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Entry 2021/09/01
Update

映画『ヒトラー 最期の12日間』ネタバレ解説とあらすじ結末の感想考察。ラストに描く戦争の“気づけなかった真実”

  • Writer :
  • 秋國まゆ

全てを目撃した秘書がヒトラーの最期を語る実録ドラマ。

オリヴァー・ヒルシュビーゲルが監督を務めた、2004年製作のドイツの実録ドラマ映画『ヒトラー~最期の12日間~』。

迫りくるソ連軍の放火から逃れようとする、ヒトラーと彼の側近たち。全てを目撃した秘書トラウドゥル・ユンゲの証言と回想録を基に描かれた、ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの最期とは、具体的にどんな物語があったのでしょうか。

もはや客観的な判断能力を失いつつあった、ナチス・ドイツ独裁者の最期の12日間を描いた実録ドラマ映画『ヒトラー~最期の12日間~』のネタバレあらすじと作品情報をご紹介いたします。

映画『ヒトラー~最期の12日間~』の作品情報


(C)2004 Constantin Film Produktion GMBH

【日本公開】
2005年(ドイツ映画)

【原作】
ヨアヒム・フェスト『ヒトラー~最期の12日間〜』、トラウドゥル・ユンゲ『私はヒトラーの秘書だった』

【監督】
オリヴァー・ヒルシュビーゲル

【キャスト】
ブルーノ・ガンツ、アレクサンドラ・マリア・ララ、コリンナ・ハルフォーフ、ウルリッヒ・マテス、ウルリッヒ・ヌーテン、ユリアーネ・ケーラー、ハイノ・フェルヒ、クリスチャン・ベルケル、マティアス・ハービッヒ、トーマス・クレッチマン、ミヒャエル・メンドル、ゲッツ・オットー、アンドレ・ヘンニック

【作品概要】
歴史家ヨアヒム・フェストの研究書『ヒトラー~最期の12日間~』や、ヒトラーの個人秘書だったトラウドゥル・ユンゲの証言と回想録『私はヒトラーの秘書だった』を基に映画化。『es エス』(2002)や『レクイエム』(2009)、『ダイアナ』(2013)、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)などのオリヴァー・ヒルシュビーゲルが監督を務めました。

ベルリン 天使の詩』(1987)や実写映画『ハイジ アルプスの物語』(2015)のブルーノ・ガンツが主演を務め、共演は『トンネル』(2001)や『ジオストーム』(2017)などに出演する、アレクサンドラ・マリア・ララです。

映画『ヒトラー~最期の12日間~』のあらすじとネタバレ


(C)2004 Constantin Film Produktion GMBH

1942年11月、真夜中の東プロイセン・ラステンブルク。

当時22歳の女性トラウドゥル・フンプス(のちに結婚し「ユンゲ」姓に)は、総統大本営の一つ「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」を訪れ、ナチス・ドイツ国総統アドルフ・ヒトラーの秘書採用試験を受けました。

ヒトラーは自身の愛犬ブロンディに餌をやった後、5人の秘書候補の女性の中から、国家社会主義ドイツ労働者党こと「ナチス」の結成の地ミュンヘンの出身であるトラウドゥルに興味を抱き、彼女を自身の個人秘書として採用することにしました。

それから2年半後の1945年4月20日、ドイツ・ベルリン。

ヒトラーは総統地下壕にて、56歳の誕生日を迎えます。しかしその日は、朝からソ連軍の砲撃が、市の中心街にあるブランデンブルク門や議事堂周辺に降り注いでいました。

ヒトラーがいる総統地下壕から、12キロしか離れていない地点まで迫るソ連軍。しかし誰もそのことを報告しなかったことにヒトラーは激怒し、郊外にいる国防軍の空軍大将であり空軍参謀総長でもあるカール・コラーに「空軍司令官は全員クビだ」と言い渡します。

各地からナチスの高官たちや、国家元帥であり国防軍の空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング、ナチ党(ナチス)の親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーなどの最高幹部たちが集い開催された、ヒトラーの誕生祝賀パーティー。

その同時刻、ドイツの全省庁と軍部署はヒトラーの命令により、撤退・撤収作業に追われていました。しかし親衛隊大佐であり国防軍の軍医でもあるエルンスト=ギュンター・シェンク教授は、「市街地戦が始まれば食料供給がマヒし、市民や兵士が食糧難に陥ってしまう」と危惧し、撤退を拒否しました。

ヒトラーは自身の誕生祝賀パーティーで、「忠臣ハインリヒ」と呼んで信頼していたヒムラーからベルリン脱出を進言されるも、これを拒否。

ヒムラーやナチスの高官たちに各地の防衛指揮を任せた後、ヒトラーは自身の友人であり軍需大臣でもあるアルベルト・シュペーアに、「芸術文化の宝庫として、何千年も栄え続ける帝国を築き上げることが私の夢だ」と語りました。


(C)2004 Constantin Film Produktion GMBH

1945年4月22日。ヒトラーは総統地下壕にて、迫りくるソ連軍に対処するための作戦会議を開きます。

北東部にいるソ連軍を猛烈な攻撃を加えて押し戻すべく、ヒトラーは親衛隊大将フェリックス・マルティン・ユリウス・シュタイナー率いるシュタイナー師団と、ドイツ軍の部隊である第9軍とヴェンクの第12軍に北から攻め入るよう命じます。

しかし、国防軍の陸軍上級大将でありOKW(国防軍最高司令部)作戦部長でもあるアルフレート・ヨードルや、国防軍の陸軍大将でありOKW筆頭副官でもあるヴィルヘルム・ブルクドルフは「北側の敵は10倍の数であるため、第9軍の北上は無理。第9軍を失うわけにはいかない」「西進中の第12軍を動かせば、西側が無防備になってしまう」と猛反対。

これに大激怒したヒトラーの元へ、親衛隊少将であり、官庁街防衛司令官でもあるヴィルヘルム・モーンケがやって来ます。

ヒトラーはモーンケに「首都が前線となったため、特殊作戦を発動させた。君には官庁街の防衛指揮を任せる」と命じました。

その後ヒトラーは、国防軍の陸軍大将ヘルムート・ヴァイトリングを総統地下壕へ招集。彼の報告に感銘を受け、首都防衛司令官に任命することにしました。

しかし、敗北も時間の問題になったドイツの戦況を好転させようと、頼みの綱にしていたシュタイナー師団も壊滅状態へ。兵力が乏しくなったシュタイナー師団の攻撃力には最早期待できる余地はありませんでした。

そう将軍たちから報告を受けたヒトラーは、国防軍の陸軍元帥でありOKW総長でもあるヴェルヘルム・カイテルとヨードル、国防軍の陸軍大将であり陸軍参謀総長でもあるハンス・クレープスとブルクドルフを罵倒します。

「シュタイナーに攻撃しろという、私の命令に背くとはけしからん。その結果がこれだ、陸軍も親衛隊も皆嘘をつく」

「いつも陸軍は私の計画を妨げ、あらゆる手を使い邪魔し続ける」「私は士官学校など出ていなくても、独力で欧州を征服したぞ」

「ドイツ国民への恐るべき裏切りだ。だが見てるがいい、己の血によって罪を償う日が必ず来る」

ヒトラーはヨードルたちを罵倒する一方で、「私の命令は届かない。こんな状態ではもはや指揮も執れない。もう終わりだ、この戦争は負けだ」と悲観し、こう言いました。

「私はベルリンを去るぐらいなら、自らの頭を銃で撃ち抜いて死ぬ」と……。

トラウドゥルと先輩秘書官のゲルダ・クリスティアン、ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンや総統地下壕の看護師は、ヒトラーから総統地下壕から退避するよう命じられましたが、「総統を見捨てるわけにはいかない」と退避を拒んで総統地下壕に残ることにしました。

客観的な判断能力を失いつつあるヒトラーに、忠誠を誓う総統地下壕スタッフと将軍たち。しかし内心では、「自殺する」とまで口にしたヒトラーに、このまま着いていっていいのか不安を募らせる者もいました。

以下、『ヒトラー~最期の12日間~』ネタバレ・結末の記載がございます。『ヒトラー~最期の12日間~』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。


(C)2004 Constantin Film Produktion GMBH

戦争が激化の一途を辿る中でベルリン市街地は火の海と化し、兵士や市民問わず、数多の死体が転がっているという凄惨な光景が広がっていました。

シェンク教授は危険を顧みず、自らの副官と共に市街地へ赴き、親衛隊中佐でありヒトラーの侍医でもあるヴェルナー・ハーゼ教授の元を訪れると、一緒に負傷した兵士や市民の治療に当たりました。

その頃ヒトラーは、ヒムラーが置いていったという、神経と呼吸器がマヒし数秒で死に至る毒薬で、自殺しようと考えていました。

1945年4月23日。死を覚悟したエヴァと、宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスの妻マクダ・ゲッベルスは、それぞれ妹のグレートルと息子ハラルトに宛てた手紙を書いていました。

翌日の1945年4月24日。ヒトラーはゲーリングから、総統権限を自分に引き継ぐよう要求する電報を受けました。自身を無能者呼ばわりするゲーリングに対し、ヒトラーは国を誤った方向へ導いた挙句、自身を裏切った罰として、彼の全権限を剥奪した上での逮捕をゲッベルスたちに命じました。

シュペーアは総統地下壕を訪れ、ヒトラーと退去の挨拶を交わしました。その際、シュペーアはヒトラーに、彼から受けたインフラ設備の破壊命令を無視した挙句、その反対の行動をしていたことを告白。そしてヒトラーに別れを告げると、シュペーアは総統地下壕を去っていきました。

シュペーアが総統地下壕に残留し、最期まで自身の味方でいてくれることを信じていたヒトラーは、彼が去った部屋で1人、そっと一粒の涙を流しました。

その後、ヒトラーは総統地下壕で治療を受ける国防軍の将軍ローベルト・リッター・フォン・グライムと、空軍のパイロットであるハンナ・ライチュ飛行士と面会。

空路でソ連軍の包囲網を突破した彼らをヒトラーは称賛し、グライム将軍をゲーリングの後任として、空軍最高司令官及び空軍元帥に任命しました。

しかしヒトラーは、グライム元帥・ライチュ飛行士・ゲッベルス・エヴァ・トラウドゥルたちを食事をとっている最中、ヒムラーが西側に降伏を申し入れ、連合軍と和平交渉を行っているという報告を受けました。

ゲーリングやシュペーアに続き、ヒムラーも自身を裏切ったと知り、激怒するヒトラー総統。彼はヒムラーの副官である親衛隊中将、なおかつエヴァの義弟でもあるヘルマン・フェーゲラインを総統地下壕へ招集するよう命じます。

またヒトラーは、ライチュ飛行士にも「グライムと共に、デーニッツ(ドイツの海軍軍人)の元へ飛び、ヒムラー処罰のため、あらゆる措置を取れと伝えろ」と命令。そしてその場に残したライチュ飛行士・グライム元帥・ゲッベルスに、ヒムラーには伝えなかった「ある計画」について話します。

「敵は帝国に攻め入り、勝利は目前だと喜んでいるだろう」「だが現実はそうではない。デーニッツが北から、ケッセルリング(ドイツの空軍軍人で第二次世界大戦時のイタリア戦線司令官)が南から、敵を挟み撃ちにして大打撃を加える」

「プラハ周辺の3軍も、敵の背後から攻撃する」「これだけの軍勢を、私は短期間で手配した。数千の戦闘機もな。これで空軍は戦力を復活させられる」

やがて消息不明だったフェーゲラインが逮捕され、彼の義姉であるエヴァは、フェーゲラインの妻である自身の妹の妊娠を理由に、ヒトラーへ彼の助命を懇願しました。しかしヒトラーはエヴァの懇願を拒絶し、フェーゲラインを自身の裏切った挙句逃亡した罪で銃殺刑に処しました。

総統地下壕での混乱が続く中、ナチス・ドイツ軍はソ連軍の進撃に対し完全な劣勢を強いられ、兵員も弾薬も不足していました。

もってあと2日。既に2万人近い若い将校が倒れていると報告するモーンケやヴァイトリングたちは、再度ヒトラーにベルリン脱出を進言するも、頑なに拒否されてしまいます。

ヒトラーは「直ちに以下を報告せよ。ヴェング軍の位置といつ攻撃を始めるか、第9軍はどこにいてどこを突破するのか」という電報をうち、カイテルに届けるよう命じました。

1945年4月29日。ヒトラーはトラウドゥルを自室に呼び出し、政治的遺言書を速記させます。

「1914年にわが微力を尽くすべく、先の大戦で志願兵となってから、早くも30年が過ぎた」「この30年、私の思考と行動と生活の全ては、国民への愛と忠誠に動かされてきた」

「何世紀が過ぎても、都市や文化財の廃墟から、戦争責任を負う者らへの憎悪が再生するだろう」「責を追う者らとは、ユダヤ民族とその支持者どもだ」

1945年4月30日。トラウドゥルがヒトラーの政治的遺言書を優先してタイプした午前2時、総統地下壕内でヒトラーとエヴァは、ささやかな結婚式を挙げていました。

負傷した兵士や避難した市民で溢れる総統地下壕の中、ヒトラーはモーンケを呼び寄せ、市街地での戦況を尋ねます。モーンケから「もってあと20時間が限度。敵は数百メートル先にいる」と聞かされたヒトラーの元に、さらにカイテルからの返電が届きます。

「ヴェンクはシュヴィーロ湖の南にいるが、彼の第12軍に反撃能力はない。第9軍の大半は敵に包囲された」……その報告に愕然としたヒトラーは、総統地下壕に集まった将校たちに、なおも降伏してはならないと禁じました。

ヒトラーは親衛隊少佐にして総統警備隊員、そして自身の個人副官でもあるオットー・ギュンシェに、エヴァと自殺する予定の自身の遺体をあらゆる手を尽くしてでも焼却し処分するよう命じました。

その命令を断腸の思いで引き受けたギュンシェは、すぐさま親衛隊中佐であり、ヒトラー総統の運転手でもあるエーリヒ・ケンプカに連絡を取り、ガソリン200リットルの調達を依頼します。

過労が祟り、気胸となってしまったハーゼ教授を総統地下壕へ招集したヒトラー。ハーゼ教授と一緒に負傷者を治療し続けてきたシェンク教授は、彼に付き添って総統地下壕へ向かいます。

ヒトラーがハーゼ教授を呼び寄せたのは、エヴァと一緒に毒で自殺できる方法を尋ねるためでした。それを偶然にも、盗み聞きしてしまったシェンク教授。

そして彼がトイレから戻った時には、ヒトラー総統とハーゼ教授は、毒の効力を確かめるべく、ブロンディを実験台として毒殺していました。


(C)2004 Constantin Film Produktion GMBH

午後3時。ヒトラーはエヴァと心中することを決め、総統地下壕に残った人たちと別れの挨拶を交わしていきます。

静かに居室へ入っていくヒトラーとエヴァの姿を見て、思わず悲しくて逃げだしてしまったトラウドゥルは、気を紛らせるために、ヒトラーへ会いに来たゲッベルスの子供たちと食事をすることに。

しかしその最中、総統地下壕に銃声が響き渡ります。直後、トラウドゥルやゲッベルスたちはギュンシェからの報告により、ヒトラーとエヴァの死を知りました。

ギュンシェはヒトラーからの最期の命令を遂行するべく、彼とエヴァの遺体を地上に運び、200リットルのガソリンを使って焼却しました。

1945年5月1日。クレープスはドイツの新政権を代表し、ソ連軍のチュイコフ上級大将と休戦交渉を行いました。

しかし、チュイコフ上級大将からは「無条件降伏以外認めない」と返答され、休戦交渉は失敗。ヒトラーの遺志を引き継ぐゲッベルスも、無条件降伏には反対でした。

ゲッベルスとマクダはヒトラーの死を嘆き、ハーゼ教授に頼んで毒薬を作ってもらうと、ベッドで眠る子供たち全員にそれを飲ませました。

トラウドゥルたち総統地下壕に残った人々は、ベルリン脱出の準備を進めます。クレープスとブルクドルフは、総統地下壕を去っていく人々を見送ると、一服したのち拳銃自殺に至りました。

首都防衛司令官ヴァイトリングは、市街地にいるドイツ軍兵士と市民に向けて、ある声明放送を流しました。

「ヒトラー総統は1945年4月30日、忠誠を誓った我々を残したまま逝かれた」「ドイツ軍兵士諸君は総統命令に従い、抗戦を続けてきた」

「だが武器弾薬が尽きた今、これ以上の抵抗は無益である」「これ以上戦闘を続けても、市民と負傷兵の苦しみを長引かせるだけである」

「ソ連軍最高司令部との合意に基づき、即時戦闘の中止を命ずる」……そう告げた直後、ヴァイトリングは倒れてしまいます。

放送を聞いたことで自殺を選ぶ市民や兵士が現れる中、礼装に身を包んだゲッベルスとマクダは、ヒトラーたちの遺体のそばで拳銃自殺。夫妻の遺体はヒトラー同様、焼却されました。

モーンケに同行するよう求められたシェンク教授は、総統地下壕に残留し負傷兵を治療することを決めたハーゼ教授に別れを告げ、モーンケたちと共に、総統地下壕を脱出。

一晩中戦地を駆け抜けたのち、モーンケたちはドイツ軍の敗残部隊と合流しました。しかし、安心するのも束の間、その場所はソ連軍に包囲されてしまうのでした。

トラウドゥルはゲルダやシェンク教授に勧められ、両親が自殺してしまい行き場を失った少年と一緒に包囲網を突破し、無事に逃げ延びます。

一方でドイツ軍の無条件降伏を知らされた直後、シェンク教授たちと一緒にいた、ブロンディの飼育をしていた総統地下壕のスタッフのフリッツ・トルノウ、親衛隊の隊員数名は毒薬を服用し拳銃自殺に至りました。

1945年5月7日。ドイツ軍は無条件降伏を受け入れ、ソ連軍と「5月8日24時に全戦闘終結」で合意。この大戦による死者は5000万人を超え、600万人のユダヤ人が各地の強制収容所で殺害されました。

映画『ヒトラー~最期の12日間~』の感想と評価


(C)2004 Constantin Film Produktion GMBH

独裁者の人知れない苦悩

ナチス・ドイツの独裁者として君臨したアドルフ・ヒトラーは、その命を絶つまでの最期の12日間、心身共に弱っていきます。

忠臣として信頼を置いていたヒムラー、友人であったシュペーア、国防軍の空軍司令官ゲーリングによる裏切り。この3人の裏切りが、ヒトラーを心底激怒させ、精神的に追い詰めていきました。

なかでもヒトラーは、ヒムラーとシュペーアの裏切りが心に堪えており、シュペーアが旅立つ際は、人知れず涙を流しています。そして以降のヒトラーは心身共に憔悴していき、ついには愛人エヴァと一緒に自ら命を絶ったのです。

「独裁者」という「ただの人間」なのだと、そう感じさせられる場面の数々を観れば、観る人は「独裁者」としての振舞いと「ただの人間」としての姿にギャップを感じ、独裁者アドルフ・ヒトラーに対する見方が変わることでしょう。

ヒトラーの最期を知る者たちの「その後」


(C)2004 Constantin Film Produktion GMBH

物語の終盤には、独裁者アドルフ・ヒトラーが自ら命を絶ち、無条件降伏により「敗戦」に至ったドイツを生きた総統地下壕スタッフやドイツ軍幹部・兵士たちの「その後」がテロップで描かれます。

ゲルダは脱出に成功し、1997年にデュッセルドルフで死去。シェンク教授はソ連軍に拘束されたのち、1953年に釈放。1998年にアーヘンで亡くなりました。

モーンケはソ連軍に拘束されるも、1955年に釈放。2001年にダムプで死亡しました。一方のヴァイトリングは、ソ連軍に拘束されたのち1955年にKGBの収容所で死去。

ハーゼ教授は総統地下壕の病棟でソ連軍に拘束され、1945年に亡くなりました。またヒトラーの最期の命令を全うしたギュンシェはソ連軍に拘束されたのち、1956年に東ドイツの刑務所を出所。2003年にこの世を去りました。

グライム元帥と任務に向かったライチュ飛行士は戦争を生き延び、飛行の世界記録を多数残した末に、1979年に死去。ベルリン脱出後にアメリカ軍の捕虜となったグライム元帥は1945年5月24日、ソ連軍への引き渡しを悲観しザルツブルクの獄中で自死を選びました。

ベルリン脱出を図ったシュペーアは、ニュルンベルク裁判で禁固20年の判決を言い渡され、1966年に釈放。1981年に、ロンドンでこの世を去りました。

カイテルとヨードルは、ニュルンベルク裁判で死刑に。ゲーリングは死刑判決を受けましたが、死刑執行前に自殺しました。またヒトラーを裏切ったヒムラーは、偽名を使い難民を装うことで脱出を試みましたが発見され、のちに隠し持っていた毒薬で自殺しました。

そして無事逃げ延びたトラウドゥルは、罪には問われず、民間で秘書を続けていましたが、2002年にこの世を去りました

トラウドゥルたちがドイツの無条件降伏後、それぞれどうなったのかを綴ったテロップを観ていると、それまで映画作中で描かれ続けてきた人々の「人生を運命づけた出来事と記憶」が思い浮かび、自然と涙が出てくるほど悲しくなります。

まとめ


(C)2004 Constantin Film Produktion GMBH

ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの最期の12日間を、彼の秘書トラウドゥルや総統地下壕に残った者たち視点で描かれる、ドイツの実録ドラマ作品でした。

本作の見どころは、ヒトラーが自殺するまでどう過ごしていたのか、敗北寸前のドイツで、トラウドゥルたちやドイツ軍兵士が何を思っていたのかという点です。

思わぬ裏切りに遭い続け、心身共に病んだヒトラーの後を追うように、次々と自殺していくゲッベルスたちの姿には、思わず画面から目を背けたくなるほど辛いです。

しかしエンドロール前には、トラウドゥル本人のインタビュー映像が流れます。そして、ニュルンベルク裁判を通じてその詳細を知った「ホロコースト」という恐ろしい事実を言及したのち、トラウドゥルは戦時中の自身をこう語りました。

「若かったというのは言い訳にならない」「目を見開いていれば──気づけたのだと」

ユダヤ人を虐げたドイツ軍や、独裁者アドルフ・ヒトラーへの見方が変わる一方で、決して目をそらすことができない事実を再認識する。そんな実録ドラマ映画が観たい人に、とてもオススメな作品です。





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