家に招かれた家族を襲う恐怖の“おもてなし”
『アフター・ウェディング』(2006)などで知られるクリスチャン・タフドルップが監督、脚本を手がけ、本作が長編第3作目となりました。
『ミッドサマー』(2020)、『イノセンツ』(2023)に次ぐ北欧ヒューマンホラーである本作は、『M3GAN/ミーガン』(2023)、『ゲットアウト』(2017)などで知られる米ブラムハウス・プロダクションズでハリウッドリメイクも決まっています。
デンマーク人夫婦のビャアンとルイーセ、娘のアウネスは、旅行で訪れたイタリアで、オランダ人夫婦のパトリックとカリン、息子のアベールと意気投合します。
そしてパトリックとカリンに家に招待されたビャアンとルイーセは、オランダの田舎町にある夫妻の家を訪ねます。
ビャアンとルイーセは、パトリックとカリンの“おもてなし”に些細な違和感を募らせ、帰ろうとしますが引き止められ……。
映画『胸騒ぎ』の作品情報
【日本公開】
2024年(デンマーク・オランダ映画)
【監督】
クリスチャン・タフドルップ
【脚本】
クリスチャン・タフドルップ、マッズ・タフドルップ
【キャスト】
モルテン・ブリアン、ル・スィーム・コク、フェジャ・ファン・フェット、カリーナ・スムルダース、リーバ・フォシュベリ、マリウス・ダムスレフ、イシェーム・ヤクビ、イェスパ・デュポン、リーア・バーストルップ・ラネ、エードリアン・ブランシャール、サリナ・マリア・ラウサ、イラリア・ディ・ライモ
【作品概要】
監督を務めたのは、『アフター・ウェディング』(2006)などで俳優としても活躍するクリスチャン・タフドルップ。本作は長編監督3作目となります。
デンマーク人夫妻を演じたのは、演劇やドラマで活躍するモルテン・ブリアンと、『コールド・アンド・ファイヤー 凍土を覆う戦火』(2018)のル・スィーム・コク。
オランダ人夫妻をは、実生活でも夫婦であるフェジャ・ファン・フェット、カリーナ・スムルダースが演じました。
映画『胸騒ぎ』のあらすじとネタバレ
デンマーク人であるビャアンとルイーセ、娘のアウネスは、イタリアで休暇を楽しんでいました。そこで、オランダ人のパトリックとカリン、息子のアベールと知り合い意気投合します。
デンマークに帰国した一家の元に、オランダ人夫婦から家に遊びに来ないかと誘いがきます。ビャアンとルイーセは悩んだものの、折角の誘いを断るのも悪いと招待を受けることにしました。
家に着くと大きな肉を焼いていたパトリックにお肉を食べてみないかと言われ、ヴィーガンであるルイーセは戸惑ったものの言い出せず口にします。
また、アウネスのベッドと言って紹介されたのは簡易的な硬いベッドでルイーセは嫌な顔をします。アウネスは、夜になるとアベールが叫ぶ出すのが耐えきれず、ビャアンとルイーセのところに寝に来ます。
オランダ夫婦の言動に違和感を覚えたルイーセは夫妻の見えぬところで「嫌な感じがする、帰りたい」とビャアンに言いますが、ビャアンは「後1日半だから何とかなる」とルイーセをなだめます。
外食の身支度をしているとムハジドという男性がやってきます。カリンは、ムハジドはベビーシッターだと言い、子供の相手が上手だから大丈夫と言って、外食は大人だけで行くと言います。
ルイーセはもやもやしつつも言えずにいます。連れられたレストランでは、メニューが読めずどのような料理なのかも分からず、ルイーセは「私はヴィーガンだからお肉は食べられない」と言います。
すると、パトリックは「環境のために肉は食べないけれど魚は食べるのか、魚は環境破壊ではないのか?」と言います。ルイーセは答えませんでしたが、微妙な空気のまま料理が運ばれてきます。
食事が落ち着くと、パトリックとカリンは音楽に合わせて踊りながら、互いの体を密着させ始めます。ビャアンが誘い、ルイーセも立ち上がって音楽に乗って踊りますが、パトリックとカリンは更に密着し、キスをしているのを見て気まずくなったルイーセは、踊るのをやめて席に戻ります。
会計の際、パトリックは「派手に遊んだな」と言います。ビャアンは、「少し払おうか」と提案しますが、一向にパトリックはお金を払おうとしません。
「うちの奢りってこと?」とビャアンが言うと、パトリックは「頼む」と言います。家への帰り道、お酒を飲んだのに運転し、車の中で大音量の音楽を流し始めたパトリックとカリンに耐えきれなくなったルイーセは、音量を下げてと怒鳴ります。
一度下げたもののまたしても音量を上げるパトリックに、ルイーセは叫び、ビャアンも「少しでもいいから音量を下げてくれ」と頼みますが、音楽にかき消されてしまいます。
映画『胸騒ぎ』の感想と評価
オランダ人の夫妻に招待され、休暇を過ごしていく中で感じた嫌な予感が、積み重なり、最悪の結末を迎える映画『胸騒ぎ』。
この映画を見て、不快に感じたり、気分が沈んだり…あまり良い気持ちがしない人も多いでしょう。
ではなぜそのように感じるのでしょうか。何も悪いこともしていないのに、デンマーク人夫妻が理不尽な目に遭うから…それともオランダ人夫妻の目的が分からないからでしょうか。
本作が私たち観客に突きつけてくるのは、誰かが悪いと決めつけたり、同情したり、原因を探してしまうエゴイズムなのかもしれません。
様々なところで自己責任論が展開されたり、善と悪といった単純な二項対立で物事をみようとしてしまいます。
しかし、世の中は時になぜこのような目に遭わなくてはいけないのかと思うような理不尽さに晒されます。説明がつかないことも、誰のせいでもないことも沢山あります。
そのような“理不尽さ”に直面した時、どうすればいいのか…きっと正解はないでしょう。
“理不尽さ”と共に描かれているのは、対話の難しさです。
招待されている側という引け目もあり、デンマーク夫妻は言いにくいことは母国語であるデンマーク語で話し、オランダ夫妻との会話は英語で話します。
また、カリンが娘のアウネスにオランダ語で話しかけると、ルイーセは怒りを露わにします。何を言っているのか分からないことに人は不安を覚えたり、苛立ちを感じたりします。
更に何を言っているか分からなくても、身振りや表情、話しているトーンで何を言っているのか察することもできます。だからこそ、ルイーセは不安と苛立ちが重なってカリン怒鳴るのです。
互いが歩み寄る気持ちがあれば、言葉が通じなくてもその会話あは互いにとって気持ちの良いものになりますが、そうではない場合もあります。
現代社会における理不尽さや、対話の難しさを提示しつつ、ショッキングな設定、展開によってジャンル映画としても確立しています。
そんな本作を見てミヒャエル・ハネケ監督の『ファニーゲームU.S.A.』(2008)、『ファニーゲーム』(2001)を思い出した人もいるのではないでしょうか。
ミヒャエル・ハネケのようなコミカルさもありつつ、理不尽で悍ましいラストへと向かっていく様子はヨルゴス・ランティモスの『聖なる鹿殺し』(2018)も彷彿させます。
オランダ人夫妻が、デンマーク人夫妻に服を脱がせて石を投げるという殺し方は、屈辱的で2人の命を弄ぶかのようです。
舌を切られた娘も一時的に生かされているだけの生贄であり、目的の分からぬ夫婦の行為は観客を陰鬱に引き込みます。
本作が伝えているのは、警鐘か、それともエゴか……様々な思いが込み上げ、ゾッとする一作です。
まとめ
映画『胸騒ぎ』の原題は“Gaesterne”で、客という意味ですが、邦題のように本作の中には様々な“胸騒ぎ”が散りばめられています。
それは冒頭のイタリアでのバカンスから始まっています。冒頭うさぎのぬいぐるみが映し出され、アウネスがなくしたぬいぐるみを父が見つけたという場面が描かれてます。
一度帰ろうとしたビャアンとルイーセが引き返すきっかけとなったのも、うさぎのぬいぐるみをなくしたからでした。
ジャンル映画として陰鬱さを掻き立てるために、理不尽な目に遭うデンマーク人夫婦も自分たちが“正しい”人間で、自分たちと価値観の違う人々を受け入れようとしていない姿勢もうかがえます。
しかし、そのような描き方はデンマーク人夫婦が悪くて自業自得の結果、ということではありません。
理不尽な目に遭うデンマーク人夫妻が正しい善良な人々で、オランダの夫婦は悪い人たちだという単純な二項対立としても描いていません。
普通の人々が突如巻き込まれる暴力性を描いているのです。それはまさに現代社会を映していると言えます。
デンマーク人夫婦の自分たちが正しい人間という価値観は、言い換えれてみれば、進んでいる、進んでいないといった自分たちの物差しで物事を見ようとする先進国の姿勢にもつながるところがあるのではないでしょうか。
映画的なショッキングさで不条理サスペンスとして描いている本作ですが、その背景には極端化する現代社会に対する視座も込められているように感じます。