紀元67年、皇帝ネロがキリスト教徒たちを迫害していたローマ時代。
ローマの街の放火の首謀者として捕まり、獄中から非暴力の愛を叫び続けた使徒パウロのことを、同じ牢の中で寄り添い、彼の言葉を民衆に伝えるために書き記し続けた医者ルカが語る、魂を揺さぶる真実の歴史大作『パウロ〜愛と赦しの物語〜』。
あの『パッション』(2004)のキリスト役で注目を浴びたジム・カヴィーゼルが、再び聖書の世界に挑みました!
CONTENTS
映画『パウロ〜愛と赦しの物語〜』作品情報
【公開】
2018年(アメリカ映画)
【原題】
Paul,Apostle of Christ
【脚本・監督】
アンドリュー・ハイアット
【キャスト】
ジム・カヴィーゼル、ジェームズ・フォークナー、オリヴィエ・マルティネス、ジョアンヌ・ウォーリー、ジョン・リンチ
【作品概要】
イエス・キリストの最期の日を描いたメル・ギブソン監督の『パッション』(2004)でイエス役を演じたジム・カヴィーゼルがルカを、人気テレビシリーズ「ダウントン・アビー」(2014)でシンダビー卿を演じたシェイクスピア俳優ジェームズ・フォークナーがパウロを熱演しています。
監督は新鋭のアンドリュー・ハイアット、物語を彩る荘厳な音楽はジョニー・デップ主演の『ネバーランド』(2004)でアカデミー賞作曲賞を受賞したヤン・A・P・カチュマレクが手掛けています。
映画『パウロ〜愛と赦しの物語〜』のあらすじとネタバレ
紀元67年、ローマの街を大火事が襲いました。
皇帝ネロはキリスト教徒による放火とみなし、キリスト教徒をことごとく捕らえては虐殺、公然と迫害をします。
首謀者としてパウロが投獄され、死刑が言い渡されます。
ある日鞭打ちをされて牢獄で横たわるパウロの下に、仲間である医者ルカが訪ねます。
ルカはパウロが投獄される前、彼と共に現在のトルコやギリシャにイエスの弟子たちが語っていた内容を伝え歩き、キリスト教徒を励まし、多くの人々をキリスト教へと導きました。
牢獄からの帰り道のあちこちで叫び声が聞こえ、捕えられたキリスト教徒が街灯として生きたまま燃やされ、焦げた遺体が見える中、ルカは逃げるように帰ります。
帰った所は、キリスト教徒が隠れて生きるコミュニティ。
そのコミュニティをまとめているのがアキラとプロスカ夫婦でした。
そのコミュニティでは、病気や飢餓、孤児などをそれぞれ助け合いながら祈りを捧げ、慎ましく暮らしていました。
ある日、一人の女性が血みどろになってコミュニティに運ばれてきます。
「これは私の血じゃないの、赤ちゃんと夫を殺された血なの…」と泣き崩れる女性。
コミュニティの中は、誰もが絶望しています。
若者の一人が今こそ立ち上がるべきだと声を上げますが、アキラは暴力に対して暴力で向かうのは信仰ではないと諭します。
再びパウロの牢獄へ向かうルカ。
「あなたの言葉を全て綴り、広めたい」というルカの言葉にパウロは励まされ、「テモテへの手紙」を完成させます。
ルカがコミュニティに持って帰ると、アキラとプロスカが中心となってその手紙を書き写し、ローマの困窮している人々のために流布します。
しかし「使徒の働き」の執筆に向かうパウロとルカの前に、獄舎の長官マウリティウスが現れ、キリスト教徒し扇動し暴動を企てているのではないかという嫌疑を掛けられます。
マウリティウスは、パウロの言葉にだんだんと惹かれていき、ローマの古代神を信じる自分と葛藤し始めます。
彼の妻は「あなたがギリシア人の牢獄者に近寄り、ローマの神に背いたから、娘の病気が治らないのよ!」とマウリティウスを責め立てます。
何人もローマ人の医者がやってきては、マウリティウスの娘の病気に首を振る毎日でした。
ルカがある晩パウロの牢獄に「今、路上でキリスト教徒を街頭にして火炙りにする姿を見た。何も出来ず通り過ぎてここに来た。私たちはこれでいいのか…」と泣き崩れながら、血相を変えて入ってきました。
「悪に対して、悪で争ってはならん」とパウロは自分を語り始めます。
パウロは裕福なユダヤ人家庭に生まれ高度な教育を受け、ギリシア文化に触れ都会で育ち、ローマ市民権を持った熱心なユダヤ教徒のエリートでした。
ユダヤ教指導者たちは「イエスこそ旧約聖書から予言されていた救世主」という信仰を持つキリスト教徒の迫害を強めていきました。
その迫害の中核として頭角を現したのが、若きパウロでした。
ある日ユダヤ教徒たちがステバノというキリスト教指導者を石打ちで殺害する事件が起こりました。
このステバノ殺害を扇動した人物こそ自分だと、パウロはルカに話します。
逃げ惑う男女を見境なく殺害するパウロ、そして幼き子どもが走る背後にパウロが追いかける姿。
パウロが地方に逃げたキリスト教徒を捕らえるために、ダマスコという町に向かったある日、天から光が差しパウロは地面に倒れました。
「なぜわたしを迫害するのかという声を聞いた」とパウロは話を続けます。
その声は、十字架上で死んだはずのイエス・キリストその人。
立ち上がったパウロは目が見えなくなっていて、イエスの声に導かれ、ダマスコに住むキリスト教徒の元に着きました。
キリスト教徒の祈りによって、パウロの目が見えるようになります。
イエスが自分に示した「愛と赦し」を土台に、徹底した非暴力でイエス・キリストこそ救い主であることを生涯かけて伝える者になったと語るパウロ。そばでルカが書き記しています。
一方コミュニティではますます迫害の恐怖が差し迫り、今やアキラの言葉も届かない者も現れてきました。
「パウロにどうしたらいいか聞きに行こう」とアキラが声をかけると、幼い男の子がパウロの訪れ役を買って出ます。
マウリティウスはルカの記す書物を取り上げ、キリスト教徒を扇動する記述があればルカも処刑となり、自分の身も危うくなると二人に話しながら牢獄を後にします。
ある日、「あの物語は売っているのか」と聞くマウリティウスにパウロは、「無料で受け取ったから、無料で与えた」と答えます。
さらに弱さの中に力が生まれると語ったパウロに、マウリティウスは真剣な眼差しを送ります。
毎晩のように夢を見てはうなされるパウロ。
逃げ惑う人々の姿と幼い子を殺しにいく自分の姿、そして無言で見つめる虚しい人々の表情…。
ある日コミュニティに、パウロに話を聞きに行ってくれた子どもが血まみれで運ばれてきます。
子どもの息絶えた姿に、若者たちのリーダーであるカシウスが「闘って、パウロを助けに行く!」と叫びますが、「キリストの教えを忘れるな」と止めるアキラ。
さらにルカが「パウロが獄中で石や鞭、何度打たれてきたか」と愛をもって闘うことを話します。
しかしとうとうカシウスたちは、パウロとルカを助けに牢獄に向かいました。
映画『パウロ〜愛と赦しの物語〜』の感想と評価
ベテラン俳優ジェームス・フォークナーの説得力
最初この映画を観る前に、タイトル『パウロ〜愛と赦しの物語〜』を目にすると、大なり小なりハードルがあるように感じるかもしれません。
ところが映画が始まった瞬間、パウロという一人の人間が処刑の宣告を受ける冒頭に心が鷲掴みにされます。
本作は、登場人物の人生から、イエス・キリストを筆頭にキリスト教の教義や信仰、その歴史や当時のローマやギリシアの背景というものすべてが明らかにしていきます。
そして見どころは、登場人物の一人一人を真摯に、乗り移ったように演じる俳優たちでしょう。
なんと言っても処刑が行われるまでの日々を獄中で過ごすというパウロ演じるベテラン俳優ジェームズ・フォークナー。
彼の演じるパウロは、元はと言えば真逆の“キリスト教徒を迫害する中心的人物”で、劇中でも自ら手を下し殺害した人々が迫ってくる悪夢で度々うなされています。
あの悪夢の繰り返しがこの映画のテーマを示唆する大切なシーンであり、汗だくで苦悩に満ちたパウロの表情が脳裏に焼き付きます。
その苦悩をルカに話しながら、自分が最後にできることを拷問を受けながらも伝え続ける不動の姿。これ以上宗教や民族、信条を超え、心を打つものはないでしょう。
自分の罪が赦され、それを愛でもって与えるという教えが、声無きジェームズの表情一つで相手に、そしてスクリーンを超えてゆっくりと観客に伝わってきます。
物語を支える実力派俳優たち
そしてコミュニティを支えるアキラとプリスカ夫婦。
アキラ扮するジョン・リンチ。貧しさと迫害に苦しむ人々を穏やかに見守る中、ローマに留まるべきか迫害の内地へ逃げるべきかを悶々と一人悩み続けている演技に魅了されます。
プリスカに扮するのは、慈愛に溢れながら迫害下のローマで命を懸けて、みんなを守ろうとする凛とした強さを感じさせるジョアンヌ・ウォーリー。
そして獄舎のローマ軍長官マウリティウス役のオリヴィエ・マルティネス。登場からすでに、悪役になり切れない悪役感を醸し出していて、この人物も悩める人だと伝わってきます。
ローマの神を信じると言い放つも心の中に疑いが生まれ、悶々と苦しみながら娘のために祈る痛々しい姿を見事に演じています。
パウロに魅かれ自分の心を止められずに、パウロと歩きながら恥じらいつつ話す姿は印象的でした。
演技を超える圧倒的な存在、ジム・カヴィーゼル
最後に挙げたい人物は、やはりこの映画のもう一人の主人公であるルカことジム・カヴィーゼルです。
メル・ギブソンが、キリストの処刑までの12時間を忠実に再現する“キリスト映画の本命”を作りたいと監督した『パッション』(2004)で、キリストに選ばれたのがルカを演じるジム・カヴィーゼルでした。
ここで言う「パッション」とは、キリストの“受難”を表します。
ジム・カヴィーゼル扮するキリストは、いばらの冠を被せられ、骨のついた鞭で全身を叩かれ床が血に染まり、十字架に太い釘で打ち付けられ、徹底したリアリズムを映し出しました。
『パッション』で“演技を超える圧倒的な存在”となったジム・カヴィーゼルが、本作で扮するルカ。パウロに寄り添い、命を懸けてパウロの言葉を漏らすまいと書き記す魂の演技が光ります。
一方で敵のローマ軍長官の娘の病を治すべく、見返りも求めずに医者として優れた才能を発揮し治癒に全うする。そんなルカをジム・カヴィーゼルが等身大で演じることで、スクリーンという壁が消え、今そこにルカがいるよう感じさせてくれます。
まとめ
パウロとマウリティウスの会話の中で、印象深いパウロの言葉があります。
「私には誇れる力などない。私の誇りは弱さだけ、おかげで神の力が宿ってくる」
それを受けてマウリティウスは「弱さを認める者も珍しいが誇るとはな」と苦笑いしながら、パウロの返事を待ちます。
「喜んで誇るよ、弱さの中に力が生まれる」と答えるパウロ。
この言葉は、宗教や国境を超え、災害や飢餓そして紛争などで苦悶している人々すべてに強く普遍的なメッセージを伝えているように感じます。
相手のことを赦しそして愛する心が宿れば、光が見える日がやってくるかもしれません。
どんな苦しみの中でも明日を信じ生きていく時に、“愛と赦し”のメッセージが最善の道へと向かわせてくれる力があること。
心静かに自分の心を真摯に見つめ、ルカと共にパウロに寄り添いませんか。