裕福で仲睦まじい“理想の夫妻”の生活に隠された不都合な真実とは!?
『マーサ、あるいはマーシー・メイ』(2011)のショーン・ダーキン監督が、ジュード・ロウとキャリー・クーンを主演に迎え、10年ぶりに撮った映画『不都合な理想の夫婦』。
誰もが羨む裕福な一家は、ジュード・ロウ扮する夫のさらなる野望のもと、アメリカからロンドンへと移住します。
夢のような大きな邸宅での新生活は、幸せに満ち、順調に進んでいるかに見えましたが、妻はこの生活が虚像であることに徐々に気付き始めます……。
映画全編が不穏な雰囲気に満ち溢れた極上の心理スリラーをお楽しみください。
映画『不都合な理想の夫婦』の作品情報
【日本公開】
2022年公開(イギリス映画)
【原題】
The Nest
【監督・脚本】
ショーン・ダーキン
【キャスト】
ジュード・ロウ、キャリー・クーン、チャーリー・ショットウェル、ウーナ・ローシュ
【作品概要】
誰もが羨むような理想の夫婦の生活の裏に隠された“不都合な真実”とは!?
主人公のローリーにジュード・ロウ、その妻アリソンにキャリー・クーンが扮し、『マーサ、あるいはマーシー・メイ』(2011)のショーン・ダーキンが10年振りに監督を務めた本作は、サンダンス映画祭でプレミア上映され、英国インディペンデント映画賞では6部門にノミネートされた極上の心理スリラーです。
映画『不都合な理想の夫婦』あらすじとネタバレ
時はレーガン政権の1986年。
ニューヨークで貿易商を営むイギリス人のローリー・オハラは、アメリカ人の妻アリソンと娘のサマンサ、息子のベンジャミンの4人で何不自由ない暮らしを送っていました。
アリソンは自分の馬を持ち、馬の調教を仕事にして乗馬も教えていました。ある朝、ローリーはいつものようにアリソンに珈琲を持って来て、突然「引っ越そう」と言い出しました。
「君の故郷だからとここに落ち着いたけれど、もう耐えきれない。僕にはあわない」とローリーは言い、ロンドンにこれ以上ないいい話があって、チャンスを逃したくないと熱弁し始めました。
「お金はあるの?」とアリソンが尋ねると「勿論、あるさ」とローリーは即答。「ロンドンも以前とは状況が変わった。これはチャンスなんだ。すっかり生活が変わるぞ」と興奮気味に語り、全て自分が手筈を整えるからと約束しました。
もうこれで、引っ越すのは4回目になります。今の生活に満足していたアリソンは気が進みませんが、アリソンの母親からローリーにまかせておけばいいのよと言われ、一家はロンドンへの移住を決断しました。
ロンドン郊外のサリーに到着したアリソンと子どもたちは、目の前にそびえる大豪邸に驚きます。
家の敷地にはサッカー場があり、息子は大喜びです。アリソンには広大な敷地を用意し、馬のための設備も準備中でした。
家の中は薄暗く、広すぎるようにも思えましたが、ベンジャミンは名門の私立学校に編入し、新しい生活がスタートしました。
ローリーは叔父が経営する会社に務め、アメリカのデトロイトの会社との合併話をもちかけます。叔父もその話にのってきました。新生活は順調に進んでいくかのように見えました。
しかし、ある日、アリソンは敷地内の馬小屋の工事が停滞していることに気付き、業者に問い合わせます。
驚いたことに、業者は支払いが滞っていると返答しました。夫が渡した小切手は不渡りだったと言うのです。アリソンは自分が支払うから工事を続けてくれるように依頼しました。
帰宅したローリーにアリソンが問い詰めると、彼は新生活のために貯金が底を着いただけで、10日後には大金が入ってくる、銀行には金がないが、金はあるんだと主張しました。
しかし、デトロイトの企業との提携は、社長が断ったために頓挫し、ローリーの思惑通りには事が進みません。当然金銭も手に入らず、ローリーはわずかなお金さえ、妻から借りなくてはならなくなってしまいました。
社長に抗議すると、社長はローリーのことは昔からよく知っているが、いつも細部が甘い。一度に大儲けすることばかり考えるなと諭されます。
そんなローリーを非難するアリソンに対し、ローリーは「娘と二人で悲惨な生活をしていた君に僕が贅沢な生活を与えてやったんだ」と怒鳴り、ふたりは激しい口論を始めました。
ある夜、馬小屋から激しい音が漏れ聞こえ、馬の悲鳴のようなものも聞こえてきました。ですが、その声は屋敷の方に届くことはありませんでした。
翌日、アリソンが乗馬を楽しんでいると、馬がよろめき始め、突然崩れ落ちました。驚いて、愛馬をさすってやりますが、重症で、アリソンは近くの農場まで走り、農場主に馬を診てもらいます。
農場主はもうよくならないと首を振り、馬を安楽死させました。ブルドーザーで敷地に穴を掘り、そこに馬を埋葬しました。かわいがっていた馬の突然の死にアリソンは大きなショックを受けました。
その頃、ローリーはロンドン郊外の高層団地に住む母を訪ね、母を驚かせていました。実は彼らはもう何年も会っていませんでした。
アメリカからロンドンに帰ってきたこと、結婚して10歳の息子が居ると聞いた母は、複雑な表情を浮かべ、やがて口論となっていきます。親子の断絶は恐ろしく根の深いものでした。
数日家に帰ってこなかったローリーが帰宅すると、アリソンは「帰らないなら前もってちゃんと連絡して」と咎めるように言いました。仕事で忙しかったんだ、これからもこういうことは続くと応えるローリー。
アリソンが愛馬が亡くなったことを告げると、ローリーは「あの女が安物を売りつけたんだ。調査して訴えてやる」と言い出し、それに対しアリソンは「あなたが空輸させたから傷を負ったのかも」と言い、ふたりはまた激しく口論を始めました。
子どもたちにもその声は届き、サマンサとベンジャミンは不安そうに2人の様子を伺っていました。
ここに引っ越してきてから何もかもおかしくなったと言うアリソンに、ローリーはすべて「君たちのためを思ってのことだ」と返しますが、「パーティーで自慢したいだけでしょう!」とサマンサは言い放ちました。
そんなある日、アリソンは学校から連絡を受け呼び出されます。ベンジャミンがクラスメイトに暴力を振るったというのです。
「どうしてあなたが暴力なんて」と問いかけると、ベンジャミンはいじめにあっていたことを告白し、心配させたくなかったのだと語りました。アリソンは気付かなったことに愕然とし、ベンジャミンを固く抱きしめました。
アリソンは昼間、近くの農場を手伝い始めました。自分が稼がなければ生活費もままならないからです。
夜は、ローリーの商談にドレスアップして参加しなければなりませんでした。しかし、その席でも、虚飾にまみれたことばかりを並べ立てるローリーにすっかりうんざりして、「まるで詐欺師ね」と言い放つと、彼女は席を立ちました。
映画『不都合な理想の夫婦』解説と評価
2台の車が並ぶ落ち着いた雰囲気の屋敷のファサードをしばらくとらえた後、ジュード・ロウ扮する主人公ローリーが電話している姿が窓越しに長回しで映し出されます。
静かに流れる劇伴がひたひたと不安を掻き立てると共に、じっと佇んだカメラが、何もかもを見透かしているかのようで、映画は冒頭から不穏な空気感に満ちています。
裕福な生活を送りながら、常にその現状に満足できなくなり、新天地を求めて転居を繰り返す夫ローリー。今の生活に満足している妻のアリソンは、納得がいかないものの、結局は夫を信じて従わざるを得ません。
しかし、夫の新天地である会社のパーティーの席で、経営者の男性が語る言葉にアリソンは敏感に反応します。夫は会社から声をかけられたと語っていたのに、男性は夫が売り込んできたのだと語っていたのです。
そこで生まれた小さな疑惑が、あることをきっかけに確信に変わります。馬小屋の工事に携わる業者が夫から受け取った小切手が不渡りだったというのです。
あるはずの金が、すっかりなくなってしまっており、裕福な暮らしが虚飾に塗れたものであることが判明するのです。
信じていたものがガラガラと崩れ落ちることの恐ろしさ、それでも素知らぬ顔で生活を続けていかなければならない不穏さが、不可思議なエピソードを交えることによってさらに大きなものになっていきます。
この映画にはいくつか明らかにされない謎が散りばめられています。まずアリソンの愛馬の死に関してですが、馬は明らかな暴力を受けた結果、翌日倒れて死に至ったと考えられます。
しかし、暴力を振るったのが誰かは画面上で明かされることはありません。あるいは誰も暴力を振るってはいなかったのか、考えれば考えるほど判然としません。
また、終盤、アリソンが幻を見たあと、葬られていたはずの馬が、地上に出て倒れている意味も決して明確に語られることはありません。観るものは想像するのみで正解を知らされることはないのです。
他にも、閉めたばかりのドアが突然開くような不可思議な現象が起こり、アリソンは平静を失います。
10歳の息子は、家が怖いと言って、姉の部屋から出るのをいやがっており、スーパーナチュラル的な存在の可能性を感じさせますが、物語がその分野に深く立ち入っていくことはありません
アメリカからイギリスへ「移住」してきたアリソンや子どもたちにとっては、幸せな家庭が崩壊していくことは心細さを超えて恐怖そのものであり、そうした個々の心情を映画は繊細に、かつミステリアスに描いていきます。
まとめ
ジュード・ロウ扮するローリーは、見た目、爽やかで、夫としても父親としても非の打ち所のない人物に見えます。
しかし、実際のところ、彼は嘘に塗れた虚飾の人生を生きています。野心に溢れ、商魂もありそうですが、それも上辺だけで、裕福で一目おかれる人間であることに病的にこだわり続けます。
既に破綻しているのに、見栄を張り、嘘をつき続ける男となると滑稽そのものというイメージですが、ジュード・ロウが扮することで、こんな男がチャーミングで貫禄すらあるように見えるのがこの作品の魅力のひとつと言えるでしょう。
一方、キャリー・クーン扮するアリソンは、まっとうな生き方をしている女性ですが、子どもたちが抱えている問題や感情に気付かず、子どもたちに寄り添うよりも自分のことで手一杯といった側面も見せる人物として描かれています。
夫と衝突していくにつれ、この人物も滑稽だったり醜くなったりするよりも寧ろ、魅力的になっていくのが面白く、とりわけ、一人でパブで踊り狂うシーンのクールなカッコ良さには思わず見とれてしまうほどです。
ジュード・ロウとキャリー・クーンの迫真にせまった演技のぶつかり合いが、本作の大きなみどころの一つであることは間違いありません。
そんな中、子どもたちは不安な立ち位置に置かれ、息子は恐れおののき、娘は激しく反発します。大人に問題がある時には必ず子どもや弱いものにしわ寄せがいき、不幸を招くものです。
愛馬の死は、まさに家庭の崩壊がもたらした象徴的なものとして描かれ、人間の「罪」を浮かび上がらせます。
長女は健気に朝食を作り、「大丈夫、うまく行く」と自分を励ますようにつぶやきます。形だけでも食卓を囲んだ4人は、再び家族として再編することができるのでしょうか。大きな余韻が残ります。