映画『ロード・オブ・カオス』は2021年3月26日(金)より全国順次ロードショー!
悪魔主義を掲げるヘヴィ・メタル・ムーブメントの一つであるブラックメタルの真相を綴った映画『ロード・オブ・カオス』。
ブラックメタル黎明期の中核的存在であった、ノルウェーのバンド「メイヘム」をめぐるメンバーたちの青春を描いた本作。
ブラックメタルバンド「バソリー」の元ドラマーで、数々のミュージックビデオも手掛けてきたノルウェー出身のヨナス・アカーランド監督が演出を務め、ブラックメタルの真実に迫ります。
映画『ロード・オブ・カオス』の作品情報
【日本公開】
2021年(イギリス・スウェーデン・ノルウェー合作映画)
【監督・脚本】
ヨナス・アカーランド
【音楽】
シガー・ロス
【原作】
マイケル・モイニハン&ディードリック・ソーデリンド「LORDS OF CHAOS(訳書邦題:ブラック・メタルの血塗られた歴史)」
【キャスト】
ロリー・カルキン、エモリー・コーエン、ジャック・キルマー、スカイ・フェレイラ、ヴォルター・スカルスガルド
【作品概要】
悪魔主義を貫き、過激なライブパフォーマンスでブラックメタルシーン黎明期に中心的な存在となったバンド「メイヘム」にまつわる狂乱の青春を描きます。
監督は、当時のブラックメタル・シーンを間近で経験したバンド「バソリー」の元ドラマーであり、ローリング・ストーンズ、マドンナ、ポール・マッカートニー、メタリカなどのMVも手掛けたヨナス・アカーランド。
主演をつとめたのは、マコーレー・カルキンの実弟、ロリー・カルキン。さらに物語のカギの一つとして衝撃的な姿を見せたボーカルのデッド役としてヴァル・キルマーの息子ジャック・キルマーが出演を果たしました。さらに音楽の担当としてポストロックバンドのシガー・ロスが製作に参加しています。
映画『ロード・オブ・カオス』のあらすじ
1987年、ノルウェー・オスロ。当時19歳のギタリスト、ユーロニモス(ロリー・カルキン)は“真のブラックメタル”を追求するバンド「メイヘム」の活動を展開していました。ユーロニモスがボーカルを兼任しトリオで活動していた「メイヘム」でしたが、ある日ボーカリストを募集すると、一通の応募封筒が彼らの元に届きます。
送り主の名はデッド(ジャック・キルマー)。手紙を開けると、そこにはネズミの死骸が。この応募は問題外と思いながらも同封されていたデモテープを聴くと、三人はそのボーカルの魅力に一気に引き付けられデッドを迎え入れることを決めます。
こうして四人となった「メイヘム」。デッドはライブ中に自身の体を切り刻んで観客にその血をふりかけたり、豚の頭を投げたりといった過激なパフォーマンスを繰り返し、バンドはブラックメタルシーンから熱烈な支持を受けていきます。
ところがある日、デッドはバンドが寝泊まりしていた家でショットガンにより自殺してしまいます。その死体を発見したユーロニモスは、大きな衝撃を受けながらも彼の悲惨な遺体の写真を撮り、頭蓋骨の欠片を友人らに送付し喧伝するという奇行に。ユーロニモスの思いはさらに積もり、親の出資の助けを受けて自身の根城となるレコードショップ「ヘルヴェテ(地獄)」を設立、彼らはシーンの中で一躍カリスマ的な存在として君臨していきます。
しかしこの台頭がきっかけでユーロニモスを中心とした悪魔崇拝の動きはエスカレートしていきます。メンバーたちを崇拝しのちに「メイヘム」のメンバーとなる青年ヴァーグ(エモリー・コーエン)は、その思いのあまりに教会放火事件を起こしてしまいます。この事件を契機に、彼らの暴走の火蓋は切って落とされました。しかし…。
映画『ロード・オブ・カオス』の感想と評価
ヘヴィ・メタルという音楽は、その誕生から「悪魔」という存在と切り離せないというステレオタイプが付きまといました。
80年代にイギリスで発生し、その後MTVの波に乗ってアメリカへ、そして世界へと広がったヘヴィ・メタル音楽は、社会に悪影響を及ぼし、子供たちに危険思想を植え付ける面があるとして、忌み嫌う人間が一部に存在していました。対してヘヴィ・メタルのアーティスト、ファンたちは「この音楽はそういったものではない」と否定し自分たちの「音楽を楽しむ」という権利を主張していました。
本作からはこの動きとは正反対、つまりネガティブな印象を肯定している印象を受けるかもしれません。実際、本作で取り上げられるブラックメタルは、ある意味「悪魔主義」を肯定しているとみられる特殊なジャンルでもあります。
しかし物語よりその真意を探ると、「なぜ彼らは悪魔主義に身を投じたように見えたのか」と言及している、という違った観点も発見できます。それは「悪魔」=悪しきものという定義は絶対的な認識としてある一方で、果たして世で言われる善、正義といったものは本当に正しいものなのか、と疑問を投げかけているようでもあります。
例えば2021年1月、コロナ禍が収まらない現状においてバチカンのサンピエトロ大聖堂では、キリスト生誕を祝う東方三博士の参拝を記念する「公現祭」の礼拝がおこなわれ、約100人の参列者が集まり多くがマスク姿により臨む中で、ローマ教皇フランシスコはマスクをせずに1時間半ほどの礼拝を執り行ったといわれており、この行動に多くの批判の声も上がっています。
その批判の大きな要因として、フランシスコがマスクをしなかったことについて「マスクをして礼拝をおこなうのは、神への冒涜だ」としたことにあります。この例は極端なものですが、このように戒律に矛盾があると疑問視されることも時にあります。またあまりにも戒律に従えと厳しく正されることに抵抗を覚える心理は、人間としては時に否定できないものでもあります。
こう考えると、ある意味「悪魔」という「神」とは真逆の存在がこの世に現れたその経緯には、人から求められた合理性も存在するのではないかという仮定も生み出されます。
この物語はいかに登場人物たちがこの音楽に魅せられるとともに、その音楽世界に没入していったのか、という点に言及されています。本作に取り上げられているブラックメタル・ムーブメント、そしてメイヘムというバンドの経緯は、原作書『ブラック・メタルの血塗られた歴史(Lords of Chaos)』をもとにしたものですが、同じく2008年のドキュメンタリー映画『ライト・テイクス・アス ~ブラックメタル暗黒史』でも触れられています。
一方、これらの映像や書籍はあくまでドキュメンタリー的視点であり、かつムーブメントを俯瞰で見るような客観的視点で描かれたもので、本作はこれに対し出来事をドラマとして表現することで当事者の心理を主観的に描いています。
物語の冒頭にはまだユーロニモスがこの世界に没頭する前、デッドの自殺や「ヘヴェルテ」の設立より前の姿が描かれています。そこには主人公ユーロニモスが単に音楽を楽しみ、家族である妹と談笑し、といったごく平凡な姿が描かれており、彼がもともと特殊な状況にあったという境遇は存在しません。
また劇中で見られるユーロニモスをはじめその登場人物の表情には、「悪魔」という存在に完全に染まった者というよりは、どこかに迷いを抱えた人間らしさが強く感じられます。
そして物語はユーロニモスの視点を中心に展開していきますが、そこではドキュメンタリーだけでは描き切れない心理を描き、なぜ彼らは暴走に向かっていったのかという真相に対して一人一人の複雑な気持ちを表すとともに検証しています。
ヨナス・アカーランド監督はブラックメタルのムーブメントを生で経験した一人でもあり、多くの取材と合わせ、経験として持ち合わせた当事者としての心理をリアルに投影し、ブラックメタルという音楽や世界が彼らを引き付けた意味、そして彼らが暴走に向かった意味を見る側が感じられるレベルにまで持ち上げています。
「メイヘム」の活動が活発化しユーロニモスたちの行動が過激となっていく様を、本作ではかなり生々しく衝撃的なシーンで描いていますが、それはまさしく当事者たちの心理をダイレクトに示しているようでもあり、その心理的な衝撃は映像の直感的な刺激よりも深く重々しい印象を見る側に植え付けてきます。
1988年に公開されたドキュメンタリー映画『The Decline of Western Civilization Part II: The Metal Years』では、当時頂点に立ったヘヴィ・メタルのアーティストやファンの表情を描くとともに、この音楽が決して反社会勢力的な印象があるものではないという訴えを、ストレートな言葉で投げかけています。
この物語はそれに対してむしろこのムーブメントが生まれた点、その音楽に没入する理由について言及し人間の本質を問うことを主題としつつ、あくまでその思想と彼らの暴走のような奇行が必ずしも関連性を持ったものではないことを述べています。
一見『The Decline of Western Civilization Part II: The Metal Years』とはまったく異なったアプローチでありますが、その目的としてある意味同様の意味を持ったメッセージを投げかけているようでもあります。
まとめ
本作のエンディングは実際の事件の経過に従って悲劇的な結末を迎えますが、この作品の演出は、1998年に公開されたデンゼル・ワシントン主演の映画『悪魔を憐れむ歌(原題:Fallen)』のエンディングの影を感じるような、沈みっぱなしでは終わらず視聴者に問いを投げかける展開を作っています。
映画作品としては物語を悲劇的なエンディングのまま終わらせることもできたかもしれませんが、本作が敢えてこのようなエンディングされていることには、作品を単に実話を脚色したドラマでは終わらせない、ブラックメタルという芸術、文化、そして楽しみを守りたいと願う作者側の意思も見えてきます。
映画では実際の出来事を辿ったり、物語を丁寧に紡いでいくことも作品作りでは重要なことでありますが、それを踏まえた上で強いメッセージ性が込められた作品は、映画という存在の意味を強く感じさせてもらえます。本作はそんなことを改めて考えさせてくれるような作品でもあります。
映画『ロード・オブ・カオス』は2021年3月26日(金)より全国順次ロードショーされます!