すべてを失った青年が出会う水墨画の世界
古来に中国から日本に伝わり、室町時代に独自の進化を遂げた「日本水墨画」。
しかし、水墨画は日本の文化の歴史を紐解く重要な要素である一方で格式高いイメージもあり、縁のない人にとっては目にする機会すらも少ないものとも言えます。
今回はそんな水墨画の魅力と何かに己を捧げることで失った部分を埋めていく再生の物語を描いた映画『線は、僕を描く』(2022)を、ネタバレあらすじを含めご紹介させていただきます。
映画『線は、僕を描く』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【監督】
小泉徳宏
【脚本】
片岡翔、小泉徳宏
【キャスト】
横浜流星、清原果耶、細田佳央太、河合優実、矢島健一、夙川アトム、井上想良、富田靖子、江口洋介、三浦友和
【作品概要】
59回メフィスト賞を受賞し本屋大賞へのノミネートを果たした砥上裕將による同名小説を映画「ちはやふる」シリーズの監督として知られる小泉徳宏が映像化した作品。
ドラマ「あなたの番です」や映画『アキラとあきら』(2022)などに出演し高い人気を誇る横浜流星が主演を務め、連続テレビ小説「おかえりモネ」で主人公の永浦百音を演じた清原果耶が共演として参加しました。
映画『線は、僕を描く』のあらすじとネタバレ
大学1年生の青山霜介は「椿」が描かれた水墨画を見て涙を流します。
霜介は神社で行われる水墨画の展示会の搬入と設営のバイトに来ていましたが、誘ってきた親友の古前を始めとしたバイトが現れず1人で大量の仕事をこなしていました。
霜介は指示を行う西濱に「椿」の作者である「千瑛」のことを訪ねますが、主催である「湖山」による描絵のイベントが迫ると言葉を濁し、霜介に弁当を食べて帰るようにと言います。
スタッフ控え室で「バイト用」と書かれた弁当を手に取る霜介は不注意からケチャップを手につけてしまいます。
手を拭くものを探し戸惑っている霜介に老年の男性が純白のハンカチを差し出すと、霜介に「来賓用」の弁当を手渡しました。
男性は霜介に展示されている水墨画の感想を尋ねますが、そこに西濱が現れ人手不足で午後のイベントの手が足りないと男性に言います。
「来賓用」の弁当を食べた霜介は断ることも出来ず描絵イベントに参加しますが、先ほどの男性こそが文化勲章を受賞するほどの水墨画絵師「湖山」でした。
湖山はイベントを見に来た衆人の前で見事な水墨画を描きます。
司会にコメントを求められた湖山は手伝いをしていた霜介に歩み寄り「私の弟子にならないか」と言いました。
数日後、西濱の運転で湖山の家へと向かう霜介は、西濱から湖山会にとっての弟子は「家族」みたいなものであると聞くと逡巡してしまいます。
湖山の家に着いた霜介は汚れを落としきれなかったハンカチの代わりを渡すだけのつもりでしたが、弟子入りを断ろうとする霜介に湖山は「弟子ではなく生徒にしよう」と言うと早速霜介に水墨画を教えようとします。
複数の線のみで表現する「春蘭」を披露した湖山はその絵を手本に霜介に自由に「春蘭」を描かせると、出来上がった絵を見て「思った通りだ」と呟き、霜介の絵に文字を書き込み大量の紙を渡し部屋を去りました。
ひたすらに「春蘭」を練習した霜介は階下の部屋で湖山の孫娘であり同年代の水墨画絵師の「千瑛」と出会います。
湖山からの指導を懇願しても何も教えてもらえない千瑛は突然迎え入れられた霜介を気に入らず強くあたります。
数日後、千瑛が若手水墨画絵師として全国的に有名であることを知った霜介は、湖山と西濱、そして千瑛と霜介で日常的に食卓を囲んでいる場で千瑛に日本文化サークルでの講師を依頼。
少し考えた後に依頼を受け入れた千瑛はサークルで水墨画の入門講座を行うと、霜介の描く独特な感情を持った線に引き込まれました。
その日の夜、古前と学友の川岸によって開かれた打ち上げの場で千瑛のウーロンハイを間違って飲んでしまった下戸の霜介は酔い潰れ、3人に家へと運ばれます。
霜介の一人暮らしの家には足の踏み場がなくなるほどの数の「春蘭」の絵があり、千瑛はその中に湖山による「画賛」を見つけます。
余白に絵に対する感想を書き込む「画賛」は湖山が滅多に書き込むことはないくらい珍しいものでした。
帰り道、家族を失ってから自発的に行動を起こさなくなった霜介が唯一のめり込んでいることが水墨画だと話す古前は千瑛に霜介のことを託します。
月日が経ち、湖山は霜介の描く線が「霜介」としての線ではなく、自分や千瑛に似てきたことを指摘すると次の課題として「菊」を指定。
一方で千瑛は絵描きの目標の一つである「四季賞」を前年に逃してからスランプに入っていました。
湖山による展示会が開催され、霜介は湖山の門下生として「菊」を展示すると、絵を見た「四季賞」の審査員である翠山に線の持つ優しさと憂いを評価されますが、技術の低さと絵に「命」が無いことを批判されてしまいます。
展示会のメインイベントである湖山による描画の開始時間が過ぎますがその場に湖山が現れず、政治関係者も見に来ていることから中止にも出来ず関係者たちは千瑛に絵を描かせようとしますが、翠山が千瑛の絵には「命」が無いと批判。
霜介は翠山の言葉を否定しますが千瑛は翠山の言葉を受け入れてしまいます。
イベントの中止も検討され始めた頃、姿を消していた西濱が現れ衆人の前で描画を開始。
西濱は「湖峰」と呼ばれる湖山の一番弟子でもあり、その高い実力と「命」ある絵に圧倒されイベントは成功に終わりました。
西濱は霜介と千瑛を呼び出すと湖山が倒れたことを話し2人を病院に向かわせます。
映画『線は、僕を描く』の感想と評価
全く知らなくても楽しめる水墨画の世界
「青春」と言うジャンルにはスポーツや伝統芸能などがセットとなることが多く、その度に馴染みのない世界を「映画」を通して体験できます。
同名小説を映像化した『線は、僕を描く』では「水墨画」の世界がメインとして描かれており、墨を使って紙に絵を描くと言う行為の奥深さが映像表現からも映し出されていました。
筆の使い方によって全く変わる墨の色と線の形、出来上がる水墨画の高いクオリティは画が直接伝わる「映像化」ならではの良さがありました。
用語のひとつひとつにしっかりとした説明もあり、新たな世界への体験が誰にでも出来る優しい作品となっています。
染み込む墨が描く喪失と再生の物語
水墨画はデジタルでの描画はもちろん油絵と言った画法とも異なり、紙に墨を染み込ませることで表現していきます。
本作では水墨画での表現を人の精神面の描写にも落とし込んでおり、過去に多くのものを失った主人公の霜介は「真っ白な紙」として水墨画絵師の湖山に秘めた才能を発掘されます。
湖山によって真っ白な紙に線を描かれ新たな出会いを果たした霜介は、自身の中にぽっかりと空いた空白を水墨画によって埋めていくことになります。
一枚の紙に描いたたった一本の線で人生を描くことのできる「水墨画」によって、ひとりの青年の救われていく様子が心を打つ物語でした。
まとめ
主人公を演じた横浜流星と清原果耶は水墨画における「命」の描き方を模索しながら進んでいく若者たちの演技を熱演しており、「線」を描くようなふたりの演技が本作を彩っています。
一方で世界的な水墨画絵師の湖山を演じた三浦友和と兄弟子の西濱を演じた江口洋介の演技は、若者ふたりを発破し成長を見守る「紙」のような土台としての演技であり、本作の物語を深く温かみのあるものへと変えていました。
水墨画を通して人生と大事なものとのつながりを描いた『線は、僕を描く』は、青春や再生を描いた作品として多くの人にオススメしたい作品です。