連載コラム「映画道シカミミ見聞録」第1回
はじめまして。このたび「映画道シカミミ見聞録」というコラムを担当することになりました、“映画随筆家”の森田悠介といいます。
このコラムでは、「映画を書く」というよりも「映画で書く」こと、つまり映画を用いて、それに関係する事物を考えたり、過去や未来をのぞいてみたりと、あちこち散歩するように、自由に連想したことを書き連ねていきたいと思っています。
「映画を使えばなんでも語れる。」
これから書くものが“映画批評”ではなく“映画エッセイ”である所以。この言葉が自分自身を「映画随筆家」と名乗らせるにいたった理由です。
そしてこれもまた、本サイトが掲げる映画の魅力、「多様性のある価値観」のひとつとして加えていただけたら、なによりの幸いです。
以上をまとめると、こうなります。このコラムは「映画の大学の職員」の手で書かれるもので、どうやら映画“で”多様なネタを扱うらしい。
……ほんのすこしだけでも興味を持っていただけたでしょうか。
このコラムでは映画に関する日々の話題や情報を、比較的はやく、正確に、みなさんにお届けしていきます。
実際に映画“で”語ってみましょう。
日本アカデミー賞の授賞式での蒼井優さんのスピーチ
みなさんは、今年の日本アカデミー賞の授賞式で話題となった、蒼井優さんのスピーチを覚えていますか。
映画『彼女がその名を知らない鳥たち』は、蒼井優さんにはじめての「最優秀主演女優賞」をもたらしました。蒼井さんはブロンズ像を手に包み、涙ながらに語ります。
これから新学期がはじまりますけど、学校がつらい方、新しい生活どうしようと思っている方は、ぜひ映画館に来て。映画館って、良くないですか?私、本当に好きなんです。みんなで一緒に映画を盛り上げていけたらなと思います。
まさに映画とは、その善し悪しもさることながら、根底には「居場所」の役割があると感じます。
週末のデートを楽しむカップルだけでなく、行き場がないひと、悲しくて涙を流したいひと、ひとりの時間を持て余しているひとなど、多くの事情を抱えたすべての人間を受け入れてくれる場所です。
劇場の暗闇は、よく母胎のそれにも例えられますが、踏み入れる前までつきまとっていたどんな感情も、2時間ばかりは消し去ってくれる空間として、わたしも幾度となく救われてきました。
映画館での体験、映画のイメージは、ともすると物語性以前に、人間の感情を物理的にコントロールする力がどうやらあるようです。(演出とはまさしく感情を巧みに操る技術であるわけですが。)
先述のスピーチのごとく、わたしがいま一応はまっとうに生活し、映画の大学で仕事ができているのも、学生時代によく“逃避”した映画館のおかげだと、振り返ることができます。
思い出の名画座「早稲田松竹」
隠す必要もないので名前をあげると、スバリ、早稲田松竹。
大学からほど近いこの名画座には、“新生活”に慣れなかったころも、単位がとれなくて苦しんだころも、つまりは4年間(留年したので5年間)通いつづけることになりました。
とくに胸に響いてきたのは、「主人公が戦いの末に敗れ去る」といった形式をもつ“アメリカン・ニューシネマ”の作品群で、『俺たちに明日はない』(1968)『真夜中のカーボーイ』(1973)『カッコーの巣の上で』(1973)と傑作はいろいろとありますが、とにかく自分のままならない青春と鬱屈した気持ちを重ねたかった。
そして彼らが死んで、劇場をでると、不思議なことに気分が軽くなっているんですね。それで、また小さなことですぐに辛くなるものだから、わたしの学生生活は映画館を出たり、入ったりの繰り返しでした。
だから、蒼井さんがいうことはよくわかるし、よく日本アカデミー賞授賞式という晴れの舞台で、影をともなうメッセージを全国に伝えてくれたなと、快哉を叫びました。
死にたい気持ちがあったら、それを映画館の闇に溶けこませ、代わりに映画に死んでもらう。そして自分だけ楽になって出てくればいいんじゃないかと。
もちろん映画(館)は万能薬ではありません。
でも、“こんな症状にはこの薬(作品)”と、そのひとにあう良薬を自分の経験から探しだし、薬局みたいに相談にゆける場所が、本サイトをふくめたレビューの意義のひとつだと思います。
つぎからは、できるかぎり新しい映画を紹介するつもりでいますが、映画“で”語れるものであれば、新旧問わずに引き合いに出すでしょう。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
筆者HP「森田悠介 “シカミミ” の仕事部屋」http://shikamimi.com/about-me