご褒美のような展開で、『僕愛』の和音とリンクさせる意図が感じられます。
暦の妻となっている並行世界の自分への憧れ、羨望、愛着などが入り混じり、そこで高崎和音がはめていたアクアマリンの指輪と同じものを買って身につけるという行動は、少しでも彼女に近づきたい、つながっていたいという気持ちの表現として秀逸です。
原作にはないこの要素は暦の和音に対するある種の冷徹さを緩和させ、和音という人物に深みを与える最適な演出だったと思います。
『僕が愛したすべての君へ』とのつながり
『僕愛』では事実関係がふわっとしかわからなかった黒髪の幽霊少女、栞の物語がこちらの『君愛』で明らかになります。
2作を比較するとこの『君愛』がベースにあり、この世界の中で幽霊になってしまった栞を救うために『僕愛』の世界を生き直した、という印象が強いです。
『僕愛』のラストに登場する老人となった栞と暦の再会シーン(その世界の中では初対面)が、『君愛』では音声のみ、ひとことだけのやりとりになっています。
幼かったふたりが遊んでいるときの会話をトレースするこの音声は、映画を締めくくるのにふさわしい余韻を残してくれます。(ただし『僕愛』を見ていないとなんだろう?という疑問になってしまいそうです)
また劇中では並行世界の移動だけでは問題が解決せず、主人公の暦は長い時間をかけて研究しついに時間移動の方法を見つけますが、その鍵を握るのが黒ビールです。
『君愛』ではエンドクレジットでも象徴的に使われていますが、『僕愛』でもちょっとだけ思わせぶりに登場します。
なにげない会話のシーンでしたが、こんなに重要なアイテムだったとはと驚きました。
キャストについて
主人公の暦を演じたのは声優初挑戦の宮沢氷魚。高校生から40代まで、しかも『僕愛』ではちょっと気弱な性格、この『君愛』では一途にひとりを思い続ける意志の強い性格、と2つの人格を演じ分けました。
不幸にも幽霊になってしまう栞は、蒔田彩珠が演じました。子役から活躍する彼女は数々の受賞歴をもつ若き実力派。
アニメの声優は『神在月のこども』(2021年)に次いで2作目です。
『僕愛』ではあまり出番のなかった老年期の和音を演じたのは余貴美子です。
『君愛』での和音は、暦に思いを寄せながらも栞のことしか頭にない彼に協力し続ける同僚の科学者という位置づけで、最終的には彼を死出の旅に送り出さなければならないという役どころです。
特に並行世界で彼と幸せに暮らしている自分を目撃したあとのセリフは、余でなければ出せない、愛情と嫉妬、羨望などが入り混じった素晴らしい名演でした。
まとめ
どちらから観るか、で印象や感想が変わるという『君愛』と『僕愛』。
物語の流れからすると『君愛』が原因で、その結果『僕愛』の世界に行くという順番が正しい気もしますが、エンディングの作り方としては『君愛』を後にした方がおさまりが良いと感じます。
研究の結果として時間移動をおこなったところで切ないエンディング曲『紫苑』が流れ、バックには静かにふたりで沈んでゆく暦と栞のシルエットが映っている。曲の終わりにふたりのシルエットは離れ、8月17日10:00の交差点のシーンで映画は終わる、この切ない余韻に浸れるのが『君愛』の魅力です。
『僕愛』の方は和音との幸せな人生を全うし、知らないうちに栞とも再会していたというハッピーエンド。エンデイングもエネルギッシュな曲なので、どちらがお好みかで決めるのも良いでしょう。
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