連載コラム「映画道シカミミ見聞録」第64回
こんにちは、森田です。
今回は、2022年2月からU-NEXT他で配信開始された台湾映画『1秒先の彼女』を紹介いたします。
消えたバレンタインの記憶をめぐり、人よりワンテンポ早い彼女とワンテンポ遅い彼の運命が交差していく物語。
第57回金馬奨で作品賞を含む5部門を受賞した「ある奇跡」の鍵を、「郵便恋愛映画」という視点から読み解いていきます。
映画『1秒先の彼女』のあらすじ
舞台は台北市。郵便局で働くシャオチー(リー・ペイユー)は、仕事も恋も冴えない日々を送っていました。
彼女の性格は、何をするにもワンテンポ早いこと。
小さな頃から走ってはフライング、歌っては合唱にならなかったりと駆け足の人生で、その生育を記録した写真はどれも目をつむっているものばかりです。
ある日、彼女は公園でハンサムな青年・ウェンソン(ダンカン・チョウ)が講師を務めるダンスレッスンの輪に入り、彼の目に留まります。
帰り際にアプローチを受けた彼女は大興奮。すぐに距離を縮めていき、“七夕バレンタイン”デートの約束を取りつけます。
その日は、市によるバレンタイン大会が開かれ、“最強カップル”を決めるゲームにふたりで参加しようというのです。
なんとも早い展開。一方、郵便局では、何をするにも遅いグアタイ(リウ・グァンティン)が、毎日シャオチーの窓口に手紙を出しにきます。
彼はバスの運転手で、彼女に会うために昼のシフトを空けているようです。
しかし、ウェンソンに夢中のシャオチーはグアタイの様子など気にかけません。あるとき、グアタイが顔に傷を負った状態で訪れたときでさえも。
そしてバレンタイン当日。シャオチーは勇んで会場に行きますが、ウェンソンと落ち合えません。
すでにステージが撤収されているのをみて日付を確認すると、なんと翌日になっていました。
彼女は“昨日を失くした”と言って交番に駆け込みますが、出てくるはずもありません。
その後、手がかりの「遺失物」として浮上したのは、街の写真屋に飾られていた見覚えのない「目を開けた自分の写真」と“038”と書かれた私書箱の鍵、そして失踪した「父親の思い出」でした。
人類共通の失くしもの
原題は『消失的情人節』、英訳は『My Missing Valentine』で、文字通り“消えたバレンタインデー”を探す旅が始まります。
しかし、財布やイヤホンをどこかで落としたのとは勝手が違います。
シャオチーは失くした場所はもちろんのこと、「なにを失くしたのかさえわからない」というのが、この物語の本当の謎です。
ヒントは誰もが一度は得て、失くしているものです。
答えは、「幼い頃の記憶」です。
ゆえに本作はまず、国も性別も問わない普遍性をもった物語として楽しむことができます。
シャオチーは夢うつつの状態で、タンスから擬人化されたヤモリが出てくるのを見ます。
「記憶の扉」から現れたヤモリは、謎を解く鍵を彼女に渡します。“038”の私書箱の鍵です。
彼女の旅は、郵便局探しに変わります。
何十軒と回り、鍵穴がついに一致したその箱には、シャオチー宛ての手紙が束になって届いていました。
① 手紙=時差の恋人
「郵便にまつわる恋物語」は洋の東西を問わず数多く見受けられますが、なかでも本作は郵便(局)のあらゆる機能を駆使した映画として語り継がれることでしょう。
すなわち、郵便の比喩に満ちあふれた映画と言えますが、順にみていきます。
まずは「手紙」です。
送り主はグアタイで、シャオチーが日々“天使”宛ての手紙として窓口で受け取ってきたものでした。
時間差で届くメッセージは、『Love Letter』(1995)、『イルマーレ』(2000)、そして『君の名は。』(2016)などでも効果的に使われていますね。
ときに時空を超えて縁を紡ぐ手紙。では、グアタイはなぜ本人宛てに正しく届けられなかったのでしょうか?
② 誤配=可能性
手紙は必ずしも正しい宛先に届くとは限りません。むしろ「誤配」が想像もしなかったドラマを人生にもたらすことがあります。
一見すると、すばしっこいシャオチーと、のんびりやのグアタイとでは、いつになっても巡り会えそうにありません。前者はアキレスで、後者は亀といってもよいでしょう。
しかし、“手紙が届かなかった”そのことが、ふたりの出会いには必要だったのです。
グアタイの手紙は、シャオチーの住所ではない場所に、いわば“間違ったアドレス”に長年送り続けられました。
手紙をメッセージの伝達手段としてのみ捉えるのであれば、これほど意味のないことはありません。
でも、遅れて手紙の束を目にしたシャオチーは心を強く動かされます。それは「贈り物」でもあるからです。
おそらく、すんなり出会っていたら量り得なかった感情の重み――純粋さ、真剣さ、そして愛――をそこで知ったはずです。
また積み重なった手紙は結果的に、実は詐欺師であったウェンソンからシャオチーを救います。
誤配がもたらす人生の分岐、秘められた可能性がここにはあります。
③ 積立=幸運
シャオチーはウェンソンと盛り上がっていた当初、“30年貯めた(我慢した)運がめぐってきた”と言って喜んでいました。
実際に溜まっていたのはグアタイからの手紙だったわけですが、この「積み立てからの引き出し」という展開は、郵便局ならではの発想です。
また、ウェンソンがブロックチェーン(仮想通貨)ビジネスを騙っていたのとは対照的に、グアタイが毎日1枚ずつ切手を舐めコツコツと差し出していた姿は、“幸運を呼び込むのはどちらか?”という問いかけでもありましょう。
ここには郵便局の職業倫理から導かれる良心が感じられます。
④ 利息=時間停止
さて、積立には利息がつきます。
バレンタインの日、グアタイは「時間が24時間止まる」という現象に遭遇します。
それは、シャオチーとウェンソンの後をバスで追いかけ、ウェンソンの悪事を糾弾した車中で起きました。顔の傷はこのときにできたものです。
動けるのは自分だけという状況のなか、グアタイはシャオチーをバスに乗せ、小さな漁港に連れていきます。
夕焼けを背景に、四方を海で囲まれた狭い道をバスが走っていく映像は実に幻想的です。
『千と千尋の神隠し』(2001)の一場面を思い浮かべる人が多いでしょうが、「過去と現在」「生ける者と去りし者」が魂の交流をする場という意味では、テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』(1998)における海辺のバスが最も近いものでしょう。
ここでの“去りし者”とは、シャオチーの失踪した父親です。彼もまた、止まった時のなかで自由に動ける者でした。
父親はバスに乗車すると、時間が止まったのは1日分の時間が貯まったからだ、というようなことを口にします。
要するに、早く過ごした者に与えられる「利息」といったものです。
失踪時に自殺を考えていたという父親は、生き急いでいたことがわかります。
⑤ 満期=再会
片やグアタイの親はすでにいません。
小学生の頃、修学旅行のバスで事故に遭い、両親を亡くしていました。
そのバスにはシャオチーも同乗しており、グアタイは彼女と同じ病室で一時期を過ごしていました。
いつもシャオチーに励まされていたグアタイは、彼女が先に退院しても文通をすることに期待をかけ、父の遺品にあった私書箱の鍵を彼女に渡しました。
シャオチーの住所を知らなかったため、私書箱を彼女の郵便受けの代わりとしたのです。
しかし、当然というべきか、彼女はいつしかその存在を忘れていきました。
その後、高校時代に一度すれ違ったものの、シャオチーは父親の失踪に伴い引っ越してしまいます。
そのつぎの邂逅は、グアタイが運転士になり、シャオチーを自分のバスに乗せるときまで待たなくてはなりませんでした。
最初の出会いから数十年。「積立」はいよいよ「満期」になり、「再会」という形をもって現れました。
恋人たちの時間
シャオチーは私書箱“038”がある郵便局に異動を願い、彼の訪れを待ってそこで働くようになります。
時が止まったバレンタインデーから1年後。つぎのバレンタインを前に、はにかんだ笑顔を浮かべたグアタイが姿を見せました。
天使ではなく、シャオチー宛ての手紙をもって。手紙はついに正しい宛先にたどり着きました。
アインシュタインが“好きな人といると1時間が1分に感じられる”との言葉を残したように、これからのふたりは、テンポは違っても同じ相対的な時を抱えて、生きていくことでしょう。