様々な伝説に彩られた、オーソン・ウェルズの傑作サスペンス
初監督作が世界映画史上のベストワン映画『市民ケーン』(1941)、しかもその主演も務めたオーソン・ウェルズ。『第三の男』(1949)の印象深い悪役など、俳優としての実力も高く評価されています。
『市民ケーン』を撮った彼が、その後監督した作品は意外にも多くありません。その中に完成直後に失敗作扱いされ、やがてカルト映画化し今や名作とされる映画がありました。
その作品が『黒い罠』。モノクロで描かれたミステリー仕立ての犯罪サスペンス映画です。
公開時に不遇な扱いを受けた本作が評価を高めていったのか。その後のウェルズの歩みにいかなる影響を与えたのか。そんな背景も含めこの作品を紹介していきましょう。
CONTENTS
映画『黒い罠』の作品情報
【製作】
1958年(アメリカ映画)
【原題】
Touch of Evil
【監督・脚本・出演】
オーソン・ウェルズ
【キャスト】
チャールトン・ヘストン、ジャネット・リー、オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・キャレイア、エイキム・タミロフ、ジョアンナ・ムーア、デニス・ウィーバー、マレーネ・ディートリヒ、ザ・ザ・ガボール、ジョゼフ・コットン
【作品概要】
映画史に名を残すオーソン・ウェルズ監督作の中で『市民ケーン』に次ぐ知名度と人気を持つ、多くの映画人に影響を与えたサスペンス映画。
『地上最大のショウ』(1952)や『十戒』(1956)に出演し、当時人気絶頂だったチャールトン・ヘストンが主演を務め、その妻役を後に『サイコ』(1960)に出演し、映画ファンの記憶に残るジャネット・リーが務めます。
ドイツで『嘆きの天使』(1930)に出演、『モロッコ』(1930)以降活躍の場をハリウッドに移した大女優マレーネ・ディートリヒが共演、カメオで『市民ケーン』や『第三の男』、日本の特撮映画ファンには『緯度0大作戦』(1969)でお馴染みのジョゼフ・コットンが出演。
またライアン・オニールと結婚し、テータム・オニールの母となるジョアンナ・ムーア、恋多きハリウッドのセックスシンボルとして有名なザ・ザ・ガボールの、ゴシップ芸能史を語る際に欠かぬ人物の姿が見れる作品としても貴重です。
映画『黒い罠』のあらすじとネタバレ
アメリカとメキシコの国境地帯の町ロス・ロブレス。タイマー付きの時限爆弾を持つ謎の男は、人目を避け乗用車に仕掛けました。
その車に一組の男女が乗り込み走らせます。賑やかな夜の街を走る車は、メキシコからハネムーンで訪れた麻薬捜査官ラモン・ミゲル・ヴァルガス(チャールトン・ヘストン)とスーザン(ジャネット・リー)の脇を通り過ぎます。
アメリカ領に入ろうとするヴァルガスは、国境で係官に妻のスーザンはアメリカ人だと説明します。その脇に現れる先程の乗用車。運転席の地元の有力者リネカーは、係官と国境で麻薬を取引を行う犯罪組織、ヴァルガスが一味のボスを逮捕したグランディ一家を話題にしました。
ヴァルガスとスージー(=スーザン)の前で、先に進んだ車が爆発します(これが有名な冒頭の長回しシーン。トラッキングショットと呼ばれる手法で、カメラを移動させ撮影しています)。
メキシコ人捜査官の自分がアメリカ領で事件に遭遇し、やっかいな事になったと妻に話し、現場に向かうヴァルガス。
乗用車の爆発物はメキシコ領で仕掛けられ、国境を越えアメリカ領で爆発しました。複雑な状況に置かれた事件を、一体誰が捜査するかヴァルガスは気にします。
夫と別れホテルに向かうスージーに男が近づきます。スペイン語を話すその男は、ヴァルガスに渡す物があると書かれたメモを持っていました。男の案内でメキシコ領に戻るスージー。
事故現場には検事補佐のシュワルツに検事のアデール、検視官(ジョゼフ・コットン)、そして死亡したリネカーの娘マーシャ(ジョアンナ・ムーア)が身元確認に現れます。
そして凄腕刑事として名高いハンク・クインラン警部(オーソン・ウェルズ)が来ました。彼はリネカーは殺されて当然の男と呼び、マーシャは事情聴取せず泳がせろと指示しました。
理由があり酒を断った老刑事ハンクは、替わりにドーナツや菓子など甘い物が手放せないのか、肥満した巨体の持ち主で足が悪く杖が手放せません。
検事にも警察署長にも傲慢な態度のハンクは、ヴァルガスには捜査権限が無いと言い放ちます。確かにアメリカ人がアメリカ領で殺された事件ならそう扱われるでしょう。
長年の経験から得た直感で強引に捜査を進めるハンクですが、ロス・ロブレスの有力者たちは彼を信頼していました。しかし爆発物が仕掛けられたのはメキシコ領だと、捜査に協力すると申し出るヴァルガス。
オブザーバーとして参加するだけで、捜査の邪魔はしないと告げるヴァルガスに、ハンクは敵対的な姿勢を見せます。
男に同行したスージーの前に、逮捕されたボスのビク不在のグランディ一家を仕切る、ビクと兄弟のジョー・グランディ(エイキム・タミロフ)が現れます。国境の両側でいかがわしいビジネスを行うグランディ一家の名は、彼女も知っていました。
自分の一家に手を出すなと警告した裏社会の幹部に、スージーは一歩も引きません。ヴァルガスへの伝言を伝えると彼女を解放するジョー。
夫に会うとこの出来事を伝え、この地を去りたいと訴えるスージー。しかし麻薬捜査の責任者グランディは捜査から離れられません。
リネカーの車に同乗し死んだストリッパーの身元を確認しようと、メキシコ領内の店に向かうハンク。その後を追ったヴァルガスは何者かに酸の入った瓶を投げつけられました。
難は逃れたものの、犯人を逃がしたヴァルガス。ストリップ店のオーナー(ザ・ザ・ガボール)から情報を得られなかったハンクは、自動ピアノの音色に気付きます。
その調べを頼りに寂れた酒場を訪れたハンクは、店を仕切る女ターニャ(マレーネ・ディートリヒ)に会います。彼女との再会を喜ぶハンクに、つれない態度を見せるタナ(=ターニャ)。
宿泊先のホテルのスージーは、夫にグランディ一家らしい男たちの嫌がらせを受けたと訴えます。一方一家の幹部ジョーは、独断でヴァルガスに酸を投げた部下を叱ります。ジョーはボス不在の今、必要以上に事を荒立てぬよう部下に命じていました。
ホテルを出ようとしたスージーを、呼び出した際に男と撮った写真を渡して脅すジョー。脅迫を解決しようとスージーは夫から離れる事を断念し、国境を越えたアメリカ側のモーテルに泊まる事にします。
宿泊したモーテルの夜勤の従業員(デニス・ウィーバー)は気の利かない男で、もう勤務終了だと言い張りベットメイクに手を貸さず、ウンザリするスージー。
一方ハンク警部は殺されたリネカーの建設会社の作業現場を訪れます。現場からはダイナマイトの盗難届が出されていました。
ハンクに現場監督は、リネカーの娘マーシャと付き合っているサンチェスが最近解雇されたと告げます。他にも刑務所を出所したばかりの男ファーナムが、グランディ一家の弁護士フランツの紹介で働いているなど、怪しい人物が多数います。
しかしハンクが容疑者と睨んだのはサンチェスです。同行したヴァルガスに理由を聞かれると、自分の直感に従ったと答えるハンク。
彼らがサンチェスのいるマーシャのアパートに向かうと、そこにはフランツ弁護士がいました。弁護士はマーシャげの尋問を拒みますが、ハンクはサンチェスを厳しく追及します。
刑事の直感に従って捜査するハンクですが、ヴァルガスはファーナムなど、グランディ一家につながる人物も調べるべきと考えていました。
建設会社をクビにされ、恋人の部屋に転がり込んだメキシコ人のサンチェス。殺されたリネカーからは、娘との結婚は厳しく反対されたと彼を責めるハンクに、動機だけでなく証拠に基づき捜査すべきと指摘するヴァルガス。
そこにヴァルガスと間違え、ハンクの相棒ピート・メンジース刑事(ジョゼフ・キャレイア)の車を尾行したジョーが連行されてきました。
ハンクの強引な捜査に失望したヴァルガスは、モーテルの妻スージーに電話をかけます。しかしモーテルの昼番を務める従業員は、ジョーの手下だったのです。
ヴァルガスが部屋に戻ると、サンチェスは彼にハンク警部に罪を着せられたと訴えます。しかしバスルームでダイナマイトが見つかり、それを証拠にリネカーを殺害したとサンチェスを逮捕したハンク。
しかしダイナマイトが入っていた箱は、ヴァルガスが見た時には何も入っていません。サンチェスはグランディ一家とのつながりもありません。
サンチェスに捏造した証拠で罪を被せたと非難するヴァルガスの言葉に、同じメキシコ人を庇いたいだけだと耳を貸さぬハンク。
シュワルツ検事補佐はヴァルガスの意見を重要視しますが、ハンクは態度を改めません。メキシコ側のヴァルガス捜査官とアメリカ側のハンク警部は対立します。
逮捕が誤りなら名声を失うハンクに、共通の厄介者ヴァルガスを始末しようと持ち掛けるジョー。ハンクは人のいない場所で彼と話そうとします。その姿を黙って見つめるピート刑事。
宿泊中のモーテルにストックカー(改造車)に乗った若者たちが現れ、不安に襲われるスージー。一方ヴァルガスとシュワルツ検事補佐は、ハンク刑事がサンチェスを陥れたなら、証拠にしたダイナマイトをどこで入手したか考えていました。
ハンクの農場を調べるというシュワルツに、間違っていたら君に迷惑をかけると告げるヴァルガス。協力を約束した検事補佐に彼は感謝します。
騒ぐ若者たちの苦情を入れるスージーに、モーテルのフロントを占拠したグランディ一家の一味は本性を現します。彼女が警察に電話しようとすると故障と偽り、出勤した夜勤の従業員には業務に就かせません。
そしてグランディ一家のジョーは、ヴァルガスを陥れる計略をハンクに持ち掛けていました…。
映画『黒い罠』の感想と評価
60年以上前のオーソン・ウェルズの傑作、冒頭のシーンは素晴らしい!…しかし一方で映画ファンを自認する方の中にも、この冒頭シーンだけを見て、全編を見てない方がいるのではないでしょうか?
最後まで本作を見た方は様々なシーンの良さに気付いても、どうにも古風な映画と感じたり、説明不足のB級サスペンス映画に思えたりと、疑問を覚えた方もいるでしょう。
早熟の天才として少年時代は学校で演劇の製作・出演に没頭、16歳で俳優デビューしやがて劇団を主宰、舞台やラジオドラマに出演し演出も手掛けたウェルズ。彼が1938年に演出したラジオドラマ『宇宙戦争』は、様々な騒動を引き起こした伝説的の放送となりました。
迫真の内容が全米にパニックを引き起こした…との『宇宙戦争』のエピソードは近年の研究で、やや誇張されて伝わり伝説化したとされています。この騒ぎはウッディ・アレンの映画『ラジオ・デイズ』(1987)に描かれています。
そのウェルズに全権を委ねて作られた『市民ケーン』。誰もが認める傑作を初監督映画で完成させました。
しかし完成までに、彼は制作会社と様々なトラブルを起こします。そもそも『市民ケーン』の内容は当時のメディア王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルに、彼のスキャンダラスな一面を劇的に描いた問題作。
当然ハーストと大いにもめ、メディア王の妨害もあり『市民ケーン』は公開時に興行的に苦戦、賞レースでも苦汁を味わいます。
ウェルズは『市民ケーン』の脚本を巡り、共同脚本のハーマン・J・マンキーウィッツと争います。この確執はデヴィッド・フィンチャー監督作『Mank マンク』(2020)に描かれました。
ハーストの死後『市民ケーン』は正当に評価されますが、ウェルズはトラブルメーカーだ、多額の製作費をかけて作る映画は傑作でも興行的に振るわない、と彼は製作会社から敬遠され始めます。
デヴィッド・フィンチャーは、SNS時代のメディア王マーク・ザッカーバーグのスキャンダラスな一面も描く映画『ソーシャル・ネットワーク』(2010)を監督しています。この作品はある意味フィンチャー版『市民ケーン』と呼べるでしょう。
フィンチャーが相当ウェルズを意識している…それは『Mank マンク』の脚本を書いた、フィンチャーの父から譲り受けたものかもしれません…とお判り頂けましたか?
オーソン・ウェルズは、現在活躍する映画人にも大きな影響を与えているのです。
『黒い罠』を最後にハリウッドを去ったオーソン・ウェルズ
『市民ケーン』の公開時”大失敗”したウェルズ。その後も映画を作り続けますが、徐々に製作は困難になりました。
そんな折『黒い罠』の監督に、主演に選ばれたチャールトン・ヘストンが彼を推薦しました。ウェルズは悪い評判を打ち消そうと、決められた予算と期間内で映画を完成させようと挑みます。
会社からはセット撮影を提案されますが、大部分のシーンをロサンゼルスのヴェニス地区で撮影、国境地帯の荒廃した雰囲気を描きました。
「ボルジア家が支配する(30年間戦乱が続いた)イタリアは、ミケランジェロとダヴィンチ、そしてルネサンスを生んだ。スイスの500年間の平和と民主主義は何をもたらした? 鳩時計だよ」
『第三の男』で、オーソン・ウェルズが発した有名なセリフは彼自身の発案。そしてチャップリンの『独裁者』(1940)の原案も、彼の手によるものです。
ウェルズの反骨精神は、映画製作時のわがままだけに発揮された訳ではありません。社会問題を鋭く見つめ、権力に臆することなくウィットに富む姿勢で描いた作品は、今も輝きを失いません。
本作は舞台を原作と異なる国境地帯に移し、アメリカ側官憲がメキシコに対して抱く侮蔑的な姿勢を描くことで、アメリカ人が抱く差別的感情を露わにしました。
当時ハリウッドでは作品に正しい倫理性を求める規制、”ヘイズコード”がまだ力を持っていました。そんな環境で映画ではあってはならない、証拠を捏造する悪徳警官(ただし悪人を逮捕するための捏造、との設定で”ヘイズコード”に配慮)を描きます。
『黒い罠』の撮影を終えたウェルズは、事後の作業をスタジオ側に託し現場を離れました。映画にはドラッグが登場し、それを常用しストックカーを操る暴走族も登場。いずれも当時社会問題化していました。
もっともストックカーは本作と同じカリフォルニアでを舞台に、1962年の設定で描くジョージ・ルーカスの出世作『アメリカン・グラフィティ』(1973)にも登場します。改造車文化は暴走族だけのものではありません。
そして酷い目(”ヘイズコード”に配慮し、に物凄く控え目な「酷い目」です)に遭わされる、主人公の妻を演じたジャネット・リー。この内容に製作会社側は恐れをなします。
結局製作サイドは話が難解だと、ウェルズに無断で脚本を変更、追加シーンを撮影し109分版、後に「試写会版」と呼ばれるバージョンを作りました。
ウェルズは激怒しますがスタジオ側は無視。さらに試写会での評判が悪いと、さらにカットした96分版、いわゆる「劇場公開版」で一般公開します。今回のあらすじネタバレは「劇場公開版」を元に紹介しました。
これでは話が難解どころか説明不足になるのも当然。しかも劇場公開時には2本立ての1本という扱い。興行的に失敗し、もう彼に映画を撮らせる映画会社は現れません。
失意のウェルズはハリウッドを去ることを決断、ヨーロッパに活動拠点を移します。1953年に赤狩りでアメリカを追われ、スイスに移住したチャップリンの後を追うような出来事でした。
それでも、ウェルズの輝きは失われなかった
しかし1958年のブリュッセル万国博覧会で上映された『黒い罠』は、審査員のフランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールらに絶賛され、その価値を認められます。
当時まだ短編映画しか撮っていない2人。それぞれの初長編映画、トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959)とゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)は、本作から影響を受けました。
ヨーロッパでの評判はアメリカそして世界に伝わり、『黒い罠』はカルト的な人気を獲得します。そしてウェルズの死後、彼の残した製作メモを元に忠実に再構成した111分の「修復版」が作られ、1998年に公開されました。
気難しく傲慢な印象のあるオーソン・ウェルズは、同時に多くの俳優からは慕われる存在でした。本作には彼の映画の常連俳優が多数出演しています。
マレーネ・ディートリヒは、ウェルズが撮影開始後に彼女のシーンを追加し、直接交渉し起用されました。喜んだ彼女は最低のギャラで出演、1日で彼女のシーンは撮影されました。
それを知った製作会社は大スターの出演に大慌て、クレジットで大きく扱えるよう追加でギャラを払いました。後にディートリヒは、出演映画の中で最高のものは『黒い罠』だと語っています。
ギャラが低いと、エージェントに出演依頼を無断で断られたジャネット・リー。直接ウェルズから依頼され経緯を知って怒り、喜んで出演を承諾しました。
撮影の2週間前にリハーサルを行った際に、ウェルズは多くのセリフを書き直したと証言したリー。俳優に積極的な物語への参加を求め、アイデアを映画に取り入れるスタイルは、ウェルズは単に自分の考えに固執する偏狭な人物では無いとを示しています。
撮影前に左腕を骨折し、ギプスを着けていたリー。ウェルズはそれに配慮しやむをえず外して撮影したシーン以外は、巧みに隠して撮影していました。
有名な長回しシーンで、国境の係官の俳優が何度もセリフを間違えます。最終的にウェルズは声を出さず、口だけ動かすよう指示しました。なぜ彼をクビにしなかったと問われたウェルズは、「それでは、彼は二度と立ち直れなくなるよ」と答えたそうです。
モーテルの夜勤の男を演じたデニス・ウィーバーに、ウェルズは即興で演じる様に求めます。こうして現代の映画やドラマのキャラクターとしても通じるような、「コミュ障」気味の奇妙な人物が誕生しました。
当時西部劇ドラマ『ガンスモーク』(1955~)で人気を獲得し、後にドラマ『警部マクロード』(1970~)や『激突!』(1971)に主演するデニス・ウィーバーから、この変人キャラを引き出してみせたウェルズ。
ウェルズ自身が演じた刑事も、酒を断った替わりにドーナツのような甘い物が手放せぬ巨漢。彼は老人メイクを施し、体に詰め物をして演じます。
この「甘い物(=ドーナツ)が大好きな、太った警官」というスタイルは、後の映画やドラマでコピーされ、一般的アメリカ人の警官に対する、ステレオタイプのイメージの1つになったのはご存じでしょう。
『黒い罠』でウェルズは、役柄に深みを与えるためこの設定を用いました。演者に寄り添い、役柄を掘り下げるウェルズに対し、多くの俳優が信頼を寄せ敬意を払ったのも当然です。
まとめ
参考映像:オーソン・ウェルズ ニッカウヰスキー CM 『第三の男』編(1976年)
冒頭のシーンが有名な『黒い罠』。最後まで見ると出来の悪いB級映画のように見えるかもしれません。本作がどういった環境で完成し、どういった部分が評価され、後の映画に影響を与えたのかお判り頂けましたか。
ロバート・アルトマン監督の『ザ・プレイヤー』(1992)の冒頭シーンは『黒い罠』へのオマージュであり、セリフの中にタイトルが引用されます。そして皮肉な映画業界裏話の映画…、強くオーソン・ウェルズを意識した作品です。
カーティス・ハンソン監督は自作『L.A.コンフィデンシャル』(1997)に影響を与えた映画として『黒い罠』をあげています。
ヨーロッパに拠点を移した後、自作を撮影する資金集めに苦労するウェルズ。特に未完の大作…死後に残存するフィルムを編集し公開された『ドン・キホーテ』(1992)を、何とか完成させようと格闘したエピソードは有名です。
その結果製作費の確保のために、大作映画の添え物役やB級映画に数多く登場、日本のテレビCMや英語学習教材の朗読と、仕事を選ばぬ姿勢を見せます。俳優として遺作はアニメ映画『トランスフォーマー ザ・ムービー』(1986)の声優、と何かとネタになる芸能生活を送ります。
しかし本人は自分の境遇を達観し、それなりに楽しんでいたとの証言もあります。こうして映画史に残る偉人は、1985年に70歳で生涯を終えました。
もう『黒い罠』は、有名な冒頭の長回しシーンだけ見れば良いと思えなくなりましたか?ぜひオーソン・ウェルズと出演者たちに想いをはせて、最後までご覧下さい。
ところで『黒い罠』の一見あぶないモーテル従業員デニス・ウィーバーは、ベットメイクもしない使えない人物です。一方『サイコ』のアンソニー・パーキンス=殺人鬼ノーマン・ベイツは、客が来なくてもベットを綺麗に整える、実に几帳面な男です。
映画の中でモーテルに泊まると、ロクな目にあわないジャネット・リー。映画史に名を残す両作品に登場する、モーテル従業員のあまりの違いに気付いた人は、私同様に思わず吹き出すでしょう。
増田健(映画屋のジョン)プロフィール
1968年生まれ、高校時代は8mmフィルムで映画を制作。大阪芸術大学を卒業後、映画興行会社に就職。多様な劇場に勤務し、念願のマイナー映画の上映にも関わる。
今は映画ライターとして活躍中。タルコフスキーと石井輝男を人生の師と仰ぎ、「B級・ジャンル映画なんでも来い!」「珍作・迷作大歓迎!」がモットーに様々な視点で愛情をもって映画を紹介。(@eigayajohn)