連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第39回
ジャーナリスト堀潤が5年の歳月をかけて追った、世界の「分断」。
今回取り上げるのは、2020年3月7日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開の、『わたしは分断を許さない』。
元NHK局員にして、現在はフリージャーナリストとして活動する堀潤の、『変身 Metamorphosis』(2013)に続く監督第2作となります。
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CONTENTS
映画『わたしは分断を許さない』の作品情報
【日本公開】
2020年(日本映画)
【監督・撮影・編集・ナレーション】
堀潤
【プロデューサー】
馬奈木厳太郎
【脚本】
きたむらけんじ
【編集】
高橋昌志
【音楽】
青木健
【キャスト】
堀潤、陳逸正、深谷敬子、チョラク・メメット、久保田美奈穂、安田純平、大和田新、エルカシュ・ナジーブ、仙道洸、松永晴子、ビサーン、アブドラ、むのたけじ、大田昌秀
【作品概要】
元NHK局員にして、現在フリージャーナリストとして精力的に活動する堀潤の、『変身 Metamorphosis』(2013)に続く監督第2作。
東日本大震災後の福島をはじめとする、シリア、パレスチナ、朝鮮半島、香港、沖縄など、国内外の様々な社会課題の現場で生まれた「分断」をテーマに、堀が現地取材を敢行していきます。
映画『わたしは分断を許さない』のあらすじ
2013年、初の監督作品となるドキュメンタリー映画『変身 Metamorphosis』で、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故の歪んだ実態と、その現実に果敢に立ち向かう人々の姿を克明に描いた堀潤。
彼はその後、勤務先のNHKを退局してフリージャーナリストに転身し、現場の人々の「生の声」を少しでも多くの人々に伝えようと、精力的に活動を続けてきました。
そんな堀が、監督第2作となる本作で焦点を当てたのは、「分断」。
東日本大震災後の福島をはじめとする、シリア、パレスチナ、朝鮮半島、香港、沖縄など、国内外の様々な社会課題の現場で生まれた「分断」の実情を、自ら現地取材。
現地での市井の人々の声を通じて、今後のために我々ができることは何かを、追究していきます。
ジャーナリスト堀潤が提示する真実の見極め
NHKの元アナウンサーであり、フリーとなって以降も報道番組のキャスター(アンカーマン)や、ワイドショー番組のコメンテーターとして活躍する堀潤。
彼はニュース原稿を読んだり、番組の進行をする以外に、業界用語で「地取り」と呼ばれる、自ら取材に赴いて現場の人から話を聞くなどの情報収集をしたのち、それを自ら番組で伝えるという手法を、NHK在局時から行ってきた人物です。
「地取り」をすることで、堀が到達したのが、「一つの問題には、多様な意見がある」ということ。
大手メディアによる報道では伝えられないこともある、取材現場の生の声も救い上げることで、考える選択肢を増やし、真実を見極めていく――。
フリージャーナリストとなったことで発信力を高めた彼が、初の映画監督作『変身 Metamorphosis』に続いて世間に問うのが、世界の様々な社会課題の現場で深まる「分断」でした。
国内外に潜む「分断」
本作でも、堀はカメラを片手に世界各国に赴きます。
冒頭では、香港で民主主義を守るデモ活動に参加する青年を取材。
日本のアニメが大好きというごく普通の若者が、なぜ危険を顧みず、政府に対し声を荒げるのかを尋ねます。
さらに、2011年から内戦状態にあるシリアから逃れてきたヨルダンの難民キャンプでは、シリアで拘束された父との再会を願いつつ、将来は医者になり多くの命を救いたいと言う少女に出会います。
堀の目は、我が日本にも向けます。
福島の原発事故で、いまだに自宅へ戻れない美容師は、国の定めた指針に基づいた賠償金が原因で、公にされにくい「分断」に苦しめられ続けていたことを告白。
さらには原発事故後、茨城から沖縄へ子どもと移住した母親を通し、辺野古への米軍基地移設問題が生む「分断」を浮き彫りにします。
さらに、難民の認定率がどの先進国よりも低いばかりか、その申請者をまるで囚人のような扱いにする国の対応にも、カメラを向けます。
ビニール傘と謝罪
東日本大震災の現場体験を世界各地で語る、フリーアナウンサーの大和田新は、福島県浪江町のとある小学校に置かれた4本のビニール傘を、堀に見せます。
その傘が意味するものとは、何か。
一方、シリア内戦を現場取材していたフリージャーナリストの安田純平は、3年もの間、現地の武装勢力によって拘束されたのち、日本に帰国しました。
「なぜわざわざ危険な戦地なんかに行ったのか」という激しいバッシングに、「迷惑をかけた」と謝罪した安田。
彼が劇中で語る、日本国民が世界の戦況に関心を寄せない理由。
世界どころか、当事者でないかぎり、福島や沖縄にも関心を示さなくなっているこの日本を痛烈に表したその言葉に、ドキリとさせられます。
メディア側の人間でありながら、堀はメディアの役割を問いつつ、メディアに存在する「分断」を提示します。
表現の自由で「分断」を埋める
「分断」の構造は至るところに潜んでおり、自分が知らないうちに、それに取り込まれている可能性があります。
それでも終盤、堀のカメラは日本と北朝鮮の学生同士の交流や、沖縄の米軍基地内を訪問する母親といった、「分断」された者同士の姿を映します。
それは、コミュニケーションの齟齬=ディスコミュニケーションが「分断」を生むのではという、一種の回答にも見えます。
本作『わたしは分断を許さない』は、傍目には、映画にしなくてもテレビのドキュメンタリー番組にできるのでは、と思うかもしれません。
しかし、プロデューサーの馬奈木厳太郎は語ります。
本作は、ジャーナリストである堀潤が、“放送法”の世界で報じるのではなく、“表現の自由”の世界で問題意識を投影させたものといえるだろう。
本作を最後まで観ると、現行のテレビメディアで「分断」というテーマを扱うのは容易ではないと、察することができると思います。
堀自身、NHK在局時に福島原発事故を取材していた際、十分な「地取り」ができないまま報道してしまったことで、当時の被災者に「分断」の念を与えてしまったことへの後悔があると語っています。
フリージャーナリストという“自由な”立場となった今だからこそ、彼は自責の念を込め、断ち切られた溝を埋めようとしているのです。