連載コラム「映画道シカミミ見聞録」第45回
こんにちは、森田です。
今回は1月17日より全国公開された映画『mellow』を紹介いたします。
さまざまな「告白の瞬間」が切りとられた本作をとおして、人はなぜ想いを伝えるのか、またそれよってなにが得られるのかを考えていきます。
『mellow』のあらすじ(今泉力哉監督 日本 2020年)
花屋「mellow」を営む夏目誠一(田中圭)は独身で、仕事先で出会う女性から恋心を寄せられることも珍しくありません。
小学校を休みがちな姪のさほ(白鳥玉季)を連れていく近所のラーメン屋には、先代の娘の木帆(岡崎紗絵)が跡を継いで働いており、さほは夏目に向けられた木帆の想いに気づいています。
また近くの美容室の娘、中学生の宏美(志田彩良)もよく「mellow」に顔をだしながら、胸のなかで密かな想いを抱いています。
そして花を家まで届けにいく常連客の麻里子(ともさかりえ)からは、夫がいるのにもかかわず恋心を打ち明けられてしまうほどです。
本作はこのように、夏目を中心にそれぞれの恋模様が描かれる恋愛群像劇となっています。
花束の物語
一人ひとりの想いが“花”だとすれば、その組み合わせ次第でいくつもの“花束”が生まれます。
夏目は花束を作って、ゆく先々に届ける日々を送っていますが、夏目が触媒となって複数の物語が動きだす様子は、まさに彼自身の仕事を象徴しています。
花束には“バランス”や“釣りあい”が求められます。またあらかじめ“枯れる”ことや“終わる”ことがわかっているものです。
それでもひとは、恋をします。恋をするだけでなく、花束を贈るように、わざわざ言葉にして伝えようとします。
いったいなぜでしょうか? 監督自身は「必ずしも告白を称揚するものではない」と映画公式パンフレットで述べていますが、花束が贈ることを前提に作られるように、告白抜きの恋もない、とも考えられます。
ここでは、本作における告白の場面の特徴をとらえることで、その意味を探っていきます。
告白現場の「第三者」
この群像劇にはある共通点があります。それは「想いを伝える大事な場に、ほかのだれかがいる」ということです。
これはまず「ラーメン屋での別れ話」から確認できます。妻と別れたのに、彼女にも別れを告げる男の話を、居合わせた客の夏目と店主の木帆が聞いています。男は恥じることなく、ふたりに面と向かって詫びを入れて、店を去ります。
また常連客の麻里子は、夫が同席するなかで、夏目に告白をします。現実ではなかなか考えられない状況です。夫は妻が好きだからこそ、その悩みを解決すべく正直に伝えるよう促したといいます。
同様に、校舎の屋上で宏美に告白する陽子(松木エレナ)の影には部活の後輩の佐藤がいて、「mellow」で夏目に恋心を明かそうとする宏美の横には陽子がいました。
そして、宏美に恋い焦がれていた佐藤も、勇気をふりしぼって美容室の軒先で彼女に「好き」と言います。さきに恋破れた陽子の目の前で。
ここまで繰りかえし「第三者」がふたりのあいだに入り込んでくるのは特徴的です。ほかにも今泉監督は、たとえば『サッドティー』(2014年公開)でも、男女の別れ話の場に二ノ宮隆太郎扮する個性際立つ存在を入れてみたりと、この手の演出を重ねてきました。
告白というのは一般的に“ふたりだけの世界”という印象があります。結婚しても“夫婦喧嘩は犬も食わない”という言い回しがあるように、他人は基本、蚊帳の外です。
しかし本作ではむしろ、そこに3人目がいることが普通であり、二者関係を積極的に押し広げようとする姿勢がうかがえます。
すなわち、告白をふたりの小宇宙を形成するためではなく、そこをビッグバンの起点とし、どこまでも広がっていく可能性を示唆するために描いているようです。
ここに、想いを伝えるべきか否かの答えが隠されています。
告白の意味
主演の田中圭は、本作で飛び交う告白をこうみています。
恋愛に限らず、友達同士でも、上司と部下、先輩と後輩でも、相手のことを少し思いやるだけで、何かが変わっていきますよね。
この作品を観て、もちろん恋がしたいと思ってもらえればというのは大前提としてあるのですが、人に対して興味を持つことの楽しさに気づいていただけるとうれしいです。(映画公式パンフレットより)
“好き”とはまず、相手に興味が向かうことであり、他者がこの世界に存在するのを知る第一歩となります。
よって、告白がうまくいくかどうかは、その本質にはあまり関係ありません。
実際に、本作のほとんどの恋は実らないのですが、彼女たちの顔はじつに晴れ晴れとしています。
告白後、宏美と陽子と佐藤はより親密になり、夏目も宏美のことを「宏美ちゃん」ではなく「宏美さん」と呼ぶようになります。
これは人間同士の付き合いがはじまったことを告げ、それぞれが大人として扱われている状態を指しています。
今泉監督も、互いが想いを通わす姿のうちに、このような視点を見いだしています。
まずは相手を肯定すること、認めることが、「人を想うこと」に通じるのかなと。(…)そして、相手を知ること、その人がどういうことに悩んでいるかに気づけるということが、本当に人を想うことかなと思います。(同上)
これは告白に失敗したからこそ、得られる姿勢ではないでしょうか。
一度傷を負った者は、相手もまた傷つく者であることを理解します。その痛みがずっとよくわかります。だからとても優しくなれます。
告白して、思ったより弱い自分に気づき、その傷をさらすことによって、他者とのコミュニケーションが開かれる。
つまりは、たとえ自分が傷つく可能性があっても、言葉という花を差し出せる者のことを、ひとは「大人」というのです。
それはタイトルの“mellow”の意味、「成熟」とも符合します。
メロウな大人になる
束ねられた花が贈られる運命にあるように、募る想いも告白してこそ意味がある。
いくつもの片想いを託され、物語を紡いできた花束は最後、夏目の手に回ってきます。
彼はそれを白く結い上げ、店をたたんで留学することを決めた木帆に渡します。
それは愛される対象であるまえに、だれかを愛せる大人になった皆の旅立ちを、祝福しています。