老道化師と若きバレリーナの心の交流を描いたチャップリン珠玉のメロドラマ
“喜劇王”チャールズ・チャップリンが、監督・主演をはじめ、製作・脚本までも務めた1952年のアメリカ映画『ライムライト』をご紹介します。
老道化師と若き傷心のバレリーナの心の交流を描いた、主題曲「テリーのテーマ(エタナリー)」も有名な、哀愁のメロドラマです。サイレント映画全盛期に、チャップリンとともに人気を博したコメディ俳優バスター・キートンとの共演も話題となりました。
CONTENTS
映画『ライムライト』の作品情報
【日本公開】
1953年(アメリカ映画)
【原題】
Limelight
【製作・監督・脚本・共同音楽】
チャールズ・チャップリン
【撮影】
カール・ストラス
【音楽】
ラリー・ラッセル、レイモンド・ラッシュ
【キャスト】
チャールズ・チャップリン、クレア・ブルーム、バスター・キートン、シドニー・チャップリン、ナイジェル・ブルース、ノーマン・ロイド、マージョリー・ベネット、ジェラルディン・チャップリン、ジョセフィン・チャップリン、マイケル・チャップリン
【作品概要】
“喜劇王”チャールズ・チャップリンが監督・主演のほかに製作・脚本を務めた、1952年製作のアメリカ映画。1914年のロンドンを舞台に、かつての花形喜劇役者と、自殺を図った若きバレリーナの交流を描きます。
チャップリンが作曲した主題曲「テリーのテーマ(エタナリー)」 は、第45回(1972年)のアカデミー作曲賞を受賞しています。
映画『ライムライト』のあらすじとネタバレ
参考映像:『ライムライト』の「テリーのテーマ(エタナリー)」
1914年のロンドン。
ミュージック・ホールのかつての人気者で、今や落ちぶれた存在となった老道化師のカルヴェロは、酒浸りの日々を送っていました。
そんなある日、彼は、ガス自殺を図り意識不明となっていた若い女性を助けます。
その女性テリーはバレリーナだったものの、自分にバレエを習わせるために姉が街娼をしていたことにショックを受け、脚が動かなくなっていました。
そんなテリーに自身の身の上話をして勇気づけようとするカルヴェロに、彼女も心を開いていきます。
以前に文具店で働いていたテリーは、時折来店しては楽譜用紙を買っていく青年ネヴィルに惹かれていて、その後彼が作曲家として成功したと語ります。
カルヴェロの介助により、徐々に回復しつつあったテリーですが、やはり歩を進めるまでには至りません。
そんな中、カルヴェロは久々の舞台の仕事に挑むも失敗、自信を喪失します。
そんな彼を必死に励ますあまり、思わず立ち上がったテリー。彼女の脚に力が戻ったのです。
それから半年後、エンパイア劇場にて再びバレリーナとしての活動を開始したテリーは、バレエ監督のボダリンクが次回公演の道化役にカルヴェロを考えていると知り、2人を引き合わせます。
ボダリンクと劇場支配人ポスタントの前で踊ることになったテリーは、そこでネヴィルと再会。
ネヴィルのアプローチを受けるテリーでしたが、彼女はカルヴェロに求婚します。
しかしカルヴェロは笑って取り合わず、テリーとネヴィルを結ぶ付けるために、自ら行方をくらましてしまうのでした。
カルヴェロの行方を追いながらも、テリーは着実にバレリーナとしての地位を上げていきます。
第一次世界大戦で出征し、ロンドンに帰ったネヴィルは改めてテリーに求婚しますが、彼女はそれに応えることなく、ロンドン中を捜しまわったのち、ついにカルヴェロと再会します。
ポスタントが、カルヴェロのための記念公演を企画しているので、戻って来て欲しいと伝えるテリー。
最初は頑なに拒んだカルヴェロでしたが、彼女の強い希望に突き動かされ、再び舞台を踏むことを決意するのでした。
映画『ライムライト』の感想と評価
参考映像:『ライムライト』の製作舞台裏ドキュメンタリー
古き良き舞台芸と思い出の女性たちに捧ぐ
戦争批判とヒューマニズムの尊さを訴えた前作『チャップリンの殺人狂時代』(1947)の不評に、一時は意気消沈したチャップリンですが、43年に結婚した妻ウーナら周囲の支えもあり、次作の構想を練ることに。
アメリカ国内で高まりつつあったバッシングを受けながらも、「世間というのは、たとえどれほど現代的なうわべを装うとも、いつだって恋愛物が大好きだ」(『チャップリン自伝 栄光と波乱の日々』より)という考えから、兼ねてから書き留めていた小説「フットライト」をベースとした『ライムライト』に取りかかります。
本作には、チャップリンが舞台役者として幼少から若手時代に経験を積んできた娯楽の殿堂、ミュージックホールへのオマージュが込められています。
道化師の寸劇やバレリーナたちの華麗なダンスが渾然一体となった古き良き舞台で、チャップリンが若かりし頃に培った芸を披露します。
そして、本作のキーパーソンとなる、ヒロインのテリー。
テリー役のクレア・ブルームは、衣装選びの際、チャップリンは「母はこんな服を着ていた。ヘティはこんなスカートを穿いていた」と言いながら決めていったと語っています。
貧しいながらも、女優の仕事でチャップリンを含む2人の息子を育てようとするも、精神に異常をきたしてしまい、保養施設に入ってしまった実母ハンナ。
そして、チャップリンの初恋の相手で、彼が手がける作品の女性像に大きな影響を与えたとされるヘティ・ケリー。
チャップリンは、自身を形成してくれた2人の女性をテリーに投影させ、謝辞を捧げたのです。
味わい深いチャップリンとバスター・キートンの競演
参考映像:『ライムライト』のチャップリンとキートンの競演シーン
本作での見どころの1つが、チャップリンとバスター・キートンの競演です。
サイレント映画時代のライバルと言われたキートンとの競演シーンは、2週間もの期間をかけて撮影されました。
このシーンは、当時、経済的に困窮していたキートンを助けるためにチャップリンが用意したとも云われていますが、そうした裏事情は別としても、名コメディアン2人による一連のシークエンスは、観る者を楽しませてくれます。
なお、2人が同じ画面に映るのは、厳密には本作が初ではなく、1922年の宣伝映画『Seeing Stars(原題)』で共演しています。
まとめ
参考映像:音楽劇『ライムライト』PV
アメリカを含め、世界中の人々を楽しませたいという意図で作った本作『ライムライト』。
しかし、本作を宣伝すべくヨーロッパに滞在していた1952年9月、チャップリンはアメリカ政府から再入国拒否の通知を受けることとなります。
そのままスイスに拠点を移したチャップリンが、母国イギリスで製作した次作『ニューヨークの王様』(1957)は、「憎しみに包まれた土地」(自伝より)アメリカを痛烈に風刺した内容となりました。
その後72年に、アメリカからの“謝罪”を受ける形で20年ぶりに戻ったチャップリンに、アカデミー賞は名誉賞と作曲賞(テリーのテーマ〈エタナリー〉)を授与。
チャップリンのキャリア晩年の代表作となった『ライムライト』は、音楽劇として石丸幹二主演で舞台化されるなど、日本でも長きにわたり愛される作品となっています。