映画『生きちゃった』は人によって解釈の違うタイトル。
高校時代からの友人である3人の男女が、それぞれ複雑な感情を隠し、悲劇的とも言える運命に直面する映画『生きちゃった』。
『川の底からこんにちは』(2009)で「第53回ブルーリボン賞」の監督賞を史上最年少で受賞後、『舟を編む』(2013)で「第37回日本アカデミー賞」最優秀作品賞など6部門を制覇し「第86回アカデミー賞」外国語映画部門の日本代表作品に史上最年少で選出されるなど、これまでさまざまな注目作を手掛けている石井裕也監督。
その石井裕也監督が、自身がプロデューサーも務め、短い制作期間で作り上げた本作は「本心を伝える事の怖さ」という、日本人であれば誰もが共感する感情に挑んだ作品です。
若い才能が結集し、それぞれが剥き出しの魂で挑んだ本作の魅力をご紹介します。
映画『生きちゃった』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督・脚本・プロデューサー】
石井裕也
【キャスト】
仲野太賀、大島優子、パク・ジョンボム、毎熊克哉、太田結乃、柳生みゆ、芹澤興人、北村有起哉、原日出子、鶴見辰吾、伊佐山ひろ子、嶋田久作、若葉竜也、レ・ロマネスク
【作品概要】
2019年6月、上海国際映画祭で発表された「B2B(Back to Basics)A Love Supreme」=「原点回帰、至上の愛」プロジェクト。香港国際映画祭(HKIFFS)と中国の「Heaven Pictures」が共同出資する形で「至上の愛」をテーマに、同じ予算で映画製作を行い「原点回帰」を探求するという、まったく新しい試みに、アジアの名だたる監督が集結しました。
日本からは石井裕也監督が参加し、製作されたのが映画『生きちゃった』です。複雑な感情が錯綜する物語を描いた本作に、若い俳優が集結。
主人公の厚久を『50回目のファーストキス』(2018)『来る』(2018)の他、TVドラマも映画も大ヒットした『今日から俺は!!』などの、話題作に相次いで出演している仲野太賀。厚久の妻、奈津美を演じる大島優子は、「AKB48」を卒業後、『紙の月』(2011)で「日本アカデミー賞」優秀助演女優賞を受賞し、2015年には『ロマンス』に主演するなど、女優として高い評価を得ています。
厚久の親友、武田を『葛城事件』(2016)で注目され、『南瓜とマヨネーズ』(2017)などに出演している、実力派の若葉竜也。メインの3人を取り巻く人々を、毎熊克哉、嶋田久作、伊佐山ひろ子、原日出子などの実力派が演じている他、厚久の兄、透を韓国の俊英監督、パク・ジョンボムが演じています。
映画『生きちゃった』のあらすじとネタバレ
本の配送業者で働く山田厚久は、高校時代から仲が良かった奈津美と結婚し、2人の間には5歳になる娘の鈴がいます。
厚久は、奈津美と鈴の為に、高校時代からの親友である武田と起業する事を考え、英語や中国語を学んでしました。
厚久は、自分の本心を伝える事が苦手で、奈津美の前でも口数が多くありません。
奈津美は、そんな厚久に不満を感じており、厚久の実家に帰った時も、厚久の兄、透が引きこもっている事や、厚久の両親が苦手な事から、奈津美は厚久に「あっちゃんの家族は壊れてる」と伝えます。
厚久は、そんな奈津美の不満に気付きながらも、何も語りません。奈津美と鈴が眠った後に、厚久は実家にいる透と再開します。
祖父の墓参りの為に、実家に戻っていた厚久は透に「あんなにお世話になったのに、爺ちゃんが生きていた実感が沸かない」と伝えます。
透は何も言わず、厚久に親指だけを立てて立ち去ります。
ある時、仕事先で体調を崩した厚久は、早退し自宅に戻ると、奈津美が洋介という男性と不倫をしている現場に遭遇します。
突然の事に感情が錯綜した厚久は、何事も無かったかのように鈴を幼稚園に迎えに行き、そのまま自宅で寝込みます。
目覚めた厚久に、奈津美は「この5年間、愛情を感じなかった」と、一方的に厚久へ離婚を突きつけます。
厚久は、遠い目をしたまま「分かった」とだけ答えます。
映画『生きちゃった』感想と評価
高校時代からの友人である3人の男女の、複雑な思いが錯綜する人間ドラマ『生きちゃった』。
本作で語られているのは、大きな枠組みで言えば「愛の物語」なのですが、厚久と奈津美、武田がそれぞれの愛情を叫ぶ内容ではありません。
逆に、それぞれの愛情を押し殺し、複雑な感情を抱いている人達の物語になります。
まず、主人公である厚久は、奈津美への愛情を抱きながらも、本当に大切な人に本心を伝える事が出来ない性格です。
映画『生きちゃった』は、無駄な場面などを極力そぎ落とし、作中で語られていない部分は、鑑賞した人の想像力に委ねるという作品です。
その為、何故、厚久がそのような性格になったのか?は、作中で明確に語られません。
厚久を演じた仲野太賀は「言いたい事も言えない、本音が言えない漠然とした気分が、現代を生きる人達にはあると思う、それを象徴したような役」と、厚久を捉えています。
作中で「英語なら、自然と言いたい事が言えるのに何故だろう」と悩む厚久の姿に、共感する人も多いのではないでしょうか?
厚久と結婚した奈津美は、そんな厚久に不満を覚えます。
奈津美は、愛情を感じない厚久に愛想を尽かし、洋介と不倫をし、それが発覚すると厚久との離婚を切り出し、厚久がアパートを出ていくうえに養育費は請求するという、一見するとかなり自分勝手でわがままな女性に見えます。
ですが、奈津美を演じた大島優子は「奈津美は誰よりも愛情を求めていた」と受け取り、5年間溜まっていた厚久への不満を見事に表現しています。
特に厚久へ別れを切り出す時の、奈津美が抱える複雑な感情を表情で表現しており、かなり印象深い場面になっています。
そして、2人の高校時代の友人である武田は「俺は忙しい」と、2人の問題に関わらないようなスタンスでありながら、常に2人を気にしているという、本当に優しい男です。
このように、3人がそれぞれ自身の本音を隠している、または隠してきた事から、小さなすれ違いが重なり、最終的には悲劇的な展開となっていきます。
そして、奈津美の死に直面した厚久は、ラストで鈴に自分の本心を伝える為に走り出します。
厚久は、大切な存在に本心を伝える恐怖から泣き叫ぶのですが、作品全般を通して、厚久が感情を爆発させるのは、この場面だけとなっています。
また、これまで武田は、どちらかと言うと誰かの話を聞かされる、受け身の状態が多かったのですが、鈴の所へ行く事を怖がる厚久を鼓舞し、泣きながら説得します。
厚久と武田のやりとりは、感情がぶつかり合う、かなり迫力のある場面です。
前述したように、『生きちゃった』は作中で語られていない部分が多い作品です。鈴の所に走って行った厚久が、どうなったかは分かりません。
ですが、大切な人に、自分の想いを伝える事の必要さに気付いた厚久は、確実に自分の殻を破り精神的に成長したと言えます。
大切な言葉を伝える事に悩み、成長する厚久の姿を描いた本作は、SNSで言葉が溢れている現代の日本人へ「言葉の大切さ」を問いかける作品です。
まとめ
映画『生きちゃった』は、石井監督が、脚本を3日で書き上げ、映画の製作を決めてから2カ月でクランクインし、短い撮影日数で完成させた作品です。
映画の内容は、厚久と奈津美、武田の複雑な内面を描いた作品ですが、出演俳優がそれぞれの役に正面からぶつかっており、剥き出しの部分を感じます。
監督、キャスト、スタッフが、一丸となり映画に挑んだと感じる本作には、間違いなく本気の魂が込められています。
それらの魂は作品に熱量となって現れており、本作を鑑賞後、作品に込められた熱量がこちらにも伝わり、本当に清々しい気持ちになりました。
また『生きちゃった』というタイトルは、作品の内容から考えると少しコミカルに感じますが、「生きちゃったから苦しむ」「生きちゃったから悩む」など、『生きちゃった』の後に、何か言葉が続くのではないかと感じています。
本作は、映像で語られていない部分を、観客が想像しながら鑑賞していく作品の為、人によって捉え方が違うでしょう。
『生きちゃった』というタイトルも、人によって解釈が変わっていく、かなり意味深なメッセージを感じます。