映画『コーンフレーク』は2023年1月21日(土)より池袋シネマ・ロサにて劇場公開!
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭初の3年連続受賞など、国内外の映画祭で多数受賞し、注目を浴びている磯部鉄平監督のオリジナルラブストーリー『コーンフレーク』。
2016年から制作が開始され、2017年の冬に磯部監督と主演キャストのGON、高田怜子の地元・大阪で撮影された本作は、多くの映画祭・イベント上映で評価を集め続け、遂に待望の単独劇場公開が決定しました。
2023年1月21日(土)からの池袋シネマ・ロサでの劇場公開を記念して、Cinemarcheでは磯部鉄平監督にインタビューを敢行。
30歳から始められた映画作りと“エンジンがかかるまで”の葛藤、作り始めて気づいた“沼”にハマる感覚など、貴重なお話を伺いました。
“何かを諦める時期”からのスタート
──映画『コーンフレーク』の撮影そのものは、初の長編監督作『ミは未来のミ』よりも先に行われたとお聞きしました。磯部監督が『コーンフレーク』を手がけられるまでの経緯をお教えいただけますでしょうか。
磯部鉄平監督(以下、磯部):映画の専門学校を卒業したものの、すぐに映画制作へ着手することができず、現場のスタッフやテレビ番組の手伝いなど、映像業界に片足を突っ込んだまま、時間だけが過ぎていく日々を送っていました。
そろそろ監督作を撮らなければならないと重い腰を上げ、当初は自分の友人を集めてスタッフは3人程度という少人数で始めたんですが、そこからは一気にエンジンがかかった感覚があります。
また、映画作りを始めてからしばらくして、映画制作を48時間以内で行い、1本の短編映画を完成させる映画祭「The 48 hour film festival」に参加する機会があり、その際に『コーンフレーク』で裕也役を演じてくれたGONさんと出会いました。
映画祭には意欲に溢れた俳優さんが大勢集まっていました。そこで50人ほどの合同オーディションを行ったんですが、参加者の一人だったGONさんとの相性の良さを勝手ながら感じ、映画祭の2ヶ月後にまた短編に出演してもらいました。そして「長編をやろう」と約束して1年後の2017年に本作の撮影へ入りました。
磯部:実は同じ頃、彼が趣味でギターを始めていたんです。僕も幼少の頃からずっとピアノを習っていて「初の長編作品では音楽を扱いたい」と感じていたので、運命的なモノを感じました。
また当時20代後半だったGONさん含め、裕也の年齢は「何も成し遂げられていないまま、くすぶり続ける毎日」を過ごしやすい一方で、30歳を期にバンドを解散したり、役者を止めたりと、夢を諦めることを考える時期でもあります。
美保役の高田怜子さんは役者を目指し上京したものの、アルバイト中心の生活でたまにあるオーデションも落ちてばかりの中で「このまま歳だけを重ねていくことへの焦燥感」を抱えていました。一方のGONさんはもう少しゆとりがあり、高田さんほどに焦ってはいなかった。また個人的には、ダラダラと過ごしてしまう彼の感覚に共感を覚えました。
僕自身も、当時は30歳前後にようやく「映画を撮り始めよう」と映画の専門学校に入学したタイミングでもあったので、裕也と美保、そして二人を演じるGONさんや高田さんと重なる部分は大いにありました。
「“天才”の仕事」を目指すまで
──磯部監督は子どもの頃、どのような映画をご覧になっていたのでしょうか。
磯部:小学生の頃は誰しもが通ってきたような、それこそ映画館で「インディ・ジョーンズ」シリーズをはじめとしたハリウッド超大作を観ていました。
少しマニアック映画をレンタルビデオの中から漁り出すようになったのは、中学生の頃です。映画1本分だけ借りられるお金を握りしめて『鉄男』(1989)やジャン・リュック・ゴダールなどを借りていました。当時は映画の知識もほとんどなく、観ても全然分からなかったのですが「同級生が知らない作品を自分は知っているんだ」という優越感に満足していました(笑)。
その後は北野武の映画に刺激を受け、非常に触発されましたが、それでも「自分でも映画を撮ろう!」と思うことはありませんでした。「映画監督は“天才”の仕事だから、自分には無理だ」と諦めてしまっていたんです。
実は幼少から習っていたピアノも、身近なところにホンモノの天才がいたので「ピアノで一流になるのは、自分には到底無理だ」と早い段階で見切りをつけてしまったんです。
自分から始めたいと言い出した習い事でしたが、続けている間は親に無理やり通わされている感覚で、泣きながら練習していました。また上手い子との差も痛感していたので、周囲への競争意識もなく、だんだんと楽しみながらやるようになったんです。
ピアノでも映画でも一流の仕事に圧倒され、「絶対に自分は、どちらの世界でも一流には到達できない」と思い知り、勝手に挫折していました。ただその中で、自分の心持ちが変わったのは、自主映画を観るようになってからでした。
大作映画のメイキングを観ると、何百人ものスタッフをまとめる監督の仕事に圧倒されるばかりでしたが、自主映画だとスタッフも少人数で、数百人単位に比べたらまとめるのも大変じゃない(笑)。「映画を作ること自体が楽しいんだろうな」と憧れるようになり、次第に「小規模の作品なら、自分も映画を撮ってみたい」と意欲が湧いていきました。
映画作りの“沼”にハマる中で
──「自分も映画を撮ってみたい」という意欲が湧いた上で、映画の世界に入られる決心がつくまでにはどのような葛藤がありましたか。
磯部:映画の専門学校に入ったのが28歳の時だったので、若手の監督たちよりも10年ほど決心が遅れたと思っています。
また調理師免許を持っていたので、それまではバイトで入った飲食店でも重宝され、すぐに社員になれたんです。楽しく働けていたので「生活には困らないだろう」という安定感もあり、映画は休日に趣味で鑑賞する程度でした。
それでも30歳を目前にし、このまま生きていくことにもったいなさを感じ、働きながら映画の勉強をすれば、誰にも迷惑はかけないだろうと夜間部に入りました。「30歳までに1本映画を作れれば、映画界に対する未練を断て、気持ちの整理もつくだろう」という想いの中通った専門学校の2年間は、遅れてきた青春を取り戻しているようでもありました。
──学校を卒業されたのち実際に映画を完成させた経験から、磯部監督はどのようなものを得られましたか。
磯部:始める前から分かっていたことですが、実際に自分たちでやることで映画作りの難しさを実感し、毎回反省点ばかりが見つかる中で「次は新しいことに挑戦したい」という気持ちにも常に駆られています。「一本でも多く撮りたい」と思ってしまう、いわゆる映画作りの“沼”にハマっている状態です。
ありがたいことに、これまで仕事をご一緒したキャスト・スタッフは本当に良い人たちばかりに恵まれていたからこそ、ここまで作り続けてこれたのだと思っています。
しかしながら、「これまでと全く異なる製作体制だと、どんな映画作りができるのだろうか」という興味も少なからずあるので、自主・商業にこだわらず映画作りを続けていきたいですね。
インタビュー/タキザワレオ
記事構成/河合のび
撮影/出町光識
磯部鉄平プロフィール
ビジュアルアーツ専⾨学校⼤阪卒業。⼩⾕忠典監督のドキュメンタリー『フリーダ・カーロの遺品』(2015)に海外撮影スタッフとして参加。帰国後は映像フリーランスとして企業VP・MVのディレクターなどで活動する。
2016年から映画制作を開始。自身初の⻑編映画『ミは未来のミ』(2019)がSKIPシティアワード、映⽂連アワード2019準グランプリを受賞。2020年7⽉には『予定は未定』(2018)、『オーバーナイトウォーク』(2019)の短編2作、そして『ミは未来のミ』が連続で劇場公開された。
映画『コーンフレーク』の作品情報
【日本公開】
2023年(日本映画)
【監督】
磯部鉄平
【脚本】
磯部鉄平、永井和男
【撮影・照明】
佐藤絢美
【音楽】
kafuka(江島和臣)
【挿入歌】
「パンプス」(作詞・作曲:すのう/歌:小林未奈)
【主題歌】
「コーンフレーク」(作詞・作曲・歌:すのう)
【キャスト】
GON、高田怜子、日乃陽菜美、手島実優、木村知貴、南羽真里、土屋翔、ひとみちゃん、時光陸、白井宏幸、松本真依、皷美佳、岩本守弘、五山智博、石井克典、谷口慈彦、小林未奈、すのう(特別出演)
映画『コーンフレーク』のあらすじ
保険外交員として働く美保は、音楽の夢を捨てきれずに自堕落な生活を送る裕也との暮らしに居心地の良さを感じながらも、このままでいいのかと自問していました。
職場の後輩は美保を頼るばかりでなかなか独り立ちしない。そのせいで上司からねちねちと嫌味を言われ疲弊する毎日です。
疲れて帰宅した美保は、裕也がバイト先の後輩・朱里と連絡をとっていたことに気が付きます。口論となった末、美保は裕也を家から追い出してしまいます。
行き場を失った裕也と、ひとりになった美保。2人は、この日別々の夜を過ごすことになり……。