連載コラム「銀幕の月光遊戯」第49回
中国映画『象は静かに座っている』が、2019年11月2日(土)より、シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開されます。
第68回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞、最優秀新人監督賞スペシャルメンションを獲得した本作は、フー・ボー監督のデビュー作にして遺作。
2018年の第19回東京フィルメックスにて上映され、大きな話題を巻き起こした作品がついに全国公開されます。
CONTENTS
映画『象は静かに座っている』の作品情報
【公開】
2019年(中国映画)
【原題】
大象席地而坐 An Elephant Sitting Still
【監督・脚本】
フー・ボー
【キャスト】
チャン・ユー、ポン・ユーチャン、ワン・ユーウェン、リー・ツォンシー
【作品概要】
ハンガリーの鬼才タル・ベーラに師事したフー・ボーのデビュー作にして遺作。フー・ボー監督は、2017年10月12日に29歳で自ら命を絶ちました。
第68回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞、最優秀新人監督賞スペシャルメンションの2冠、金馬奨では作品賞&脚本賞&観客賞の3冠を達成。
世界10カ国以上の映画祭に出品され、ダルデンヌ兄弟、ホウ・シャオシェン、イ・チャンドンなど世界の名だたる巨匠たちをも虜にしました。
時代の流れに取り残された中国の田舎町を舞台に居場所を失っていく人物たちの姿を長回しで捉え見つめた234分の人間ドラマです。
映画『象は静かに座っている』のあらすじ
炭鉱業が廃れた中国・河北省のある田舎町。
高校生のブーは携帯の盗難を疑われた友人をかばい、クラスを支配している不良少年ともめた結果、不良少年を誤って階段から突き落としてしまいます。
故意ではなく、明らかな事故でしたが、ブーは思わず駆け出して現場から遠ざかります。
ブーが密かに想いを寄せているリンは、不良少年が救急車で運ばれていく様子を他の生徒たちと一緒に校舎のテラスから見ていました。
彼女は母親と折り合いが悪く、優しい声をかけてくれる男性教師を拠り所にすることで、かろうじて心の均衡を保っていました。
不良少年の兄、チェンは、その朝、自身が親友の恋人と浮気をしたせいで親友が自殺するのを目の当たりにし、ショックを受けていました。
誰かのせいにし、責任を逃れることで、気持ちを落ち着けようとするチェンに弟が病院に運ばれたという知らせが届きます。チェンは地元のギャングの一員でした。
ブーは、一日中座っていて、何事にも動じないという象を見に、2300キロメートル先の満州里に行こうとリンを誘いますが、すげなく断られてしまいます。
ブーは高価なビリヤードのキューを金に変えようと奔走しますがうまくいきません。タクシーに乗っていると、同じアパートに住む老人ジンの姿が見えたので運転手に「ここで止めてください!」と叫びました。
ジンは娘夫婦から老人ホームに行くよう毎日のように迫られていました。彼はペットの犬だけを生きがいとしていましたが、犬は不慮の死を遂げます。
ジンはその亡骸が入ったカバンを橋の下に廃棄していました。そこにプーが合流しました。座っている象を見に満州里に行くというブーの話を聞いたジンは、彼に金を手渡します。ブーは必ず買い戻しに行くからとキューを老人に預けるのでした。
そのころ、リンと教師が親しくしている動画がSNSで拡散され、リンもまた居場所を失っていました。
座っている象を見に満州里に行こうとするブーの行動は、やがてリンとジンをも巻き込んでいきます…。
映画『象は静かに座っている』の感想と評価
時代の流れから取り残された人々
劇的な経済発展を遂げる中国。上海や北京という大都市は勿論のこと、内陸部でも開発は着々と進み、巨大な工業都市が次々と出現し大きな変貌を遂げています。
『象は静かに座っている』の舞台となる河北省は、その名の通り黄河の北側に位置し、直轄市である北京、天津に隣接しています。人口は約7500万人で、近年は北京の首都機能の一部が移転されるなど、国家戦略上重要な役割を担うようにもなっています。
しかし、本作に登場する田舎町は、炭鉱業で繁栄した頃の面影は遠になく、現代の中国社会の繁栄からは無縁の、完全に取り残された町と成り果てています。
激変する中国社会からこぼれ落ちた人々を描く作家としてはジャ・ジャンクーがすぐに思い出されますし、経済発展に向けて中国が激変した1990年代後半の取り残された町を背景にしたドン・ユエ監督のサスペンス映画『迫りくる嵐』(2017)なども記憶に新しいところです。
ですが、『象は静かに座っている』ほど、住民の心が荒廃しきっている作品を思い出すことはできません。
人々は自分の行動に対して決して責任をとろうとしません。常に誰かのせいにして自己保身する彼らはエゴイスティックで非情であり、それを恥とも考えません。
高校生のブーにとっては自分の部屋を出るところから闘いが始まっています。部屋の外には会社をクビになった父親がいて、ブーを罵倒してくるからです。
ブーの同級生リンもまた家庭にやすらぎはなく、老人のジンは、娘夫婦の都合で、自分の家から追い出されようとしています。そこには愛の欠片すら存在しません。
学校は不良少年たちがはばをきかせ、教師は、廃校になることに驚くブーにお前たちは最低の学校に移り、卒業後は屋台で串焼きを売るんだと言い放ちます。
そんな中、友人を信じ、不良少年に毅然と立ち向かうブーの姿は、この町においてとびきり稀少なものといえます。
また、物事を達観しているように振る舞うリンは、この社会で生きていくために感情の武装を施しているかのようです。
実際、彼らは身を守るための武器を所持さえしています。
カラー作品であるにもかかわらず、極めてグレーに近い世界が広がっています。太陽の光も温かみも感じられない世界は、“人生は荒れ地である”というブーの同級生が本から引用した言葉の明確な証明となっています。
監督のフー・ボーは映画が完成したあと、世界中から寄せられた称賛の声を聞かぬまま、29歳の若さで自らこの世を去りました。
映画と監督自身の人生を混同することは誤った行為であるかもしれませんが、まったく切り離して考えることも難しいでしょう。
長いカットを重ねた234分の世界
フー・ボーは、『サタンタンゴ』(1994)などで知られるハンガリーの鬼才タル・ベーラに師事しました。多用される長回しは、明らかに師匠譲りと言えるものです。
カメラは、俳優に密着と呼べるくらい近づき、顔をアップで捉え、時に登場人物の顔だけで画面を埋めてみせたりもします。
また、人物の背後にぴたっとつき、人物の移動を背中越しに映し出します
長いカットは、時に非常に緻密に計算されています。学校の階段での事故の瞬間、実際に少年が落ちる場面はありませんが、少年の姿が画面から消えてから階段の下に倒れ他の生徒に介抱されている姿が映るまでカットを割らずに撮っています。その技術の巧みさには大いに心踊らされます。
ブーとジンが同じマンションに住んでいるとわかる決定的なシーンを作るカットとカットのつなげ方にも抜群の映画センスが溢れています。
長回しが多用されるため、上映時間は234分を要します。
中にはこの長さを敬遠する方もいるかもしれませんが、ブーたちの彷徨を見守らずにはいられず、彼らの運命に強く想いを馳せているうちにあっという間に時間が過ぎさっていきます。
もう少し長く観ていたかったという想いが沸き起こってくるのは、6時間近い上映時間を持つ濱口竜介の『ハッピーアワー』(2015)を休憩なしで続けて観てみたいという欲望と通じます。
恐るべきデビュー作に出会えた喜びと、この作品しか観ることができない悲しみを胸に、何度も何度も劇場に通い、大きなスクリーンで長いテイクのひとつひとつをを全て記憶したくなる衝動に駆られるのです。
座っている象とは何か
いつも座っていて、何事にも動ぜず超然としている象を見に行くため、ブーたちは北方の満州里に行こうとします。距離にして2300キロメートル。
最初、チェンによって語られる象には、神話的な意味合いが込められています。
座っている象といえば、まず台座に座っている象、仏教における歓喜天と呼ばれる守護神を想像することができるでしょう。
一方、リンはサーカスのポスターの中に座っている象の記述を見つけます。
サーカスにいる座っている象とはどのようなものでしょうか。最悪の場合、台湾映画『熱帯魚』(1995/チェン・ユーシュン)に登場した蛇女のようなインチキな見世物であることも考えられます。ここでは客の中年男性が「詐欺だ!詐欺だ!」と叫んでいました。
あるいは、まだ誰もみたことのない、ハイテク王国中国を象徴するような未来系・流線型の象が鎮座しているのかもしれません。それとも文字通り、座っている本物の象なのかもしれません。
希望の象徴とみるには、情報があまりにも漠然とし過ぎており、つかみどころがありませんが、居場所を失った人々は“座っていてなにごとにも動じない象”のなにかに導かれその場所を目指すのです。
彼らが移動を始めると、カメラの位置が明らかに変化します。
ジョニー・トーの『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)のあるシーンを一瞬想起させもするラストの光景は、得も言われぬ美しさを放っています。
まとめ
「彼は世界の美しさには秘密が隠されていると思った。世界の心臓は恐ろしい犠牲を払って脈打っているのであり、世界の苦悩と美は互いに様々な形で並行を保ちながら関連し合っているのであって、このようなすさまじい欠落の中で究極の一輪の花の幻影を得るために様々な生物の血が流されるかもしれなかった」
フーボーは、コーマック・マッカーシーが1992年に発表した小説『すべての美しい馬』から上記の言葉を引用し、この映画の主題でもあると述べています。
フー・ボーは小説家でもあり、本作は彼が2017年に発表した『大裂(Huge Crack)』に収められた同名短編を映画化したものです。フー・ボー自身が最も気に入っていた作品と言われています。
ブーを演じたポン・ユーチャンは中国を代表する若手人気俳優です。
もっと泣き叫んだり、もっと怒鳴ったりしてもおかしくない役柄を振り当てられながら、ほとんど表情を変えずに、様々な感情を押し殺した人物としてブーを演じています。
残酷な物語の中、そこはかとない清潔感と透明感が漂っているのは、彼の存在がもたらす部分が大きいのではないでしょうか。
『象は静かに座っている』は、2019年11月2日(土)より、シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開されます。
次回の銀幕の月光遊戯は…
次回は人気コミックを二階堂ふみ主演で映画化した『生理ちゃん』を取り上げる予定です。
お楽しみに!