クリント・イーストウッド監督がレオナルド・ディカプリオと初タッグした作品
FBI(アメリカ連邦捜査局)の初代長官を務めたジョン・エドガー・フーバー。
FBI設立、そして72年に77歳で他界するまでFBI長官として、カルビン・クーリッジからリチャード・ニクソンまで8人の大統領仕えたJ・エドガーの半生を描きます。
FBIを巨大組織に立ち上げた功績は知られていますが謎に包まれた私生活に迫る骨太ドラマになっています。
マカロニ・ウエスタンをはじめ数々の映画に出演するほか、監督として硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた『父親たちの星条旗』(2006)、『硫黄島からの手紙』(2006)や、アカデミー賞を受賞した『許されざる者』(1993)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2005)など数々の作品を手がけたクリント・イーストウッドが監督を務めました。
J・エドガーを演じたのは、クリント・イーストウッド監督と初タッグとなったレオナルド・ディカプリオ。
映画『J・エドガー』の作品情報
【公開】
2012年(アメリカ映画)
【監督】
クリント・イーストウッド
【脚本】
ダスティン・ランス・ブラック
【原題】
J. Edgar
【キャスト】
レオナルド・ディカプリオ、ナオミ・ワッツ、アーミー・ハマー、ジョシュ・ルーカス、ジュディ・デンチ、エド・ウェストウィック、ジェフリー・ピアソン、ジェフリー・ドノバン、アダム・ドライバー
【作品概要】
FBIを作った男・J・エドガーの謎に包まれた私生活や、黒い噂が付き纏うスキャンダラスな一面を重厚に描く映画『J・エドガー』。
クリント・イーストウッド監督は『J・エドガー』以降、『アメリカン・スナイパー』(2014)、『ハドソン川の奇跡』(2016)、『15時17分、パリ行き』(2018)と実話を元にした社会派ドラマを手掛けています。
本作で脚本を務めたのは、『ミルク』(2008)でアカデミー賞脚本賞、米脚本家組合賞に輝いたダスティン・ランス・ブラック。
映画『J・エドガー』のあらすじとネタバレ
1960年代、FBI長官のJ・エドガーは、自身の半生をスミス捜査官に口述し、記録するように言います。
始まりは1919年。共産主義の過激派や労働者によるテロが頻繁に行われていました。司法省に務めていたエドガーの上司・パーマーの邸宅が爆撃されます。
パーマーに代わって指揮をとったエドガーは、無政府主義者のエマ・ゴールドマンを国外追放にし、追放の前例を作ります。エドガーの働きが評価され、捜査局の長官に任命されます。
任命されたエドガーは、個人秘書のヘレンと共に、捜査官を自ら面接し、意にそぐわない者は解雇して、捜査局の組織改革を行なっていきます。同時に秘密の個人ファイルを作り、大統領をはじめとした政府の用心のプライベートな情報を収集していきます。
そして、弁護士を目指すトルソンの推薦状を見たエドガーは、彼を面接し、共に共産主義の過激派を一掃していきました。大量の過激派を一掃すると、世界恐慌の影響もあり、ギャングらの銀行強盗など襲撃事件が増えはじめてきました。
そんな時にリンドバーグの息子が誘拐されるという事件が起きます。リンドバーグは捜査局に協力的ではありませんでしたが、捜査局の力を見せるのに格好の機会だと感じたエドガーは、まだ誰もやっていない科学捜査で犯人を炙り出そうと躍起になります。
そして、アメリカ全土から犯人の指紋情報を収集することに成功します。息子が誘拐された際に残されていた足跡や、壊れたハシゴなどの物的証拠を元に捜査を進める一方で、身代金として払う紙幣に番号をつけて追跡できるようにしました。
その後、残念ながらリンドバーグの息子は遺体で発見されますが、科学捜査によってブルーノ・リチャード・ハウプトマンが犯人として浮上し、有罪判決を受けます。しかし、ブルーノ・リチャード・ハウプトマンは最後まで否定し、筆跡や声など犯人と断定できるかは怪しい部分もあったにも関わらず、リンドバーグの証言で有罪となります。
この一件により、捜査局に対する国民の評価は高まり、捜査局の顔であるエドガーも英雄として讃えられるようになりました。
成功した息子の姿に、母は、結婚の話を持ちかけます。しかし、エドガーが結婚をしようとしないのには、理由がありました。
映画『J・エドガー』の感想と評価
英雄か、狂信者か
FBIを設立し、亡くなるまで長官を務めたJ・エドガー。その功績が讃えられている一方で、黒い噂が尽きず、謎の多い人物として知られている人物でもあります。
エドガーが保持していた秘密ファイルは、映画のラストにも描かれていたように、秘書のヘレンによって処分されました。
他人の情報を集める一方で、自身に対する情報は、一切残さなかったため、その幼少期をはじめ多くのことが知られていません。しかし、死後に、エドガーが秘密ファイルによって大統領や要人を脅し、FBI長官の座に座り続けたと言われています。
更に、エドガーの後は、長官に権力が集中するのを避けるため、長官の任期は最長で10年と定められています。
映画は、エドガーが自分の半生を語り、部下が書き取りをするという形で進んでいきます。しかし、先述したように自身の記録を残さなかったエドガーが自分の半生を部下に語ったかどうか定かではなく、映画にするにあたってそのような設定にしたのでしょう。
また、エドガーは生前から同性愛者であったという推測や噂がありました。司法省時代に出会った秘書のヘレンにエドガーはプロポーズしていますが、それは恋愛感情というより、仕事上の上で必要な存在だったからなのかもしれません。
エドガーのプロポーズに対しヘレンは、「結婚に興味ないの、仕事が全て」と断ります。エドガーが死ぬまでヘレンは個人秘書を務めています。
そんなエドガーが出会ったのは、トルソンでした。ヘレンが、トルソンのプロフィールや推薦文を読み上げた際、「女性には興味がない」という点にエドガーが反応した様子が映し出されます。
その様子から、本作がエドガーを同性愛者として描こうとしている様子がうかがえるのです。ヘレン同様、トルソンにもエドガーは副長官として自分の右腕になってくれないかと提案します。
トルソンは、副長官を引き受ける条件として、どんな日でも絶対昼食か夕食を共にしてほしいと言います。エドガーがトルソンを必要としたのに対し、トルソンはエドガーに自分と過ごす時間を必ず設けてほしいと提案したと言えます。
エドガーとトルソンの間には友情を超えた感情があり、互いにそのことに気づいていたでしょう。それでも適度な距離を取り続けたのは、同性愛者が認められておらず、そのことが世間に露見したら今の立場を失いかねないという事情があったのです。
更に、盗聴によって他者の弱みを握り、脅しをかけていたエドガーは、自分の弱みを握られるわけにはいきませんでした。
それだけではなく、エドガーにとって精神的支柱でもあった母親の存在が、エドガー自身が同性愛者と認めることを許しませんでした。エドガーがヘレンにポロポーズした背景にも、母親の助言がありました。
捜査局長官として成功しはじめたエドガーに結婚をするように圧力をかける母に、エドガーは女性に興味がないことを伝えますが、「女々しい息子など死んだ方がマシ」と言われてしまいます。
エドガーは、トルソンに、女優と結婚しようと思っていることを相談すると、トルソンは「僕を馬鹿にするな」と激昂します。
母は、男は結婚することで「一人前」になるものだと思っています。そんな母にとって息子が「不完全」であることは認められることではありません。それが分かっていても、エドガーは結婚することができませんでした。
それはエドガーが同性愛者であっただけではなく、エドガーの潔癖な性格も関係しているかもしれません。
映画ではやや誇張しているかもしれませんが、エドガーは、有色人種や共産主義者対する差別発言や、自分に対し批判的な発言をする人物を徹底的に敵視し、報復しようとする傾向がありました。
FBIを立ち上げ、権力を持つようになると権力を振りかざし、盗聴など職権乱用をするようになります。晩年はそんなエドガーの暴走を止められる人がいなくなり手をこまねいている様子が描かれていきます。
身体を壊したトルソンが「そろそろ僕たちも引退の時では」と言っても聞く耳を持たず、ノーベル平和賞にノミネートされたキング牧師に執着し、黒人の同胞のふりをしてキング牧師を非難する手紙を送ったり、盗聴を仄めかしたりと妨害をします。そんなエドガーにヘレンも困惑しています。
監督は、エドガーの半生を通してその功績を中心に描くのではなく、エドガーの狂信的であったり、臆病な一面を描くことで、1人の人間としてのエドガーを描こうとしたのではないでしょうか。
まとめ
『アメリカン・スナイパー』(2014)、『ハドソン川の奇跡』(2016)、『15時17分、パリ行き』(2018)と実話を元にした社会派ドラマを描き続けているクリント・イーストウッド監督。
実話を元にしながらも客観的な姿勢で描き出すことで、クリント・イーストウッド監督が常に見つめているのは「アメリカ」という国そのものです。
歴史上の人物を描きながらもその視点の先には、現代のアメリカがあり、アメリカが抱える問題があります。更に、実在の人物を美化したり、英雄として描くこともしません。それでもクリント・イーストウッドが描く人物は人間としての生身の姿が感じられます。
狂信的な面や、自分の理想のために無関係な人物も排除してきたという側面はありますが、エドガーによって科学的捜査の基礎が作られ、指紋認証による捜査が可能になったという功績も一つの事実です。
英雄として評価される一方で、職権乱用して大統領らを脅迫してきたという面もエドガーという人物の一面です。1人の人間を多角的に描き、アメリカの現代史を通して、エドガーをどのように評価するか、観客である私たちに突きつけるのです。