PTSDを抱えた元ロシア人女性兵士の“過酷な戦後”
2022年7月15日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国順次公開を迎えた映画『戦争と女の顔』。
ノーベル賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによるノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』を原案に、第2次世界大戦後のソ連(現:ロシア)を生きた2人の女性の運命を描き出します。
第72回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門では、監督賞と国際批評家連盟賞を受賞した本作。
1945年のレニングラード(現:サンクトペテルブルグ)を舞台に、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えた元女性兵士の生と死の闘い。本記事ではネタバレ要素にも言及しながら、映画『戦争と女の顔』の見どころを解説していきます。
CONTENTS
映画『戦争と女の顔』の作品情報
【日本公開】
2022年(ロシア映画)
【原題】
Dylda(英題:Beanpole)
【監督・脚本】
カンテミール・バラーゴフ
【製作】
アレクサンドル・ロドニャンスキー、セルゲイ・メルクモフ
【共同脚本】
アレクサンドル・チェレホフ
【原案】
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』
【キャスト】
ヴィクトリア・ミロシニチェンコ、ヴァシリサ・ペレリギナ
【作品概要】
ベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチによるノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』を原案に、第2次世界大戦後のソ連(現ロシア)で生きる2人の女性、イーヤとマーシャの運命を描きます。
製作は、日本では2022年5月に公開された『チェルノブイリ1986』も手がけたアレクサンドル・ロドニャンスキーとセルゲイ・メルクモフ。また巨匠アレクサンドル・ソクーロフの下で映画制作を学んだ、31歳の新鋭カンテミール・バラーゴフが監督・脚本を兼任しています。
本作がデビュー作となった新人のヴィクトリア・ミロシニチェンコとヴァシリサ・ペレリギナがイーヤ役とマーシャ役をそれぞれ務め、第72回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門では監督賞・国際批評家連盟賞を受賞しました。
映画『戦争と女の顔』のあらすじ
1945年、終戦直後のレニングラード。第二次世界大戦の独ソ戦により、街は荒廃し、建物は取り壊され、市民は心身ともにボロボロになっていました。
史上最悪の包囲戦が終わったものの、残された残骸の中で生と死の戦いは続いています。
多くの傷病軍人が収容された病院で働く看護師のイーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は、PTSDを抱えながら働き、パーシュカという子供を育てていました。しかし、後遺症の発作のせいでその子供を失ってしまいます。
そこに子供の本当の母であり、戦友のマーシャ(ヴァシリサ・ペレリギナ)が戦地から帰還。
彼女もまた後遺症や戦傷を抱えながらも、2人の若き女性イーヤとマーシャは、廃墟の中で自分たちの生活を再建するための闘いに意味と希望を見いだすのですが……。
映画『戦争と女の顔』の感想と評価
戦地に赴いた女たちの証言を原案に映像化
本作『戦争と女の顔』は、2015年にノーベル文学賞を受賞した作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのデビュー作『戦争は女の顔をしていない』(1985)を原案としています。
1948年にウクライナで生まれたアレクシエーヴィチが、第二次大戦中に戦地に赴いた兵士や看護師など、500名の女性に取材し執筆したこのノンフィクションは、男性に焦点が当たりがちな戦場、そして女性目線から捉えた戦後の光景に注目し、大きな反響を呼びました。
そして戦場がいかに過酷だったか、それによってもたらされた終戦後の生活がいかに厳しいものだったかを詳細に綴った『戦争は女の顔をしていない』にインスピレーションを受け、監督のカンテミール・バラーゴフが映画『戦争と女の顔』の脚本を構築しました。
ちなみに『戦争は女の顔をしていない』は、これまでにロシア本国で舞台化もされていますが、日本では世界初ともいえるコミカライズも出版されています。
コミック版『戦争は女の顔をしていない』試し読み
心身に傷を負った女たち
冒頭、レニングラードの病院で看護師として働く長身の女性イーヤが映るも(映画の原題『Dylda』は「のっぽ」の意)、耳障りなノイズが鳴り響いた途端、彼女の瞳孔が開き、やがて立ったまま発作を起こします。
この場面だけで、彼女が何らかの障害を抱えていることが分かりますが、同僚たちは「また始まったよ」とばかりに、発作が治まるまでそのまま放置します。
今でこそ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉は広く耳にするようになりましたが、舞台となる1945年当時は、そうした病気の知識はほとんど知られていませんでした。
本作では終始、ストーリーを盛り上げるための劇伴が流れません。そのため、イーヤが発作を起こした際のノイズがより強調され、観る者の心をかき乱します。
イーヤは、兵士として戦地に赴いていた友人マーシャの息子を預かっていましたが、発作が原因でその子を死なせてしまいます。しかし復員したマーシャは、なぜか息子の死を悲しまないばかりか、イーヤを責めることもしません。
戦争で夫を亡くした復讐心で自ら兵士となったマーシャもまたPTSDで精神が不安定となっており、さらには戦地での負傷で二度と子を産めない体となっていたのです。
「緑」と「赤」の色彩に込められた二重の意味
イーヤとマーシャ、2人の生きざまを描く本作を支配するのが「色彩」です。
イーヤが着るセーターやワンピースは「緑色」。一方のマーシャは髪や服などから「赤色」が目立ちます。それ以外にも、2人が暮らす部屋の壁、さらには傷病兵が入院する病院の壁などに、この2色が塗られています。
バラーゴフ監督によると、この時代に生きていた人々はあらゆる苦難や荒廃にもかかわらず、毎日明るい色に囲まれて生活していたという調査情報を基に、緑と赤を基調とした色彩を取り入れたとのこと。
色彩心理学において、緑は「安らぎ・平穏」、赤は「元気・情熱」といった意味があるとされます。けれども、頻繁に発作を起こすイーヤの緑には「脆さ」、戦傷を負ったマーシャの赤からは「血」を連想させられます。
緑と赤は、イーヤやマーシャを含めた復員兵たちの「平穏に元気に暮らしたい」という願望を表す色ともいえますが、一方では「過酷な現実ではその願望を叶えることは難しい」というメタファーと捉えることもできます。
子どもを失ったマーシャは、イーヤにある頼み事をします。そして終盤では、入れ替わるようにイーヤが赤色の、マーシャが緑色の服を着ます。その「頼み事」とは過酷な現実に抗うための拠り所を得る術であり、服の色を変えるのは、ともに“戦後”を生きていこうという2人の意志表示なのかもしれません。
まとめ
映画『戦争と女の顔』主要スタッフ&キャスト記者会見
全身が動かなくなった傷病兵の選択、従軍した女性に向けられる周囲からの辛酸など、『戦争と女の顔』では復員兵たちに待ち受けるさまざまな“戦後”が描かれます。
2022年2月、本作の舞台となった場所で再び戦争が勃発し、第二次世界大戦時と同様、ウクライナでは戦地に赴く女性兵士もいます。たとえ戦争が終わったとしても、何らかの形でPTSDを抱える者たちは新たに増えていくことでしょう。
下記は、『戦争は女の顔をしていない』のある女性の言葉です。
夏になると、今にも戦争が始まるような気がするんだよ。太陽が照り付けて建物も木々もアスファルトも温まってくると、あたしには血の匂いがする。何を呑んでも食べても、この匂いからは逃れられない!
──タマーラ・ステパノヴナ・ウムニャギナ元衛星指導員
(『戦争は女の顔をしていない』より)
2022年5月に日本公開された『チェルノブイリ1986』も手がけた、本作のプロデューサーの一人であるアレクサンデル・ロドニャンスキーはウクライナ出身であり、実は彼の息子はウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の経済顧問を務めています。
そのロドニャンスキーはロシアのウクライナ侵攻に反対したことで、ロシア政府から自作品のロシア国内での放映を禁止され、またバラーゴフ監督も「戦争より悪は存在しない」と、国外へ脱出しました。
本当の意味での“戦後”は、いつ訪れるのか。本当の意味で、今観るべき作品です。
映画『戦争と女の顔』は2022年7月15日(金)から新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。