独学で銃器を開発するソ連軍の兵士が、「AK-47」を開発する伝記ドラマ
コンスタンティン・ブスロフが監督を務めた、2020年製作のロシアの伝記ドラマ映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』。
独ソ戦争下のソ連を舞台に、史上最も大量に製造・拡散されたアサルトライフル「AK-47」の開発者、ミハイル・カラシニコフをモデルに描いた伝記ドラマとは、具体的にどんな内容だったのでしょうか。
『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』のユーリー・ボリソフが、戦車担当の兵士ミハイル・カラシニコフを演じたロシアの伝記ドラマ映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』のネタバレあらすじと作品情報をご紹介いたします。
映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』の作品情報
【公開】
2020年(ロシア映画)
【脚本】
セルゲイ・ボドロフ、アナトリー・ウソフ
【監督】
コンスタンティン・ブスロフ
【キャスト】
ユーリー・ボリソフ、オルガ・ラーマン、アルトゥール・スモリアニノフ、マクシム・ビットゥコフ、バレリー・バリノフ、ビタリ・カエフ、アレクセイ・ベルトコフ
【作品概要】
コンスタンティン・ブスロフが監督を務め、『のむコレ2020』で東京・シネマート新宿と、大阪・シネマート心斎橋で上映された、ロシアの伝記ドラマです。
『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』(2019)や『ワールドエンド』(2020)、『アトラクション 侵略』(2020)などに出演する、ユーリ・ボリソフが主演を務めています。
映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』のあらすじとネタバレ
1941年。ソ連(旧ソビエト連邦、現在のロシア)軍の戦車担当の兵士ミハイル・カラシニコフ軍曹は、独ソ戦の前線で仲間と一緒に戦っていました。
しかし、戦車の死角に潜んでいた敵のドイツ軍の兵士に、カラシニコフと彼の仲間が乗る戦車をやられてしまいます。
カラシニコフは肩の軽傷だけで奇跡的に助かりましたが、一緒に乗っていた仲間は死んでしまいました。
カラシニコフたち負傷兵を乗せた車は、病院へ向かう途中でタイヤが雪解けの泥にはまってしまい、立ち往生してしまいます。
そこでカラシニコフと負傷兵を引率していた少尉は、近くの村で馬を調達しようとしました。
ところが、2人が立ち寄った村には敵兵が複数潜んでおり、少尉は新しく軍から支給された自動小銃で立ち向かいますが、装填された弾を発砲できません。
少尉を援護していたカラシニコフは、古い小銃で納屋に潜んでいた敵兵を仕留め、腹を撃たれた少尉を救出。
カラシニコフたちは無事馬を調達して、ぬかるんだ場所で立ち往生した車を牽引し、再び車に乗り込んで病院へ向かいます。
その間、開発の知識があるカラシニコフは、少尉が持っていた自動小銃に興味が湧き、その構造を調べていました。
カラシニコフは自動小銃の中に水が入っていたため、気温が下がったことによって弾が凍ってしまい、おまけにバネが弱かったことで1発ずつ弾を押し出すことが出来なかったことで、発砲することが出来なかったことを突き止めます。
1942年、エレツ(ロシアのリペツク州にある都市)。カラシニコフは他の負傷兵たちと一緒に病院で入院していましたが、医者の勧めで休暇をもらい、傷が回復するまで家族が待つ家で療養することになりました。
家までの道中、カラシニコフは負傷兵が乗る蒸気機関車の列車内で、自身の出身地アルタイから近い、カザフスタン出身の負傷兵に声をかけられます。
カラシニコフはカザフスタン出身の負傷兵に、戦前マタン駅の鉄道機関区で働いていた際、隠れて散弾銃やクロスボウを作っていたことで、咎められ解雇されたことを話しました。
アルタイの農村で育ったカラシニコフは、子供の頃から銃が好きで、家族に隠れて独学で銃を作っていたのです。
そんなカラシニコフが今作りたいのは、自動式の短機関銃でした。
カラシニコフの自動式の短機関銃のスケッチを見た、カザフスタン出身の負傷兵はカラシニコフに、「今なら祖国のために、じゃんじゃん作れと言われるのではないか」と言いました。
その言葉に背中を押されたのか、カラシニコフは途中下車し、戦前に働いていた鉄道機関区へ向かいます。
カラシニコフはマタイ機関区長クロトフに会い、こう言いました。
「我が軍が苦戦しているのは、敵軍の高性能兵器に歯が立たないからだ」
「新しい自動小銃が必要だ。僕にはアイデアがある。ここで自動小銃を開発しよう」
しかしクロトフは、カラシニコフの提案を断ります。
それはカラシニコフが働いていた頃、彼が作業台で勝手に銃を作っていたせいで、クロトフは2日間も尋問され、そのストレスで5キロも瘦せてしまったからです。
それ故、クロトフに門前払いされてしまったカラシニコフ。
マルタ駅で途方に暮れていた彼は、偶然アルマ・アタから来た、共和国軍事委員のバサロフ中佐が列車から降りてくるところを見かけました。
カラシニコフは思い切ってバサロフ中佐に声をかけ、敵軍の戦車4両と対戦車砲8門破壊した前線での自身の経験から、敵軍が毎秒40秒の連射が可能な自動小銃を持っているのに対し、自軍は1発ずつしか弾を装填できない欠点を述べます。
それからカラシニコフは、バサロフ中佐に新しい自動小銃の開発を持ちかけると、彼から推薦状を貰うことが出来たのです。
カラシニコフはバサロフ中佐の推薦状を持って、再びクロトフに交渉します。
クロトフは渋々、カラシニコフに新しい自動小銃の開発することを認め、彼に開発に必要な作業スペースを与えました。
カラシニコフはその日以降、与えられた作業部屋で寝泊まりしながら、戦地で考えたスケッチをもとに、日夜新しい自動小銃の開発に取り組んでいました。
熱心に自動小銃の開発に取り組むカラシニコフの姿に、感化されたであろう鉄道機関区で働く職人たちが、「勤務時間外なら手伝う」と言ってくれます。
その職人たちとは、フライス工のエフゲニー・クラフシェンコと旋盤職人のドミートリー、ミーシャと呼ばれる職人と他3人、計6人です。
製図が苦手なカラシニコフの設計図を見ても、クラフシェンコたちは「なら目測で作るよ」と言ってくれました。
それから毎日開発に取り組んだ結果、クラフシェンコたちの協力の甲斐あって、カラシニコフはついに、新しい自動小銃の開発に成功。
肩の傷が回復したカラシニコフは、開発した自動小銃を持ってバサロフ中佐に会いに、カザフスタンのアルマ・アタへ向かいます。
しかし、バサロフ中佐は前線に向かったため、そこにはいませんでした。
カラシニコフは開発した自動小銃を、懐に忍ばせていたのが誤解を生み、逮捕されてしまいます。
ところが、カラシニコフから没収した自動小銃を見た兵器士官は、その革新的なデザインに気づき、評価のためにカザロフという男がいる工房へ送りました。
その結果、カラシニコフは無事釈放され、カザロフとユリア少佐と呼ばれる男に、「全ソ銃器設計競技会」に出てみないかと言われます。
「全ソ銃器設計競技会」とは、全国的な武器デザインコンペティションのことで、軍に起用されるためにはこの競技会での優勝が必要不可欠です。
その競技会で自動小銃を発表するためには、辛辣で気難しいと評判の男、中央アジア軍管区司令官クルバトキン将軍に気に入られ、彼から競技会への推薦状を貰わなければなりません。
カラシニコフは早速、カザロフたちと一緒に、軽量化し前より精度を上げた、14発入った着脱式弾倉付きの自動小銃をクルバトキン将軍に披露します。
その結果、見事クルバトキン将軍に気に入られたカラシニコフは、彼から推薦状を貰うことが出来ました。
1943年、モスクワ。クルバトキン将軍に言われ、新しく軍服を新調したカラシニコフは、ソ連の代表的な短機関銃「PPSh」より弾倉付きで120g軽い70発入った弾倉付き自動小銃を持って競技会へ参加します。
その競技会には、アレクセイ・スダエフ少佐やセルゲイ・コローヴィン、デグチャリョフ少将ら名だたる天才発明家もおり、カラシニコフは彼らと競争することになったのです。
設計図を持っておらず、製図も苦手なカラシニコフのため、大尉のヴァシーリー・リューティ主任技官(以下、ヴァーシーリー大尉)は、工房で働く女性デザインアシスタントのエカテリーナを助手につけます。
カラシニコフは試験の準備期間中、エカテリーナに一目惚れし、作業中に改良のための助言書を作ってくれた彼女のことが気になって仕方ありません。
発表前夜。カラシニコフは、エカテリーナを家まで送り届ける道中、他の男女が音楽に合わせてダンスを踊っているのを目撃。
カラシニコフは勇気を振り絞って、ダンスが好きなエカテリーナを誘おうとしますが、その前にアナトリーという兵士に取られてしまいます。
エカテリーナと一曲踊り、家まで送ろうとするアナトリーに、カラシニコフは嫉妬心剥き出しです。
そのせいでエカテリーナに当たってしまうカラシニコフ。彼は怒って家へ帰るエカテリーナの後を追いかけると、彼女から「あなたがくれた砂糖、娘が喜ぶわ。私子持ちなの」と告白されました。
翌日、ショーロヴォ武器試験場の射撃場では、カラシニコフたちがそれぞれ開発した自動小銃を、試験官に試射してもらって銃の精度を、工房では自動小銃の設計図を発表。
その結果、カラシニコフはスダエフ少佐に負け、彼の口から「俺が開発した武器が大量生産されることになった」と告げられました。
競技会はダメだったものの、カラシニコフはヴァーシーリー大尉から、「次の軽機関銃の競技会に備えて、カザフスタンで新たな軽機関銃を開発しろ」と、新たな任務が言い渡されます。
映画『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』の感想と評価
世界的に有名なアサルトライフル「AK-47」を開発した人が、専門の教育を受けておらず、独学で銃器の開発に取り組んでいたとは、驚きです。
だからといって、最初からカラシニコフが上手く実用化にこぎつけたわけではありません。
カラシニコフは数年にわたり、手伝ってくれる仲間と一緒に自動小銃や短機関銃の開発に取り組み、それでも競技会に選ばれませんでした。
それでカラシニコフは、3回目の参加となる競技会で、ライバルのスダエフ少佐の助言のおかげで解決策が浮かび、試行錯誤の末に完成させた「AK-47」を発表するのです。
その「AK-47」が、水や砂に浸しても充分な精度と威力を発揮する場面と、カラシニコフの努力が報われた瞬間を描いた場面は、思わず画面の前で拍手したくなるほど嬉しくて感動します。
アサルトライフル「AK-47」以外にも、カラシニコフが開発した自動小銃や短機関銃、他の発明家が完成させた銃が出てくるので、銃が好きなガンマニアにはたまらなく興奮する場面ばかりです。
銃器について詳しくない人も、本作を観れば自然と銃器に興味が湧いてきたり、それぞれの銃の格好良さと凄さに惚れ惚れすることでしょう。
まとめ
専門的教育は一切受けず、独学で自動小銃や短機関銃、世界的に有名なアサルトライフル「AK-47」を開発した、カラシニコフという1人の兵士の物語を描いた伝記ドラマでした。
「AK-47」の開発者カラシニコフを演じたユーリー・ボリソフは、競技会で選ばれるまでの開発過程で感じた、喜びと挫折などを味わった彼を見事に演じきっています。
カラシニコフの才能を認め、彼を支えてきたスダエフ少佐とユリア少佐、ヴァーシーリー大尉たち協力者の優しさ、彼らの活躍も素晴らしいので見逃さないでください。
カラシニコフが作った「AK-47」は物語の後、2億丁も製造され、20世紀を代表する兵器となりました。
世界各国の大統領や王族はこぞってカラシニコフと写真を撮りたがり、彼から「AK-47」を贈られることを誇りにしていたようです。
世界中から称賛されるカラシニコフですが、彼が銃器を作った目的は、純粋に祖国を守るためだというのだから、彼自身の人格も好きになれます。
そんなミハイル・ティマフェービッチ・カラシニコフへ捧げられた伝記ドラマ映画が観たい人に、とてもオススメな作品です。