2018年年度アカデミー賞脚色賞受賞! 映画『君の名前で僕を呼んで』4月27日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ他全国ロードショー。
イタリアの俊英ルカ・グァダニーノ監督が新星ティモシー・シャラメとアーミー・ハマーを迎え、17歳の少年と24歳の青年の、恋の歓びと痛みを描いた傑作ラブストーリーです!
映画『きみの名前で僕を呼んで』の作品情報
【公開】
2018年(イタリア、フランス、ブラジル、アメリカ合作映画)
【原題】
Call Me by Your Name
【監督】
ルカ・グァダニーノ
【キャスト】
アーミー・ハマー、ティモシー・シャラメ、マイケル・スタールバーグ、アミラ・カサール、エステール・ガレル、ビクトワール・デュボワ、バンダ・カプリオーロ、アントニオ・リモルディ、アンドレ・アシマン、ピーター・スピアーズ
【作品概要】
1980年代のイタリアを舞台に、17歳と24歳の青年が織りなすひと夏の恋の行方を瑞々しく描いたラブストーリー。アンドレ・アシマンの同名小説を『眺めのいい部屋』などの監督で知られるジェイムズ・アイヴォリーが脚色。第90回アカデミー賞・脚色賞を受賞しました。
映画『君の名前で僕を呼んで』のあらすじとネタバレ
1983年、北イタリア。17歳のエリオは、この夏、父の助手をする学生の到着を待っていました。
エリオの父はローマの美術史学を専門にしている大学教授で、毎年夏になると、家族で北イタリアを訪れ、母が相続した17世紀に建てられたヴィラで過ごすことにしています。
父の仕事のインターンとして、毎夏、学生が一人やってくるのです。
到着した学生の姿を窓から見た女ともだちのマルシアは「自信家っぽい」と評しました。エリオは彼を部屋に案内するために、階下に降りていきました。
部屋に案内するやいなや、学生はベッドで眠ってしまい、エリオが夕飯の支度が出来たことを告げに行っても、眠り続けていました。
彼の名前はオリヴァー。アメリカ人で、博士課程に在学中の24歳の大学院生です。朝になると、彼はすっかり疲れがとれた様子で、朝食の席につきました。
彼はこれまでのどのインターンよりも頭がよく、自信家のように見えました。
ある日、マルシアやキアラがやってきて、バレーボールをした時、オリヴァーは冗談半分のようにエリオの裸の肩に触れてきました。
エリオはどう反応していかわからず、戸惑い、思わず不機嫌な表情をしてしまいます。
オリヴァーの口癖、「あとで」を耳にすると、エリオはなんだか彼に冷たくされたような気がするのでした。
「きっと彼、この家を去る時も『あとで』って言うよ」と愚痴り、「嫌いかも」と呟くと、母がこの夏ずっと一緒に過ごす人なのよ、とたしなめてきました。
毎日顔を合わせ、一緒に泳いだり、音楽をともに楽しんだりしているうちに、エリオの気持ちは次第に変化していきました。
少しきつい言い方をしたかもしれないと気になったり、彼は僕のことが嫌いかもしれないと不安になったり。視線は常にオリヴァーを追っていました。
街ではパーティーが行われ、オリヴァーは楽しそうにキアラと踊っていました。オリヴァーは皆の注目の的でした。
エリオはマルシアと一緒に湖の近くに行き、服を脱ぐと、一緒に湖に入ってはしゃぐのでした。次の夜もまたここで会おう!と約束を交わします。
ガルダン湖で遺跡が発見されたという知らせが入り、父とオリヴァーは急遽、現場に出かけることになりました。エリオも頼んで同行させてもらうこととなりました。
歴史ある像の手の部分が先に発見されていました。調査隊は船にのり、湖に出ていきました。彼らは目を輝かせていました。歴史的な彫像が引き上げられ、彼らの目の前にその姿を現しました。
家に戻ってきたエリオは車が止まるや自転車にまたがって飛びだしていきました。マルシアと待ち合わせていたからです。暗くなった水辺でエリオはマルシアの名前を呼んでいました。
ある夜、母が16世紀のフランス小説をエリオに読んでくれました。ある王女に熱烈な恋をした騎士の話しです。「話すべきか? 命を断つべきか?」と騎士は苦しみます。
そんな折、エリオはオリヴァーと自転車で街に出かける機会がありました。オリヴァーに「誰よりも知識がある」と褒められますが、「大事なことは何も知らないんだ」とエリオは答えます。
「大事なことって?」と問うオリヴァーに「わかるだろう?」と応えるエリオ。「なぜ僕に言う?」「知ってほしいから。あなたにしか話せないから」
オリヴァーへの好意はいつしか愛へと代わっていました。
「そういう話はすべきではない。わかったね」とオリヴァーは言うと、二人は再び自転車を走らせるのでした。
エリオは自分だけの場所だという小さな湖に彼をつれて行きました。ここで何冊の本を読んだかわからないとエリオは楽しそうに言いました。水の冷たさにオリヴァーは驚いていました。
草むらに並んで寝そべっている二人。オリヴァーはエリオにキスをし、唇が離れると、今度はエリオから激しくキスをしました。
けれど、オリヴァーは「そのままでいよう。僕たちは恥ずべきことはまだ何もやっていない」と言うのでした。
その日やってきた客人は、一方的に自説を喋り続ける客でした。両親も呆れ顔の中、同じテーブルについたエリオとオリヴァーは静かにすわっていましたが、突然エリオが鼻血を出し、席を離れます。
オリヴァーも席をはずし、エリオのところにやってきました。「少し一緒にいて」とエリオが言うと、彼は足のマッサージをしてくれました。
エリオは毎晩、オリヴァーの帰りが遅いのにやきもきしていました。オリヴァーが帰ってきて、自室に入る音が聞こえると「裏切りもの」とつぶやかずにはいられません。
マルシアと会ったエリオは彼女に本をプレゼントしました。エリオはマルシアを自宅に招き、誰も来ない場所に入っていくと抱き合いキスをしました。その日、二人は結ばれました。エリオはマルシアを愛しく思い、満足感を味わいました。
マルシアと愛を交わすことで、オリヴァーのことを忘れられると思ったエリオでしたが、すぐにまたオリヴァーへの想いが押し寄せてきて、まるで自分を避けているかのような彼の態度が苦しみとなってエリオを襲いました。
思い切ってオリヴァーの部屋のドアの隙間に「僕を避けないで」という手紙を差し込みました。
しばらくして居間を通ると、オリヴァーは父と仕事の話しをしていました。エリオが自分の部屋に戻ると、机の上に紙片が置かれているのが見えました。手にとってみるとそこには「大人になれ。真夜中に会おう」と記されていました。
映画『君の名前で僕を呼んで』の感想と評価
これほどまでに胸をしめつけられる恋愛映画がかつてあったでしょうか?
勿論、古今東西、恋愛映画の名作は数知れず、胸を鷲掴みされた作品は何本も存在します。しかしあえて、上記のような文章で書き出したくなるほど、本作の印象は強いものでした。
美しいといえばあまりにも美しく、せつないといえばあまりにもせつないひと夏の恋を「目撃」したのではなく、「体感」したかのような、そんな軽い疲労を、観終わって感じていたのでした。
相手のちょっとした言葉に傷ついたり、言い過ぎたとくよくよ悩んだり、誰もが覚えがあるだろう十代の感受性の強さと、他者への畏れと憧れが丁寧に描写されています。
美しく目映い北イタリアの自然、水場シーンの数々、裸の若者たちの眩しい姿が瑞々しく豊穣な感情を放ちます。
避暑地映画のような甘酸っぱさと苦しさをたずさえながら、映画は二人の男性の出逢いと別れを見つめます。
鋭敏な感性を持ち、まっすぐに感情をぶつけていく純粋な十代の少年と、そんな彼の気持ちを大切にしながら、自身の感情に素直に従う二十代の男性。
互いの知性と教養に惹かれ、肉体の欲望の虜になり、愛と羞恥に濡れる恋の風景。
何気なく発した「発つ時に」という言葉の重さ。
愛する人の側にいられるという歓びと、別れが近づくことの怖さが交差する最後の短い旅。
全ての画面が愛おしく、苦しくなるようなパッションにあふれています。
父と息子の会話シーンは、観るもののこれまでの心の高ぶりを、さらに何倍、何十倍のものにしてしまう、そんな名シーンです、
これほどの温かい親子のシーンを観たことがありません。
父の告白を含んだ、息子への真摯なアドバイスは、彼が自らストップをかけざるをえなかった旧世代の悔恨であり、同時に次世代への強いメッセージにもなっているのでしょう。
本作は、ただ美しいだけの同性愛映画ではありません。人を愛すること、一途な想いを肯定し、勇気づけること。それらを次世代に伝える意志を持った映画でもあります。
「心はすぐに老いてしまう」と父は言います。だからこそこの若きかけがえのない日々が、尊く、麗しく、私たちの胸をうつのです。
まとめ
本作には様々な音楽が登場します。エリオがピアノで弾くのはバッハの「最愛の兄の旅立ちに寄せる曲」。凝ったアレンジで即興のように何度も演奏するのが印象的でした。
エリオとオリヴァーのぎくしゃくとした関係が、これをきっかけに親密さに変わっていきます。
エリオのピアノはティモシー・シャラメ自身が弾いています。
また、80年代の懐かしいヒット曲にも心が踊ります。F・R・ディヴィッドの「ワード」はエリオとマルシアが接近する場面で使われ、サイケデリック・ファーズの「ラブ・マイ・ウエイ」に合わせて、オリヴァーが一心不乱にダンスします。
とりわけ、後者についてルカ・グァダニーノ監督は思い入れがあるようで、「一種の自叙伝的な意味合いで使用した」とインタビューで応えています。
スフィアン・スティーヴンスが提供した楽曲は、もはやこの映画そのものと言ってもおかしくないほどの、特別なものとして記憶されるでしょう。
エリオ役のティモシー・シャラメとオリヴァー役のアーミー・ハマーはこれら音楽をまるで衣のようにまとい、風のように肌に感じているのでは?と思わせるほど、この映画における音楽の役割は大きいと思われます。
それにしても二人のなんと美しいこと! 二人が自転車で出かけ、道路の中央に立つカメラの左右を順番に通り過ぎていくそんなシーンすら感動を憶えてしまいます。
脚色は、『眺めのいい部屋』(1986)、『モーリス』(1987)の監督として知られるジェームズ・アイヴォリー。
アンドレ・アシアンの原作は、40年後、エリオが17歳の頃を回顧するという形で描かれているそうですが、ジェームズ・アイヴォリーはそれを「今」「現在」の視点だけで描いてみせました。
だからこそ、リアルタイムの歓びと哀しみが胸に突き刺さってくるのでしょう。