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Entry 2018/09/28
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映画『飢えたライオン』感想と考察。ポスト・トゥルース時代の推理と倫理|映画道シカミミ見聞録16

  • Writer :
  • 森田悠介

連作コラム「映画道シカミミ見聞録」第16回

こんにちは、森田です。

表現は時代とともに変化するもの。映画も例外ではなく、近年ではネットやSNS時代に特有な作品が多く制作されています。

すべてのストーリーがPCの画面上で進行する『search サーチ』(10/26日本公開)や、スマホの情報をめぐるミステリ『スマホを落としただけなのに』(11/2公開)などが、この先に公開を控えていますね。

公開中の映画ではズバリ『飢えたライオン』でしょう。

ネットに出回った動画を発端として、追いつめられていく女子高生とその関係性を描いた本作は、昨年の第30回東京国際映画祭での上映を皮切りに、世界各国のオファーを受けています。

今回は、“「フェイクニュース」全盛時代を生きる私たちへ突きつける78分”と銘打たれた本作を分析し、現代のミステリが置かれた状況や、ポスト・トゥルース時代における倫理の問題を考えてみたいと思います。

【連載コラム】『映画道シカミミ見聞録』記事一覧はこちら

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映画『飢えたライオン』のあらすじ(緒方貴臣監督 2017)

ある朝のホームルームで、瞳(松林うらら)のクラス担任が未成年への淫行容疑で警察に連行されました。

そこから流出した性的な動画をめぐって、物語ははじまります。

映っている少女は、瞳ではないか。そんな噂が校内で広まっていくのです。

彼女は「デマだ」と否定するものの、友人、彼氏、そして妹や母親にまで問いつめられるようになり、周囲から孤立していってしまいます。

ネットで拡散しつづける「虚像」はとどまることを知らず、ついに瞳はみずから死を選択。

しかし、その自死によっても事態は収束する気配をみせず、むしろ世間の注目を集めて、マスコミの報道はますます過熱するばかり。

社会で共有された「虚像」はもはや「実像」と区別がつかず、やがて彼女のイメージとして定着します。

そして、独り歩きした“死後の生”でさえ、いつしか人々には忘れ去られ、何事もなかったかのように日常に埋没していくのでした。

動画の少女が瞳であっても

本作には、「動画の少女はだれなのか」あるいは「流出させた犯人はだれなのか」といった推理要素が断片的にちりばめられています。

しかしながら、フェイクニュースに代表されるポスト・トゥルースの時代にあっては、「だれが」はあまり問題ではありません。

むしろ大事なのは「本当であろうが、嘘であろうが、彼女を守る方法はなかったのか」という問いです。

仮に動画の少女が瞳だったとしましょう。映画内では、その可能性も残されています。

その場合、やはりデマではなかった、“わたしたち”は正しかった、となるでしょうか。

いや、なりません。

本当だったからといって、彼女の実名や個人情報をネットにさらす権利はだれにもありませんし、当事者間を離れて、「社会」の名で断罪する権利もありません。

瞳と担任の行為に踏みこめるのは、あくまで司法だけです。

嘘か本当か、デマか事実か、そういった二項対立よりも深いテーマが本作にはあります。

下部構造としてのSNS

『飢えたライオン』パンフレット

公式パンフレットにおいても、監督はこう説いています。

「ひとつはデマ、もうひとつはポルノグラフィー、3つ目はいじめです。この3つが重なって、主人公の瞳は追いつめられていった。決して単純な構造ではありません」

「デマ」は情報の真偽、「ポルノグラフィー」は法と倫理、「いじめ」は暴力といった範疇で語ることができ、たしかに一様な問題ではありません。

一方で、そのいずれにも共通する事項があります。

ネットで拡散する傾向があること、SNSとの「負の親和性」が高いことです。

それは「温床」と言えるでしょうし、人間の行動や関係を規定しているという意味では、「下部構造」と呼んでもいいかもしれません。

こちらは、前掲のパンフレットのイントロダクションです。

「本作は、映像や情報の持つ『加虐性』を描き、その映像を消費し、無意識のうちに加虐に加担してしまっている私たちの中にある『邪悪さ』をあぶり出します」

無意識、というのが怖いところです。

スマホやアプリの普及により、わたしたちの肌感覚は「映像」にゆだねられるようになりました。

つまり、一瞬の楽しみのために費やされる「映像」は、そう消費するようわたしたちの感覚も変えていくのです。

情報を読み解くメディアリテラシーはもちろんのこと、ポスト・トゥルース時代には、情報の真偽にかかわらず成立するような倫理性が求められています。

というよりは、真偽がわからないがゆえに、それとは別の次元で倫理を打ち立てる必要があるということです。

たとえば、情報の拡散を未然に防ぐための行動をとる、ある情報により困っているひと、傷ついているひとがいるならば、適切な事後対応をするといったように。

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死後を“生きる”物語

瞳を演じた松林うららさんも、中学のときにいじめられ、ひとりでいることが多かったようです。

パンフレットでは、“松林さんが「映画に救われた」というのは?”という質問に答えています。

「黒澤明監督の『生きる』を高校生のときに観たんですよ。(…)お話もそうですけど、映画としてすばらしい。そこに感動したんです」

黒澤監督の『生きる』(1952)といえば、「主人公の死後」に物語がつづく代表格です。

志村喬演じる市役所の課長は、胃がんであることを自覚してから、形式的な「お役所仕事」に意味を見いだせなくなります。

そして、最期にできることとして、ある決意をするのです。

映画では、彼が死んだあとに、周囲の口からその様子が語られます。

彼は、住民の長年の要望であった公園を、さまざまな困難を乗り越えつくったのでした。

通夜に集まった同僚や住民は、泣きながらその功績を称えます。

亡くなった主人公が、あたかも生きているかのように扱われ、人々の話題に上るのは『飢えたライオン』と共通していますね。

でも現代では、「消したくても消せない過去」として広がる“死後の生”のほうが圧倒的に多く見受けられ、ヒューマニズムの土台である「人間」の在り方が変わってきているように思えてなりません。

ネット時代の“推理”の行方

『娯楽としての炎上』(南雲堂/2018)

この「変容する主体」や「ポスト真実の推理」について、日本の現代ミステリは先駆けて思考してきたと、文芸評論家の藤田直哉さん(日本映画大学講師)はいいます。

今月出版された『娯楽としての炎上――ポスト・トゥルース時代のミステリ』によると、まず、探偵小説は「証拠や真実を要求する」という点で、民主主義に立脚していることが強調されます。

たしかに、証拠を見せつけても「だからなに?」という意識の社会では、探偵の出る幕がありません。

実際に全体主義時代のイタリアやナチスドイツが、探偵小説を禁止した事実があるとのこと。

これをもとに、以下の仮説が立てられます。

「探偵小説の形式が、近代の『民主主義』や『自由主義』の基盤となる考えが多くの人々に染み渡っていることの反映である(あるいは、それを構築するものである)とすると、探偵小説の内容や形式の変容は、その国や社会の『民主主義』なり『自由主義』なりの変容と密接な関係を持っているのではないか」P32

では、現代の情況とはどのようなものでしょうか。

「国家・警察・司法への『われわれ』意識が低下し、法に違反してでも別種の正義を達成しようとする人々の集まる『架空政府』がネットの中に出現している。そこに『架空法廷』が作られ、捜査・裁判・懲罰を行う状況にある」P53

前述したように、映画『飢えたライオン』で人々は「司法」ではなく「私刑」の視点から、瞳を追いつめてゆきました。

“二重権力”ともいえるこの状態を、「架空政府」や「架空法廷」という言葉で示しています。

簡潔にいうと、こういうことです。

「ネット空間で私的制裁、人民裁判が横行している。そこは『論理』や『証拠』や『公正』の原理ではなく、『情動』『デマ』『面白』の原理で動いている」P80

「推理」を成り立たせていた原理が、大きく変わりました。

『飢えたライオン』しかり、これまでの「探偵」の発想では対応できない「物語=推理」が進行しています。

この情況に対して、日本の現代ミステリはネット空間でのサイバー犯罪などを追及する「サイバーミステリ」というジャンルが立ち上がり、詳細は割愛しますが、その“闘い”のひとつはこのように展開します。

「倫理や思想だけでもダメ、技術だけでもダメ、その両者がなければ、ポスト・トゥルース時代には対抗できない」P119

いわば、かつての「批判的知識人=倫理・思想」と、技術を用いて不正に対抗する「批判的技術人=サイバー空間」による2重の実践倫理です。

変容する主体

「ネット時代の推理」をもう一度、ふりかえりましょう。

『飢えたライオン』を例にあげれば、人々は「だれが映っているのか」「だれが犯人なのか」に関係なく、自分たちが楽しめる物語=推理を紡いでいきます。

その推理(捜査、裁判、懲罰)は、現実の政府とは別の審級で進み、「架空政府」とも呼ぶべき次元が生じています。

そこでは、民主主義の土台である「論理」や「証拠」に代わり、「情動」が重要な位置を占めています。

ということは、本当に注目すべきは“真犯人”や“フェイクニュース”ではなく、情動につき動かされ以前とは違う推理を働かせる人間側の問題、すなわち「主体の変容」になるでしょう。

「現在の『生』『主体』のありようをどのように捉えるか。それは、繰り返しになるが、民主主義の基本単位となるべきものの変容を考察することに直結する」P128

「ポスト・トゥルースを、単にデマが蔓延るとか、真偽が曖昧になるという平板な理解をしてはいけない。人間のあり方、世界認識の仕方が変化していると考えるべきだ」P129

まさに、この一文に尽きます。

映画のパンフレットでは、自身も悪質なデマを受けたスマイリーキクチさんが、これに関して興味深い発言をしています。

キクチ「いまどきはスマホで平気で裸とか水着姿を撮っちゃいますよね。あとはキスしている写真とか。ああいうのが普通に出ちゃう。僕らの頃は古いですから、カメラ屋さんにフィルムを持っていて、『これ現像できないよ』って言われたり」

そう、写真屋で現像するしかなかった一昔前は、「現像できない=検閲」ということを考えなくてはなりませんでした。

その意識は、精神分析さながら人々の無意識に働きかけ、行動に縛りをかけていたはずです。

デジタルで撮影・保管し、現像という作業もなくたった今は、「抑圧」から解放されたともみれます。

そして、「抑圧のない状況」がただ欲求に従う「動物的な人間=ライオン」を形成することは想像に難くなく、「主体の変容」の一背景として、考えられるかもしれません。

「非人間的な主体(メディア、資本、テクノロジー)が発展し、そこに私たちは喜んで時間と資源を投下し、ゲームをしたりSNSをして脳を喜ばせている。非人間的なものたちに対し、人間が喜んで加担しこの状況が生まれる。ポスト・トゥルースや情動政治の震源地はここにある」P256

制作者の意図である「映像のもつ加虐性に加担する私たち」の「加担」は、このことを指すといえます。

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テアトル新宿でのトークショーより

テアトル新宿では、映画『飢えたライオン』を10月5日(金)まで上映しています。

9月26日におこなわれたトークショーで、緒方監督は鑑賞のポイントを明かしました。

「ゴミ捨て場のカットに一番力を入れたかったんです。この映画の象徴なんで。本当は水たまりに青空を映したかったんですけど」

これは、「死後の瞳の生」さえ人々に忘れ去られた日常のショットです。生ゴミが散乱し、悪臭が立ちこめていそうな画です。

炎上して、灰燼に帰した瞳の命。

監督が「ゴミ捨て場」で映したかった「青空」とは、「棄てられた人間=変容する主体」が「変わらぬ日常」で生きていることの不気味さ、邪悪さだったのではないでしょうか。

「痛み」と倫理

技術の変化は止めようがありません。

主体を戻すことはできないばかりか、変容しつづけると考えるのが、現実的です。

しかし、「ポスト人間」になっても、寝食は必要で、肉体をもつ存在であることは確かだろうと思います。

となると、「物理的な痛み」を媒介にして人間の倫理を求めることはできないでしょうか。

そこには「情報を発信される痛み」と「情報を発信する痛み」とがあるはずです。

発信される痛みは言うまでもなく、発信する側も、絶えず誰かを傷つける痛みに接しています。

その痛みを想像し、ないしは反省することで、他者とつながりあえる。

まるで原点に立ちかえったような考えですが、「ポスト人間」が棄てきれない「肉体」には、今後も目を向けざるをえないでしょう。

【連載コラム】『映画道シカミミ見聞録』記事一覧はこちら

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