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Entry 2020/09/29
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細野辰興の連載小説 戯作評伝【スタニスラフスキー探偵団~日本俠客伝・外伝~】11

  • Writer :
  • 細野辰興

細野辰興の連載小説
戯作評伝【スタニスラフスキー探偵団~日本俠客伝・外伝~】(2020年9月下旬掲載)

【細野辰興の連載小説】『スタニスラフスキー探偵団~日本俠客伝・外伝~』の一覧はこちら

第三章「東映京都撮影所長の陰謀」

第一節「幻の企画『七人の武蔵』を巡って」番外編

 早いもので、幻の企画『七人の武蔵』誕生の楽屋裏を映画監督の細野がどう描いたかを語ってから二月が経ってしまった。

『~日本俠客伝・外伝~』の主催者役であり作・演出家役でもある鬼迫哲を蒸発させ、演出助手の清水と記録係の山田にゲネプロと同時進行させながら台本を創らせると云う荒技を導入。その荒技が、幻の企画『七人の武蔵』を誕生させ舞台『スタニスラフスキー探偵団~日本俠客伝・外伝~』の特異性になったと云うことが少しは解って頂けたと思う。
新登場の山田を演じたのは黒須夏樹。細野の初期の合宿制演技ワークショップの卒業生だ。

否、それよりも何よりも、気が付けば高井明より「語り手」を引き継いでから一年が経ってしまったではないか。

その間、明からは音沙汰無しの「無しの礫」。

乗り掛かった船とばかりに勢いで第三章まで来てしまったが、そろそろ幕を引きたく成ってしまった。そもそも第二章だけの積りだった訳だし、新コロナの「恐怖の神通力」も8月下旬に安倍前総理辞任表明を引き起こしたのをピークに拡散して来たし、私ももう良いだろう、と思うのだ。

その代わりと云っては何だが、皆さんとのお別れの記念に、私ならではの細野の知られざる作品情報を御裾分けすることにしたい。
『~日本俠客伝・外伝~』からは少し離れることになるが。

外でもない、邦画好きの映画監督である細野のオリジンの秘密の一端に触れることができる舞台『後15分貰えれば・・・』と云う珍作シリーズのことだ。御存知の方は少ないと思うので是非、最後に紹介しておきたい。

何故、御存知の方が少ないと思うのか。戯曲自体は、細野が横浜放送映画専門学院に在籍中に第一稿を書いたものなのだが、どう云う訳か、今まで一度も舞台化されたことがなかったからだ。今回の上演も新コロナにより4月7日に緊急事態宣言と自粛要請が出てからの2か月の間に暇を持て余した細野が、地下に潜って秘密裡に一日だけ上演したに過ぎない。上演場所は、細野の知り合いの俳優さんが都内に所有している稽古場。一月半に亘る稽古。一日だけの本番。出演者は矢張り細野のワークショップ卒業生で固めた。客も細野の贔屓と云うか馴染みと云うか、声を掛けた70人足らずだけだった。
蛇足ながら、握手会、打ち上げをやったのにも拘らず、出演者にも客にも誰一人、新コロナ感染者が出ることはなかった。

『後15分貰えれば・・・』と云うタイトルも抽象的で、これだけでは、映画界全盛期のプログラム・ピクチャーの中から細野の独断と偏見で作品を選び出し、15分釈を伸ばしリメイクすると云う趣向の舞台だと判らなくても仕方ない。

何故、映画界全盛期のプログラム・ピクチャーの釈を15分伸ばして舞台にするのか。

当時の映画興行は二本立てであり回転数を多くするため殆どの作品は90分弱だった。テンポは良いのだが、人間関係の「ウネリ」、「掛け合い」や「有機的な関係」などはもう一つ薄くならざるを得なかったのだ。

簡単に云えば、面白いが微妙にコクが足りないッ、と云う処か。「家族みんなで観る映画」としてはそれで良しとされる時代でもあったのだが、60年後の複雑多様な現代に生きる人間から観ると何かがもう少し有っても良いと感じてしまうのもまた事実だった。

映画監督である細野が、私以上にそう思ったとしても不思議ではない。15分長くし、面白くコクの有る舞台に作り変えてしまえッ、とばかりに新コロナ禍にシリーズ初の上演に踏み切ったに違いない。

とは云っても、いくら小さい舞台であろうとも他人の創作物を勝手に脚色して上演するなど許されるものではないだろう、と云う疑問が当然、湧いて来る。

蛇の道は蛇。
もう少し読み進めれば疑問も解消されるので暫しの御辛抱を。

「珍作シリーズ」と云っても書き溜めた戯曲は三本しかなく、今回舞台化された戯曲は、『贋作・江戸っ子判官とふり袖小僧』と云う賑やかな題名の作品だ。
オリジナルと成る映画は、昭和34年7月26日に全国東映系で『月光仮面 幽霊党の逆襲』(原作・川内康範 監督・島津昇一 脚本・織田清司 主演・大村文武)を併映に公開された『江戸っ子判官とふり袖小僧』(原作・小國英雄 監督・沢島忠 脚本・鷹沢和善)。「家族みんなで観る映画」の代表的な映画であった片岡千恵蔵御大の極め付け『いれずみ判官』シリーズの第15作に当たり、歌謡界のトップ・スター、美空ひばりが「ふり袖小僧」を演じダブル主演を務めた異色作だ。

上演舞台は、その「贋作」なのだ。

「贋作」とは、文字通りオリジナルを基本にして脚色した模造品のことなのだが、演劇に限らず模造品を作ること自体は全く違法ではない。
絵画など美術工芸の世界では、先人の画風を見て真似て描くことは、学校の美術の授業などで日常茶飯事的に行われている。また、偽る意図のない模写・複製・レプリカなども、一般には全く問題視されていない。

勿論、模造品を「真作(本物)」と偽ると詐欺であり、「贋作」を付けずに『江戸っ子判官とふり袖小僧』のタイトルで上演すれば間違いなく著作権法に触れる筈だ。
が、頭に「贋作」と付けてさえおけば世紀の名匠ルキノ・ビスコンテ監督の『ベニスに死す』(ワーナー`71年・10月公開 原作トーマス・マン 脚色ルキノ・ビスコンテ 主演ダーク・ボガード)であろうが、鬼才・今村昌平監督の『復讐するは我にあり』であろうが、『戯作評伝』の作者である細野辰興監督の『シャブ極道』であろうが何の問題もない。
あるとすれば「美学」の問題だけだ。

細野は、そこを逆手にとって『後15分貰えれば・・・』シリーズを考え付いたに違いない。
『贋作・江戸っ子判官とふり袖小僧』を語る前に先ず、オリジナルの『江戸っ子判官とふり袖小僧』がどんな映画だったのかを心細い記憶を頼りに紹介したい。


(C)1959 東映

 話の出だしは、「遠山の金さん」ではなく、美空ひばり扮する「ふり袖小僧」から始まる。

小伝馬町かどこかの牢屋に入牢している「ふり袖小僧」が、他の入牢者たちと何故か「遠山の金さん音頭」の様なモノを陽気に和気藹々と唄っている。勿論、金さん礼讃だ。そこに、田中春夫演じる戯作作家で鶴屋南北の弟子と称する亀屋東西が自作を持参して入牢してくる。地獄の沙汰も金次第なのに一文無しで入牢して来た東西に、仕方ないから代わりに「ふり袖小僧」と「遠山の金さん」を主演にしたと云う戯曲を朗読させる、と云う出だしだ。

そう、『江戸っ子判官とふり袖小僧』は、亀屋東西が語る「劇中劇」を餡子とする「二重構造」なのだ。

しかも、実際の「ふり袖小僧」は男だが、劇中劇の「ふり袖小僧」は女、と云う設定だ。
つまり、美空ひばりは、「男ふり袖小僧」と「女ふり袖小僧」である「おえん」の二役を演じ、「おえん」として「遊び人の金さん」に想いを告白しかけるラブ・シーン擬きまでやってのけるのだ。

更にユニークなのは、『いれずみ判官』シリーズであるにも拘わらず「遠山の金さん」が東西語るところの「劇中劇」にしか出て来ないと云う意表を突く構成にしてあることだ。

更に、その金さんと「ふり袖小僧」が、極悪非道な「偽ふり袖小僧」を追って関西から江戸まで呉越同舟の旅をして行くと云う沢島忠監督十八番のロードムービーでもある。

お白洲での「遠山裁き」も「劇中劇」で派手に行われ、見事さくら吹雪を咲かせて大団円を迎えるのだが、実際の時間軸の方では「遠山の金さん」は遂に登場することはない、と云う異色ぶりだ。
エピローグは、「劇中劇」の内容を知り、会ったこともない「遠山の金さん」の人柄に惚れた実際の「ふり袖小僧」が、お白州に呼び出され「遠山裁き」に向かう後ろ姿にエンドマークが出ると云う王道ぶりなのだ。

つまり、『いれずみ判官』シリーズと云いながら美空ひばりで始まり美空ひばりで終わると云うひばりを立てる異色の構成になっている。しかも、東映ヌーベルバーグとも謳われた沢島忠監督らしい遊びも満載。それに付き合って千恵蔵御大も走り回り、大奮闘し爆笑を誘う。
勿論、美空ひばりが随所で美声を聴かせると云う趣向も忘れていない心憎さだ。

刮目すべきは、以上の多彩な趣向が84分の釈に納まっている見事さだろう。
正にプログラム・ピクチャーの鏡と云っても差し支えない天晴れな出来栄えなのだ。

しかし、しかしなのだ。実際の「ふり袖小僧」が居る牢屋と、そこで亀屋東西から読み聞かされる「劇中劇」と云う折角の「二重構造」が単なる趣向に終わっていると云う恨みが残ってしまうのも亦、事実なのだ。

とまれ、学生だった細野が、勿論、上演に向け改訂もしているだろうが、先ず何処から手を付けて「贋作」にして行ったのかを視て行こう。
流石に後に「多重構造」の細野と云われるだけのことはあり、矢張り「二重構造」を最大限に活かすことから手を付けている。

例えば、実際の「ふり袖小僧」を「記憶喪失」とし、「劇中劇」と同じく「実は女」であるかも知れない、と云う二つの「枷」を加えていることだ。

「記憶喪失」とは云っても、『銀座の恋の物語』(日活`62年・3月公開 監督・蔵原惟善 脚本・山田信夫/熊井啓 主演・石原裕次郎)での浅丘ルリ子演じる「チャ子ちゃん」の様な全面的な記憶喪失ではなく、「シマ健忘症」の様に所々の記憶を喪失していると云う作劇に都合の良いものを採用している。

この2つの「枷」の導入により、間違いなく牢屋の「ふり袖小僧」にサスペンスが生まれることになった。
具体的には、「劇中劇」では女である「おえん」が、男として「ふり袖小僧」に成り済ましている件(くだり)を聴いた牢仲間たちが、実際の「ふり袖小僧」も女(「おえん」)なのでは、と疑いを持ち始めたり、「ふり袖小僧」自身が「シマ健忘症」によりそのこと自体を忘れてしまうと云うサスペンス。

更には、亀屋東西が語る「劇中劇」の内容が、実際に自分(実際の「ふり袖小僧」)が体験したことに酷似しているのだが、所々、肝腎な箇所を思い出せないと云うサスペンス、などなど。

もう一つの工夫は、性格俳優である田中春夫演じる亀屋東西の役を膨らまし、「ふり袖小僧」との「掛け合い」を増やしたことだ。具体的には、東西を「遠山の金さん」の手下にし、使命を帯びて牢に送り込まれた、としたこと。
それによりテンポは良くなり、何故、「劇中劇」の「遠山の金さん」と「ふり袖小僧」のエピソードを東西が詳しく知っているのか、と云う疑問にも整合性が出て御都合主義ではなくなる、と云う訳だ。

 何と云っても一番思い切った改変は、「劇中劇」での「遠山の金さん」と「おえん」の江戸日本橋での再会を果たせなくしたことだろう。

オリジナルの映画の方では、「遊び人の金さん」は「おえん」が「ふり袖小僧」だと云うことを知っているが、「おえん」の方は金さんが「遠山の金さん」だとは気づいていない。しかも、「おえん」は金さんのことを憎からず思い始めているのだ。金さんもそれに気づいていて満更でもない。
二人は半年後に江戸の日本橋で会う約束をして別れる。
そして半年後、日本橋で「遊び人の金さん」を待つ「おえん」の前に現れたのは「遊び人の金さん」ならぬ北町奉行・遠山金四郎、その人なのだ。そこで初めて「おえん」も自分が「ふり袖小僧」だと名乗り「遠山の金さん」の御縄に付く。
大団円の御白洲の場で遠山金四郎は「偽ふり袖小僧」の意外な正体を暴き御縄にし、「おえん」を「江戸払い」とし、一件落着と成る訳だ。

しかし細野の『贋作・江戸っ子判官とふり袖小僧』では、日本橋に「遊び人の金さん」も「遠山金四郎」も現れず、使いの者に手紙を託す設定にしたのだ。手紙を読んだ「おえん」は「ふり袖小僧」として御用提灯に歯向かうのを止め、自ら御縄を受けると云う処で「劇中劇」を終わらせているのだ。

そこで、話は牢屋に戻る。

此処までの亀屋東西の話を聴くと実際の「ふり袖小僧」は、手紙の内容を思い出す。

「自ら御縄を受けて欲しい。そして御裁きを受ければ屹度、二人は再会することができる。」手紙にはそう書いてあったのだ。
そして、「その場」に圧倒的に流れる曲に細野は、『華麗なる賭け』(ユナイテッド・アーチスト`68年・6月公開 監督・ノーマン・ジュイソン 主演スティーブ・マックィーン)の主題歌『風のささやき』を選んだのだった。

「風のささやき」を聴き、全てを思い出した実際の「ふり袖小僧」。
「遠山裁き」の御白洲に呼び出された「ふり袖小僧」は、「遊び人の金さん」が北町奉行・遠山金四郎その人だと改めて自分の目で確認し、大団円を迎えるのだ。

実際の「ふり袖小僧」が、果たして男だったか女だったのかは、舞台を観てのお楽しみにして頂きたい。

 とまれ、劇中劇と実際の話との間に有機的な関係を創っていなかったオリジナルの映画に対して、二つの間に有機的な関係性を創り、真の意味での「二重構造」とした細野。つくづく「二重構造」が好きなのだなァ、と感心しながらも呆れないではいられない。

しかし、ここに『竜二Forever』から始まったと云われる細野作品の「二重構造」の原点が見え隠れしている様な気がしてならないのだ。

 この贋作が、成瀬己喜男監督『乱れ雲』(東宝`67年・11月公開 脚本・山田信夫 主演・加山雄三/司葉子)や黒澤明監督の『生きる』(東宝`52年・10月公開 脚本・黒澤明/橋本忍/小國英雄 主演・志村喬)の様な映画史に残る名作がベースの作品だったら私も興味を惹かれなかったし、紹介しようとも思わなかっただろう。しかし、ユニークな佳作とは云え、プログラム・ピクチャーの一本に過ぎない『江戸っ子判官とふり袖小僧』をベースにした処に細野の細野らしさを感じてならないのだ。

この珍作の紹介が、虚実皮膜の『スタニスラフスキー探偵団~日本俠客伝・外伝~』を読み解くメタファーの一つにでもなればと思いながら「語り手」を終えることにしたい。

 明。高井明ッ、バトンは返したぞ。

 あ、雨が降って来た…。
アベノマスクを送り返しに行った晴美に傘を届けに行かなくちゃ。

【この節】了

【細野辰興の連載小説】『スタニスラフスキー探偵団~日本俠客伝・外伝~』の一覧はこちら

*この小説に登場する個人名、作品名、企業名などは実在のものとは一切関係がありません。作家による創作物の表現の一つであり、フィクションの読み物としてご留意いただきお楽しみください。

細野辰興のプロフィール


(C)Cinemarche

細野辰興(ほそのたつおき)映画監督

神奈川県出身。今村プロダクション映像企画、ディレクターズ・カンパニーで助監督として、今村昌平、長谷川和彦、相米慎二、根岸吉太郎の4監督に師事。

1991年『激走 トラッカー伝説』で監督デビューの後、1996年に伝説的傑作『シャブ極道』を発表。キネマ旬報ベストテン等各種ベストテンと主演・役所広司の主演男優賞各賞独占と、センセーションを巻き起こしました。

2006年に行なわれた日本映画監督協会創立70周年記念式典において『シャブ極道』は大島渚監督『愛のコリーダ』、鈴木清順監督『殺しの烙印』、若松孝二監督『天使の恍惚』と共に「映画史に名を残す問題作」として特別上映されました。

その後も『竜二 Forever』『燃ゆるとき』等、骨太な作品をコンスタントに発表。 2012年『私の叔父さん』(連城三紀彦原作)では『竜二 Forever』の高橋克典を再び主演に迎え、純愛映画として高い評価を得ます。

2016年には初めての監督&プロデュースで『貌斬り KAOKIRI~戯曲【スタニスラフスキー探偵団】より』。舞台と映画を融合させる多重構造に挑んだ野心作として話題を呼びました。



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