連載コラム「銀幕の月光遊戯」第84回
エドガー・ライト監督作『ラストナイト・イン・ソーホー』は、1960年代・ロンドンを舞台に、異なる時代を生きる2人の女性の「夢」と「挫折」が次第に交錯していく様を描くサイコ・スリラーです。
ヒロインのエロイーズには『ジョジョ・ラビット』(2019)などのトーマシン・マッケンジーが扮し、彼女が夢の中で目撃する歌手志望の若い女性・サンディには『ウィッチ』(2015)、ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』などのアニャ・テイラー=ジョイが扮するなど、豪華俳優が共演しています。
60年代イギリスのファッション、映画、音楽への愛をたっぷり詰め込んだ本作。念願のロンドン行きが決まり、トランクにレコードをたっぷり詰め込んだエロイーズの姿には、思わず若き日のエドガー・ライトの姿を想像してしまいます。
エドガー・ライトは制作するにあたって、多くの60年代のイギリス映画を参考にしたと語っています。また彼自らが作成したリストも存在しています。
本記事ではその中から5作品を選び、『ラストナイト・イン・ソーホー』との関連を考察していきます。
CONTENTS
映画『ラストナイト・イン・ソーホー』の作品情報
【公開】
2021年公開(イギリス映画)
【原題】
LAST NIGHT IN SOHO
【監督】
エドガー・ライト
【脚本】
エドガー・ライト、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ
【キャスト】
アニャ・テイラー=ジョイ、トーマシン・マッケンジー、 マット・スミス、テレンス・スタンプ、マイケル・アジャオ、リタ・トゥシンハム、シノーヴ・カールセン、ジェシー・メイ・リー、カシウス・ネルソン、レベッカ・ハロッド
【作品概要】
『ベイビー・ドライバー』などのエドガー・ライトが『オールド』などのトーマシン・マッケンジー、ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』などのアニャ・テイラー=ジョイの2人を主演に迎えたサイコスリラー。
ロンドン・ソーホー地区を舞台に、60年代と現代の2つの時代が交錯し、時代を超えて、2人の女性がシンクロしていくさまを圧巻の映像美で描いています。
映画『ラストナイト・イン・ソーホー』のあらすじ
ファッションデザイナーを夢見るエロイーズは、ロンドンのデザイン学校に合格し、憧れのロンドンにやって来ました。
しかしルームメイトや寮生は意地悪で、エロイーズがコーンウォール地方出身であることをバカにし、また、母親が自殺したことを告白すると、場を暗くする発言だと陰口をたたく始末です
寮での生活を諦め、ソーホー地区の古い屋敷の二階の部屋で一人暮らしを始めることにしたエロイーズ。新居のアパートで眠りに着くと、彼女は夢の中で大好きな60年代のソーホーに来ていました。
「カフェ・ド・パリ」というゴージャスなクラブに入ったエロイーズは、歌手を夢見る魅惑的な若い女性、サンディを目撃し、目を奪われます。
彼女を追いかけるうち、身体も感覚もシンクロしていき、次第に夢の中の体験が現実にも影響を及ぼしはじめました。エロイーズはサンディと同じブロンドに髪を染め、サンディをモデルに服のデザインを考え、周りから高い評価を受けます。
しかし、成功を約束されていたはずのサンディは、ストリップショーのしがないバックダンサーの一人としてこき使われる日々を送っていました。それだけでなく彼女はジャックという男に支配され、「夢を叶えたいのなら、男たちにサービスしろ」と強要されていました。
過酷な運命をたどるサンディにショックを受けるエロイーズ。ある日、夢の中でサンディが殺されるところを目撃してしまいます。次第に夢の中の出来事と現実の境界が曖昧になり、エロイーズは精神的に追い詰められて行きます。
サンディは夢の中の人物ではなく実在していたことを発見したエロイーズは、彼女の前に度々現れる老人がジャックだと確信し、警察に飛び込みますが、相手にしてくれません。
亡霊に悩まされ、耐えきれなくなったエロイーズは、デザイナーの夢を諦め故郷に帰ろうと決心しますが、思いもよらぬ惨劇が待ち構えていました。
映画『ラストナイト・イン・ソーホー』の感想と評価
コーンウォールの田舎からロンドンにやってきたばかりのエロイーズは、「カフェ・ド・パリ」で瞳を輝かせている歌手志望の女性・サンディを見て、すぐに彼女に共鳴し、自身の夢と彼女の夢を重ね合わせます。この時、エロイーズは鏡の中にいますが、それはこれが彼女の夢の中のお話だから。しかし、エロイーズの外観はどんどんサンディと重なり、ガラスのこちらと向こう側、夢と現実、過去と今といった境界が次第に曖昧になっていきます。
エドガー・ライトは、「スウィンギング・ロンドン」と称された60年代イギリスの新しい文化が花開いた享楽の時代を、現代の合わせ鏡として描いています。
60年代は長い間モラルに縛られていた女性たちが開放された時代でしたが、自由の裏で男性優位社会は歴然として存在していました。サンディとエロイーズが様々な次元を超えて交錯する中で、現代の#MeToo運動につらなる連帯が生まれていく様が圧巻です。
映画『ラストナイト・イン・ソーホー』に影響を与えた60年代映画
『ダーリング』(1965)
ジョン・シュレシンジャー監督、ジュリー・クリスティ主演の映画『ダーリング』は、平凡な女性がテレビ番組のインタビューに応えたのをきっかけに、ジャーナリスト、大手広告代理店の重役、映画監督と、恋愛遍歴を続け、最後にイタリアの貴族に見初められるというお話です。
ジュリー・クリスティの奔放さと、悪びれない明るい様子がなんとも魅力的に感じられる作品で、第38回アカデミー賞にて、主演女優賞、脚本賞、衣装デザイン賞を受賞するなど、高い評価を受けました。
欲望の赴くまま、次々とパートナーを変え、モデルとして有名になり、女優の仕事もこなし、ファッションリーダーになっていく彼女は、性の開放の時代を象徴するヒロインといえます。しかし傍からは立身出世に見えても、彼女の心はまったく満たされません。本当に愛した人は誰だったのか、気がついた時にはすでに手遅れになっていました。人生の栄光と虚無を描いた名作の一つです。
作品に流れる時代の雰囲気は勿論、ジュリー・クリスティのレインコートなどのファッションも『ラストナイト・イン・ソーホー』に大きな影響を与えています。
『血を吸うカメラ』(1966)
『赤い靴』などで知られるイギリスの巨匠マイケル・パウエルが1960年に発表したサイコ・スリラーです。同時期に制作されたヒッチコックの『サイコ』と比べても「おぞましい作品」として、当時随分酷評され、70年代に再評価されるまでほとんど抹殺され忘れられていた作品でした。
主人公の殺人鬼はカメラに凶器を仕込んでいて、凶器に気付いた女性のひきつる顔を撮影するのですが、それだけでなく、カメラにはもう一つ鏡が仕込まれていて、被害者は自分の恐怖の顔を鏡の中に観ながら死んでいくのです。ここまで徹底した仕掛けが、「おぞましすぎる」と拒否反応を生んだのかもしれません。
鏡が『ラストナイト・イン・ソーホー』において非常に重要なモチーフになっているのは言うまでもありません。また、『血を吸うカメラ』の殺人鬼とヒロインの立場(関係性)が、『ラストナイト・イン・ソーホー』の構成に大いに影響を与えているように思えてなりません。
『反撥』(1965)
ロマン・ポランスキー監督がカトリーヌ・ドヌーヴを主演に撮ったイギリス映画。ロンドンのアパートに姉と暮らすドヌーブは内向的な性格の女性です。姉がボーイフレンドと旅行に出かけひとりで過ごすことになった不安から精神の均衡を失っていきます。
『ラストナイト・イン・ソーホー』の序盤、まだコーンウォールの家にいるエロイーズが、鏡を観た瞬間、その角に、いるはずのない赤い服の女性が映っているシーンがあります。これは明らかに、『反撥』でカトリーヌ・ドヌーヴが鏡を観ると、すみに中年男性が一瞬映るショッキングなシーンのオマージュでしょう。
また、『ラストナイト・イン・ソーホー』では終盤、ヒロインが顔のない男たちの亡霊に襲われるシーンで壁や床から手が突き出てきますが、『反撥』にも同様のシーンがあります。
『モデル連続殺人!』(1964)
上記三作はイギリス映画でしたが、こちらはイタリア映画。イタリア・ホラー映画の父と呼ばれるマリオ・バーヴァ監督の作品で、「ジャッロ映画」というイタリアジャンル映画の代表作として知られています。
ファッションモデルのひとりが、林の中で絞殺されるという事件が発生。そのモデルが身の回りのことを詳細に日記をつけていたことがわかり関係者はうろたえます。その後、日記を手に入れたモデルが次々と殺されていくのですが、生々しい殺人シーンと、カラフルな衣装、照明による幻想的な色彩が絶妙にシンクロして、強烈な美を作り上げています。
オートクチュールを舞台にしているだけに、マネキンが頻繁に映るのですが、これだけでぎょっとさせられます。『ラストナイト・イン・ソーホー』にはのっぺらぼうの男たちの亡霊が執拗にヒロインを追い詰めますが、『モデル連続殺人!』のマスクをつけた犯人や、舞台のオートクチュールのマネキンのイメージが重なります。
『召使』(1963)
ジョセフ・ロージー監督、ハロルド・ピンター脚本、ダーク・ボガード、ジェームズ・フォックス主演の実に不穏な一作です。南米から帰国した若い貴族が召使を雇うところから物語がスタートします。召使はなんでも完璧にこなし、貴族は彼なしでは生活ができなくなるほど依存していきます。やがて、2人の立場は雇い主と召使を超えたものになっていき、貴族は心身ともに召使に支配されてしまいます。
ポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』に大きな影響を与えた作品として知られていますが、作品に流れる冷酷な、ひりひりするような感覚が、『ラストナイト・イン・ソーホー』で描かれる、60年代ロンドンの華やかさの影に潜んだ暗さと冷たさに受け継がれています。
まとめ
上記の作品以外にもエドガー・ライトは多くの作品を上げていますが、その中のひとつ、ウィリアム・ワイラー監督のサスペンス映画『コレクター』(1965)で蝶を採取するように女性を狙う男を演じたテレンス・スタンプが『ラストナイト・イン・ソーホー』で鍵を握る謎の男として出演しています。
同じく、作品名を挙げられた『蜜の味』(1961)に出演しスターとなったリタ・トゥシンハムがヒロインの祖母役で出演していますし、1961年~69年にかけてイギリスで放映され、大人気を博したテレビドラマ『おしゃれ(秘)探偵(The Avengers)』のダイアナ・リグがヒロインの下宿先の大家役で出演しています。
『蜜の味』と『おしゃれ(秘)探偵』以外の作品は全てU-Nextで視聴可能です。
また、2021年12月17日より公開されるケン・ローチ監督の『夜空に星があるように』(1967)は53年ぶりのリバイバル公開が話題ですが、本作にもエドガー・ライトは影響を受けているそうで、アニャ・テイラー=ジョイは撮影前にこの作品を鑑賞し、自身の役柄を理解するのに役立ったと述べています。