連載コラム「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第3回
深夜テレビの放送や、レンタルビデオ店で目にする機会があったB級映画たち。現在では、新作・旧作含めたB級映画の数々を、動画配信サービス【U-NEXT】で鑑賞することも可能です。
そんな気になるB級映画のお宝掘り出し物を、Cinemarcheのシネマダイバーがご紹介する「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第3回は、1963年公開のアニマルパニック映画の原点とも言える、秀でたサスペンス作品『鳥(The Birds)』です。
“映画の教科書的”なマスターピースとして知られている『裏窓』(1954)や、『北北西に進路を取れ』(1959)など、多くの傑作サスペンスを生み出した巨匠アルフレッド・ヒッチコックの作品を、「B級映画なの⁈」という映画ファンも多いはず。
もちろん、本作『鳥』は、原作ダフニ・デュ・モーリエによる同名の短編小説を、ヒッチコック監督が見事な1級の名作に仕上げたことは言うまでもありません。
今回は1970年代に量産された動物が人間を襲うというパニックムービーの原点。そして、今なお、多くホラーやSF映画を生み出すヒントを与え続けているヒッチコック監督の演出に焦点を当て、『鳥』の優れた真価をズバリ解説いたします。
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映画『鳥』の作品情報
【公開】
1963年(アメリカ映画)
【原題】
The Birds
【原作】
ダフネ・デュ・モーリア
【脚本】
エヴァン・ハンター(エド・マクベインのペンネーム)
【監督・製作】
アルフレッド・ヒッチコック
【音楽】
バーナード・ハーマン
【キャスト】
ロッド・テイラー、ジェシカ・タンディ、ティッピー・ヘドレン、スザンヌ・プレシェット、ベロニカ・カートライト、エセル・グリフィス、チャールズ・マグロー、ルース・マクデビット、ジョー・マンテル、マルコム・アタベリー、カール・スウェンソン
【作品概要】
謎のうちに凶暴化した鳥の大群に襲われる人間たちの恐怖を描いた、アニマル・パニックスリラー映画の元祖。原作はダフネ・デュ・モーリアの短編小説で、「87分署シリーズ」などの代表作を持つ推理小説家エド・マクベインがエヴァン・ハンター名義で執筆。
演出はサスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督で、1960年に公開した『サイコ』に続く、後期作品の頂点の傑作です。
映画『鳥』のあらすじとネタバレ
サンフランシスコにあるペットショップで、上流階級の若きエリートのメラニー・ダニエルズ(ティッピ・ヘドレン)は、正義感あふれる弁護士のミッチ・ブレナー(ロッド・テイラー)と出会います。
ミッチは妹の誕生日が近いことから、鳥をプレゼントしたいと考えていました。その際にメラニーを店員と勘違いしたことから、彼女にラブバード(コザクラインコ、ボタンインコなどの愛称)のつがいを探してもらいます。
しかし、お目当の鳥はショップ内では扱っておらず、鳥の名前も知らないメラニーはミッチにたしなめられ、ミッチは店内を後にします。
そんなミッチに好奇心を持ったメラニーは、すぐさま知人に電話をかけ、自動車のナンバープレートから彼の住所を探してもらいます。
その後、ラブバードを手に入れたメラニーは、自動車に乗り込み、100キロほど離れたカリフォルニア州ボデガ湾に向かい、ラブバードのつがいをミッチに届けることにしました。
ボデガ湾の港町に到着したメラニー。郵便配達も兼ねた雑貨店に入り、彼女はミッチの家の場所と妹の名前を尋ねます。
すると、店の真向かい、しかも湾の対岸にある家と聞かされたメラニーは、店主にモーターボートを用立ててもらい、ボートを運転して海を渡ります。
目的地の家の近くある舟着き場にボートを止め、メラニーはラブバードを手にして、ミッチの家に妹キャッシー宛ての手紙とともに置きました。
しかし、メラニーがボートを運転すると、目ざといミッチは彼女を見つけました。彼はメラニーを追いますが、その時、突如、カモメがメラニーの頭目がけて襲撃。
驚いたメラニーは、頭から血を流しケガを負います。彼女を心配したミッチはケガを介護した後、遠方から来たメラニーを自宅での夕食に誘います。
少しずつミッチとメラニーのふたりは仲良くのですが、他所者であるメラニーの存在、そのうえ子離れしていないミッチの母リディア(ジェシカ・タンディ)は面白くはありませんでした。
ですが、ミッチの妹キャシー(ヴェロニカ・カートライト)は、都会的でピアノの演奏も上手ななメラニーとはすっかり仲良くなり、しかもラブバードを届けてもくれたのですから好意を抱いています。
また、メラニーはボデガ湾を訪れた際に、妹キャッシーの名前を尋ねた地元小学校のアニー・ヘイワース先生(スザンヌ・プレシェット)とも知人になっていきます。ですが、アニーはミッチの元彼女であるという事実も知ります。
その日の夜、メラニーがアニーの家にいた際に、カモメがドアに向かって突撃して、死んでしまうという不吉な出来事が起きます。
さらに事態は深刻になり、翌日のこと、妹キャシーの誕生日パーティを野外で行なっていると、パンパンと風船が割れる音ともに、恐怖に怯える子どもたちにカモメの大群が攻撃。泣き叫ぶ少女たちにカモメたちは容赦しません。
しかも、その晩には、ブレナー家の暖炉の煙突から大量のスズメが侵入。ブレナー家とメラニーはパニックになりながらも九死に一生を得ます。
明らかに村の様子がおかしいと思った母リディアは、近所に住む農夫の家を訪れます。人気のないキッチンに入ると、台所にさげられたコーヒーカップが割れていました。
リディアは怯えながら奥の寝室を覗きに向かいます。すると、就寝中に鳥たちに襲われた知人の男性は2つの目を抉られ、物言わぬ無残な姿で殺されていました。
遂にリディアは連日続く鳥たちの異常な脅威に怯え、メラニーに小学校にいる娘キャシーの様子を見に行ってほしいと懇願します。
メラニーがアニーに挨拶した後、校庭のジャングルジムの前にあったベンチにメラニーは座ります。音楽の授業で生徒たちの唄う歌声を聴きながら、授業が終わるのを待っています。
すると、メラニーの背後に無数のカラスたちが次々に集まって来ていることに気付きます。恐怖を覚えた彼女は、教室にいるアニーに警告を告げます。
アニーとメラニーは子どもたちを避難させながら校舎の外へ飛び出します。ジャングルジムいたカラスたちは、逃げ惑う彼女らを攻撃、何人かの子どもたちは血を流すケガを負いました。
その後、メラニーは地元のレストランでミッチと落ち合います。店内にいたお客たちは、自分たちが遭遇した奇怪な鳥の様子を口々に語っていました。
カウンターで昼間から呑んでいる酔っ払い客は、「世界の終わり」だと言い始め、また地方周りのセールスマンは、鳥などは全て殺していなくなればいいと言います。
高齢の婦人で、長年に渡りアマチュア鳥類学者をしている者は、「違う種類の鳥は一緒に集まらない。鳥が攻撃したという報告は何かの間違いだ」と主張を述べます。
また、若い母親は息子と娘に食事を取らせていましたが、店内の異論反論口が「戦争!」「鳥戦争!!」だと白熱していく会話により次第に不安を感じ、子どもたちを怖がらせることは止めて欲しいと議論に口を挟みます。
その時、レストランの目の前にあったガソリンスタンドで自動車に給油をしていた店員を鳥が襲撃。店員が気絶して倒れてしまうと、手にしていたガソリンホースから、ガソリン流れ出し、徐々に道へと広がり始めます。
映画『鳥』の感想と評価
『鳥』予告編のロングバージョン
1970年代のアニマルパニック映画と新たなる天才の登場
1963年にアルフレッド・ヒッチコック監督が『鳥』を全米公開しますが、もちろん本作以前にも、アニマルパニック映画は皆無ではありません。
『キングコング』(1933)や『海底二万哩』(1954)、またはジョージ・パル製作の『黒い絨毯』や、ジョン・ヒューストン監督の『白鯨』(1956)など、南海の巨大ゴリラ、巨大タコ、人食い蟻、クジラなどと人類は戦って来ました。
しかし、ヒッチコック監督は、これの生物とは異なり一般的で何処にでもいる、ありふれた「鳥」と「人」との間で緊張感や恐怖心を与えたことが特出すべきポイントです。
また、言うまでもなく、その後のアニマルパニック映画は、1974年のスティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』で本格的に開花。
すると、それに類似したB級映画が次々に作られるようになり、1976年公開の巨大クマが襲う『グリズリー』やミミズが襲う『スクワーム』。1977年公開の巨大ダコ『テンタクルズ』やシャチの『オルカ』、1978年の『ピラニア』、1980年の巨大ワニ『アリゲーター』などなど、キリがありません。
しかし、ヒッチコック監督の場合は、誰もがよく見る「鳥」を描くことで恐怖を与え、夜や闇の中でのサスペンスではなく、日中の日差しのなかでの不気味さが売りであり特徴なのです。
今回の北カルフォルニアにあるデボガ湾でのどんよりとした空気感、またブレナー一家の住む家はロシア移民が建てた様式のいえでのロケ撮影と、どこか日常で違和感を感じさせる味な演出です。
しかも「鳥」の場合は、理由や原因が意味不明でよく分からない状況で、人類を襲って来たという設定。そこが他の作品とは少し異なる要素です。
そして、そのような才気に溢れていたヒッチコック監督でも、『鳥』を最後の頂点に演出に陰りが見えてきます。
『引き裂かれたカーテン』(1966)や『ファミリー・プロット』(1976)をユニバーサルスタジオで撮影中していた際に、スタジオを覗きに訪れたスピルバーグ監督を2度に渡り、スタジオの外に追い出したエピソードがあります。
如何なる理由があったのか真実はわかりません。しかし、当時20代前半のスピルバーグ監督には勢いと才能がありました。
テレビ映画『激突』(1971)では、タンクローリーの運転手が主人公を異常なまでに追い回す意図や犯人像は不明。また児童を乗せたスクールバス、電話ボックスなど要素は、ヒッチコック的恐怖のスリラーと酷似していますので、ヒッチコック監督が次世代のスピルバーグ青年を嫌ったのは理解ができます。
『鳥』の劇中の秀でた演出である「子ども・音楽・編集」を活かした名場面である小学校でのジャングルジムにカラスが集まる場面、またレストラン前の電話ボックスなどは、似通ったバリエーションをスピルバーグ監督は自分のアイデアまでに引き上げています。
天才は天才を知る、サスペンス映画の神様として君臨したヒッチコック監督と次世代の娯楽映画の寵児であったスピルバーグ監督。このふたりの才能ある監督を境に、B級映画の面白さを知った担い手は選手交代があったと言えるかもしれません。
ヒッチコック演出の巧みさ「密室」「真珠湾攻撃」
本作『鳥』の冒頭にあるペットショップで登場する大きな鳥かごや、ラブバードを入れた鳥かごなど、鳥を飼育する鳥かごに入れられていますが、物語が進むにつれ、人間もまた鳥たちに閉所に押し込まれ、入れられてしまいます。
例えば、ボデガ湾にある雑貨店のレジ前にある網の柵(イメージの刷り込み)、オープンカーではない車内、ガラス張りの電話ボックス、そして際たる場所がブレナーの一家が住む家などです。
特に野外には自由に飛び回る鳥たちがいて、攻撃してくる家に不自由に閉じ込められる人間の図は、鳥たちと人間の逆転の対比構図であり、閉所密室の恐怖そのものです。
このような状況は、西部劇のなかでも山小屋や保安官事務所など悪党たちに追い込まれた時に定番として用いられる手法です。
しかし、閉所密室に閉じ込められる状況といえば、何と言ってもホラー映画のゾンビの面白さが極みではないでしょうか。
目的もなく外で自由にウロツキいて人間を襲うソンビ。まさに『鳥』で描かれていた意味不明の凶暴な無数な鳥たちと同じような存在と言えるでしょう。
またゾンビ映画ではなくても、意図的にそのような場所をバリエーションで作ったのが、スピルバーグ監督の『ジョーズ』です。サメが自由に泳げる海と船内にいるしかない人間というヒッチコック監督は『救命艇』(1943)を挙げようとも、新たな才能にイライラしたことでしょう。
しかも2005年になると、『宇宙大戦争』でも、スピルバーグ監督は『鳥』を意識するかのように、外に宇宙人トライポッドと閉じ込められた建物内の状況を演出で見せています。彼はヒッチコック監督をお手本として敬愛していたのは言うまでもありません。
この映画としてのお手本ともいうべき、外敵から閉じ込められる人間を描いた演出の数々が、ヒッチコック監督の巧みな演出の一旦なのです。
また、もうひとつの秀でた演出に注目してみましょう。
原作者のダフネ・デュ・モーリアは、ヒッチコック監督が本作『鳥』の舞台設定を、イギリスの農場から北カリフォルニアのボデガ湾という地域に変えたことを気に入ってはいなかったそうです。
しかし、湾岸の港町にしたことで、意図であるかは言い切れませんが、とても大きな効果を得ることができています。
ヒッチコック監督はガソリンスタンドの爆破や出火のシークエンスで、消火などの細かな説明的な描写を見せることが嫌だったと語っていますが、超俯瞰での空からの構図で、カモメが空中から人間の住む港町を襲うショットは圧巻です。
あれを見た時に思い出したのは、あくまで心象的印ですが「真珠湾攻撃へのイメージ」です。
第二次世界大戦でハワイ島への攻撃を受けた彼らが、アメリカ本土への襲撃を脳裏にフラッシュバックすることが無かったと言い切れるでしょうか。
この超俯瞰のショットは、本作『鳥』の中であそこにのみ使用されるカメラショットになります。
しかもそれを観客に見せる前のシーンは、レストラン内でお客たちが議論する描写です。ヒッチコック監督はフランソワ・トリュフォーとの対話で、この場面は本筋のテーマとは関係なく、ヒッチコック自身やや長いとも述べています。
しかし、長くても観客に敢えて見せたかった場面なのです。サイレント映画的な手法を好むヒッチコック監督にしてみれば、セリフで状況を説明するという極めて珍しい状況です。意味がない訳がありません。
あの場所で語られた議論は、「戦争」あるいは、脳みその小さな鳥たちによる「鳥戦争」という終末論。
ダフネ・デュ・モーリアは、短編小説を戦後間もない1952年に執筆しています。また「suicide birds」「suicide gulls」と記しており、翻訳では自殺という直訳ではなく、「特攻隊の鳥たち」「特攻カモメ」ともされています。
ヒッチコック監督が本作のテーマとは関係なく、長めに撮影と編集をしたレストランでの「戦争」議論という会話劇。そして「suicide=自殺」というダフネの記し。またボデガ湾の超俯瞰ショット。
小さな(脳)日本人でもパールハーバーを連想してしまいます。
ここでスピルバーグ監督に再登場してもらいましょう。彼の愛すべき1979年のおバカ映画『1941』は、日本海軍による真珠湾攻撃から6日後に、本土南カルフォルニアを攻撃するというコメディ映画でした。
この映画は、若き才能を持ったジョン・ミリアス、ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイルが原案、脚本を執筆した作品ですが、当時スピルバーグ監督が、どうしても自分の手で映画にしたかったほどのシナリオであったのです。
ヒッチコック監督にスタジオを見学させてもらえなかった彼は、“真珠湾のイメージ”ではなく、さらに映画新世代として「本土攻撃」を進めた作品を撮っていました。
まあ、1984年には『若き勇者たち』という、バトルロアイアル的な少年少女の戦争映画を本土攻撃として描いたジョン・ミリアス監督についてはいずれまた…。
もちろん、スピルバーグ監督の映画『1941』を観る時間があれば、ヒッチコック監督の『鳥』を何回も観ることがオススメということは申し上げておきましょう。
まとめ
アルフレッド・ヒッチコック監督の1963年『鳥』は、彼のフィルモグラフィの晩年の頂点となる“完全なるサスペンス演出術を観る”ことができる傑作映画です。
今回は、B級映画に大きく影響を与えた作品として、敢えて「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」でご紹介をさせていただきました。
スピルバーグ監督以外にも、フランソワ・トリュフォー監督、ブライアン・デ・パルマ監督、デビッド・フィンチャー監督、ウェス・アンダーソン監督など挙げれば申し子たちの存在はキリがありません。
また本作『鳥』のレストラン内での場面だけで取り上げるのであれば、フランク・ダラボン監督のトラウマ映画として知られる『ミスト』(2007)のスーパーマーケットの場面はソックリそのままでしょう。
ただ、ヒッチコック監督がオシャレな演出を見せているのは、レストラン内の「戦争」議論からガゾリンスタンド爆発、そして注目の超俯瞰の燃える港町までであれば、他の監督たちでもできるのです。
その後で静まり返ったレストランに戻ったミッチとメラニー、店内奥の廊下で女性たちだけが怯えて残っていて彼ら見つめる描写は、まるで一瞬の戦時下を連想させる提示です。
ヒッチコック監督は、物言わずとも戦争の悲惨さ、また、他所者が自分たちのエリアに入り込むことの不快さ(侵略・侵攻)を一瞬で見せるという、サスペンスのみならず、映画の神様だと言える所以なのです。
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