北ドイツの農場を舞台に、それぞれ異なる時代を生きる4人の少女を描いた映像叙事詩
映画『落下音』は、4人の少女たちの生きざまを描いた作品です。
1910年代、アルマは同じ村で、自分と同じ名を持つ幼くして死んだ少女の気配に気づきます。1980年代、アンゲリカは常に肌にまとわりつく“何か”の視線に怯えていました。
北ドイツの農場、四つの時代、四人の少女。百年にわたる怪奇譚。少女たちが見つめる視線の先にあるものとは……。
長編2作目にして、第78回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したドイツの新鋭マーシャ・シリンスキ監督。また、第98回アカデミー賞ドイツ代表にも選出されました。
1910年代のアルマ、40年代のエリカ、80年代のアンゲリカ、そして現代のレンカ。
記憶の断片が時空を超えパッチワークのように編み込まれた独特の映像は、映画祭の“ダークホース”として注目を集める存在となりました。
映画『落下音』の作品情報

(C)Fabian Gamper – Studio Zentral
【日本公開】
2026年(ドイツ映画)
【原題】
In die Sonne schauen
【監督】
マーシャ・シリンスキ
【脚本】
マーシャ・シリンスキ、ルイーズ・ピーター
【製作】
マーレン・シュミット、ルーカス・シュミット
【音楽】
ミヒャエル・フィードラー、アイケ・ホーゼンフェルト
【キャスト】
ハンナ・ヘクト、レア・ドリンダ、レーナ・ウルゼンドフスキー、レニ・ガイゼラー、スザンネ・ベスト、ルイーゼ・ハイヤー、クラウディア・ガイスラー=バーディング、リュカ・プリゾ
【作品概要】
ドイツの新鋭監督マーシャ・シリンスキ。初長編作となった『DIE TOCHTER(DARK BLUE GIRL)』は、2017年のベルリン国際映画祭でプレミア上映され、GWFF新人賞のノミネートのほか、世界の40以上の映画祭で上映されました。
2作目となる『落下音』は、第78回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞し、第98回アカデミー賞ドイツ代表にも選出されました。
映画『落下音』のあらすじとネタバレ

(C)Fabian Gamper – Studio Zentral
1910年代、北ドイツの農場。
アルマは葬式の儀式で、自分と同じアルマという名前を持つ少女が幼くして亡くなったことを知ります。アルマは家に息づく“何者か”の気配を感じながら、家族の皆を見つめていました。
農場主であるアルマの父の家には女中が仕え、夜騒ぎながら男性に性的な眼差しや男性の性の処理を“女性の務め”として求められていました。
その様子をアルマの姉・リアはじっと見ています。
両親は、息子のフィリップを兵役に取られないよう突き落とし、フリッツは片足を失います。片足を失ってもなお幻影痛に悩まされ、夜毎叫び声を上げるフリッツ。
そのフリッツを献身的に面倒をみていたのが、女中のトゥルーディでした。
1940年代、第二次世界大戦下、ドイツの敗戦が近づく農場で暮らすエリカは片足のない伯父のフリッツに異常な関心と欲求を抱いていました。
終戦後、エリカは妹のイルムと共に川に入り、入水自殺を試みますが……。
映画『落下音』の感想と評価

(C)Fabian Gamper – Studio Zentral
1910年代のアルマ、1940年代のエリカ、1980年代のアンゲリカ、2020年代のレンカ。100年の時を経て響き合う彼女たちの視線の先にあるものとは。
北ドイツの農場を舞台にした本作で印象的なのは、ハエの存在です。死体にたかるハエの存在は少女が抱く希死念慮や、屋敷に漂う死の香りとも結びついているのではないでしょうか。
ハエに象徴されるような少女たちにまとわりつく不安や視線、息苦しさ、死の香りは、現代を生きる私たちが感じ取っているものとも共鳴していると言えます。
同時に、本作が描いているのはそれぞれの時代のドイツの空気感です。
1910年代、第一次世界大戦が近づくなかで、兵役から逃れるためフィリッツは、両親によって片足を失います。
そんなフィリッツを献身的に面倒を見た女中のトゥルーディ。トゥルーディは、女中として農場に来てすぐに、いない時期があったといいます。
明確には語られていませんが、中絶か不妊治療をしたのではないでしょうか。
子どもができない体であることから、男性に重宝される女中など、その当時の女中をはじめとした女性が男性の性の処理をすることが当然の務めとされていたことがうかがえます。
そのような使用人の姿を見つめていたリア。彼女もまたトゥルーディのように不妊治療か何かをされ、使用人として働くことになります。
その背景には不作が影響し、経済的な理由が関係しているのでしょう。父親に言われるまま、リアに反対するという選択肢はありません。選択肢のないリアは、死をもって自身を解放しました。
1940年代になると、農場から使用人が姿を消し、エリカは豚をしまうようにと怒鳴られ、遅れたことで平手打ちされています。
第二次世界大戦終戦後、エリカたちは川に入っていきます。それは、ドイツが敗戦し、信仰してきたソ連軍から身を守るための選択でした。
戦後の混乱のなか、性暴力の被害に遭う女性は数多くいました。また、東欧の国々は第二次世界大戦の最中ドイツの侵攻、その後にはソ連に侵攻され翻弄されてきました。
エリカの妹であり、アンゲリカの母であるイルムは共に川に入って死のうとしましたが、死にきれず、心を半分置き去りにしたまま生きてきたような女性です。
その娘であるアンゲリカは、自身に向けられる性的な視線を敏感に感じ取っていました。アンゲリカが生きる1980年代の東ドイツでは経済不況などから西ドイツへ多くの人が逃れました。
西への憧憬、抑圧に対する反発。1989年のベルリンの壁崩壊へと時代のうねりはドイツ北部の農場にも迫りつつあったのではないでしょうか。
息苦しさから逃れるため、農場を抜け出し川を渡ったアンゲリカ。その川はかつて自分と母とその姉が入水自殺をした川でした。
死を持って自身を解放するしか術がなかった時代とは違い、アンゲリカは川を渡って、自由へと飛び出しました。しかし、時代が変わっても、違う場所に行っても逃れられないものがあることを現代パートで映し出していると言えます。
言葉にできない不安や性的な視線を感じているレンカは、引っ越した先で出会った母を亡くしたばかりのカヤが自由に見え、羨望の眼差しを向けます。
それぞれの時代を通して描かれているのは様々な言葉にできない不安や希死念慮、息苦しさ、自身が眼差しを向けられる客体であるということです。
しかし、本作において彼女たちは眼差しを向けられると共に、じっと眼差しをこちらに向けています。
観客に向けられる彼女たちの眼差しは、私たちの無自覚な視線を意識させるかのようなどこか居心地の悪さも感じるのではないでしょうか。
まとめ

(C)Fabian Gamper – Studio Zentral
北ドイツの農場を舞台に、それぞれ異なる時代を生きる4人の少女を描いた映像叙事詩『落下音』。
先述したハエだけでなく、本作で重要な意味を持つのが、4人の少女が暮らす“家”ではないでしょうか。
家は、抑圧された女性を閉じ込める檻であると共に、世代を超えて受け継がれるものを記憶する装置でもあります。また、1910年代のアルマは、家を見つめそこに死の香りや亡くなった自分と似ているというもう一人のアルマの存在を感じ取っています。
劇中で亡くなったのはアルマではなく、姉のリアでしたが、アルマは不意に死の香りに誘われ、死に近いところで浮遊していた様子が感じ取れます。
同じように死に近いところにいたのが、現代パートのレンカの妹・ネリーでしょう。ネリーが何を見つめ、何に誘われたのか……。小屋のロフトに上がったネリーはそのまま落下します。
ネリーが落下した小屋では、かつてフィリッツが両親によって片足を奪われ、アンゲリカが友人らとお酒を飲みながら話した……様々な出来事をただ黙って見つめ、記憶し続けた建物たち。
建物に宿る人々の息吹は時空を超えて建物そのものの息吹になるのかもしれません。その息吹を感じ取る人は感じ取り、時に誘われていくのです。



































