やむを得ず南極に置き去りにした15頭の樺太犬の生き様と観測隊員の葛藤を描くヒューマンドラマ
昭和33年(1958)、南極の昭和基地。昭和基地から宗谷へ第一次越冬隊員が引き上げることになり、第二次隊員に引き継がれるはずでしたが、悪天候により、越冬は断念することになります。
犬も引き上げるはずでしたが、重量制限などの問題もあり、引き上げは断念し、やむなく15匹の樺太犬は置き去りにすることになってしまいます。
映画『南極物語』の作品情報
【公開】
1983年(日本映画)
【英題】
The Antarctica
【監督】
蔵原惟繕
【脚本】
蔵原惟繕、野上龍雄、佐治乾、石堂淑朗
【撮影】
椎塚彰
【音楽】
バンゲリス
【キャスト】
高倉健、渡瀬恒彦、岡田英次、夏目雅子、荻野目慶子、日下武史、神山繁、山村聰、江藤潤、佐藤浩市、岸田森、大林丈史、金井進二、中丸新将、佐藤正文、坂田祥一郎、志賀圭二郎、内山森彦、川口啓史、市丸和代、スーザン・ネピア、チャールス・アダムス、浜森辰雄、大谷進、前島良行、佐山泰三、野口貴史、寺島達夫、大江徹、長谷川初範
【作品概要】
監督を務めた蔵原惟繕は、石原裕次郎主演の『俺は待ってるぜ』(1957)で監督デビューし、同じく石原裕次郎主演の『銀座の恋の物語』(1962)、『憎いあンちくしょう』(1962)を監督。日活黄金期から日活を代表する監督となりました。
さらに、『キタキツネ物語』(1978)が大ヒットし、『南極物語』(1983)では、59億円の大ヒットを記録し、『もののけ姫』(1997)に抜かれるまで邦画の興行収入歴代1位を記録しました。
主演を務めたのは、2024年で没後10年となる高倉健。『八甲田山』(1977)や『鉄道員』(1999)、『あなたへ』(2012)と数々の代表作を残しました。
映画『南極物語』のあらすじとネタバレ
昭和33(1957)年。海上保安庁観測船「宗谷」は、暴風圏を越え南極に向かっていました。第一次越冬隊が南極の昭和基地から引き上げ、第二次隊に引き継ぐためです。
その頃、昭和基地では予備観測を終え本観測へとボツンヌーテンまでの長期旅行が計画されていました。正確な位置、標高、地質を調査することが目的です。
しかし、雪乗車が動かず、調査旅行は犬ぞりで行われることになりました。選抜された15匹と共に調査旅行に向かった潮田、越智など隊員らは天候に苛まれ、なかなか前に進ことができません。犬たちの足はあかぎれで血が滲んでいます。
ホワイトアウトで雪目になり、重量制限で無線機も持っていけなかった調査隊は遭難寸前になってしまいます。そこで越智は「タロとジロを解放してみたら基地に帰るのではないか、2匹が帰ったらオザワ隊長が気づいてくれるかもしれない」と提案します。
そして2匹は本当に基地に帰り、気づいたオザワ隊長が救助車で向かい、調査隊は昭和基地に帰ってくることができました。
天候は悪化し、氷塊に阻まれ「宗谷」が動けなくなったと基地に連絡がきます。そこで各国に救助を要請したところアメリカのバートン・アイランド号が応援に駆けつけてくれることになります。
すぐに第二次隊がくると思っていた潮田と越智は犬が逃げ出さないように首輪をキツく締め直します。しかし、ブリザードによりヘリが飛ぶのが不可能と判断され、第二次隊を送り込むことを断念し、犬を引き上げることも諦めるという判断がおりました。
納得できずにいた潮田はもう一度飛んでほしいと頼み、薬の瓶を取り出します。置き去りにするなら自分の手で始末してあげたほうが犬のためだと判断したのです。しかし、燃料もなくこのままでは氷解に阻まれ引き返すことも困難になるという状況に、潮田はやむなく引き下がります。
映画『南極物語』の感想と評価
高倉健主演、実話をもとにした感動大作『南極物語』。1983年に公開された本作は、歴代邦画の興行収入1位を記録し、『もののけ姫』(1997)に抜かれるまで1位を保持する大ヒットとなりました。
撮影は『キタキツネ物語』(1978)の椎塚彰が担当し、『ブレードランナー』(1982)や、『炎のランナー』(1982)のバンゲリスが音楽をてがけ、今では考えられないほどのスケールの大きさで、映画の制作が行われました。何よりこだわったのは、リアルな映像です。
南極のほかカナダの北極圏で撮影を敢行し劇中のオーロラも実際に撮影されたものです。また、日本国内でも北海道から京都まで様々な場所で撮影されました。南極のロケで高倉健が2度も遭難しかけるなど過酷なロケになったといいます。
当時はまだ撮影方法に関して基準がきちんとあったわけではなく、過酷なロケも行われてきました、そのような現状を伝説として美化するのではなく、見つめ直す必要もあることを忘れてはいけません。
また、本作は実話をもとにしていますが、映画の大半を占める犬のサバイバルシーンはおおよそが創作といえます。
なぜなら、タロとジロの2匹が生存していたことは事実ですが、他の犬が鎖から自由になりどこへ行き、どのように命を落としたのかは分かっていないからです。
2匹の生存が確認された昭和33(1958)年から10年経って、昭和基地の近くで、犬の亡骸が見つかり、特徴からリキだと判明しました。
それにより、リキも生存していたが、7歳という年齢の問題もあり、途中で力尽きてしまったと考えられています。そのほか、鎖に繋がれたまま亡くなった犬なども確認できてはいますが、劇中のようにオーロラを見て錯乱したジャックや、アザラシによって海中に引き摺り込まれたアンコなどは創作です。
置き去りにされても懸命に生きようとした犬の姿を映し出すことで、犬の生きようとする本能、逞しさを観客に伝えようとしたのでしょう。
ダイナミックな映像、過酷な自然での生存本能は、確かに観客に訴えかけるものがありますが、一方でそこで生み出されるドラマは、創作された人間の希望的観測によるドラマであることを忘れてはいけません。
調査隊らは最初から置き去りにするつもりではなく、すぐに第二隊が来ると考えていました。第二隊に備えて鎖につなげ、首輪が抜けないようにキツく閉めましたが、潮田と越智はそのことを葛藤し続けていました。
劇中にも犬を置き去りにしたことを避難され、潮田は大学教授を辞職し、犬の飼い主たちに犬をプレゼントし、謝罪に回る場面があります。
リキの飼い主であった志村麻子と妹は、「そんなん渡されてもリキが帰ってくるわけじゃない」と犬を突き返します。
姉妹の言葉は潮田にも観客にも突き刺さります。しかし、考えてみれば潮田の行動は、誠意からしたこととはいえ、飼い主側からしたら自分本位で身勝手とも取れるのではないでしょうか。飼い犬を失った飼い主側からすれば、犬を代用品のように扱っていると思われかねません。
このようなシーンを入れることで、潮田の葛藤と後悔、懺悔の気持ちが伝わるとはいえ、肯定されるべき行為なのかは疑問も感じるところです。
犬と隊員らの絆を感じる前半から置き去りにしてしまったことを後悔し続ける隊員の姿、そして懸命に生きる犬の姿に感情が揺さぶられます。誰もが置き去りにするつもりも、見捨てたままで良いわけがないと考えていたと思います。どうか生き延びていますように、と願っていたことでしょう。
それぞれの事情もわかってはいるからこそ、「どうして見捨てたのですか なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか」と問いかける少女の瞳とキャッチコピーが突き刺さり、涙を誘います。
しかし、そのような感動がある一方で、見えなくなってしまった、美化されてしまった残酷な現実もあるのではないでしょうか。公開から40年経った今、改めて本作を多角的に見つめ直してみても良いかもしれません。
それでも置き去りにした後悔と、再会の感動は人々の心を揺さぶります。
その普遍的な感動がハリウッドでのリメイクや、ドラマ化など幾度に渡ってこの実話が映像化される所以といえるでしょう。
まとめ
やむを得ず15頭の樺太犬を南極の昭和基地に置き去りにしてしまった隊員の葛藤と犬のたくましさを描く映画『南極物語』。
そもそも日本が南極の調査に行くことが決定したのは、昭和30(1955)年のことです。サンフランシスコ平和条約によって日本が主権を回復してからわずか3年余りのことです。
当然、ノウハウがあるわけでも、国際的な支援があったとも言い難い中で、準備が進められた南極調査隊。映画に描かれている隊員たちは日本で初めての南極調査隊でもあったのです。
当然成果も求められる一方で、前例のない調査で手探りの部分もあったと思います。そんな隊員らを支えたのが樺太犬の存在だったのではないでしょうか。
また、初の南極調査隊に対するメディア、大衆の期待も大きかったでしょう。だからこそ、犬を置き去りにしたという事実にメディアはこぞって批判したのです。
劇中、樺太犬の飼い主らに謝罪に行く潮田の姿が描かれ、志村麻子と妹は激しく潮田を非難します。
しかし、その前に訪れたところでは「あなたのせいだなんて思っていない」と潮田に声をかける人もいました。
メディアは激情を煽っていたかもしれませんが、好きで樺太犬を置き去りにしたわけではないことを分かっている大衆もいたのでしょう。
潮田と越智、2人の葛藤が、最後の再会への感動へと繋がっていきます。高倉健、渡瀬恒彦の演技が深みを出しています。
また、突き刺すような眼差しをむけた志村麻子を荻野目慶子が演じました。さらに、葛藤する越知の背中を押す恋人役として登場する夏目雅子の演技も見逃せません。