連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第86回
今回紹介するのは、2025年2月21日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、シネ・リーブル池袋ほか全国順次公開の『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』。
イスラエル軍に破壊されようとする故郷を撮影するパレスチナ人青年と、彼を支えるイスラエル人青年の2人のジャーナリストが捉えた緊迫の現状を捉えた、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネート作品です。
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CONTENTS
映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』の作品情報
【日本公開】
2025年(ノルウェー、パレスチナ合作映画)
【原題】
No Other Land
【製作・監督・脚本・編集】
バーセル・アドラー、ユヴァル・アブラハーム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショール
【撮影】
ラヘル・ショール
【作品概要】
破壊される故郷を撮影するパレスチナ人青年バーセル・アドラーと、彼の活動を支えるイスラエル人青年ユヴァル・アブラハームの2人を中心に、2023年10月までの4年間にわたり記録したドキュメンタリー。
彼らを含む2人のパレスチナ人、2人のイスラエル人の映像作家兼活動家が、共同で製作にあたりました。
2024年第74回ベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞、第41回ゴッサム・フィルム・アワード長編ドキュメンタリー賞、2024年ニューヨーク映画批評家協会賞ノンフィクション映画賞を、それぞれ受賞。
2024年度第97回アカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞にノミネートされました。
映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』のあらすじ
ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区マサーフェル・ヤッタで生まれ育ったバーセル・アドラーは、幼い頃からイスラエル軍による占領が進む故郷の様子をカメラに収め、ジャーナリストとして世界へ向けて発信してきました。
そんな彼のもとに、自国イスラエルの破壊行為に心を痛めたジャーナリストのユヴァル・アブラハームが協力を申し出ます。
パレスチナ人とイスラエル人という立場を越えて対話を重ね、友人となっていく2人。しかしその間にも軍の破壊行為は過激さを増し、彼らが撮影する映像にも痛ましい犠牲者の姿が増えていき…。
敵国同士の青年が平等のために協力
1967年の第三次中東戦争(通称「六日戦争」)で勝利したイスラエルは、エジプトからシナイ半島とガザ地区、ヨルダンからヨルダン川西岸と東エルサレム、そしてシリアからゴラン高原を占領。
後に東エルサレムとゴラン高原は併合し、シナイ半島も82年にエジプトに返還され、ガザ地区とヨルダン川西岸地区にはパレスチナ人自治の地域、いわゆるパレスチナ自治区が存在するようになりました。
本作『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』の舞台となるマサーフェル・ヤッタは、ヨルダン川西岸南部に位置するパレスチナ人居住地区。ですが、治安権限および民生権を持つイスラエルの完全な支配下にあります。
イスラエルは、農民が多く住むこのマサーフェル・ヤッタを、国防軍 (IDF)の射撃訓練所にするとの名目で村民たちの強制退去を開始。同地で生まれ育ったバーセル・アドラーは、15歳からイスラエル側による強制立ち退きの現状を、ジャーナリストとして世界に伝えるようになります。
そんなバーセルと行動を共にするのは、エルサレムを拠点に活動する映画監督兼ジャーナリストのユヴァル・アブラハーム。イスラエル人のユヴァルは、バーセルにとってはいわば敵対する立場。
にもかかわらず、「イスラエル人とパレスチナ人が、この地で、抑圧する側とされる側ではなく、本当の平等の中で生きる道を問いかけること」だとして、本作の制作に共同着手しました。
カメラで故郷を守る
「村を占拠するには、住処を無くせばいい」とばかりに、家屋だけでなく学校や図書館といったマサーフェル・ヤッタのありとあらゆる建物をブルドーザーで破壊していくイスラエル軍。村民たちは怒り悲しみ、声を荒げて抗議するも、兵士たちに邪険に扱われます。
銃を携える兵士たちに対し、バーセルとユヴァルが携えるのはスマートフォンやハンディカメラ。無残に変わり果てていく村を映像として世界に発信しようとする、いわば彼らの“武器”です。
しかしイスラエル兵、および入植者たちは容赦ありません。バーセルたちが撮影した映像には緊張感がみなぎっており、中には惨たらしい瞬間を捉えたものもあります。
危害は2人にも直接及びます。バーセルは兵士に暴行を加えられ、ユヴァルに至ってはイスラエル兵に裏切り者呼ばわりされるだけでなく、マサーフェル・ヤッタの村民から「お前は敵国の人間だろ」と罵声を浴びせられてしまう…。
あまりにも不正かつ不条理な光景に、「どうしたらいいのか」と思わずにはいられません。しかし観る者にそう思わせることこそ、ドキュメンタリー映画の肝です。
「遠い国の出来事だから関係ない」でいいのか?知らないふり、見て見ぬふりでいいのか?――バーセルとユヴァルは、そうした自問自答を観る者に強いるのです。
「私たちは抹殺されかけている」
すでに世界各国の映画祭で61もの賞を獲得し、2025年3月2日(現地時間)に行われる第97回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた本作。しかし、アメリカ国内では政治的な事情から配給会社が決まらなかったことから、ついにバーセルら同志による自主上映が1月末から開始。
同じく2024年度のアカデミー賞で10部門にノミネートされた『ブルータリスト』(2025)のブラディ・コーベット監督がアメリカ上映を全面支持するなど、本作を取り巻く状況は慌ただしくなっています。
バーセルは自身のX(旧:ツイッター)で、入植者たちによるマサーフェル・ヤッタへの襲撃模様を逐一撮影し配信しており、以下のようにポストしました。
「アカデミー賞にノミネートされたことは光栄だが、トランプ米大統領が入植者に対する制裁を解除したその一方で、私たちは抹殺されかけている。ハリウッドの人々はどうか黙っていないでほしい」
2023年10月7日にイスラム組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃し、その報復としてイスラエル軍のガザ地区への空爆が続いていましたが、今年1月19日にイスラエルとハマスとの間の6週間の停戦が合意。ただしこれはあくまでも戦争の一時停止であって、終戦ではありません。
本作タイトルの「ノー・アザー・ランド」とは「他にはない地=故郷は1つしかない」という意味。これ以上故郷を失う人を増やしてはならない――銃器を持たずして故郷を守り続ける者たちの覚悟を、凝視してください。
次回の連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』もお楽しみに。
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松平光冬プロフィール
テレビ番組の放送作家・企画リサーチャーとしてドキュメンタリー番組やバラエティを中心に担当。『ガイアの夜明け』『ルビコンの決断』『クイズ雑学王』などに携わる。
ウェブニュースのライターとしても活動し、『fumufumu news(フムニュー)』等で執筆。Cinemarcheでは新作レビューのほか、連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』『すべてはアクションから始まる』を担当。(@PUJ920219)