『あみこ』(2017)の山中瑶子監督と『あんのこと』(2024)の河合優実タッグで送るエキセントリックな映画
私は私が大嫌いで、大好き。
世の中も人生もつまらなくて、やり場のない思いを抱えている21歳のカナ。
優しいけれど退屈なホンダと同棲していながら、刺激的で自信家のハヤシと浮気をしているカナは、ハヤシと新しい生活を始めます。
しかし、ハヤシとの生活は衝突ばかりで、カナは次第に追い詰められていきます。もがき、暴れるカナの向かう先とは。
初監督作『あみこ』(2017)がPFFアワードで観客賞を受賞し、第68回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に史上最年少で招待された山中瑶子監督。
そんな監督の『あみこ』(2017)に衝撃を受け、山中監督との共演を待望していた河合優実が念願のタッグを組みます。
河合優実演じるカナの恋人役を演じるのは、『猿楽町で会いましょう』(2021)の金子大地、『せかいのおきく』(2023)の寛一郎。
山中監督の元に同世代の役者陣が顔を揃え、「本当に描きたいこと」をエネルギーを持って描き出した一作。
映画『ナミビアの砂漠』の作品情報
【日本公開】
2024年(日本映画)
【監督・脚本】
山中瑶子
【キャスト】
河合優実、金子大地、寛一郎、新谷ゆづみ、中島歩、唐田えりか、渋谷采郁、澁谷麻美、倉田萌衣、伊島空、堀部圭亮、渡辺真起子
【作品概要】
『あみこ』(2017)で鮮烈な監督デビューを果たした山中瑶子監督。他の監督作に、山戸結希プロデュースによるオムニバス映画『21世紀の女の子』(2018)の『回転てん子とどりーむ母ちゃん』、ndjcプログラムの『魚座どうし』(2020)など。
カナ役には『由宇子の天秤』(2021)の河合優実、ホンダ役には『せかいのおきく』(2023)の寛一郎、ハヤシ役には『猿楽町で会いましょう』(2021)の金子大地が演じました。
その他のキャストには、『麻希のいる世界』(2022)の新谷ゆづみ、『違う惑星の変な恋人』(2024)の中島歩、『朝がくるとむなしくなる』(2023)の唐田えりかなどインディーズ映画を中心に活躍する俳優陣が顔を揃えます。
映画『ナミビアの砂漠』のあらすじとネタバレ
脱毛サロンで働く21歳のカナ。世の中も人生もつまらないとやり場のない思いを抱えながら日々を過ごしています。
そんなカナは不動産屋で働く恋人・ホンダと同棲していますが、刺激を求め、クリエイターのハヤシと浮気もしています。
ある日、カナは友人のイチカと出かけます。カフェで待つイチカの元に向かうと、イチカは同級生が自殺で亡くなってしまった話をします。充電コードで亡くなったという話に「本当にそれで死ねるんだ」とおざなりな相槌を打ちながら心ここに在らずといった表情で話を聞くカナ。
一通り話して気が済んだイチカと共にカナはホストクラブに行きます。ホストクラブでも人の話を聞いていないカナはスマートフォンをいじりながら突然立ち上がり、帰ります。
イチカは驚きながらも追いかけたりせずカナに手を降ります。そのままカナはハヤシと会います。実家で暮らしているハヤシは、カナとどこかに泊まることなく帰っていきます。
タクシーで1人家に帰るカナは途中で気持ち悪くなり、タクシーの窓を開けて顔を突き出すと、そのまま嘔吐します。家に着いたカナをホンダが出迎えます。
トイレに駆け込みカナに水を渡し、そしてそのまま寝ようとするカナの服を脱がせます。
ホンダは、北海道への出張の準備をしながら、自分がいない間カナが食べるものに困らないよう作りおきをしています。そんなホンダの手伝いをしながらカナは、「北海道に行ったら上司に連れて行かれてキャバクラや風俗に行くんじゃないの」とホンダを揶揄います。
「行かないよ。断るよ」とホンダは答えます。その時カナの電話が鳴ります。カナは「イチカだ」と言って携帯を持ってベランダに行きます。
電話が終わったカナにホンダは「何だった?」と聞きます。「なんか泣いてた」とカナが答えると「行ってあげなよ」とホンダは言います。少し渋っていたカナでしたが、支度をして出ていきます。
そしてカナが会いに行ったのはイチカではなく、ハヤシでした。2人で飲んでホテルに行きます。ベッドで寝そべるカナを見つめてハヤシは、「恥を忍んで言いますが、やっぱり別れてほしい。そして今度は別れたカナと会いたい」と言われます。
カナは複雑な顔をしますが、「わかった」と答えます。
出張から帰ってきたホンダは突如カナに「すいませんでした」と言います。結局上司に言われて風俗に行ったというのです。
数日後、カナは歩道橋の上でハヤシに向かって大きな丸を作ります。恋人と別れたと思いハヤシはカナの元に走り寄ります。そのまま2人は、お店に行き、カナは鼻にピアスを開け、ハヤシの腕には、カナが描いたイルカのタトゥーを彫ります。
そしてカナはホンダの部屋を出て、ハヤシとの生活を始めます。
映画『ナミビアの砂漠』の感想と評価
カナは何がしたいのかわからない、衝動的な人物で、その魅力に惹きつかれつつも、共感できないと思う人は多いでしょう。
しかし、カナの衝動の奥にあるものを考えると、カナという人物がどこか愛おしく、頼もしく見えるかもしれません。
カナを取り巻く、ホンダとハヤシはカナに比べると“大人”で、カナによく付き合っていると感じたでしょうか。本当にそうでしょうか。
ホンダはカナを甲斐甲斐しく世話をすることでカナにとって自分は必要な存在で、それこそが愛だと思っています。それどころか、カナの空虚さには訳があって自分の優しさでその空虚さを埋めてあげたいというエゴスティックな庇護欲も感じられます。
しかし、それはカナが求めていたことでしょうか。確にカナは家事をしません。レンジでチンして食べることすらせず、冷蔵庫にあったハムをただ齧るだけです。
ホンダは、カナが出ていった後に再開した際、「カナのことは理解している。カナは傷ついている」と自分が風俗に行ったことでショックを受けていると思っていますが、カナにとっては見当違いも甚だしいと思っているのかもしれません。
ホンダの愛情はとどのつまり自己満足でしかないというのに、そのことにホンダは気付けず、カナは泣き崩れるホンダを「変な人」と笑って眺めているのです。
そんなカナは最低かもしれませんが、かといってホンダが偉いのかというとそうでもないのかもしれません。
一方で、ハヤシはどうでしょうか。ハヤシはカナに恋人がいることを知っていて付き合っていた様子がうかがえます。刺激的なハヤシとの生活を選んだカナですが、ハヤシは共に生活することにおいて、カナに刺激的な恋人は求めていませんでした。
仕事の邪魔をしない、家事をする、そんな当たり前の“物分かりの良い恋人”を求めています。この映画を見ている私たちもそれが当然のこと、大人だからとどこかで思ってはいないでしょうか。
少しずつ変わってきたとはいえ、共に生活する恋人や夫婦において、家事の多くを女性が担うことが互いの中で暗黙の了解となってはいないでしょうか。
可愛くて、家庭的で……そんな恋人を理想として男性は求め、女性もそんな理想の恋人になろうと努力しようとします。一方で男性は仕事を頑張り、2人の生活を経済的にサポートしようとする、それが当然と思っているところはないでしょうか。
共に生活することは助け合うことであるのは間違いないですが、さまざまな当たり前の抑圧がカナにとっては当たり前として受け入れられるものではないのです。
都庁を見学したカナが言った「こんなところで働きたくない」は、嫌なことでも耐え、従順に働くことが当たり前となっている現代社会に対し、受け入れられないと抵抗しているのです。
カナは常に空虚で渇きを感じています。自分が何を欲しているのかもわかっていません。それでも従順になって世間に迎合するという選択をしません。
更に、カナがハヤシのエコー写真を見て、激しく詰め寄ったのは、ハヤシがカナを異常と見下し、自分の高学歴をひけらかして、自分はクリエイターとして高尚なものを作っているといった姿勢が気に食わなかったのかもしれません。
カナがキレてもハヤシが相手にせず、「はいはい、そういうのいいから」と言った対応をするとカナの怒りはひどくなります。取っ組み合いと言った動物的なコミュニケーションをどこかで求めているのは、いかにも大人ですと涼しい顔をしておかしいのはカナだとでも言いた気な対応をされるのが我慢ならないからなのです。
また、カナがカウンセリングを受けたのは、自分の病名を知りたい、治したいといった気持ちではなく、おかしいのは自分ではない、当たり前だと涼しい顔をしている世間だと言いたかったからなのかもしれません。
さまざまな当たり前によって抑圧されていることに鈍感になっていた私たちにとってカナは解放をもたらす存在なのかもしれません。だからこそどこかカナが眩しく見えるのです。
ちゃんとした大人になろうと無理しなくてもいい、ダメなところがあってもいいのです。
まとめ
冒頭、カメラは雑踏の中を歩くカナを遠くから捉えます。歩きながら日焼け止めを塗り、長い足でズカズカと歩くカナ。この歩き方だけで、無気力で何も気にしていないカナの人となりが伝わってきます。
そして、イチカと待ち合わせしたカフェでの会話では、あえて周りの会話の音も聞かせて、目の前のイチカの会話に集中できず、どの会話も断片的にしか捉えられない雑多な空間をカナ同様観客にも感じさせます。
イチカの会話に対するカナの返答の適当さからしても、話をきちんと聞いていないことは歴然です。しかし、イチカもイチカで話したいだけで、相手がその話をちゃんと聞いていなくても気にしていない様子がうかがえます。
カナは思ったままに行動し、話しますが、私たちの多くは相手がどう思うか、話した内容によって自分がどう思われるかどこかで意識してしまいます。
空虚であるけども、世間体などを全く気にしていないカナの姿は清々しく映ります。そんなカナを河合優実が魅力的に演じます。
また、本作は印象的なカメラワークやシーンをあえて切ることで、映画自体が俯瞰しているような不思議な作用をもたらします。
取っ組み合いをするカナとハヤシをカナ自身がスマートフォンで見ている映像を入れ込み、リアリティのあるドラマ映画ではなく、SFのようなすべてが虚構のようなエキセントリックさがあります。
更にスタンダード画角によってホームビデオのような、リアリティショーのような雰囲気にもなっています。そのようなリアリティのあるドラマとは一味違う、異空間のような演出も本作の魅力です。