全てを目撃した秘書がヒトラーの最期を語る実録ドラマ。
オリヴァー・ヒルシュビーゲルが監督を務めた、2004年製作のドイツの実録ドラマ映画『ヒトラー~最期の12日間~』。
迫りくるソ連軍の放火から逃れようとする、ヒトラーと彼の側近たち。全てを目撃した秘書トラウドゥル・ユンゲの証言と回想録を基に描かれた、ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの最期とは、具体的にどんな物語があったのでしょうか。
もはや客観的な判断能力を失いつつあった、ナチス・ドイツ独裁者の最期の12日間を描いた実録ドラマ映画『ヒトラー~最期の12日間~』のネタバレあらすじと作品情報をご紹介いたします。
CONTENTS
映画『ヒトラー~最期の12日間~』の作品情報
【日本公開】
2005年(ドイツ映画)
【原作】
ヨアヒム・フェスト『ヒトラー~最期の12日間〜』、トラウドゥル・ユンゲ『私はヒトラーの秘書だった』
【監督】
オリヴァー・ヒルシュビーゲル
【キャスト】
ブルーノ・ガンツ、アレクサンドラ・マリア・ララ、コリンナ・ハルフォーフ、ウルリッヒ・マテス、ウルリッヒ・ヌーテン、ユリアーネ・ケーラー、ハイノ・フェルヒ、クリスチャン・ベルケル、マティアス・ハービッヒ、トーマス・クレッチマン、ミヒャエル・メンドル、ゲッツ・オットー、アンドレ・ヘンニック
【作品概要】
歴史家ヨアヒム・フェストの研究書『ヒトラー~最期の12日間~』や、ヒトラーの個人秘書だったトラウドゥル・ユンゲの証言と回想録『私はヒトラーの秘書だった』を基に映画化。『es エス』(2002)や『レクイエム』(2009)、『ダイアナ』(2013)、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)などのオリヴァー・ヒルシュビーゲルが監督を務めました。
『ベルリン 天使の詩』(1987)や実写映画『ハイジ アルプスの物語』(2015)のブルーノ・ガンツが主演を務め、共演は『トンネル』(2001)や『ジオストーム』(2017)などに出演する、アレクサンドラ・マリア・ララです。
映画『ヒトラー~最期の12日間~』のあらすじとネタバレ
1942年11月、真夜中の東プロイセン・ラステンブルク。
当時22歳の女性トラウドゥル・フンプス(のちに結婚し「ユンゲ」姓に)は、総統大本営の一つ「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」を訪れ、ナチス・ドイツ国総統アドルフ・ヒトラーの秘書採用試験を受けました。
ヒトラーは自身の愛犬ブロンディに餌をやった後、5人の秘書候補の女性の中から、国家社会主義ドイツ労働者党こと「ナチス」の結成の地ミュンヘンの出身であるトラウドゥルに興味を抱き、彼女を自身の個人秘書として採用することにしました。
それから2年半後の1945年4月20日、ドイツ・ベルリン。
ヒトラーは総統地下壕にて、56歳の誕生日を迎えます。しかしその日は、朝からソ連軍の砲撃が、市の中心街にあるブランデンブルク門や議事堂周辺に降り注いでいました。
ヒトラーがいる総統地下壕から、12キロしか離れていない地点まで迫るソ連軍。しかし誰もそのことを報告しなかったことにヒトラーは激怒し、郊外にいる国防軍の空軍大将であり空軍参謀総長でもあるカール・コラーに「空軍司令官は全員クビだ」と言い渡します。
各地からナチスの高官たちや、国家元帥であり国防軍の空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング、ナチ党(ナチス)の親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーなどの最高幹部たちが集い開催された、ヒトラーの誕生祝賀パーティー。
その同時刻、ドイツの全省庁と軍部署はヒトラーの命令により、撤退・撤収作業に追われていました。しかし親衛隊大佐であり国防軍の軍医でもあるエルンスト=ギュンター・シェンク教授は、「市街地戦が始まれば食料供給がマヒし、市民や兵士が食糧難に陥ってしまう」と危惧し、撤退を拒否しました。
ヒトラーは自身の誕生祝賀パーティーで、「忠臣ハインリヒ」と呼んで信頼していたヒムラーからベルリン脱出を進言されるも、これを拒否。
ヒムラーやナチスの高官たちに各地の防衛指揮を任せた後、ヒトラーは自身の友人であり軍需大臣でもあるアルベルト・シュペーアに、「芸術文化の宝庫として、何千年も栄え続ける帝国を築き上げることが私の夢だ」と語りました。
1945年4月22日。ヒトラーは総統地下壕にて、迫りくるソ連軍に対処するための作戦会議を開きます。
北東部にいるソ連軍を猛烈な攻撃を加えて押し戻すべく、ヒトラーは親衛隊大将フェリックス・マルティン・ユリウス・シュタイナー率いるシュタイナー師団と、ドイツ軍の部隊である第9軍とヴェンクの第12軍に北から攻め入るよう命じます。
しかし、国防軍の陸軍上級大将でありOKW(国防軍最高司令部)作戦部長でもあるアルフレート・ヨードルや、国防軍の陸軍大将でありOKW筆頭副官でもあるヴィルヘルム・ブルクドルフは「北側の敵は10倍の数であるため、第9軍の北上は無理。第9軍を失うわけにはいかない」「西進中の第12軍を動かせば、西側が無防備になってしまう」と猛反対。
これに大激怒したヒトラーの元へ、親衛隊少将であり、官庁街防衛司令官でもあるヴィルヘルム・モーンケがやって来ます。
ヒトラーはモーンケに「首都が前線となったため、特殊作戦を発動させた。君には官庁街の防衛指揮を任せる」と命じました。
その後ヒトラーは、国防軍の陸軍大将ヘルムート・ヴァイトリングを総統地下壕へ招集。彼の報告に感銘を受け、首都防衛司令官に任命することにしました。
しかし、敗北も時間の問題になったドイツの戦況を好転させようと、頼みの綱にしていたシュタイナー師団も壊滅状態へ。兵力が乏しくなったシュタイナー師団の攻撃力には最早期待できる余地はありませんでした。
そう将軍たちから報告を受けたヒトラーは、国防軍の陸軍元帥でありOKW総長でもあるヴェルヘルム・カイテルとヨードル、国防軍の陸軍大将であり陸軍参謀総長でもあるハンス・クレープスとブルクドルフを罵倒します。
「シュタイナーに攻撃しろという、私の命令に背くとはけしからん。その結果がこれだ、陸軍も親衛隊も皆嘘をつく」
「いつも陸軍は私の計画を妨げ、あらゆる手を使い邪魔し続ける」「私は士官学校など出ていなくても、独力で欧州を征服したぞ」
「ドイツ国民への恐るべき裏切りだ。だが見てるがいい、己の血によって罪を償う日が必ず来る」
ヒトラーはヨードルたちを罵倒する一方で、「私の命令は届かない。こんな状態ではもはや指揮も執れない。もう終わりだ、この戦争は負けだ」と悲観し、こう言いました。
「私はベルリンを去るぐらいなら、自らの頭を銃で撃ち抜いて死ぬ」と……。
トラウドゥルと先輩秘書官のゲルダ・クリスティアン、ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンや総統地下壕の看護師は、ヒトラーから総統地下壕から退避するよう命じられましたが、「総統を見捨てるわけにはいかない」と退避を拒んで総統地下壕に残ることにしました。
客観的な判断能力を失いつつあるヒトラーに、忠誠を誓う総統地下壕スタッフと将軍たち。しかし内心では、「自殺する」とまで口にしたヒトラーに、このまま着いていっていいのか不安を募らせる者もいました。
映画『ヒトラー~最期の12日間~』の感想と評価
独裁者の人知れない苦悩
ナチス・ドイツの独裁者として君臨したアドルフ・ヒトラーは、その命を絶つまでの最期の12日間、心身共に弱っていきます。
忠臣として信頼を置いていたヒムラー、友人であったシュペーア、国防軍の空軍司令官ゲーリングによる裏切り。この3人の裏切りが、ヒトラーを心底激怒させ、精神的に追い詰めていきました。
なかでもヒトラーは、ヒムラーとシュペーアの裏切りが心に堪えており、シュペーアが旅立つ際は、人知れず涙を流しています。そして以降のヒトラーは心身共に憔悴していき、ついには愛人エヴァと一緒に自ら命を絶ったのです。
「独裁者」という「ただの人間」なのだと、そう感じさせられる場面の数々を観れば、観る人は「独裁者」としての振舞いと「ただの人間」としての姿にギャップを感じ、独裁者アドルフ・ヒトラーに対する見方が変わることでしょう。
ヒトラーの最期を知る者たちの「その後」
物語の終盤には、独裁者アドルフ・ヒトラーが自ら命を絶ち、無条件降伏により「敗戦」に至ったドイツを生きた総統地下壕スタッフやドイツ軍幹部・兵士たちの「その後」がテロップで描かれます。
ゲルダは脱出に成功し、1997年にデュッセルドルフで死去。シェンク教授はソ連軍に拘束されたのち、1953年に釈放。1998年にアーヘンで亡くなりました。
モーンケはソ連軍に拘束されるも、1955年に釈放。2001年にダムプで死亡しました。一方のヴァイトリングは、ソ連軍に拘束されたのち1955年にKGBの収容所で死去。
ハーゼ教授は総統地下壕の病棟でソ連軍に拘束され、1945年に亡くなりました。またヒトラーの最期の命令を全うしたギュンシェはソ連軍に拘束されたのち、1956年に東ドイツの刑務所を出所。2003年にこの世を去りました。
グライム元帥と任務に向かったライチュ飛行士は戦争を生き延び、飛行の世界記録を多数残した末に、1979年に死去。ベルリン脱出後にアメリカ軍の捕虜となったグライム元帥は1945年5月24日、ソ連軍への引き渡しを悲観しザルツブルクの獄中で自死を選びました。
ベルリン脱出を図ったシュペーアは、ニュルンベルク裁判で禁固20年の判決を言い渡され、1966年に釈放。1981年に、ロンドンでこの世を去りました。
カイテルとヨードルは、ニュルンベルク裁判で死刑に。ゲーリングは死刑判決を受けましたが、死刑執行前に自殺しました。またヒトラーを裏切ったヒムラーは、偽名を使い難民を装うことで脱出を試みましたが発見され、のちに隠し持っていた毒薬で自殺しました。
そして無事逃げ延びたトラウドゥルは、罪には問われず、民間で秘書を続けていましたが、2002年にこの世を去りました。
トラウドゥルたちがドイツの無条件降伏後、それぞれどうなったのかを綴ったテロップを観ていると、それまで映画作中で描かれ続けてきた人々の「人生を運命づけた出来事と記憶」が思い浮かび、自然と涙が出てくるほど悲しくなります。
まとめ
ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの最期の12日間を、彼の秘書トラウドゥルや総統地下壕に残った者たち視点で描かれる、ドイツの実録ドラマ作品でした。
本作の見どころは、ヒトラーが自殺するまでどう過ごしていたのか、敗北寸前のドイツで、トラウドゥルたちやドイツ軍兵士が何を思っていたのかという点です。
思わぬ裏切りに遭い続け、心身共に病んだヒトラーの後を追うように、次々と自殺していくゲッベルスたちの姿には、思わず画面から目を背けたくなるほど辛いです。
しかしエンドロール前には、トラウドゥル本人のインタビュー映像が流れます。そして、ニュルンベルク裁判を通じてその詳細を知った「ホロコースト」という恐ろしい事実を言及したのち、トラウドゥルは戦時中の自身をこう語りました。
「若かったというのは言い訳にならない」「目を見開いていれば──気づけたのだと」
ユダヤ人を虐げたドイツ軍や、独裁者アドルフ・ヒトラーへの見方が変わる一方で、決して目をそらすことができない事実を再認識する。そんな実録ドラマ映画が観たい人に、とてもオススメな作品です。