日本語への愛に満ち溢れた物語
2012年本屋大賞第1位を獲得した三浦しをんのベストセラーを石井裕也監督が実写化しました。
第37回日本アカデミー賞では最優秀作品賞、最優秀監督賞ほか6冠を受賞した名作です。
松田龍平と宮崎あおいが主人公夫婦を演じるほか、オダギリジョー、黒木華、八千草薫、小林薫、加藤剛ら名優が顔を揃えます。
変わり者の主人公が周囲の人々と手を取り合い、大きな夢に向かって大海原へとこぎ出していくロマンある物語です。
観終えた後はじんわり温かく幸せな気持ちにしてくれる本作の魅力についてご紹介します。
映画『舟を編む』の作品情報
【公開】
2013年(日本映画)
【原作】
三浦しをん
【監督】
石井裕也
【脚本】
渡辺謙作
【編集】
普嶋信一
【出演】
松田龍平、宮崎あおい、オダギリジョー、黒木華、渡辺美佐子、池脇千鶴、鶴見慎吾、八千草薫、小林薫、加藤剛、宇野祥平、森岡龍、又吉直樹、斎藤嘉樹、波岡一喜、麻生久美子
【作品概要】
三浦しをんによる大ベストセラー小説を、『川の底からこんにちは』(2010)『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)の石井裕也監督が映画化しました。石井監督は本作で日本アカデミー賞最優秀作品賞及び監督賞を受賞する快挙を成し遂げています。
主演を務めた「探偵はBARにいる」シリーズの松田龍平が日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞したほか、妻役の宮崎あおい、同僚役のオダギリジョーも優秀賞を受賞しました。
黒木華、八千草薫、小林薫、加藤剛が名優たちが共演に顔を揃えます。
映画『舟を編む』のあらすじとネタバレ
1995年。妻の病気を理由に辞める決心をした玄武書房辞書編纂部の荒木は、自分の仕事を引き継ぐ人材をみつけることを監修国語学者の松本に約束します。
営業部所属で、大学院で言語学専攻した変わり者の青年・馬締光也の人とは違う視点で言葉を捉えるセンスを見抜いた荒木は、彼を辞書編纂部にヘッドハンティングしました。
新たな辞書「大渡海」の企画会議での、「辞書は言葉の大海を渡るための舟だ」という松本の熱い言葉に感銘を受けた馬締は、何年もかかると聞いて辞書作りに嫌気がさしてしまう西岡とは対照的に俄然やる気を出します。
辞書一筋だった荒木が退職することになり、松本は半身を失うようだと言って寂しがりました。荒木は自分の袖当てとともに、「馬締の辞書を作ってくれ」という言葉を馬締に贈って去って行きます。
10年間下宿させてくれているタケおばあさんに、人とのコミュニケーションがうまくいかない悩みを打ち明ける馬締。
周囲の人と言葉を交わす大切さを教えられた馬締は、西岡に声をかけるようになります。
ある晩、タケの孫娘の香具矢に出会った馬締はひと目で恋に落ちました。それを知った同僚たちは、彼女が板前として勤める店に揃って訪れ、馬締の恋を応援するようになります。
その後もなかなか思いを伝えられない馬締に、彼らは手紙を書くことをすすめます。タケおばあさんも馬締の気持ちに気づき、気を利かせて、ふたりを一緒に買い物に行かせました。
映画『舟を編む』の感想と評価
言葉への愛情あふれる物語
文字を、本を、映画を、そして日々を紡ぐ言葉を愛するすべての人たちに贈る最高の物語です。
「言葉の海は果てしなく広く、辞書は大海を渡る舟」という文に、作者の三浦しをん氏のあふれんばかりの言葉への愛が感じられ、胸が熱くなります。
変わり者の編纂者たちが大海原に繰り出していくロマンを見事に映像化した本作は、日本アカデミー賞で最優秀作品賞をはじめ、6部門で最優秀賞を受賞する快挙を成し遂げました。全編が静かな情熱に満たされており、じんわりと泣ける一作です。
主人公の馬締は人と会話することが苦手なちょっと変わり者の青年です。しかし、言葉に対してはとても鋭い感性を持っています。
きまじめすぎて、思い切り世間とズレた馬締の言動には笑わされっぱなしなのですが、彼のまっすぐ過ぎるほどの情熱的な言葉への愛情と、香具矢への深い愛情にいつの間にか泣かされてしまいます。
やっと「大渡海」が完成間近になったところで1語抜けていることを知った馬締は言います。「穴のあいた辞書を世に送りだすわけにはいかない」と。
馬締が決して仕事をおろそかにせず、言葉に妥協しない人間だからこそ周囲の人々は迷わずついていきました。
監修を務める松本はがんを患い弱っていきながらも、最後まで用例採集を続けます。彼らは間違いなく言葉へのあふれんばかりの愛情で結ばれていました。
松本に完成した「大渡海」を見せることは叶いませんでした。しかしきっと、松本はどこにいてもそのすべてを見つめていたに違いありません。そして馬締もきっとそのことに気づいていたと思えるのです。
人と人をつなげる言葉の素晴らしさ
いわゆるコミュ障で人とうまく関係を築けなかった馬締が、周囲の人々とつながり合い成長していくさまも本作の大きなみどころです。
彼は学生時代から10年も同じ下宿に住み続けており、そこの大家であるタケおばあちゃんとだけは話ができる関係でした。
変わり者の馬締をいつも気にかけていたおばあちゃんは彼の悩みに答え、言葉のプロである彼に言葉を「使う」大切さを説き、彼が周囲に心開くきっかけを作ってやります。
素直で純粋な馬締はその教えに従って西岡に話しかけるようになり、心優しい西岡はそんな馬締の気持ちを優しく受け止めて信頼し合うようになっていきました。
そんななか、馬締同じ下宿に住むようになったタケの孫娘の香具矢にひと目ぼれします。
彼は純粋すぎて、周囲にそのことを隠す事すらできません。恋わずらいしているのが一発でバレてしまう小学生のような姿を見た同僚たちが、思わず笑ってしまう気持ちがよくわかります。
編纂者たちは面白がりながらも、馬締の恋を応援せずにはいられなくなります。愛すべきキャラクターの馬締ならではの力と言えるでしょう。
馬締が書いた恋文は彼の真骨頂ともいえるものでした。
筆文字で巻き紙のような紙に書かれた難解な文は、まさに馬締そのものを表しているかのようです。
しかしそれを読まずとも、彼が至極まじめにあふれんばかりの愛を書きつけたことだけは誰にでも伝わるのでした。
香具矢は難解すぎる文章に怒りを爆発させながらも、馬締がどれだけ真剣に自分を愛してくれているか痛いほど実感します。
しかしその上で彼女は、「言葉で聞きたい」と正面から馬締に伝えました。馬締は「好きです」と気持ちを言葉に出し、彼女からも「私も」とはっきり嬉しい返事をもらったことで、言葉の大切さを体で理解します。
この経験の後に、馬締が「恋」という言葉につけた語釈もぐっとくるのでぜひ注目してください。
同じ志を持つ松本や荒木という先輩たち、自分を明るく支えてくれる同僚、そして愛し愛される最高の伴侶を得たことで、馬締の世界は広がり続けました。
ラストで馬締は声に出して香具矢に「これからもお世話になります」と頭を下げます。
香具矢と同じように「この人本当におもしろいなぁ。変わってるなぁ」と思いながらも、大切な言葉は絶対に口に出そうという彼の決意が伝わってきて、やっぱり泣かされてしまうのです。
まとめ
温かな幸福感に包まれ、観ながら何度も「いい映画だなぁ」と呟いてしまうような素敵な作品です。
最初は無機的に見えた主人公の馬締が、次第に血の通ったチャーミングな人物に変わり始め、彼がいったいどのような仕事を成すのか見届けたいという思いを抱かせてくれるようになっていきます。
初めはただの変わり者としか思っていなかった周囲の人たちも、馬締の善良さや熱心さ、純粋さにいつの間にか魅せられ、誰もが力を貸さずにはいられなくなるのです。
決してヒロイックではない不器用な主人公がロマンを追う物語だからこそ、私たちの心は魅了されるのでしょう。
作品を観終えた後は、不思議で魅力ある「言葉」というものに改めてじっくり向き合いたくなるに違いありません。