サスペンスの神様の鼓動50
テニス選手のガイが、同じ列車の乗客として偶然居合わせただけの見知らぬ男に「交換殺人」を提案されたことで始まる、不条理な恐怖を描いた映画『見知らぬ乗客』。
数多くの名作サスペンス映画を世に遺し「サスペンスの神様」とも称されるアルフレッド・ヒッチコックが、ミステリー作家であるパトリシア・ハイスミスの同名小説を映画化した作品です。
ハードボイルド探偵小説で知られる作家レイモンド・チャンドラーが脚本に参加していることも興味深い本作は、ガイに交換殺人を持ちかけるブルーノの一方的なサイコパスぶりが恐ろしい作品です。
本作が1951年に製作されたことからも「映画初のサイコパスキャラ」ともいえるブルーノ。非常に興味深いキャラクターであるブルーノの恐ろしさと共に、本作の魅力を深掘りしていきます。
CONTENTS
映画『見知らぬ乗客』のあらすじとネタバレ
アマチュアながらもテニスプレーヤーとして世間に名が知られているガイ。彼はワシントンから故郷メトカフへ向かう列車の車内で、「ガイのファン」を公言する男ブルーノと出会います。
読書に集中したいガイのことなどお構いなしで一方的に喋りかけてくるブルーノ。彼は新聞のゴシップ記事を好む下世話な男であり、やがて彼は「ガイが上院議員の娘アンと交際中」というゴシップ記事を話題にあげます。
ガイには妻ミリアムがいて、現在は離婚協議の最中であるという状況も把握しているブルーノは「ミリアムが邪魔だろ?」とガイに質問をします。
流石に不愉快な様子を隠そうともしないガイに、ブルーノは「自分がミリアムを殺すから、あんたは俺の父親を殺してくれ」と、交換殺人を提案します。
交換殺人の提案にくわえ、いつの間にか自身のことを「友達」と言い出したブルーノに不気味さを感じたガイは、メトカフに到着したタイミングでこの話を一方的に終わらせ、一人列車を降ります。
しかし列車を降りる際に、ガイはアンからプレゼントされた、特注のライターを車内に置き忘れてしまいます。
メトカフに到着したガイは、ミリアムが働いているお店を訪れます。離婚について話したかったガイですが、ミリアムにその気はありませんでした。
ミリアムもガイ以外の男性と不倫をしており、相手の男の子どもを身籠っていましたが、ガイが突然テニスプレーヤーとして有名になったことから「離婚に応じない」と言い出したのです。頭に血が上ったガイはミリアムと激しい口論になり、店内の多くの人々がその光景を目にします。
一方、自宅に戻ったブルーノは、母親に父親への不満を爆発させます。そこに父親が帰宅したことで席を外したブルーノは、ガイに交換殺人の件を電話しますが、ガイに一方的に電話を切られます。
その夜、メトカフに姿を現したブルーノは、男性2人と遊園地へ遊びに行くミリアムを尾行します。ミリアムは男性たちとボートに乗り、遊園地内の小島に到着します。
彼女を追いかけたブルーノは、ガイの持っていた特注のライターでミリアムの気を引きつけます。そしてブルーノは隙をついて、ミリアムの首を絞め命を奪います。
次の日、ガイの自宅にブルーノが現れます。そしてブルーノはミリアムを絞殺したことをガイに伝え「次は君の番だ」と言います。
サスペンスを構築する要素①「突如提案される交換殺人」
テニスプレーヤーのガイが、全く面識のない男ブルーノと遭遇したことで始まる、不条理とも呼べる恐怖を描いた映画『見知らぬ乗客』。
本作がまず面白い点は、映画が開始してから数分で、ガイの日常が壊されるという点です。
冒頭の列車内の場面で、ガイはブルーノに「交換殺人」を提案されます。普通であれば断って終わりの話ですが、後述するように、ブルーノは普通の男ではありませんでした。ガイの承諾もないまま、交換殺人の約束はブルーノによって次々に実行されてしまうのです。
またガイも清廉潔白な男ではなく、妻であるミリアムの他に好きな女性がいます。遊び癖のあるミリアムがなかなか離婚に応じないため、ガイは本当に愛しているアンと、一緒になれないという悩みを抱えています。
「ブルーノの提案に乗ってしまうのか?」というガイの葛藤が本作の前半部のポイントになりますが、ガイはなかなか正義感が強い男で、ブルーノの案には乗りません。提案された交換殺人が実行されないため、そのまま終わりそうにも思えますが、やがて本作の物語は中盤からブルーノの異常さが前面に出る展開へと変化していきます。
そしてガイは不幸にも、ブルーノの狂気に巻き込まれることになります。
サスペンスを構築する要素②「究極の自己中心男ブルーノ」
本作の鍵を握る……というよりも、ガイを恐怖に陥れる最大の元凶となる男がブルーノです。彼は人の話を聞かず、勝手に物事を進めてしまった上で、約束した覚えのないことを実行させようとする、「自己中心的な男」の究極形とも言えるキャラクターです。
ブルーノの異常性は、最初にガイと出会う場面ですでに伝わってきます。一方的にガイに話しかけて、読書を続けようとするガイに「いいから続けて」と言いながらも、隣に座って話を続けるという空気の読めなさ。
結果的には、ブルーノはガイに交換殺人を持ちかけることが最大の目的だったので、ガイが話を聞こうが聞くまいが、お構いなしだったのでしょう。
その後、ブルーノが母親と会話をする場面があるのですが、母親が描いた不気味な男の似顔絵を見て、大爆笑し「そっくりだ、お父様だ!」と感極まった声を出すのですが、ここでブルーノがまともな人間でないことがよく分かります。
ブルーノは自身の父親にコンプレックスを抱いているのですが、その父親からも「あいつは精神が異常だ」と言われています。ただブルーノの恐ろしい点は、やたらと社交的で、周囲に溶け込む才能があることです。
またミリアムを殺害する場面では、言葉を一切喋ることなくミリアムを尾行し、それとなく自分に気付かせて、興味を持たせたところで殺しています。ブルーノに人を惹きつける、不思議な魅力があることが分かる場面といえます。
さらに、ガイに圧力をかけるため、ガイの周囲にいる人々を自然と取り込んでいく辺りなど、かなり頭が良いことが分かります。
自己中心的で殺人にもほとんど躊躇いがない冷酷さを持ちながらも、頭の回転は速く、人心に簡単に取り入る社交性と魅力を垣間見せる点は、現代のサスペンス物では最早欠かすことのできない「サイコパス」といえます。
『見知らぬ乗客』は1951年に製作されていることからも、本作のブルーノを「映画で初めて描かれたサイコパス」という声もあります。
彼が映画初のサイコパスか否かは明確ではありませんが、冒頭から徐々にその異常性がにじみ出る演出は、「サイコパス」という言葉が広く知られるようになった現代だからこそ、ブルーノから感じる異常性はリアルさを感じさせられます。
サスペンスを構築する要素③「物語の鍵を握るライター」
ブルーノのペースに巻き込まれ、ミリアム殺害の容疑者にされてしまったガイ。
この時点で「お互いが見知らぬ人間を殺すことで、完全殺人を成立させる」というブルーノの交換殺人計画は失敗といえますが、ブルーノは意地でもガイに父親を殺させようとします。しかしガイに殺人の意思がないことを知ったブルーノは、ガイをミリアム殺害の犯人に仕立て上げようとします。
ヒッチコック作品は小道具の使い方が見事な作品が多いことで有名ですが、『見知らぬ乗客』では「ライター」が重要な道具として登場します。
ガイとアンの思い出が刻まれた特注のライター。ブルーノはこれをミリアムの殺害現場に置くことで、文字通り「決定的な証拠」を作り出そうとします。そしてそれを止めようとするガイとのライターを巡る攻防が、映画後半部の見どころとなっています。
また遊園地に向かうブルーノが、ライターを排水溝に落としてしまい、取り出すのに苦労する場面があるのですが、ここで初めてブルーノは焦りを感じた様子を見せます。
作品を動かす重要な道具として登場するライターは、計画が失敗し絶望的な状況にある、ブルーノの心情を表現する役割も担っているのです。
映画『見知らぬ乗客』まとめ
『見知らぬ乗客』は「映画初のサイコパス」とも呼ばれるブルーノの異常性とその恐怖をじわじわと味わわされる作品です。
ただ本作の何より凄い点は、1時間41分という尺内で一切の無駄な場面や展開がない点です。
特に後半のテニスの試合の場面では、過剰な音楽や演出は一切使わず、淡々とテニスの試合を見せながらも、実況のアナウンスによって急いで試合を終わらせようとしているガイの心情が分かるようになっています。
また勝負をつけられずに焦るガイと、排水溝にライターを落としてしまったブルーノの姿が同時進行で描かれており、ライターを取り返すために「攻め」の姿勢を見せるガイと、絶対にライターを失くせない「守り」の姿勢を見せるブルーノという、対極の立場にある2人を現した見事な演出となっています。
サイコパスの恐怖をシンプルな演出で見せる『見知らぬ乗客』は、現代にこそリアルな恐怖を感じられる素晴らしい作品です。