映画『あらののはて』長谷川朋史監督が、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭Q&Aに登壇!
俳優のしゅはまはるみと藤田健彦、そして舞台演出を手がける長谷川朋史の3人が結成した自主映画制作ユニット「ルネシネマ」第2弾として企画・製作された映画『あらののはて』。
本作『あらののはて』は、門真国際映画祭2020で最優秀作品賞、優秀助演男優賞、優秀助演女優賞の三冠を達成し、うえだ城下町映画祭 第18回自主映画コンテストでは、審査員特別賞(古廐智之賞)を受賞。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2020、日本芸術センター第12回映像グランプリでは入選を果たしました。
2021年8月21日(土)〜9月10日(金)の池袋シネマ・ロサにて3週間のレイトショー公開。その後も名古屋シネマスコーレ、京都みなみ会館での公開予定となっています。
またSKIPシティ国際Dシネマ映画祭では、本年度の映画祭の開催に先駆け、7月の週末5日間に2020年の映画祭でノミネートした全24作品を、SKIPシティで上映中。キックオフとなった1日目の4日午前、『あらののはて』が上映され、長谷川朋史監督がQ&Aに登壇しました。
『あらののはて』Q&A:映画表現は“サービス”ではない
──キャラクター二人が画面からフレームアウトして、画角外の音声やりとりだけ聞こえて、ふたたび画面に戻ってくる、ほぼフィックスの固定で撮影されたショットを使用した理由をお聞かせください。
長谷川朋史監督(以下、長谷川):長く舞台演出をやってきたことから舞台をイメージした画作りが第一でした。“見えている場所、撮影で切り取っている場所は、映画でいうともちろんスクリーンで映っている場所なんですけれど、僕たちから見ると、それは窓で、ビジュアル的には映画との接点のすべて。その窓がどこを向いていて何を撮っているかは演出的に大事で、そこにあるものないものを作為的にコントロールすることによって、伝えるメッセージというのが強くなる”という手法を取りました。
──本作は監督自身が撮影も担当し、すべてのシーンがわりと左右対称のシンメトリーになっていますよね。学校の廊下で前田さんが仁王立ちして生徒が両端を歩いている場面や、風子とマリアが公園で対峙する場面も“真ん中にジャングルジムがあって風子とマリアがいる”という左右対称の構図でした。その意図はなんでしょうか。
長谷川:この映画は初恋を描いているんですが、振り回されている人たちは泣いたりわめいたりしているけれど、主人公たちの心情、感情があまり発露せず、本人たちの気持ちがわからないんです。それをビジュアルとして、スクエアやシンメトリーなど無機質なものを配置して、なるべく記号的な意味合い以外のもの、情緒的なものが感じられないようなこだわりで制作するように心掛けました。
──逆光のままで撮っていると読みましたが、配信でスマホやパソコンから観た場合は、何が起こっているかわかりづらく感じました。今後は配信を考えた画面作りになっていくんでしょうか?
長谷川:映画というと、僕のイメージだと“映写されて何かに反射してスクリーンに映っているもの”。テレビやスマホやタブレットなど発光しているものが映画だと考えています。劇場でたくさんの人と同じものを見て共有するというのが自分にとっての映画体験です。本作は、最初からスクリーンに映すという作品として作りました。
YouTuberの方に、どういう映像が飽きられないという話を聞く機会があったんですが、「(本作は)全部当てはまらないな。正反対だな」と思ったんです。でも「だから価値がない」わけではありません。
画面はお客さんと映画を繋ぐ窓。YouTuberさんたちはお客さんに向いた窓。その窓でどれだけサービスができるか。飽きさせない、楽しむ、喜ばせる、というのが、YouTubeをはじめとした今の映像の一番の価値になっていると感じました。ですが、あまのじゃくな僕は、映画はサービスではないと考えています。
映画で描く“リアリティ”とは
──市川準監督のような心象風景ショットをタイムラプスで入れていましたが、主人公の風子の気持ちととらえていいんでしょうか。
長谷川:僕が映画の洗礼を受けたのは80年代。その頃、流行っていたアメリカのニューシネマの次のニューシネマやヌーベルヌーベルバーグなどで“感情は風景の中にあって、その人の表情や振る舞いや態度には映さない”というポリシーの監督が多かったんです。それはセット撮影ではできないし、ロケも風景や色に感情を載せようと最初から考えていないとできない。
風子の心情は、夜明け前の青い空がイメージとなっています。心がざわざわするのは雲が早く流れているようなイメージでした。実は風子の顔が映るのはそこだけ。正面からアップで、しかもニヤニヤしている表情がわかるのはそこだけと最初から決めていたんです。怒っている人や泣いている人もその表情は入れないようにしました。
──ブラジル国歌が使用されている理由は?
長谷川:劇伴で使っているイアン・ポストさんの楽曲はアルバムとして存在する曲なんですけれど、その中にブラジル国歌があって、かっこよくて勇ましくって前向きなイメージのため、タイトルバックに使おうと最初から考えていました。
キャットファイトをどういう演出にしようかと、国旗を出したり、視聴覚教室の文化交流で『シティ・オブ・ゴッド』の映画を流しているとしましたが、あまり意味はないんです。現実世界もすべてが自分の都合のいいように成り立っているわけではないので、“映画も映画の世界として成り立っていることがあって、そことたまたま画面が繋がっているだけ”、 “部分としてしか接することができないから自分はリアリティを描くことができる”というのが僕の演出論です。
──1つのシーンが遠くと近くの2つのパターンで撮られているシーンについてお聞かせください。
長谷川:8年前と現在と同じことを繰り返すというループ構造になっていて、最初の8年前のシーンは客観的に離れたシーンで、盗み見ているという状況です。8年後のシーンは風子が思い出している、風子の記憶のシーンと分けて構成しました。
──8月21日からの池袋シネマ・ロサでの公開について意気込みをどうぞ。
長谷川:ぜひ、イベントをやりたいと思っています!
映画『あらののはて』の作品情報
【日本公開】
2021年(日本映画)
【監督・脚本・撮影・編集】
長谷川朋史
【キャスト】
舞木ひと美、髙橋雄祐、眞嶋優、成瀬美希、藤田健彦、しゅはまはるみ、政岡泰志、小林けんいち、山田伊久磨、兼尾洋泰、行永浩信、小谷愛美、才藤えみ、佐藤千青、藤井杏朱夏
映画『あらののはて』のあらすじ
25歳フリーターの野々宮風子(舞木ひと美)は、高校2年の冬にクラスメートで美術部の大谷荒野(髙橋雄祐)に頼まれ、絵画モデルをした時に感じた理由のわからない絶頂感が今も忘れられないでいました。
絶頂の末に失神した風子を見つけた担任教師(藤田健彦)の誤解により荒野は退学となり、以来、風子は荒野と会っていません。
8年の月日が流れました。あの日以来感じたことがない風子は、友人の珠美(しゅはまはるみ)にそそのかされ、マリア(眞嶋優)と同棲している荒野を訪ね、もう一度自分をモデルに絵を描けと迫りますが……。