1982年、2人の少年は夜空に輝く花火のように美しく散った
今回ご紹介する映画は『シチリア・サマー』です。監督のジュゼッペ・フィオレッロは、『シチリア!シチリア!』(2009)などに出演した俳優で、本作が初の長編監督作品となります。
本作はナストロ・ダルジェント賞というイタリアの映画賞で、ジュゼッペ監督が新人監督賞、主演のガブリエーレ・ピッツーロ、サムエーレ・セグレートが最優秀新人賞を受賞しました。
舞台は1982年初夏、イタリアのシチリア島。16歳のニーノはバイク同士でぶつかり、気絶して息もできなくなった17歳のジャンニに駆け寄り、人工呼吸を施し命を救います。
2人は育ちも性格もまるで異なりますが、この奇跡的な出会いをきっかけに、友情が芽生え瞬く間に激しい恋へと変化していきます。
秘密の川の入り江で泳ぎ、花火師の父の代わりに、祭りの花火を打ち上げに行った日々・・・。そんな、2人のかけがえのない時間は・・・ある日突然、壊されることに・・・。
映画『シチリア・サマー』の作品情報
【公開】
2023年(イタリア映画)
【原題】
Stranizza d’Amuri
【監督】
ジュゼッペ・フィオレッロ
【脚本】
ジュゼッペ・フィオレッロ、カルロ・サルサ、アンドレア・チェドロラ
【キャスト】
ガブリエーレ・ピッツーロ、サムエーレ・セグレート、シモーナ・マラート、ファブリツィア・サッキカル、アントーニオ・デ・マッテオアル、エンリコ・ロッカフォルテ、ジュゼッペ・スパータ、アレッシオ・シモネッティ、シモーネ・ラッファエーレ・コルディアーノ、ジュディッタ・バジーレ、ロベルト・サレーミピエ、アニータ・ポマーリオ
【作品概要】
青い空と海、自然を舞台に美しい少年が新緑のトンネルをバイクで走り抜けるなど、シチリア島の美しい自然、歴史が刻み込まれた街並みも見どころのひとつです。
また、今流行している80年代のカラフルなファッション、イタリアで愛され続けているミュージシャン、故フランコ・バッティアートの名曲が儚い2人の恋に彩りを添えています。
映画『シチリア・サマー』のあらすじとネタバレ
1982年初夏。16歳のニーノは叔父と幼い甥っ子トトの3人で、平原に出かけウサギ狩りをしています。叔父は発見したウサギに銃口を向け撃ちますが、トトが騒がしくするので狙いを外しますが、次に見つけたウサギは仕留めることができました。
叔父はトトに仕留めたウサギを持ってくるよう言いますが、怖がって近づけません。その様子をみてニーノと叔父はからかいながら笑います。
叔父の家に迎えに来たニーノの父は、打ち上げ花火の職人です。叔父は喘息持ちの父に「他の奴らになめられるな」と激を飛ばします。
そして、帰り際にニーノに腕時計を差し出し、「卒業祝い」だと言って渡します。
ニーノの家族は両親と姉、姉の息子トト、達は家族で昼食を取りますが、彼の両親はニーノのためにサプライズを用意していました。卒業祝いのオートバイです。
両親や親族たちから沢山の愛情を注がれ、明るく素直に成長したニーノです。さっそく、バイクの試運転に出かけます。
この年、FIFAワールドカップスペイン大会が開催され、サッカー大国イタリアは大盛り上がりでした。そして、シチリア島でも街中や家の中で、サッカー観戦に釘付けでした。
一方、別の町で整備工場の整備助手をする17歳のジャンニは、仕事を終えて工場を出ます。しかし、近くのカフェ前でサッカー観戦をしていたグループの男に絡まれます。
ジャンニに「コーヒーを奢る」と無理やり店に連れ込み、男はジャンニに口紅を塗ると「ジャンニちゃんはべっぴんさん」とからかいます。
ジャンニはゲイであることを面白半分に言いふらされ、それが町中で知られてしまうと、からかわれ屈辱的な扱いをされる日々でした。
それでもジャンニは抵抗もせずに耐えるだけです。周囲の人間はそれを見て笑ったり、無関心のままでいます。
ゲイのことを言いふらした少女は、そのせいでひどい目に合うジャンニを見て後悔し、庇おうとしますが後の祭りです。
しばらくするとグループのリーダー格トゥーリが現れ、ジャンニを助け解放します。トゥーリは少女の恋人であり、ジャンニは彼のお気に入りでした。
解放されたジャンニは帰宅しますが、その家は整備工場のオーナーフランコの家で、母親のリーナがフランコの妾になって暮らしていました。
口紅を塗りたくられたジャンニの顔を見て、リーナは心配しますがジャンニは部屋にこもってしまいます。フランコはジャンニが問題を起こせば“矯正施設”に戻すと脅します。
バイクを手に入れたニーノは道路を疾走し、初夏の風を楽しみながらトンネルを通り抜け、人気のない川で泳いだりして自由を満喫していました。
その頃、ジャンニは町から遠く離れた客の家に、バイクを納車しに行くよう指示されます。ジャンニは戸締りをして出かけようとしますが、トゥーリが体の関係を迫り邪魔します。
激しく抵抗したジャンニは納車するバイクで走り出します。激怒したトゥーリは仲間のバイクで追いかけ、つきまとい続けました。
必死に振り払おうとしたそのとき、二股の道が合流するところで、帰宅途中のニーノのバイクと出くわし衝突し、道に倒れ込みます。
焦ったトゥーリと仲間は、その場から逃げ去りました。ニーノはすぐに起き上がれましたが、縁石に乗り上げ倒れたジャンニは気を失ったままです。
『シチリア・サマー』の感想と評価
シチリアの祭りと花火そして家族
シチリアと聞いて映画『ゴッドファーザー』を思い浮かべる人も多いかと思います。マフィアであるコルレオーネ・ファミリーの家族愛を象徴し、信頼関係を重んじる土地として・・・。
映画『シチリア・サマー』でも、家族の絆と愛情、人間同士の信頼関係が描かれています。そして、“男たるもの、女たるもの”そんな保守的な部分があることもわかりました。
男性は女性や子供を守り、養う力を求められます。映画はウサギ狩りをするシーンからはじまります。幼い少年は銃の扱いや死んだウサギを怖がりますが、終盤の狩りのシーンでは自分でウサギを仕留め、獲物を得意げに持ちあげます。
喘息持ちのニーノの父は兄から頼りない男と見られていると伝わり、男性は心身の弱さには寛容ではありません。このようにシチリアでは、大人の男性は子供に男の本質を仕込み受け継いできたのでしょう。
それでもニーノは母の手伝いをし、父の仕事に誇りを持って手伝います。反対にジャンニにはその父親の存在がありません。しかし、ジャンニにも母親を守り助けようとする男性としての本質を持っていて、反面同性愛者でもありました。
なぜ、同性愛者が誕生するのかその謎は解明されていません。先天性のものであるとすれば、“種を残す”という宗教上の観点から逸脱し、異端と見られ、イタリアを始めヨーロッパでは、“LGBTQ(セクシャルマイノリティ)”への偏見が顕著でした。
とくにシチリア州では一年中、各方面で宗教的な祭が行われるほど、信仰深い人が暮らしているので、同性愛者への嫌悪と偏見は相当なものであったと推測します。
イタリア労働環境と若者の貧困
イタリアは1922年から1943年までファシスト党に支配された、ファシズム体制の時代があり、戦後1950年代から60年にかけてオリンピックにより、経済復興を成し遂げます。
しかし、島であるシチリアではそこから切り離されてしまう現実がありました。これはシチリアのイタリア統合の歴史に通じているようにも見えます。
イタリア本土が経済成長し都市化が進む中、シチリア島は産業発達から取り残され、労働者の暴動が激化し、政府は非常事態宣言を出して弾圧しました。
その結果、シチリア島からアメリカへ移住する移民が増え、19世紀後半には『ゴッドファーザー』に描かれるような犯罪組織(マフィア)が増えていきました。
このようにシチリア島(シチリア州)の労働環境は近年まで良好とは言えず、作中カフェの前でたむろする若者は、仕事が得られず不満やうっぷんを抱えていました。
それらの不満はジャンニのような同性愛者を差別し、いたぶる行為へと繋がっていったのでしょう。
本作の舞台となった1982年のシチリアは、土地の改革と政府からの特別資金で工業地域や商業地域の創設がされ、経済的および社会的状況が徐々に改善されていました。
また、同時期にマフィア撲滅のキャンペーンにより、マフィアが弱体化したことで1990年代に入ると、失業率も低下していきます。
さて、映画『シチリア・サマー』は1980年に起きた、20代と10代のゲイカップルが何者かによって射殺された「ジャッレ事件」を題材にされています。
この事件は未だに解決されてはいません。殺害された10代の少年の親族が、家族にゲイがいたことを恥じて射殺したのでは?という憶測もされています。
この憶測を題材に映画が描かれているとしたら、最後に聞こえた銃声はニーノの叔父が発砲したのでは?と想像させます。
ジャッレ事件をきっかけにイタリア最大のLGBT非営利団体「ARCIGAY(アルチゲイ)」の創設に繋がり、2016年には同性婚が認められる法案が成立しました。
まとめ
『シチリア・サマー』は2人の美しい少年が、夜空に一瞬輝きを放つ花火のように、儚く散った恋を描いています。
ニーノがジャンニに花火のデザインを見せながら、色の持つ意味を教えるシーンがあり「愛を伝えるなら、優しい色を使う」と言います。
2人が初めて打ち上げ花火を上げ、それを一緒に見たのがニーノのジャンニへの気持ちでした。
“ジャッレ事件”が起きた時、ジュゼッペ・フィオレッロ監督は11歳でしたが、事件から30年後の新聞記事でこの事件が取り上げられたのを目にします。
当時は幼い子供で理解できなかった“同性愛”が招いた事件を、30年後に再見したことでいつか映画にし、同性愛者が被害にあった事件で、司法の失敗により裁けなかった事実を伝えたかったと語ります。
セクシャルマイノリティへの理解の意識はまだ途上ですが、人間愛には性別を超えた美しさがあり、それを汚しているは人間であることを、映画『シチリア・サマー』では描いていました。