人間の命はお金に換えられるのか?
映画『ワース 命の値段』は、アメリカ同時多発テロ被害者の補償金分配を束ねた弁護士ケネス(ケン)・ファインバーグの実話を映画化。
ファインバーグをマイケル・キートンが演じ、スタンリー・トゥッチ、エイミー・ライアンら実力派が脇を固めた2023年日本公開のヒューマンドラマを、ネタバレ有りでレビューします。
映画『ワース 命の値段』の作品情報
【日本公開】
2023年(アメリカ映画)
【原題】
Worth
【監督】
サラ・コランジェロ
【脚本】
マックス・ボレンスタイン
【製作】
マーク・バタン、アンソニー・カタガス、マイケル・シュガー、バード・ドロス、ショーン・ソーレンセン、マックス・ボレンスタイン、マイケル・キートン
【製作総指揮】
ニック・バウアー、ディーパック・ネイヤー、アラ・ケシシアン、アレン・リウ、キンバリー・フォックス、チャールズ・ミラー、エドワード・フィー
【編集】
ジュリア・ブロッシュ
【キャスト】
マイケル・キートン、スタンリー・トゥッチ、エイミー・ライアン、テイト・ドノバン、タリア・バルサム、ローラ・ベナンティ、マーク・マロン
【作品概要】
『ザ・フラッシュ』(2023)で約30年ぶりにバットマン役を演じる事が話題のマイケル・キートン製作・主演による、2019年製作の実録ドラマ。
2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロを受けた被害者の補償金分配を束ねた、弁護士ケン・ファインバーグの軌跡を描きます。
キートンがファインバーグを演じ、キートン主演の『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)のスタンリー・トゥッチ、やはりキートン主演の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014)のエイミー・ライアンらが顔を揃えます。
監督は、『キンダーガーテン・ティーチャー』(2018)でサンダンス映画祭監督賞を受賞したサラ・コランジェロです。
映画『ワース 命の値段』のあらすじとネタバレ
2001年、コロンビア大学にて法律学を教えるケン・ファインバーグは、自他ともに認める調停のプロとして活躍していました。
そんな中、9月11日にアメリカで同時多発テロが発生。同月22日に、アメリカ政府は被害者と遺族を救済するための補償基金プログラムを立ち上げます。
ファインバーグは司法長官ジョン・アシュクロフトから、プログラムを束ねる特別管理人の重職に任命され、無償でこのプロジェクトに取り組むことに。
早速ファインバーグは、自身の法律事務所の経営パートナーであるカミール・バイロスや、大卒後に世界貿易センタービル内にあった法律事務所カイル&マッカランに入社予定だった新人のプリヤ・クンディたちとともに、約7000人もの被害者と遺族たちに収入に応じた独自の計算式にのっとって、補償金額を算出。
7000人の対象者には補償金を受け取る代わりに、航空会社や空港、警備会社、または世界貿易センターといった非難対象となり得る組織への提訴の権利を放棄してもらいます。
ファインバーグは、プログラム申請の最終期限となる2003年12月22日までに、対象者のうち80%の賛同を得ることを目標に掲げます。
対象者との初の説明会に臨んだファインバーグ。しかしその事務的な説明ぶりに不満の声が続出し、「娘の命も金持ちの命も同じなのだから、全員同じ額にしろ」などと怒号が飛び交う事態に。
そこへ、遅れて参加してきたチャールズ・ウルフという男が、参加者をなだめてその場を収めます。
会が終わったファインバーグに、松葉づえをついたフランク・ドナートという男が近づきます。彼には消防士をしていたニックという弟がいて、事件当日に貿易センタービル内にいたフランクを救助しようとして、命を落としていました。
フランクは、飛行機が突っ込んだ後にビルが崩壊する危険があるという警告が発せられるも、ニックがビル内に救助に入っていったとして、コミュニケーションシステムの不備の可能性も考えられるのでプログラムの再調査をすべきだと主張。
しかし、それをしっかり聞くことなくバイロスに応対を任せてしまうファインバーグ。
賛同者も20%に満たないまま、ついにはファインバーグの提案に反対声明を掲げるブログまで立ち上がります。ブログ設立者は、あのチャールズ・ウルフでした。
説明会用に作った資料のミスを指摘したウルフに一目置いていたプリヤは、ファインバーグに彼と話し合うよう提言。しかしファインバーグは、一刻も早く基金を成立させることを念頭に考えるあまり、首を縦に振りません。
一方、プリヤらスタッフと共に対象者たちとの聞き込みを始めたバイロスは、そこでグラハム・モリスという男性と会います。友人男性をテロで失ったというグラハムは、彼とは同性愛のパートナー関係にあったと告白。
バイロスは、補償金は規則として彼の両親に与えられることになっており、彼らは息子が同性愛者と認めておらず、さらにグラハムが住むバージニア州の法律では、同性愛者は対象外になっていると知ります。
ファインバーグは、知人で弁護士のリー・クインから、賛同者がなかなか増えないことへのプレッシャーをかけられます。
テロ被害者の中でも高所得者層を担当していたリーは、賛同者が増えなければプログラムが失敗に終わって、その層たちによる集団訴訟に持ち込めると考えていたのです。
そんな折、フランクがニックの妻で義妹カレンを連れて事務所を訪れます。対応者がおらず、ファインバーグ自ら話を聞くことに。
カレンは補償金はいらないと前置きしつつ、テロ当日、夫が朝食も摂らずに呼び出しを受け、そのまま帰らぬ人となったことへの無念を訴えるのでした。
その頃、バイロスの助言でウルフ主催の対象者の会合に参加したプリヤは、テロで亡くなった彼の妻キャサリンは、プリヤが入社予定だったカイル&マッカランに勤めていたと知ります。
ウルフとの話し合いをすべきというプリヤの再度の提言を受け、ファインバーグは事務所に彼を招きます。ウルフは「人間誰もが同じ価値だ」とし、ブッシュ政権の利益のために働いているだけとファインバーグを非難します。
プログラム申請の最終期限が刻一刻と迫っていたある休日、愛犬を連れて散歩していたファインバーグに1本の電話が。発信者はニックと不倫関係にあったという女性の弁護を請け負う人物からでした。
弁護士によると、ニックはその女性との間に2人の娘をもうけており、その子たちも補償金を受け取る権利がある。しかしそれには本妻であるカレンの承諾が必要なため、ファインバーグにその説得を依頼したのです。
後日、カレンの家を訪ねたファインバーグでしたが、居合わせたフランクに追い返されます。その態度から、ファインバーグは彼が全てを把握していると直感するのでした。
映画『ワース 命の値段』の感想と評価
被害者補償のからくりと難題
2001年の911テロによって犠牲となった被害者と遺族を救済するために政府が立ち上げた、補償基金プログラム。これはテロ発生間もない9月22日に、「航空運輸安全およびシステム安定化法案」として時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ(子ブッシュ)の署名のもと作成された中の1つです。
このプログラムは、表向きこそ遺族や負傷者への救済ですが、真の目的は企業の救済だったと云われています。
アメリカは言わずと知れた訴訟大国。友人関係のもつれや夫婦喧嘩など、ちょっとしたいざこざでもすぐ裁判沙汰になるケースが多く、人身事故や事件は言わずもがなです。
911テロに当てはめると、被害者が訴えるべきは実行犯アルカーイダになるのでしょうが、当然それは不可能。そうなると、実行犯が乗っていた航空会社を「乗客の身元をよく調べなかった」とし、空港やセキュリティ会社を「警備が甘すぎた」とし、あるいは世界貿易センターを「あんな高いビルを建てたからテロリストに狙われた」として、訴訟の矛先を変える可能性が高くなります。
もし被害者や遺族が続々と企業を訴えて勝訴するようなことになれば、それこそアルカーイダの思惑どおりアメリカの経済が破綻する恐れがありました。
そこで公的に補償金を支払う代わりに、提訴する権利を放棄してもらうわけですが、犠牲者といっても境遇はさまざま。消防士や警官、アルバイトで生計を立てていた人もいれば、やり手の企業家や株式トレーダーといった高所得者もいました。
一律同額支給ではなく、年収や扶養家族の有無から金額を算出していくというこのプログラムが正しかったのか否かは、現在でも議論されています。
その影響からか、2013年のボストンマラソンでの爆破テロや2017年のニューヨークで起こったトラック突入テロの死傷者に補償金が支払われていないことからも、プログラムの難しさが垣間見えます。
ベテランになっても人は成長する
テロ被害者に支払う補償金額を決める責任者となったケン・ファインバーグ。人間に”価格”をつけるという、ある意味での嫌われ役を無報酬で引き受けた点で、彼に悪意がない人物なのは間違いないでしょう。
しかし彼は、元連邦検事にして1980年代の枯葉剤訴訟で自身が調停者となって和解を成立させるなどの輝かしい実績と経験に任せた算出法を推し進めて、対象者の個々の声に耳を傾けようとしない。そればかりか、メモ取りも出来なければ家族と夕食する際の伝達も秘書に任せるなど、自分では何もしない、何も出来ない人物であることが露わとなっていきます。
しかし、プログラム反対派のリーダーとなるチャールズ・ウルフの訴えや、部下であるカミール・バイロスやプリヤの助言により変わっていく――ただでさえ共感しづらい人物を、百戦錬磨のベテランになっても、さまざまな問題と向き合うことで成長するという構成にしたのは上手い作劇といえます。
余談ですが本作では、プログラムを失敗させて高所得者による集団訴訟を目論む弁護士のリー・クイン、それを黙視するしかない司法長官ジョン・アシュクロフト、そして何よりも当時の大統領だった子ブッシュといった共和党の人間を遠回しに揶揄しています(リー・クインのみ架空の人物)。
911テロ以降、子ブッシュを中心とする政府の対応が非難の嵐だったことを鑑みれば当然なのかもしれませんが、バラク・オバマ元大統領夫妻が設立した製作会社ハイヤー・グラウンド・プロダクションズが、本作の配給権をいち早く取得したのも納得できるというものです。
まとめ
補償基金プログラムの管理人を無報酬で引き受けた理由について、ファインバーグ本人は「愛国心から」とし、「プログラム事業を難しくしたのは、同時多発テロから数日しか経っておらず、悲しみも癒えていない人たちに向き合わなくてはならないことだった」と述懐しています。
ドラマチックに盛り上げる描写がないため、エモーションに欠けるという感想も目にする本作。
ですが、被害者側の証言をじっくり丹念に取り上げて、彼らの癒えぬ喪失感に手を差し伸べようとする製作者たちの意図は、ファインバーグと通底するものを感じます。
人間の命に価格はつけられるのか?と問われたら、否定する人は多いでしょう。しかし人間は、就労金や保険金など、何かしらの形で価格がつけられているのと同じなのかもしれません。