連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第66回
2021年11月3日(水)にNetflixで配信されたヒップホップ西部劇『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野』。
ラッパーのジェイ・Zがプロデューサーを務めた西部劇である本作は、19世紀末に実在した人物に賞金稼ぎの復讐劇というオリジナルストーリーを脚色。アフリカ系アメリカ人による西部劇として、劇中では現代のブラックミュージックが使用されるという新感覚の娯楽作品です。
豪華キャストが繰り広げたドラマは現代の西部劇としてどのような位置付けになるのか。西部劇史的な位置付けとともに本作の娯楽性についての考察を交えてご紹介します。
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CONTENTS
Netflix映画『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野』の作品情報
【配信】
2021年(アメリカ映画)
【原題】
The harder they fall
【監督】
ジェームズ・サミュエル
【キャスト】
ジョナサン・メジャース、ザジー・ビーツ、イドリス・エルバ、レジーナ・キング、デルロイ・リンドー、ラキース・スタンフィールド、ダニエル・デッドワイラー、エディ・ガテギデオン・コール、RJ・サイラー、デイモン・ウェイアンズ・Jr、フリオ・セサール・セディージョ、ウディ・マクレーン
【作品概要】
主人公ナットを演じるのは映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(2020)やマーベル・シネマティック・ユニバースのドラマ『ロキ』などに出演して注目の高まるジョナサン・メザース。
宿敵ルーファス役には『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021)で活躍するイドリス・エルバ。
そのほかHBOドラマ『ウォッチメン』(2019)の主演や『あの夜、マイアミで』(2021)の監督として知られるレジーナ・キング、『デッドプール2』(2018)のザジー・ビーツなどハリウッドを代表する豪華キャストの共演が注目されています。
Netflix映画『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野』のあらすじとネタバレ
両親と共に暮らす少年ナットは、ある日突然現れた謎の男達によって両親を殺されてしまいます。目の前で両親を殺された後、その男によって額に十字の傷をつけられてしまいました。
それからしばらく経ったテキサスのとある教会にて、成長したナットは賞金稼ぎとなり、仇である手の甲にサソリのタトゥーのある男を待っていました。
額の十字傷を見せ、自身の正体を明かすナット。男を射殺し、両親の仇を取りました。
時を同じくして賞金稼ぎであり、ナットと旧知の仲であるビル・ピケットとジム・ベックワースは赤頭巾を被った銀行強盗団を襲撃。銀行から奪った金を横取りしました。
ダグラスタウンに降り立ったナットは、今は酒場の舞台で歌手として活躍している元恋人、メアリーと再会。取るべき両親の仇はルーファス・バックただ1人となったことを明かします。
そこへジムとビルが合流しました。2人は襲撃した強盗団の1人を人質として拘束しており、その男からルーファスが近々脱獄を計画していることを知ります。
トルーディ、チェロキー・ビルらバックのギャング一味は、走行中の大陸横断鉄道を襲撃。トルーディたちは、アメリカ北軍の看守の1人を人質にとりルーファスを檻から解放します。
自由の身になったルーファスは残りの看守を始末するよう手下に指示し、颯爽と列車を後にしました。メアリーの酒場に保安官のリーヴスが現れ、賞金首であるナットを逮捕しに来ました。
酒場のボディーガードを務めるカフィーはリーヴスの言う通り、ナットに手錠をかけます。そのままナットは連行されて行きました。
レッドウッドの街では、かつてはギャングの一味でありながらルーファスを裏切ったワイリー・エスコーが保安官の座に着いていました。
街に戻ったルーファスはワイリーから街を取り戻し、彼を追放します。ダグラスタウンから離れたリーヴスは、ナットを解放します。
ルーファスの手下である強盗団は、強奪した金をどこかでルーファスに受け渡すはずです。その場所はレッドウッドだと考えたナットは、連邦保安官であるリーヴスと協力してルーファスを始末しようとしていました。
2人の芝居に勘付いていたメアリー、ジム、ビル、カフィーはルーファス討伐に協力する意向を伝えます。
ジムはルーファスの仲間の1人である早撃ちの名手、チェロキー・ビルを敵視しており、最速の名をかけ彼に勝負を挑みたがっていました。またルーファスは住民に納税の負担を強いてレッドウッドの再興を目指していました。
レッドウッドから追放されたワイリーと合流するナット一団。ワイリーの話によると、ルーファスは以前より一層勢力を増しており、ナットたちに勝ち目は無いと言います。
ナット達より先にレッドウッドの街に1人乗り込んだのは、メアリーでした。自身と同じく酒場を経営するトルーディのもとへ出向き、新しいビジネスを持ちかけます。
ルーファスの脱獄が広まった途端、ナットの元恋人であるメアリーが街へ現れたことを不審に思ったトルーディは彼女を人質として拘束しました。
メアリーを助けにナットたちがレッドウッドへとやって来ました。ナットだけがルーファスのもとへと連れて行かれ、手下によって痛めつけられます。
ルーファスはメアリーを自由にする条件として、強奪した金を全額返すよう提示します。彼がナットに渡したのは一本のナイフ。それは子供の頃のナットの額に十字傷をつけたナイフでした。
強奪した1万ドルを返すために、白人の町での銀行強盗を余儀なくされるナットたち。
白人の町、メイズビルに到着したナットとカフィーは呆気に取られる白人たちを尻目に町の銀行を制圧。預金を強奪し、メイズビルを後にしました。
Netflix映画『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野』の感想と評価
本作の主人公ナット・ラブは、「レッドリバー・ディック」の異名を持つ実在のカウボーイ。カウボーイの4人に1人は黒人であったという事実に合わせて、近年の映画やグラフィックノベルの黒人キャスト西部劇では、物語の主人公として登場するようになりました。
日本未公開の配信映画『They Die By Dawn』(2013)においても、今年の9月に亡くなったマイケル・ケネス・ウィリアムズがナット・ラブを演じており、本作のエンドクレジットでも作曲家のリチャード・アントウィとともに哀悼の意が表されています。
そして実在の人物をモデルにしたのはナット・ラブだけでなく、敵対するルーファス・バックも実在するギャングの1人であり、シドニー・ポワチエ初監督作『ブラック・ライダー』(1972)にてポワチエが演じた主人公としても有名。
こういった実在する人物をもとにオリジナルのストーリーを展開させた『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野』は、70年代にアメリカで生まれたオールアフリカ系キャスト映画と西部劇という伝統的なフォーマットを融合させたものでした。
典型的なストーリーでありながら、非常に楽しめる刺激的な娯楽作である本作をザックリとしたこれまでの西部劇史と現在における西部劇のあり方を踏まえた上でご紹介します。
西部劇史から読み解く『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール』
現存するフィルムの中で最古の西部劇と言われている『大列車強盗』(1903)は、映画史において撮影技法が発明的だったことに加え、映像表現におけるアクションを立体化した作品でもありました。このことから分かる通り、西部劇の歴史とはアクション映画の歴史と不可分なのです。
その後も西部劇の神様と呼ばれるジョン・フォード監督作『駅馬車』(1939)を代表として、「アメリカ製アクション映画といえば、西部劇か戦争映画」という歴史が長く続きます。
そういった伝統的な西部劇(A級西部劇)の単なる娯楽としての立ち位置が揺らいだのは、植民地主義や帝国主義に対する反省の動きが活発になった20世紀後半。旧来の白人男性をヒーロー、ネイティブ・アメリカンを敵役と位置付ける単純化された白人向け娯楽は、前述したポスト植民地主義的反省に基づき再考されるようになります。
特に『荒野の誓い』(2019)では、政治的問題意識に対する批評の観点から、過去の西部劇が取ってきた単純化の構図を現代的な西部劇として、再構築する試みがなされました。
同作の監督スコット・クーパーが名言した通り、『荒野の誓い』(2019)はジョン・ウェインの傑作『捜索者』(1956)以降のポストコロニアリズム西部劇を受け継いだ意図として「西欧的侵略や男性至上主義に対する反省という現代的なテーマ」を反映させたことで、西部劇をA級ジャンルとして延命させました。
語り手として白人男性を配置しつつ、物語の重心は略奪や迫害を受けたネイティブ・アメリカンや、男性同士による戦争の被害を受けた女性へシフトしていく構成は、西部劇だけでなく今の視点から語られる史劇全てに共通しています。
イタリア製マカロニウエスタン、「サムライ・ウエスタン」と呼ばれる日本製西部劇などアクション映画のフォーマットとして、コスチュームプレイを楽しむギミックとしての西部劇=「B級西部劇」も生まれました。
娯楽作として楽しめる近年の作品であっても、『マグニフィセント・セブン』(2017)では主人公チームの人種に現代的なバランスがもたらされ、物語も男性チームが、夫の復讐を果たす女性をアシストする構図が強調されました。
時代劇という歴史修正に手こずるフォーマットで最大限の工夫をし、アクション映画としての高い完成度をもたらした同作は、娯楽作品として抑えるべきポイントを登場人物同士の関係性萌えという点に集中させ、チームもの映画としても非常に手堅い作品となりました。
本作は後者のB級西部劇として非常に型破りな作品で、それは西部劇に新鮮さをもたらしたという意味で肯定的に捉えることが出来ます。
ブラックスプロイテーションとして
西部劇史を通した本作の位置付けに関して前置きが長くなりましたが、ハリウッド超大作でお馴染みの豪華キャストが出演する本作をあえて「B級」と呼称している理由は、作品に内包されたテーマパーク性にあります。
史実への復讐をマカロニ的文法で描いた『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)やタランティーノ監督の次作『ヘイトフル・エイト』(2016)もある種のテーマパーク性を帯びていましたが、本作は『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』(1990)や『ワイルド・ワイルド・ウエスト』(1999)により近い印象を受けます。
現代の感覚を有している登場人物たちが19世紀末の服装に身を包み、当時の風俗に触れ合うという雰囲気の本作は、(誤解を招くかもしれない表現ですが)俳優が役を演じていると感じられるコスチューム・プレイらしさがありました。
そのらしさを際立たせる最たるものとは、ガンベルトを巻いた有名俳優たちの姿でもハリボテ感の強いセットでもなく、音楽です。
本作の特殊な音楽使いはプロデューサーを務めたジェイ・Zの持ち味であり、本作の独創性は、ヒップホップで言うライミングやサンプリングのそれと全くもって同一のものであると形容できます。
本来関係のない音楽を映画の文脈に合わせて巧みに挿入する手法は、しばしばタランティーノ的と評されますが、本作はそれとは少し実情が異なります。本作が用いたライミングやサンプリングは、言い換えると「MAD動画の『テンション』のようなもの」と評することができるのでは無いでしょうか。
「MAD動画」とは、既存のゲームやアニメのフッテージを音楽と交えた個人が編集した映像のことであり、端的に言えば、映像の持つ意味合いと歌詞の文脈とが呼応する面白さを追求したものです。
参考映像: 『Let’s Start』(1971)
本作におけるMAD動画らしい映像表現として顕著なのは、クライマックスにおけるメアリーとトルーディの対決の場面。ここでかかる音楽は、アフロ・ビートの創始者フェラ・クティによる『Let’s Start』(1971)のLIVE音源です。
メアリーとトルーディとの戦いがこれから始まるという台詞の文脈に、1870年を舞台にした映画の中でその100年後に生まれるファンク、ジャズといった世俗的なブラックミュージックが鳴り響くというメタ的な意味合いがかけ合わさっています。
奴隷として農園で働かされていた時代の音楽(プランテーション・ソング)から現代のヒップホップに至るまでの現実の音楽史が、まさにコールアンドレスポンスのように本作の中で呼応し合うのです。
映画冒頭の字幕で出る通り、本作で描かれている物語は「全てフィクション」でコスチュームプレイを演じる俳優たち全員が演技をしているわけですが、ナット・ラブやルーファス・バックが実在したとされる「むかし、むかし」から現在に至るまで、劇中にかかる音楽はプランテーション・ソングからヒップホップまでのブラックミュージックの歴史を遡っていきます。その音楽の歴史自体は「ノンフィクション」なのです。
本作最大の魅力であり楽しむべきポイントとは、テーマパーク的な非現実空間で繰り広げられる豪華キャストによるアクションと、バラエティ豊かな劇中使用曲との見事な融合です。
クライマックスのアクションシーンには、「ヒップホップ西部劇」という発掘されたばかりの新ジャンルの楽しさが詰め込まれており、アクションのテンポと音楽のリズムとが完全にシンクロした瞬間に“黄金のエクスタシー”を覚えてしまいます。
まとめ
今回はNetflix映画『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野』をご紹介しました。
タランティーノとは趣きの異なるヒップホップ的手法(サンプリング)によって、旧態依然とした娯楽というレッテルを張られた西部劇というジャンルを、新たな切り口で復活させることに成功しました。
現在の観客の鑑賞に耐えうる(楽しむことができるエンターテイメントとしての)西部劇とは、もはや事実に基づいたノンフィクションでも、価値観をアップデートするために政治的正しさを歴史修正主義的に問い直す議論の場でもありません。
西部劇が描き出す19世紀末の舞台とは、シンデレラ城の代わりにモニュメント・バレーがあり、アトラクションの代わりに大陸横断鉄道があるような非現実的なテーマパークとしての意味合いしか残されていません。そのテーマパーク内で楽しいアクションを繰り広げるのは、白人である必要も男性である必要もないのです。
「政治的正しさに基づいた歴史的正しくなさ」を優先した痛快さ、思い切りの良さこそがB級映画魂を感じさせ、観客を心から楽しませてくれました。
もちろん植民地支配など政治的再考を行う法廷として19世紀末を描き直す西部劇は、これからも作り続けられるでしょうが、かつてのような娯楽の王道としての西部劇の姿は本作のようなテーマパーク的な世界観にこそ、その輪郭を残していました。
西部劇とヒップホップをかけ合わせたことでジャンル全体を延命できたと証明した痛快娯楽作。万人にオススメ出来る間違いない一作です。
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