ひょんなことから始まる自分のルーツを探す旅
映画『ソウルに帰る』では、自分の原点である韓国で自分の居場所を探し始めるフレディの25歳から33歳までを映し出します。
韓国で生まれ、養子としてフランスで育ったフレディ。台風で行くはずの東京に行けなくなったフレディは、ソウルに飛び立ちます。
そこで出会ったフランス語が堪能なテナと実の両親を探し始めます。
カンボジア系フランス人のダビ・シューが監督を務め、本作が演技初となるパク・ジミンが主演を務めました。
更に、2014年、26歳でフランスにわたり、『砂漠が街に入りこんだ日』で作家デビューしたグカ・ハンが、テナ役として出演。
映画『ソウルに帰る』の作品情報
【日本公開】
2023年(フランス、ドイツ、ベルギー、カンボジア、カタール合作映画)
【原題】
Return to Seoul
【監督、脚本】
ダビ・シュー
【キャスト】
パク・ジミン、オ・グァンロク、キム・ソニョン、グカ・ハン、ヨアン・ジマー、ルイ=ド・ドゥ・ランクザン
【作品概要】
カンボジア系フランス人のダビ・シュー監督の商業長編2作目となる本作は、監督の知人の話を元に制作されました。
主人公フレディを演じたのは、韓国で生まれ9歳の時に家族でフランスに移り住んだパク・ジミン。本作が初の演技ながら見事な演技を見せ映画祭で評価されました。
他のキャストは、『砂漠が街に入りこんだ日』で作家デビューしたグカ・ハン、『オールド・ボーイ』(2004)のオ・グァンロク、『三姉妹』(2020)のキム・ソニョンなど。
映画『ソウルに帰る』のあらすじとネタバレ
韓国で生まれ、養子としてフランスにわたり、フランスで生まれ育ったフレディ(パク・ジミン)。
25歳のフレディは、東京に行くはずでしたが台風の影響で欠航となり、韓国で休暇を過ごすことにします。
訪れたゲストハウスで、イヤホンをして音楽を聴いているフロント係のテナ(グカ・ハン)に、初対面なのに知り合いかのようなフランクさで何を聴いているのかと尋ねます。
テナは、親がフランス語教師だったこともあり、フランス語が堪能でした。意気投合したフレディとテナはテナの友人と食事をします。
食事の席でフレディが焼酎がなくなったのでつごうとすると、手酌はだめだとテナの友人に止められます。
どうしてかとフレディが尋ねると、手酌をすることは、おもてなしが不十分だという意味で侮辱にあたると説明。フレディは誰を侮辱していることになるのかと尋ねます。
テナとその友人に対しての侮辱だと説明すると、それなら構わないとでも言うように、フレディは手酌をします。フランス人という意識のあるフレディは韓国語どころか、韓国の文化も理解していないのです。
テナはフレディにハモンドという養子縁組センターの話をします。そこに行けばフレディの実の両親を探せるかもしれないと言いますが、フレディは実の両親に会う気はないと伝えます。
そしてフレディは初見演奏について話始めます。初見演奏では危険を察知する必要があると言って今からそれを見せるといい、居酒屋の別のテーブルの客に話しかけては一緒に飲むようにセッティングし始めます。
席についた韓国の人々はフレディの行動に驚きながらも見知らぬ相手と会話を始めます。フレディが自分はフランス人だというと、「典型的な韓国人の顔をしている」と言われ、フレディは複雑な表情を浮かべます。
明け方、目を覚ますとフレディは裸で飲み会の席にいた男性とベッドで寝ていました。記憶がないフレディは、私たち寝たの?と聞き、覚えていないのでもう一度しようと誘います。
その後フレディは、実の両親に会う気はないと言ったものの気になり、ハモンド養子縁組センターに向かいます。書類や番号がわからないと調べようもないとハモンドの職員に言われてしまいます。
しかし、たまたま持っていた写真の裏に番号があり、養子縁組の資料を見つけることができました。子供が実の両親と直接連絡取ることは禁止であるため、ハモンドが両親に連絡をとり、返事があればフレディに連絡すると言います。
すると父親から連絡が来たと言い、フレディは父親がいる群山にテナと向かうことになります。父親は再婚し2人の娘がいました。祖母はフレディにすまなかったと謝り、いつもどうしているのか心配していたと言います。
テナが通訳しますが、韓国語も分からず、韓国人らしい感情的な祖母や祖父を前に戸惑います。更に、英語ができる叔母が結婚しているのかなど聞き、家族に伝えると父親は「一緒に住まないか、いい韓国の男性を紹介する」と言います。
フレディは、自分はフランス人だから一緒に住むのは無理だと答えます。過剰に面倒を見ようとする父親と家族にフレディは困惑します。
フレディがソウルに帰った後も父親がメールをしつこく送り、酔って電話をしてきたりします。無視していますが、迷惑だと感じています。
フレディがソウルからフランスに帰る前、テナとフレディが関係をもった男性の3人でご飯を食べることになり、男性はフレディに帰ってほしくないと告白をしますが、フレディは全く相手にせず、フランスに恋人がいるからと話を遮ります。
フレディの男性を馬鹿にするような冷酷な態度をテナは不快に思い、会計をして帰ろうとします。フレディはテナに謝り頬にキスをしようとしますが、テナは顔を背けます。
『ソウルに帰る』の感想と評価
主人公・フレディは韓国で生まれてすぐに養子縁組をしてフランスに渡り、養父母のもとで育ちました。自身はフランス人だというフレディでしたが、自身のルーツである韓国で実の両親を探す旅を経て“自分は何者か”という問いにぶつかります。
フレディは自分の思うことをはっきりと言い、マウントともとれる言動をとることでその場を支配しようとし、他者がどう思うかまで気にしていない側面があります。
しかし、フレディが韓国で出会うテナや叔母は周りに気を遣い他人の顔色を気にしています。その対比がより印象的なのが、フレディの言葉をテナや叔母が通訳し韓国の家族に伝える場面です。
結婚しているのか、恋人はいるのかと叔母がフレディに問いかけた時フレディは「I’m single」ではなく、「I’m alone」と答えます。
あえて孤独を強調するかのような言葉に込められた自分の境遇に対する怒りや孤独、困惑している今の状況を、叔母は何となく察知して言葉を選んで家族に韓国語で伝えます。
忖度して言葉を選ぶ叔母とは対照的に父親は、フレディと過ごせなかった今までの日々を埋めるかのようにフレディの気持ちも考えずに同居しないかと言ったり、結婚相手を見つけてやるとまで言います。
そのような父親に対しフレディは露骨に嫌な顔をします。韓国語を読めないのに毎日メールを送ってきたり、酔って電話をすることに対しても迷惑だと思い、直接叔母を通して辞めるように言ってほしいと言います。
父親に対してもはっきり言い、フレディに思いを伝えた男性に対しても馬鹿にするような冷酷な態度のフレディにテナは「可哀想な人」と言います。年長者を敬うという風土の韓国の文化がフレディには分からないのです。
しかしそんなフレディも、初めて韓国に来てから年月が経ち、33歳になって久しぶりに父親と再会する際には、父親に気遣い、父親がオリジナルソングを披露した際にマキシムの発言に不快な気持ちを表しています。
ひょんなことから韓国に降り立ったフレディは、当初実の親を探そうとは考えていませんでした。そんなフレディが実の親を探そうとしたのは、彼女自身にも分かっていない何か求めているものがあったからではないでしょうか。
それは韓国とフランスで揺れ動く自身のアイデンティティ、両親の愛情、様々な言葉にできない感情であったり、居場所であったりするのかもしれません。誰しもが自分の追い求めているものを最初から分かっているわけではありません。
文化の違いもあり、フレディは実の父親と再会しても非常にドライな反応で、感動的な再会とは言い難い再会で、フレディ自身も戸惑いやわだかまりはどこかで抱えていました。
一方で母親はなかなか連絡がつかず、一度は再会を断られています。実の父のようにすぐに連絡がつき、再開できなかったからこそ母との再会に対してはフレディも強い思いがあったのかもしれません。
しかし、フレディと母は静かに抱き合うだけで、母親の顔もぼやけており実感のあるような、ないような再会を果たします。感動的な、理想的な再会は父親とも母親ともしていないどころか、フレディと心で通じ合うような関係性にもなっていません。
そのようなフレディと両親の再会と対照的なのが、フレディとテナの関係性でした。フレディはまるで以前から知っていたかのように初対面のテナに話しかけ、テナもすんなりと自分が聞いていたヘッドフォンをフレディに差し出しフレディはテナが聞いてきた曲を聞きます。
その後もテナはフレディに頼まれるでもなくフレディの両親探しに協力し、群山のフレディの父に会いに行った際にはテナの実家に泊まったりしています。
車の中でテナの膝枕で眠るフレディの場面があったりとフレディは出会った時からテナに対してはかなり心を開いているのです。
フレディが自分を慕う男性に対して酷い態度をとったことにテナが不快感を表すとフレディはテナの機嫌を取ろうとし、キスをしようともします。しかしテナは顔を背けフレディを「可哀想な人」だと言います。
それはその場を支配しようとしたり、人の好意を退けてしまうフレディの素直になれなさ、優しさを素直に受け入れられない姿に対して言ったのかもしれません。
一方で、フレディのテナに対する態度はクィアな要素もはらんでいるように感じます。フレディは異性と恋人関係になったり肉体関係を持ってはいますが、2年後のサプライズパーティでも同性の同僚に対しキスをしそうになる、互いの心の結びつきを感じさせるような場面があります。
フレディがクィアかどうかは劇中で明示されるわけではありませんが、フレディは同性と異性に対して態度の違う様子は明確に表現されています。
フレディにとって理想の関係性、距離感はヘナとの関係性に表れていたのかもしれません。そのことについて、フレディ役を演じたパク・ジミンはフレディはテナと出会った瞬間のように、母親と再会を果たしたかったのではないかと思いながら演じたと話しています。
フレディ自身も分かっていないかもしれない、フレディが追い求めているものの糸口となるようなものが、フレディとテナの関係性に表れているのではないでしょうか。
そのように本作は、国際養子縁組という社会的なテーマを題材にしながら、フレディがフランスと韓国の狭間で揺れ動き、自分の追い求めているものを探していく、揺れ動く一人の女性を描いた映画でもあるのです。
まとめ
監督を務めたカンボジア系フランス人のダビ・シューは、フランスで生まれフランスで育ち、主演を務めたパク・ジミンも家族でフランスに渡っているため、フレディのような境遇ではありません。
しかし、本作はダビ・シューの知人の体験をもとに製作されており、かなり実際の出来事が映画に反映されていると言います。そんな本作で印象的なのは、パク・ジミン演じるフレディのキャラクターでしょう。
フレディはその場を支配しようとしたり、息苦しさを感じた時は突如音楽に乗せて踊り出してしまうような一面があり、必ずしもいい人とは言えない人物です。
人を傷つけ、自分で自分が傷つくような言動もしてしまう、一方で嫌なことにはっきりNOと言える人物でもあります。多面的で複雑なフレディだからこそ観客は惹きつけられ、彼女の言動に揺さぶられるのです。
フレディはテナの友人らと飲んでいた飲み会の席で、突如知らない人にも話しかけ皆を巻き込んで飲もうとします。
その際、フレディは「典型的な韓国人の顔」だと言われます。フレディは特に何か反論することなく黙っていましたが、彼女の表情からは怒りは不快感が表れていました。
その言葉は何気なく言ったものではありますが、どっちつかず宙ぶらりんのフレディの状態を表しているとも取れる発言であり、同質のようで異質だとフレディを排除する言葉とも取れます。
所属する確固たるアイデンティティのない、自分とは何かという答えのない息苦しさをフレディは感じていたのかもしれません。しかし、フレディはそんな息苦しさも時に音楽に乗って踊ることで取っ払って自由になろうとする大胆さを持っています。
父親はフレディを韓国人と思い、韓国人であることを押し付けます。そのことにフレディは反発し続けます。型にハマることに対しどこまでも反発しながらも、どこかで心のつながりも求めてしまう、矛盾を抱えた生身の人間らしさをフレディは体現しているのです。
型にハマろうとしない、ニューヒロインとしてのフレディのエネルギッシュな魅力は、どこか『エマ 愛の罠』(2020)に通じるところもあるかもしれません。