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Entry 2020/06/04
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【宮崎大祐監督インタビュー】映画『VIDEOPHOBIA』デジタル化社会が生んだ“呪い”と映画を観る者たちを問う理由

  • Writer :
  • Cinemarche編集部

第15回大阪アジアン映画祭上映作品『VIDEOPHOBIA』

2020年3月に開催された第15回大阪アジアン映画祭のインディ・フォーラム部門にて上映された映画『VIDEOPHOBIA』。

大阪の街を舞台に全編モノクロで描き出される“サイバーパンクサスペンス”映画であり、2020年秋には劇場での公開も予定されています。


(C)Cinemarche

このたび同映画祭での上映を記念して、本作を手がけた宮崎大祐監督にインタビューを敢行。本作のテーマはもちろん、「“映画”とは何か」という問いの答えを追い続ける宮崎監督にとっての映画制作の意義など、貴重なお話を伺いました。

デジタル化社会が生んだ呪い


(C)VIDEOPHOBIA PARTNERS

──『VIDEOPHOBIA』は今回の大阪アジアン映画祭の中でも「サイバーパンクサスペンス」という特に異色なジャンルの作品でした。本作はどのように着想されたのでしょうか。

宮崎大祐監督(以下、宮崎):5年程前、現在のような情報データで密になった地球でビックバンが発生し、星が消滅した時には何が起こるのかという記事を読みました。その記事では、デジタル化した情報データが電波として宇宙の果てまで散ってゆくと書かれており、とても興味深く思いました。つまり、インターネットという情報の砂漠の中に自分の主義・主張という一粒の砂を残しておけば、たとえ地球が崩壊したとしても、電波として宇宙のどこかで生き続けられるということです。それは時間を超えた生という永遠であり、同時に呪いでもある。そういったデジタル化によって生じた「生」の呪いについて描きたいと感じるようになりました。

また丁度同じ頃、リベンジポルノが社会で話題になっていました。それも、多くの方が気楽に接しているネット空間が呪いの空間と化している一つの根拠だと思いました。そしてある夜、夢現の中で突然本作のストーリーが全て浮かび上がり、それらをすぐに書き留めました。

舞台にしたのは僕が小中学校を過ごし、人間的根幹を養ってくれた関西です。近年、映画祭や仕事で大阪へ来るたびにロケハンをしていたので準備は万端でした。

「映画っぽい」と「映画」のはざまで


(C)VIDEOPHOBIA PARTNERS

──本作は全編をモノクロで撮影されていますが、そうされた理由とは何でしょうか。

宮崎:僕が映画を撮ろうと意気込んでいた10年程前は、「モノクロだというだけで映画っぽい」という風潮が蔓延していました。ですが僕自身は、デジタルで撮影した上でモノクロ加工を施した映像に「映画っぽい」と言うことに違和感を抱いていました。デジタルの映像はあくまで「情報」であり、本質的な光とは異なるのではと捉えていたんです。そしてこの10年でデジタル文化も発展し、映画らしさの基準も散り散りになっていきました。また、技術的にはモノクロの本来の魅力といえる「グレー」の豊かさもある程度は表現できるようになりました。そこで、今だからこそデジタルのモノクロに挑戦してみたいと考えるようになりました。

また、「派手なネオンに彩られた街」というイメージで撮られがちな大阪を「水の都」として撮りたいと考えていたのも大きな要因です。「水」という現象を撮る場合、僕はカラーよりもモノクロの方がよりその性質を捉えることができると考えていたんです。

──その本来の魅力や価値を見つめ直すためにモノクロ撮影を行われた中で、映画というメディアに対する認識の変化は生じたのでしょうか。

宮崎:より泥沼に嵌ってしまいましたね(笑)。相変わらず答えは出ず、「“これは映画っぽいぞ!”と“やはり違う!”」の往復と「では結局、“映画”とは何か」という堂々巡りで心が揺れ動いている状態です。実は次回作を同じ大阪で、ただしカラーで撮影する予定でして、そこで撮った映像と比較しながら個人的分析と研究をより進めたいと思っています。

モノクロは心の裏側としての、そして純粋な光の強弱としての闇の部分である「黒」のレイヤーを強調できます。また対象へと視点をフォーカスさせやすく、ミニマリズムの結果として表現の深度を更に高めることができると改めて認識させられました。だからこそしばらくはモノクロについての模索を続けていこうと考えています。

表現のノイズ性に垣間見える「映画」


(C)VIDEOPHOBIA PARTNERS

──宮崎監督にとって、映画制作とは「“映画”とは何か」という問いに答えるための探求でもあるわけですね。

宮崎:僕の過去数作における創作とは、「“映画”とは何か」という問いの追求であり挑発であったと感じています。特に本作もそうだったわけですが、その疑問や挑発に基づく創作も一線を超えるとただの映像断片になってしまう。そのため、あくまで「映画」と「動画」の違いを禅問答のように問い詰めていくことで仮説を立て続けるという方法を意識的に行っています。

僕は表現のノイズ性において、その答えがあるのかもしれないと感じています。例えば尺における「間」、役者がふとした時に出る方言や背景音は、CMやテレビ作品では修正される表現です。ですが映画に関しては、場合によっては取り入れることもできる。そういった表現が可能であり、なおかつ他者にぶつけられることは映画ならではだと考えています。

ただ本作において、敢えて粒子感を出すことでフィルムに近い質感の映像での撮影を行なっている場面があるように、ノイズすらも人工的に作られる時代でもあります。だからこそ、「CMやテレビ作品、ネット動画にできない表現をさらに一歩更新するとどうなるのか」を常に考え続けています。

線引きするものへの違和感と抵抗


(C)VIDEOPHOBIA PARTNERS

──前作『大和(カリフォルニア)』では米軍基地、本作ではコリアンタウンを作品の背景に描かれていますが、宮崎監督が出生のアイデンティティーを描き続けている理由とは何でしょうか。

宮崎:個人的な話になりますが、僕は兵庫県西宮市で暮らす以前、4歳から8歳までの間をアメリカ・シカゴで過ごしました。そのような生活を送る中で「自分は半分“アメリカ人”なのか」「自身が“アメリカ人”であり“日本人”であると、何を以て判断するのか」と幼いながらも考えていました。また日本へ戻った際には「帰国子女」として小学校では扱われ、以前の大阪アジアン映画祭で英語を話した際にも「彼はアメリカ人だ」とからかわれた経験があります。

そうした「自分が何人なのか」という疑問、それを決める定義や根拠に関する問題を提起しようと試みたのが『大和(カリフォルニア)』という作品でもあります。僕自身は日本に住んでいるけれど、文化そのものはアメリカの影響を受けている。アメリカの映画や音楽が好きだけれど、書類上では「日本人」である。そういったネイションの不確かさ、それを定義し線引きしようとするものの不確かさをテーマにしています。

そして、誰かが決めた定義や線引きによって、2020年に至った今も他者や自己による差別が脈々と行われています。そうした現状と自分自身の出自が絡み合い、強烈な違和感となって僕の作品の根底に含まれているんです。また、情報や印象によって定義される自分が本当の自分なのかは誰にも分からない。結局は社会的な抑圧によって定義されてしまう。だからこそ僕はその抑圧や定義付けへの抵抗をずっと続けています。

映像の暴力性を自己/観客へと問う


(C)VIDEOPHOBIA PARTNERS

──本作では、主人公が映像に「記録」されてしまったことで自身のアイデンティティーが揺らいでゆく様を描いています。「記録」という行為を宮崎監督はどう捉えられていますか。

宮崎:映像を撮影することはある種の暴力であり、男性的な側面があると思っています。そもそも、男性性が持つ暴力性は国際的な前提問題として議論されていますし、問題に対する主張が過激化してしまったことで、行き過ぎたポリティカルコレクトネスや過剰なフェミニズムという揺り戻しまで起き始めた。しかし日本社会では、いまだアイドル文化など性に対する搾取の文化が当然かのように存在する。そしてその問題に「ガラパゴス化社会である日本では仕方ない」と喧伝する者もいれば、「あえて」などと言って露悪的に乗っかる者までいる。解決策も考えずにただ「国際化しろ」とだけ訴える者も硬く、暴力性において大差はない。

僕は、そのいずれでもない文脈によってこういった問題を考えられないか、そのために映画というメディアには何ができるのかと常に考えています。例えば『大和(カリフォルニア)』では、相模弁という方言による会話が描かれています。全ての言葉が「標準語」として均一化されることで、本心が伝えられなくなるという状況は地方在住者にはよくあることだと思います。そういった感情と言葉の間にあるギャップは、ある男性的な権力による押し付けで、同質の抑圧です。

ただ、そういった抑圧をできるだけ取り除いていきたいと考えている一方で、カメラのレンズを向けて撮影を続ける限り、映像が持つ暴力性は確実に存在する。その理想と現実のギャップを再認識するために、本作を撮影したという一面もあります。特に冒頭の場面では、観客が「もう一人の自分」として存在する主人公・愛の姿を観た際に、映画の中の彼女も「もう一人の自分」としての観客を観ていて、「その間に存在する暴力的な関係性は何か?」と問いかけています。そう言ったカメラの暴力性を起点に、社会制度の隅々まで浸透する神的暴力とその本質について考えられればと思います。男性的な欲望と映像の結びつきは、先ほどのリベンジポルノの問題につながってもいます。

僕は本作を「鏡」のような作品として制作しています。ですから、具体的な僕自身の経験を表現しているというよりかは、どうすれば作品が「私」への、ひいては観客への「問いかけ」として機能するかを意識しながら撮影をしました。

新たな何かを提示できる作品を


(C)Cinemarche

──「“映画”とは何か」という問い、その探求を続ける上で避けては通れない暴力性や自己への問いを続ける中、2020年時点での宮崎監督にとっての映画を撮る意義を改めてお聞かせください。

宮崎:「“映画”とは何か」という問いへの答えはいまだ定まっていないものの、僕にとっての映画を撮る意義とは、物事に対する新しい可能性や見つめ方を提示することにあると感じています。「見る前と見終わった後で世界の見方が変わる」という表現はクリシェだとは思いますが、僕の思う“映画”をよく表していると思います。日常の反復にかすかなズレを生み出す装置と言いますか。

「現実の過酷さを見せつけたい」という欲求の発散のみで映画を撮るならば、それはポルノ動画と大して変わりません。その機能への欲望の先にある、新たな何かを提示できるものを作れたらと思っています。

また先ほども触れたように、現在の社会では様々な線引きによってマイノリティが生み出され続けています。そして僕は映画を通じて「マイノリティ」と線引きされた人々の違いを無化し、新たな視座を社会にもたらしたいと思います。ただ「マジョリティ」と線引きされた人々にも、誰にでも何らかのマイノリティの性質が含まれている。だからこそ「メジャー対マイノリティ」の構図に陥ってしまうのではなく、全てが同列として等価に並んでいる世界の豊かさを描きたいと考えています。

インタビュー/河合のび
撮影/出町光織

宮崎大祐監督のプロフィール

1980年生まれ、神奈川県横浜市出身。早稲田大学政治経済学部を卒業後、ニューヨーク大学映画学部主催の映画祭でグランプリを受賞。オムニバス映画『TOKYO!』の内、レオス・カラックス監督の『メルド』に美術アシスタントとして参加し、黒沢清監督作『トウキョウソナタ』などで助監督を務める。

筒井武文監督作『孤独な惑星』ではじめて映画脚本を執筆。長編監督デビュー作『夜が終わる場所』が海外の映画祭で高く評価され、2014年にはベルリン国際映画祭のタレント部門に招待される。

アジアの気鋭インディペンデント監督として期待される中、アジア4カ国合作のオムニバス映画『5TO9』では、永瀬正敏を主演に迎え『BADS』を監督。長編第2作『大和(カリフォルニア)』では米軍基地の町で暮らすラッパー少女の生きざまを描き、国内外で20近い映画祭に出品された。2017年にはシンガポール国際映画祭のプロデュースで自身初の現代美術展「Specters and Tourist」を開催した。

映画『VIDEOPHOBIA』の作品情報

【公開】
2020年(日本映画)

【監督】
宮崎大祐

【キャスト】
廣田朋菜、忍成修吾、芦那すみれ、サヘル・ローズ

【作品概要】
大阪の街を舞台に、全編モノクロで描き出される“サイバーパンクサスペンス”映画。『大和(カリフォルニア)』『TOURISM』で知られる宮崎大祐が監督を務め、第48回モントリオール・ヌーボー・シネマ「Temps 0」部門にも正式出品されました。

キャストにはヒロイン役の廣田朋菜をはじめ忍成修吾、サヘル・ローズらが出演。また本作の音楽をDJBAKUが手がけています。

映画『VIDEOPHOBIA』のあらすじ

東京で女優になるという夢破れて故郷・大阪のコリアンタウンに帰って来た青山愛。それでも夢を諦め切れず、実家に住み、バイトをしながら演技のワークショップに通っていた。

そんなある日、愛はクラブで出会った男・橋本と一晩限りの関係をもつ。数日後、愛はその夜の情事を撮影したと思われるビデオがネット上に流出していることに気づく。そしてすぐに橋本の家を訪れるが、家はもぬけの殻だった。

その後も連日その夜のものと思われるビデオがネット上に投稿される。自分のものとは断言できないが拡散し始める映像に、愛は徐々に精神を失調し始める……。





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