A24が送るダーク・ファンタジー『グリーン・ナイト』
『ライトハウス』(2019)や『ミッドサマー』(2019)など、エッジの効いたホラーやスリラー映画で人気の映画制作・配給会社「A24」。
2021年につくられた『グリーン・ナイト』は、アーサー王円卓の騎士のひとり、ガウェインが主人公の物語です。
監督は『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』(2017)で高い評価を得たデヴィッド・ロウリー。
ロバート・レッドフォードの俳優引退作となった『さらば愛しきアウトロー』(2018)に続く監督作が、この『グリーン・ナイト』です。
CONTENTS
映画『グリーン・ナイト』の作品情報
【日本公開】
2022年(アメリカ・カナダ・アイルランド合作映画)
【監督・脚本・編集】
デヴィッド・ロウリー
【キャスト】
デヴ・パテル、アリシア・ヴィキャンデル、ショーン・ハリス、ケイト・ディッキー、ジョエル・エドガートン、サリタ・チョウドリー、バリー・コーガン、ラルフ・アイネソン
【作品概要】
日本でも数々のゲームやマンガの題材として人気のあるアーサー王伝説。
本作は、円卓の騎士ガウェインにスポットをあてたJ・R・R・トールキンの『サー・ガウェインと緑の騎士』をベースにしています。もともとは作者不詳の頭韻詩であったものを、『指輪物語』の作者で言語学者でもあるトールキンが物語としてまとめあげました。
クリスマスの宴に現れた緑の騎士。アーサー王や騎士、その親族たちの集まる場で緑の騎士は“首切りゲーム”を持ちかけます。その挑発にのった若きガウェインは騎士の首を斬り落としますが、彼はその首を持ち上げると「1年後のクリスマスに私を捜し出し、ひざまづいて私からの一撃を受けるのだ」と言って去ってしまいます……。
“A24版『ロード・オブ・ザ・リング』”ともいうべき本作は、まだ騎士になる前のひ弱なガウェインが、決心のつかないまま周囲に促されるように旅立ち、夢とも現実ともつかないような危機に見舞われながら緑の騎士を探して進んでいく冒険ファンタジーです。
映画『グリーン・ナイト』のあらすじとネタバレ
鐘の音が響く中、若い男性が女性を馬に乗せて逃げていきます。背後に見える城では火事が起きています。
それは過去の出来事。いまその景色がみえる部屋の中ではガウェインが寝ており、恋人の娼婦エセルが彼を起こそうと水をかけます。今日はクリスマス。ふたりは支度をして娼館から教会にでかけます。
自宅に戻ったガウェインは母に朝帰りをとがめられながら、伯父であるアーサー王が催す宴に行く準備をします。体調不良で宴には行かないと言っていた母は、ガウェインが出かけたあとで姉妹たちとともに召喚の魔術を使い、手紙に封をして燃やします。
円卓の間で酒を飲み始めたガウェインはアーサー王に呼ばれ、となりに座って武勇伝を話すよう請われます。しかしまだ騎士ですらないガウェインに話すことなどなにもありません。
するとそこへ突然、ヒイラギを持った騎士が馬に乗ったまま入ってきました。皆剣を抜きますが、王は彼を招き入れ手紙を受け取ります。女王が読み上げたその内容はこうです。
「ゲームをしよう。我こそはという騎士は進み出て武器を取り、名誉をもってわしに一撃を加えろ。傷を与える者にこの戦斧を進呈しよう。だがその者は誓わねばならぬ」
「1年後のクリスマスにわしを捜し出せ。緑の礼拝堂でひざまづいてわしの一撃を受けろ。やられたままやり返し、信頼と友情と共に別れよう」……。
アーサー王の「だれかおらぬか」という問いに、少し間を置いて名乗りを上げたのはガウェイン。アーサー王に聖剣を借り騎士に対峙しますが、彼は戦斧を置くと姿勢を低くし、斬りやすいように小首をかしげて攻撃を待っています。
ガウェインは一撃で首を落としますが、騎士は自らの手でそれを拾い上げると「1年待つ」と言い残し、笑いながら去っていきました。
一年が経ち、キャメロットの都では人形劇になるほどにガウェインは有名に。酒場では酔った客に絡まれ、母親が魔女だと言われてケンカ沙汰に。泥だらけで帰宅するとアーサー王が来ていました。年老いて弱っている王は「もうすぐ1年だ」と言い、旅に出るよう促します。
ガウェインの母は姉妹たちとともに、彼を守るための魔術を緑色の帯に施します。「腰につけて決して手放さないように」とその帯を渡されたガウェインは「戻れる?」と不安そうです。
馬に乗りひとり都を出たガウェイン。エセルに渡された鈴をにぎりながら、彼女が旅に反対していたこと、そしてガウェインとの結婚を望んでいたことを思い出していました。
親切心
北を目指すガウェインは、多くの死体が転がる場所に差しかかります。すると死体から金目のものを盗んでいる男が、ガウェインに気づいて話しかけてきました。
「イカす斧だな」と言ったその男に緑の礼拝堂についてたずねると、彼は道を教えてくれました。礼を言って進もうとするガウェインに礼金を要求しますが、男は1枚のコインしかもらえませんでした。
その後ガウェインは、見知らぬ男と女にふたりがかりで押さえつけられてしまいます。そこへ先ほどの盗賊の男が現れ、ガウェインはナイフを突きつけられ身ぐるみをはがされました。
大事な緑の帯も取られ、下着姿で木の下に転がされるガウェイン。盗賊は盾を壊し、戦斧を奪い、ガウェインの愛馬に乗り走っていきます。仲間の男女も追いかけて行ってしまいました。
横たわったままなにもしなければ、ガウェインは死んでしまいます。彼は懸命に這って荷物のところまで行き、残されていた剣で血だらけになりながら手の縄を切りました。
聖ウィニフレッドの精霊
あたりが暗くなり、ガウェインは偶然見つけた小屋に入り込みます。そこはもうだれも住んでいないようで、2階に上がるとベッドで眠り込んでしまいました。
深夜、「私の寝台でなにを?」と女性に起こされます。ガウェインが旅の者だと言って謝ると、ウィニフレッドと名乗る彼女は泉で探してほしいものがあると言ってきました。「私の頭を探してほしい」と言う彼女はいきさつを話し始めます。
「あるとき男がやってきて、私を抱こうとした」「追い返したけど、また夜にやってきて扉を破られた」「抵抗したら斬首されてしまった」……。
泉までやってきたガウェインは「頼みをきいた見返りは?」とたずねますが、彼女に「なぜ聞くの」と叱られ、そのまま泉へと入っていきます。
水の底で頭蓋骨を見つけたガウェインがそれを拾って岸にあがると、そこにウィニフレッドの姿はありませんでした。
小屋へ帰ると、持っていた頭蓋骨が生首に変わり、驚いて落としてしまいます。ウィニフレッドの生首は「命のかぎり守ってあげます」と言い、気づけば頭蓋骨に戻っていました。
ガウェインは寝台にあったウィニフレッドの身体の骨の上に、彼女の頭蓋骨を置きます。あたりが明るくなると、部屋には盗賊に取られたはずの戦斧が置いてありました。
映画『グリーン・ナイト』の感想と評価
ドラゴンや怪物がたくさん出てくる中世のファンタジー活劇を期待していた人は肩すかしのように感じてしまうかもしれないこの『グリーン・ナイト』ですが、ひとりの人間の内面を徹底的に見つめ、その成長の過程をともに体験できる意義深い作品となっています。
そもそも、「かの有名な円卓の騎士ガウェインが、まだ“騎士”ではなかった頃」という設定がまず斬新です。原作との違いをふまえ解説します。
サー・ガウェインとはどんな人物?
アーサー王伝説に登場する“円卓の騎士”の中で、サー・ガウェインは「礼節の権化」といわれ、最も騎士道精神を重んじる高潔な人物です。
アーサー王や円卓の騎士については、いままで数々の映画で取り上げられていますが、ジョン・ブアマン監督の『エクスカリバー』(1981)でガウェインを演じたのは、若き日のリーアム・ニーソン。原作のイメージにピッタリな気がします(ちなみに本作のロケ地は『エクスカリバー』と同じくアイルランドのウィックロー県など)。
原作でのガウェインは、待ち受ける数々の困難に対し騎士として冷静に対処し、緑の礼拝堂ではグリーン・ナイトにそれを評価されます。そこでガウェインは3度、緑の騎士から戦斧を振り下ろされるのですが、その内容は以下のとおり。
【1度目】
わずかに肩を引いてしまうガウェイン。緑の騎士はそれをなじりそのままやめてしまう。
【2度目】
当たらないようにわざと外した緑の騎士。ガウェインは「さっさとやれ」と怒る。
【3度目】
わずかに首をかすり皮膚を切っただけ。ガウェインは身をかわし、これをもって終了となる。
緑の騎士はガウェインに対して、律儀に約束を守ったことを評価し(1度目)、城の奥方からの誘惑を主人へのキスとして返したから許し(2度目)、色欲におぼれずただ自分の命が惜しかっただけなので罪は軽い(3度目)、だからその傷で罪滅ぼしとすると言って緑の帯を返し解放します。
都に戻ったガウェインは礼節を重んじる騎士らしく、戒めとして正直にこの話を披露します。以上が原作のサー・ガウェインですが、本作のガウェインは正反対の人物だということがわかりますね。
試練を与える母は“魔術師”
映画『グリーン・ナイト』が原作と大きく異なる部分がもうひとつ、ガウェインの母の設定です。
ここでの母はモーガン・ル・フェイということになっていますが、原作でのその名前の人物はガウェインの伯母、すなわち母(原作での名はモルゴース)の1番上の姉である魔女という設定です。本作ではそのふたりを合わせたような、強力な魔術を使える者として母が登場します。
『グリーン・ナイト』のガウェインは娼館に入り浸り、ダラダラと自堕落に日々を過ごすニートのような若者です。
アーサー王には子どもがなく、その甥であるガウェインはいずれ王位を継ぐことになるにも関わらず、なんの勉強も訓練もしていません。恋人の娼婦エセルのことは大好きですが、彼女の希望どおり結婚することなどできないとわかっているのに離れることもできません。
そんな息子に喝を入れるために母が考えたのが、今回の試練です。一人前の騎士になるためには業績が必要。そのため、母は魔術で緑の騎士“グリーン・ナイト”を召喚します。
そして一連の冒険と数々の危機は、息子を成長させるためのミッション。それは、アーサー王と円卓の騎士が持つ「五芒星」の首飾りに象徴される五つの徳(寛容・友愛・純潔・礼節・同情心)を試すものなのです。
ちなみにガウェインもその首飾りをつけていましたが、それには値しないと城の奥方に判断され引きちぎられてしまう場面があります。
城を出たガウェインはキツネを借りた母の言葉に惑わせられることもなく緑の礼拝堂へ向かいますが、最後の最後で怖気づいてしまいます。そこで最悪なバッドエンドの未来を見ることになるのですが、母からしてみれば、それは使いたくなかった魔法かもしれません。
あやしい城の主人とその奥方
原作では緑の騎士の正体は“城の主人”ということになっています。前述のサー・ガウェインの項で説明した緑の礼拝堂でのやりとりも、城の主人ということであれば納得の展開です。
本作では、その設定は明らかにされていません。ただ面白いのは、この城の住人の配役です。本作で城の主人を演じたジョエル・エドガートンは、アントワーン・フークア監督の『キング・アーサー』(2004)でガウェイン役を務めました。
また城の奥方を演じたアリシア・ヴィキャンデルは、本作でエセル役も務めています。ガウェインと深く関わるふたりの女性を同じ俳優が演じることで、より試練の難易度を上げようとする意図が感じられます。
また、城にいた謎の老婆も気になるところです。原作ではこの老婆の正体はモーガン・ル・フェイだったのですが、本作では息子を見守る母の仮の姿だったのかもしれません。
オープニング&エンドロール後映像の謎
オープニングが描く“ガウェインの出自”
怠惰なガウェインが寝ている娼館の窓から見えるオープニングの映像は、トロイの王子パリスとスパルタ王妃ヘレナの駆け落ちシーンです。
原作にも同じ記述があるのですが、これはトロイの血筋であるブルトゥスが建国したブリテンの物語であること、アーサー王の甥であるガウェインもまた同じ血統だというところからきているそうです。
エンドロール後の“少女と王冠”の意味は?
最後、バッドエンドのときに王妃とともに逃げて行った王女らしき女の子が、床から王冠を拾い上げてかぶる場面で映画は終わります。
これが現実の未来なのか、なにを暗示しているのかはわかりません。
もしかすると、現代において女性たちが声を上げ始めた有害な男性性、家父長制などへの批判から今回のようなガウェインのキャラクターが誕生し、彼の未来を示唆する意味でラストの少女が現れたのかもしれません。
まとめ
そもそも、“緑”とはなんだったのか?
緑とは“自然”、そして自然の力と深くつながる“魔法”のことであり、本作では“自然と文明の対立”を象徴するものとして描かれています。
それは同時に、“キリスト教と異教徒との対立”という図式も意味しています。アーサー王や円卓の騎士、そしてキャメロットの人々はキリスト教を信仰していますが、ガウェインの母は魔術を用いる異教徒であり、そのため酒場でガウェインは「魔女だ」などと揶揄されるのです。
ガウェインと“緑の騎士”の試練を巡る物語を描いた本作は、キリスト教の《文明》VS異教徒の《自然》の物語でもあるのです。
ちなみに2022年、55年の時を経て日本公開されたチェコ映画『マルケータ・ラザロヴァー』(1967)も、キリスト教徒の支配階級と異教徒との対立が描かれた大作でした。
『グリーン・ナイト』に登場する緑の騎士は苔むした木の皮のような容貌をしており、中世の教会などの装飾によくみられるグリーンマンを彷彿とさせます。
また“グリーンマン”といえば、本作と公開日の近いイギリス映画『MEN 同じ顔の男たち』(2022)にもそのような存在が登場しますね。
そして、盗賊の男が死体について語る際の「自然が片付けてくれる」や、城の奥方の「緑は最後に残る、熱意が冷め情熱や人が死ぬ時にあなたの足跡も草が埋め尽くす」というセリフには、「人間は緑=自然にはかなわない」という考えが込められています。
映画『グリーン・ナイト』は、気弱な若者が母親によって成長を促されるというパーソナルな物語を、中世の英雄譚に重ね、壮大なテーマをスタイリッシュに魅せる寓話的な美しい作品です。