傷を抱えた人々が老舗の映画館を舞台に
愛と友情という“光”を求めた物語
今回ご紹介する映画『エンパイア・オブ・ライト』は、『1917 命をかけた伝令』(2019)のサム・メンデス監督が初めて単独で手掛けた脚本作品です。
メンデス監督は本作を「最も個人的な思いのこもった作品」と明かし、映画と映画館に最大の賛辞を捧げるヒューマンドラマです。
舞台となった1980年代初頭イギリス社会は、経済的な不況で揺れ動いている時代でした。そんなイギリス南部のリゾート地にある、老舗の映画館は心の寄り処となる場所として、市民から親しまれています。
主人公のヒラリーはその映画館で働いていましたが、過去に辛い経験をし心に闇を抱えています。そんな彼女の目の前に夢を諦め、映画館で働くことを決めた青年スティーヴンが現れます。
CONTENTS
映画『エンパイア・オブ・ライト』の作品情報
【公開】
2023年(イギリス・アメリカ合作映画)
【原題】
Empire of Light
【監督・脚本】
サム・メンデス
【キャスト】
オリヴィア・コールマン、マイケル・ウォード、コリン・ファース、トビー・ジョーンズ、ターニャ・ムーディ、トム・ブルック、クリスタル・クラーク
【作品概要】
心に闇を抱えるヒラリー役は『女王陛下のお気に入り』(2018)でアカデミー賞主演女優賞を受賞したオリヴィア・コールマンが演じます。
人種差別で不当な扱いを受けながらも、思いを寄せてくれたヒラリーに特別な感情を抱くスティーブン役には、本作のイギリスの黒人問題と関連するドラマ『スモール・アックス』の第2話「ラヴァーズ・ロック」に出演した、マイケル・ウォードが務めます。
他の共演者に『英国王のスピーチ』(2011)、「キングスマン」シリーズのコリン・ファースがエリス役を演じます。
映写技師のノーマン役は『裏切りのサーカス』(2011)、『五日物語 3つの王国と3人の女』(2015)など多くの話題作に出演する、個性派俳優のトビー・ジョーンズが演じます。
映画『エンパイア・オブ・ライト』のあらすじとネタバレ
イギリス南部のリゾート地、マーゲイトに佇む老舗の映画館「エンパイア劇場」にヒラリーは勤めています。
クリスマスイブの朝もいつものように出勤し、照明を点けながら更衣室へむかい制服に着替えると、支配人の部屋のヒーターをつけ、その前に室内履きを置いて温めます。
次第に他のスタッフも出勤してくると一日のはじまりです。スタッフ同士の和やかな会話は、ヒラリーの心を穏やかにしてくれました。
しかし、その空気を一変させるのが劇場の支配人エリスです。スタッフルームにくると会話に水を差し、ヒラリーに人事のことで話があると部屋に来るよう指示します。
ところがそれはただの口実で、ヒラリーに性的な行為を強要するためでした。ヒラリーは行為が済むと、空虚な気分に陥りしばらく放心してしまいます。
上映後の清掃でスタッフたちは、観客たちが残していった“変った物”の話をします。ヒラリーは「トランザム7000」の上映時に、心臓発作で亡くなった遺体だと教えてびっくりさせます。
仕事が終わるとヒラリーは社交ダンスに通いながら、精神科へも通院していました。問診を受け処方薬の効果や体重の増減を確認します。
ヒラリーは一人暮らしの部屋で食事をし、ロウソクの灯りでお風呂に入り、抗うつ剤を飲んで就寝する、そんなルーティーンで生活していました。
ある日、無断欠勤でクビになったスタッフの後任に、黒人青年のスティーヴンが加入されてきました。若くて美しい彼にヒラリーはときめきを思い出します。
そして、スティーブンの新人教育を任され、館内を案内しました。スティーブンは立ち入り禁止になっている上階に気がつき、見てみたいとヒラリーに頼みます。
そこにはもう使われていない、スクリーン2と3がありました。さらに上の階にはオーシャンビューのラウンジがあり、スティーブンは「別世界のようだ」と感動します。
スティーブンは作り棚の上でうずくまっている鳩をみつけると、翼が折れていると手際よく手当てをしました。ヒラリーはそんな彼に感心し好意的になっていきました。
人懐こいスティーブンはすぐにスタッフ達と打ち解け、特に音楽好きなジャニーンは彼が好んでいるレゲエに興味をひかれ、すぐに親しくなり仲良くなっていきました。
ジャニーンはスティーブンを大晦日のダンスパーティーに誘います。親交を深めていくスティーブンとは裏腹に、ヒラリーは相変わらずエリスから性的な要求を受けていました。
ヒラリーの虚しさはスティーブンへの苛立ちに変わり、些細なミスを犯した彼に常軌を逸した怒りで激高してしまいます。
同僚のニールはヒラリーが数か月前まで病だったことを教え、気分にむらがあることを教えました。スティーブンは改めて謝罪すると、ヒラリーも言い過ぎたことを詫びます。
スティーブンは年越しのダンスパーティーへ出かけ、エリスはシャンパンで乾杯しようとヒラリーをオフィスに呼び出します。
閉館後、ヒラリーはシャンパンを持って劇場の屋上へ行きます。そこにパーティーへ行ったはずのスティーブンが来て、ジロジロ見られて居心地が悪くなって出てきたと話します。
“ニュー・クロス火災事件”が起きた直後だからかもしれないと言いますが、ヒラリーにはピンときません。ニュースを見ていないからです。
彼の母は1960年代に国民保健サービスの看護師として、イギリスに連れて来られたと話し、父親は妻子を捨てて出ていったと言います。
大学で建築を学びたかったスティーブンは、選考に落とされたのも差別のせいだと感じていました。そんなスティーブンにヒラリーは夢は掴むもの、あきらめてはだめだと励まします。
やがて、新年のカウントダウンをする声が聞こえ、新年を祝う花火が上がり、その光景を楽しむ2人でしたが、ふとスティーブンの顔を見たヒラリーは彼にキスをしてしまいます。
我に返ったヒラリーは自分のしたことを恥じて、謝りながら去っていきました。スティーブンは「構わない!」と叫びます。
映画『エンパイア・オブ・ライト』の感想と評価
サム・メンデス監督が「最も個人的な思いのこもった作品」と明かした理由が、主人公のモデルとなった人物が自分の母だったこと、また10代だった1970年80年の頃に観た映画が、今の自分を形成したからだと語ります。
本作は1980年代イギリスの不安定な経済社会を背景に、庶民の不満やうっぷんで溢れる中、映画や音楽というポップカルチャーで、意義を唱えるムーブメントも生まれました。
少年だったメンデス監督は母親が精神的に不安定だったことや、社会的な暗い現状から救ってくれたのが映画だったと、最大限の称賛を込めて脚本を手掛けたとも語っています。
時代背景を知ることで理解を深める
フラットな状態で本作を観た時、よく理解できない箇所がありました。それは日本人だからです。そこで、当時のイギリスの時代背景などを調べてみると、“なるほど”と腑に落ちました。
例えばイギリスに渡った黒人の歴史はアメリカとは違っていました。そして、イギリスで人種差別的な暴動はあったのか?そんな疑問が浮かびました。
サッチャーが政権をとった1979年にはすでに英国社会には不況の波が押し寄せ、1982年には失業率は世界恐慌以降最悪の数字を記録していました。
そんな中、失業者の不満は黒人へと向けられ差別意識が芽生えます。しかし、イギリス人の若い層の中には、人種だけではなくあらゆる“差別”に対する、反発や反対する声が上がります。
それをパンク・ロックやレゲエなど音楽の力を使って反対を訴え、議論をするきっかけをつくりました。
まさに本作の時代背景には、分断や排外主義が進んでいるイギリス社会があり、音楽の力で反抗したり、不況の苦しみを映画で癒す庶民がいました。
スティーブン役のマイケル・ウォードが主演を務めたドラマ『スモール・アックス 第2話ラヴァーズ・ロック』はカリブ系移民の若い男女が集まる、ダンスパーティーの物語です。
作中スティーブンがヒラリーに語った“ニュー・クロスの火災”とは、そのダンスパーティーの会場が火事になったニュースです。
このドラマの出演があり、スティーブン役のオファーがマイケル・ウォードに来たと言っても過言ではないようです。
恥じという“闇”と映画という“光”
ヒラリーが幼い頃に父親と釣りに行き、一匹も釣れなかった話をします。それは父が釣れる場所を知らないことを恥じ、人に聞けなかったことが原因だと言いました。
父親からの寵愛が原因で母はヒラリーを恨んだと話しましたが、それは父親が小児愛者だったからとも考えられないでしょうか?
ヒラリーの父はそのことを妻に隠しながら、娘に一方ならぬ愛情を注いだのかもしれません。
母が夫の異常性を恥じ、ヒラリーを蔑み恨んだとしたら、ヒラリー自身が恥な存在と感じたとしても仕方ないでしょう。
その“恥”だと思う価値観はヒラリーから自由を奪い、恥を隠すように心を閉ざし闇を生みました。
ヒラリーが朗読した詩『死のことだま』は、「心の欲望は、栓抜きのように歪んでいる、正式な命令により踊るダンス・・・踊れ、踊れ」という詩です。
ヒラリーは男性の権威に抑圧され、性的搾取をされた人生だったと連想させます。そんな時にスティーブンのように、傷ついた鳩を治療する穏やかで優しい青年が現れたのです。
心に闇を抱え精神疾患を患うヒラリーにとって、スティーブンの存在は差別されている者同士という親近感を抱きます。
しかし、年長者という立場でありながら、“異性”として恋愛感情を抱き“恥ずべき”ことと苦しみます。
スティーブンも人種差別により、不当な扱いを受ける中、ヒラリーが世間の目も気にせず、「夢があるなら掴み取るべき」と励ましてくれたことに、信頼と好意を抱きました。
映画も人が日常の中で受けるストレスを癒す娯楽になっています。暗い闇の中から伸びる一筋の“光”が映し出す非日常に、癒しを求めているのです。
ヒラリーとスティーブンは互いに、心に抱える暗い闇を照らしてくれる“光”のような存在となりました。
しかし、いつまでも闇の中にいるわけにはいきません。その光を伝って日常という明かりにたどり着く必要があると、この映画では訴えているのでしょう。
まとめ
映画『エンパイア・オブ・ライト』はまるでレンブラントの絵画のように、闇の深さから浮かび上がる“光”のような美しい映画でした。
前進と後退を繰り返しながら、闇から生き直す一筋の光を探すヒラリーの人生は過酷です。映画館のスタッフたちは、ヒラリーが隠していた“恥”のことを把握しながら、絶妙な距離を保って見守っていました。
ラストシーンは、ニールとノーマンの何気ない優しさの中で、ヒラリーが少しずつ自分を好きになっていくのを連想させます。
そして、彼女の優しさもまた、誰かの光となって闇から救い出すのだと思わせるものでした。