BLではない男ふたりのタイ映画『プアン/友だちと呼ばせて』
ニューヨークでバーを営む青年にかかってくるかつての親友からの電話。余命宣告を受け、頼みがあるのでタイに戻ってきてほしいという親友の真意とは……?
青空をバックに年代物のBMWに腰かけるふたりの男性。アイキャッチの写真は最近おなじみとなったタイ産BL映画を想起させますが、本作の内容は全くちがっていました。
1981年生まれのバズ・プーンピリヤ監督、前作は中国で実際に起きた集団不正入試事件をモチーフにした『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(2017)。(表記はナタウット・プーンピリヤ)
アジア各国でタイ映画として歴代No.1ヒットを記録したこの映画を気に入ったウォン・カーウァイからのオファーで、この作品は作られました。
CONTENTS
映画『プアン/友だちと呼ばせて』の作品情報
【日本公開】
2022年(タイ映画)
【原題】
One for the Road
【監督】
バズ・プーンピリヤ
【製作総指揮】
ウォン・カーウァイ
【キャスト】
トー・タナポップ、アイス・ナッタラット、プローイ・ホーワン、オークベープ・チュティモン、ヌン・シラパン、ラター・ポーガーム、タネート・ワラークンヌクロ、ヴィオーレット・ウォーティアほか
【作品概要】
製作総指揮をつとめるウォン・カーウァイと企画を進めるうち、よりカーウァイに近いパーソナルな物語へとシフトしていったというプーンピリヤ監督。先行上映に登壇した席でも、この物語は自身の過去を反映させていますと語っています。
ニューヨークからタイへ戻ってきた青年・ボス。バンコク、コラート、サムットソンクラーム、チェンマイ、ナコンサワン、そしてパタヤ…。親友ウードの頼みで元カノをたずねる旅を終え、たどり着いた自身の実家のあるパタヤの地で、この映画の新たなストーリーが始まります。
映画『プアン/友だちと呼ばせて』のあらすじとネタバレ
白血病で余命宣告を受けたウードは、スマホのアドレス帳から次々と知り合いを削除しています。いま残っているのはアリス、ボス、ダディ。
ニューヨークでバーテンダーをしているボスは、女性に甘くすぐおごってしまいます。閉店後、客といい雰囲気になったところへかつての親友ウードから電話がかかってきました。彼は余命いくばくもなく、頼みたいことがあるのでタイに戻ってきてほしいとボスに言います。
バンコクにやってきたボスは、ウードのやつれ具合に驚きながらも運転手として、ウードの元カノ、アリスに会いに行く旅に同行することを渋々承知します。
以前ニューヨークのペントハウスでボスと住んでいたウードは、ダンス教室を開きたいというアリスと帰国してしまいボスとはそれっきりでした。
病気のことは知られたくないというウードの代わりに、ボスがコラートにあるダンス教室を訪れますが、アリスはウードに会うことを嫌がっています。
ようやくボスの説得で待ち合わせ場所にやってきたアリス。ウィッグをつけキャップをかぶったウードは嬉しそうに彼女を迎えます。
ポツポツと話すうちに思いのあふれてきたアリスは、ウードと別れたあとすぐにケガでダンスのパートナーの男性に逃げられ、辛い思いをしたようでした。
ダンスホールにもなっているその店で、アリスは彼女の生徒たちとともに踊ります。パートナーはもちろんウード。離れて見ていたボスも若い女性に誘われますが、踊る相手は彼女の母親でした。
目的を果たし車に乗り込むとウードはアドレス帳からアリスを削除し、次はヌーナーに会いに行くと言います。驚くボスに「元カノがひとりとは言ってない」と開き直るウード。
そして、自分の父が亡くなったとき葬式に行けなくて後悔したこと、死ぬ前にきちんとお別れを言いたいとウードは話し、車に積んだDJだった父の番組を録音したカセットテープをかけるのでした。
サムットソンクラームの教会前、ウエディングドレス姿で撮影中のヌーナーは女優です。しかしその演技はお世辞にもうまいとはいえずNG、とても近寄れそうにありません。
機転を利かせたボスがバイクに乗った野次馬を買収し暴走させ撮影はストップ。ヌーナーは休憩のためひとりで教会に入ります。
しかし声をかけてきたウードに嫌悪感丸出しのヌーナー。いまは改名してヌナーですが、それをほめても彼女の態度は変わりません。小さなレプリカのオスカー像を渡すとその怒りは頂点に達し、ウードに平手打ちを食らわせて彼女は出ていきます。
ニューヨーク時代、女優になる夢をウードとボスに邪魔されたと恨んでいるヌーナーはそのころのことを思い出していました。
そしてすぐに撮影したいと申し出ます。まるで自分の過去を語るようなそのセリフは、いまの彼女の怒りとシンクロし迫真のものに。両手に拳銃を持って相手役を撃つそのシーンで、見学していたウードは胸を撃ち抜かれます。
ヌーナーは演技を絶賛され、それを見届けたウードとボスはそこを立ち去ります。撃たれたのは妄想でした。
その夜、立ち寄った酒場で調子に乗って強い酒をあおったふたりは、酔っ払った挙げ句トイレで吐いています。ボスに続いてウードが顔を突っ込むと、便器にあったのは血でした。
酒場の店員に協力してもらい病院に担ぎ込まれたウード。数日間は安静が必要とのことでしたが、翌朝ウードはルンと今日会う予定があるといって出てきてしまいます。
そのやつれように心配するボスでしたがウードの決意は固く、代わりにきちんと化学療法を受けることを約束させてチェンマイに向かいます。
ルンはニューヨーク時代、カメラマンの卵でよくウードの写真を撮ってくれました。いまは結婚して子どももいます。ケンカ中の夫は留守のようで、可愛らしい娘ローラは好奇心タップリにふたりを迎えてくれます。
しかしボス、ウード、ルン、ローラ、この4人で過ごした楽しい時間は妄想でした。雨の中はるばる遠いチェンマイまでやってきたのに、ルンは急にシンガポールに出かける用事ができてしまい留守だと言います。
しかし、電話から聞こえた雷鳴でルンが家にいると気づいたボスは家屋に近づきます。
確かにルンはそこにいました。しかしいまさらウードに会いたくない自分の気持ちも考えてほしいと彼女は訴え、出てくることはありませんでした。
その帰り、ウードは亡き父の墓に立寄ります。そして、ここに置いとくわけにはいかない、とその遺灰を持ち出します。
チャオプラヤー川にかかる橋の上からそれを撒くと、彼らの車を追い越していった車の運転席から亡き父が手を上げる姿が見えました。
その後、ボスは自分の家族にウードを会わせるためパタヤに向かいます。彼の実家はそこで大きなホテルを経営していました。
コンドミニアムの最上階にある自宅に向かうとウードは会うのをためらい、待っているといいます。
ボスが部屋に入るとそこにはボスより年上の義兄の息子がおり、両親はヨーロッパに行っていて留守だと言います。
そして、ニューヨークのバーが赤字続きなのに、1ヶ月も休業するなんていいご身分だと嫌味を言い、3ヶ月で黒字にしなければ自分が管理すると宣告します。
その話を廊下で聞いていたウード。ふたりは酒を飲もうと部屋に行き、ボスがウードのためにカクテルをつくります。それは「アリス・ダンス」「ヌーナーの涙」そして「雨上がりの虹(ルン)」という三種のカクテルでした。
どれがいちばんおいしい?とたずねるボスに、それには答えず別の話を始めようとするウード。それはボスの元恋人プリムのことでした。
映画『プアン/友だちと呼ばせて』の感想と評価
こんな切り口があったのか!と驚かされる映画です。
余命宣告、死ぬまでにやりたいリスト、かつての恋人との思い出、ロードムービー、ちょっとレトロなDJ、オシャレなカクテル…
この映画の要素を挙げるとこんな感じです。文字にするとよくある陳腐な内容に見えますが、これがバズ・プーンピリヤ監督の手にかかると斬新でスタイリッシュな作品になってしまうのだから不思議です。
現在と過去、現実と妄想が交錯する展開
元カノをたずねる旅ということで、それぞれの彼女との思い出と現在が交互に展開されます。
幸せだった過去、若かった過去と、突然現れた昔の恋人に困惑する元カノたちの姿との対比はわかりやすく残酷で、さらに日に日に弱っていくウードの姿がその残酷さに拍車をかけます。
またエピソード中には妄想のようなシーンもはさみこまれ、現在・過去・妄想が入り乱れる構成に脳内がシェイクされるような感覚に陥ります。
“カセットテープ”が表す過去
本作の重要なモチーフに“カセットテープ”があります。
余命宣告を受けたウードの心の拠り所となっている亡き父がDJをつとめるラジオ番組のバックナンバー。そのたくさんのカセットテープとともに物語は進みます。
若い世代にはちょっとつまらない父の番組。さらにそれを過去のものとしているカセットテープ。カセットテープは「過去」の象徴としてそこに存在します。
また元カノひとりひとりの名前が書かれたカセットテープは、場面転換の役割も果たしています。
すっかり忘れてしまいましたが、かつて私たちはA面とB面を引っくり返すという作業をしていました。
存在そのものがノスタルジーを感じさせるカセットテープ。そのテープの交換によって物語はテンポよく展開していきます。
魅力的な出演者たち
まず、ウード役アイス・ナッタラットの演じ分けが見事です。徐々に弱っていく白血病患者としての姿もそうですが、過去のニューヨークにいたころの表現も複雑に様々な受け取られ方を可能にする素晴らしい演技でした。
死期の迫る役で観客の同情を一身に集めながらそれを裏切る過去を説得力あるものにする、その“いい人”と“クズ男”の絶妙なさじ加減がこの映画の肝となっています。
キャスティングも彼が真っ先に決まったというのも納得です。
対するボス役はナッタラットと正反対の人物が求められました。怖いもの知らずでチャラいけどチャーミングで女を虜にする男。
最初はあまりいいイメージではありませんでしたが、物語の後半、映画の主役は彼になります。トー・タナポップの魅力でこの映画の仕掛けが成功したといっても過言ではないでしょう。
また、難航したという女優陣のキャスティングもそれぞれにハマっていて、特にヌーナーを演じ『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(2017)にも出演していたオークベープ・チュティモンは映画前半の盛り上がりを担っています。
そして重要な役どころであるプリム役ヴィオーレット・ウォーティアはひと際美しく描かれ、全編を通して頻出するそのイメージは映画後半のたたみかけるようなクライマックスを任せるにふさわしい存在となっています。
まとめ
原題「One for the Road」とは「帰る前にもう一杯飲もう」という軽い感じの誘い言葉です。
そして映画の後半、ウードがプリムについてボスに語るシーンでかかるのが『One for my baby (and one more for the Road)』というフランク・シナトラの曲。
この歌詞の内容が、この後半部分の内容をそのまま表しています。“ここではないどこか”を目指した若者たち。
それぞれ渡米の理由は異なりますが、彼らのニューヨークでの生活を思い起こすとそこには格差という現実がありました。
パタヤで富裕層のボスと労働者階級のプリム。「この街(パタヤ)が嫌い」でも「一生の恋に出会えた」から…と微笑むプリムのセリフが切ないです。
そして現実とも夢ともつかぬエンディングへ。最終的なハッピーエンドに救われます。
若き日の出来事は登場人物たちの心に傷を残し、その上で彼らはその先を生きていきます。
この映画は私たちに若き日のほろ苦い出来事を思い起こさせ、それを乗り越えていく勇気と切なさを与えてくれる刺激的な一杯のカクテルのようです。