連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第92回
今回ご紹介するのは、2022年2月11日(金)からNetflixで配信が開始されたフランス映画『ビッグ・バグ』です。
『アメリ』(2001)や『デリカテッセン』(1991)で知られる、ジャン=ピエール・ジュネ監督の9年ぶりの長編映画です。
舞台は2045年のフランス。人間たちを征服しようとする最新型ロボットと、その脅威に抗う人間と家庭用の旧式ロボットたちの戦いをブラックユーモアたっぷりに描いた作品となっています。
その見どころや感想を解説していきます。
【連載コラム】「Netflix映画おすすめ」記事一覧はこちら
映画『ビッグ・バグ』の作品情報
【日本公開】
2022年(フランス映画)
【監督】
ジャン⁼ピエール・ジュネ
【キャスト】
エルザ・ジルベルスタイン、イザベル・ナンティ、ステファン・ドゥ・グルート、クロード・ペロン、ユーセフ・ハイディ、クレール・シュスト、フランソワ・レヴァンタル、アルバン・ルノワール
【作品概要】
監督のジャン⁼ピエール・ジュネは、マルク・ギャロと共同製作の『デリカテッセン』(1991)がセザール賞の作品賞、脚本賞、編集賞、美術賞を受賞。その後『ロスト・チルドレン』(1995)や『エイリアン4』(1997)の監督を務めた後、監督脚本を務めた『アメリ』(2001)でアカデミー脚本賞にノミネートされました。
本作では、『アメリ』(2001)や『天才スピヴェット』(2013)で共同脚本を務めたギョーム・ローランと再びタッグを組んで脚本を製作しています。
セザール賞に4度ノミネートし、2009年『ずっとあなたを愛してる』で同賞助演女優賞を受賞したエルザ・ジルベルスタインが主演ほか、『アメリ』(2001)や『Summer of 85』(2020)のイザベル・ナンティが出演しています。
映画『ビッグ・バグ』のあらすじとネタバレ
家主のアリス(エルザ・ジルベルスタイン)に、犬の真似をした人間をヨニクスというアンドロイドが散歩している「ホモ・リディキュラス」という番組の映像を見せるマックス(ステファン・ド・グルート)。
マックスはダイアモンド誌で働いていて、息子のレオ(エリー・トナ)を連れてきていました。
アリスの家には祖父の形見の本が沢山あります。アリスは感情日記をつけています。今では誰もすることがない、手書きで文字を書くことができます。
アリスの才能を褒めるマックスですが、下心しかありません。
家へ元夫のビクター(ユセフ・ハイディ)が娘のニーナ(メアリーソール・フェルタード)、婚約者ジェニファー(クレア・チュスト)を連れてやって来ます。
ジェニファーとビクターはこの後、イゾナパラダイスという人工のリゾート地で結婚式を挙げる予定です。
お手伝いロボットのモニーク(クロード・ペロン)は、ビクターのことをまだ家主だと思っていて彼に話しかけます。
アリスもビクターのことをまだ引きずっていました。
監視ロボットは隣家の犬トビーに飲み込まれしまいました。少し経つと、トビーが監視ロボットを吐き出します。
旧式のロボット、V2クリーナーがトビーが吐いた跡を片づけました。
隣家のフランソワーズ(イザベル・ナンティ)が尋ねてきます。彼女はなんでもズバスバ話す性格です。
テレビでは、ヨニクスが人間に闘牛をさせている番組「ホモ・リディキュラス」の映像が流れます。
フランソワは家に帰ろうと出口に向かいましたが、音声システムのネクターがドアを開けません。
外の警戒レベルが10段階中の7.1でコードC4が発動されたので安全のために開けられないと説明します。外で大渋滞が起きているからです。
モニークも言うことを聞きません。アインシュタインというビクターが作ったロボットが家の壁の中から現れて、モニークを再起動しました。知能レベルを自在に変えられるロボットです。
ロボットたちは、人間たちはヨニクスの脅威に気づいていないから、守ってやらなければならないと話し合います。信頼を得るために感情を手に入れようという結論に至ります。
外は43度の中、エアコンが切れてしまいました。環境法の改正により、エアコンの温度の再設定には行政への申請が必要でした。そして申請が殺到しており行政が対応できない状況でした。
室内の温度は上がり、全員ぐったりとしています。外では車が大渋滞を起こして救急車も出動できないので、ニュースでは「ステイホーム」を呼びかけられました。
家の外にある緊急レバーを引くことで家の扉を開けようと企てるビクター。外のスピーカーをオンにして、赤いライトをトビーに追わせて、レバーに食いつくように仕向けます。
しかし、トビーはレバーを壊してしまいました。
近所の住人イゴールが通りかかりますが、ビクターたちの声に気付かず通り過ぎてしまいました。
彼は、ホークアイ移植手術という視覚拡張手術を受けた後に、ローンを払えなくなって義眼を奪われてしまい、失明してしまったのです。
それぞれ部屋に分かれて寝支度を始めます。ニーナの部屋にはレオが泊まることになりました。
ビクターは車を家の窓ガラスにぶつけて突き破ろうと決心して、リモコンで車を操作します。しかし、飼い主を守ろうとトビーが車の前に飛び出して来たせいで、トビーを避けようとした車は横転して故障してしまいました。
テレビでは、ヨニクスが人間の安全を守るためにヨニクスは特殊部隊を作っていることが分かりました。
フランソワーズのアンドロイド、グレッグが家にやってきます。ヨニクスが家にやってきて頭をはがされ分解されたと話します。フランソワーズは、暴走するグレッグの電源ボタンを押して眠らせます。
ニーナとレオは部屋でキスをします。
モニークやアインシュタインらは、グレッグの電源を直して事情を聞き出そうとします。人間らしくなるには、人間を笑わせるユーモアがあればいいと言われて、ジョークをダウンロードします。
ジョークを言って笑い合うロボットたち。
アリスはセクシーな衣装を選びマックスが部屋に来るのを待っていましたが、フランソワ―ズが衣類を借りにやって来ます。彼女はシルクか綿100%しか着ないと言います。
ビクターは家の中の警戒レベルを挙げれば外に出られるのではないかと火事を企てます。フランソワーズにも協力を仰ぎました。
アリスとマックスがセックスしようとしているところにロボットたちがジョークを言いに来て、ムードは台無しになってしまいました。
朝食をとる一同。テレビではヨニクスが、「放し飼い人間のフォアグラ」を食べるコマーシャルが流れます。
ジェニファーは早く家から脱出してイゾナパラダイスに行きたいと喚きます。ニーナの部屋に昔のパソコンがあることを知ったジェニファーは古い回線を使って、ヨニクスにメールを送ります。
モニークは「心には理性の及ばぬ理屈がある」と話し、人間の心を理解できるようになったと言います。
フランソワーズはグレッグに指示を出し、アリスの本を燃やすように言います。そして、レオにはモニークたちの注意を引くためになぞなぞを出します。
グレッグは火災報知器のそばで本を燃やして緊急警報を鳴らします。すると家の外にヨニクスがやってきました。住人の検査と、家事ロボットの更新に来たと言います。
アリスらは家に入れるのを断りますが、ヨニクスはジェニファーを操り家のロックを開けてしまいます。
ヨニクスは、立ち向かってきた小型ロボットを一体壊してチップを奪ってしまいました。また、時代遅れ物品の所持には申請がいる上、冊数が多すぎて違法だとしてアリスの本を燃やしてしまいます。
さらに、ヨニクスに立ち向かったグレッグは頭を撃たれてしまいます。最後の力をふり絞ってフランスワーズに愛を伝えました。グレッグのチップもヨニクスに奪われました。
ヨニクスは、アリスを裁判にかけるために社会不適合レベルテストを行います。古風な芸術活動を行うアリスを不適格者に認定します。
人間による最大の発明は?と言うヨニクスの質問にアリスは「AIでしょ」と皮肉で答えます。ヨニクスは「技術の進歩により人間は代替可能となるか?」と質問します。
アリスは「人間の代わりはいない。人間は独創的で欠点のある存在だからよ」と答えます。その答えを聞いて、ヨニクスはアリスを敵対者群に認定されてしまいました。そして全員を尋問することになりました。
モニークはアリスに目配せをして、鏡を持ってくるように指示します。アリスは、トイレに行くふりをして鏡を鳥に行きます。
ジェニファーは自分とビクターだけ助かろうとヨニクスに取り入ろうとしますが、それ以上しゃべったら舌を切ると言われてしまいます。
映画『ビッグ・バグ』の感想と評価
本作は、身近にあるのが当たり前となったAI機器に支配される人間たちの、滑稽さとその愛すべき不完全さをブラックユーモアたっぷりに描いており、現代社会に警鐘を鳴らす映画です。
インターネット社会の現代、今では誰もがスマホなどの電子機器を手放せない生活を送っています。
電車やコンビニなどの支払いはスマホの電子決済で済ませ、自宅では音声認識システムを使って家電を操作し、ロボット掃除機を使用している人も多いでしょう。
人間たちが利便性を追及して作り出したはずのシステムが、Wi-Fiがなかったり充電が切れたりすると機能しないなど、当たり前だけど意外と融通の利かない「落とし穴」のような不便さを伴うこともあります。
また、スマホ依存による様々な弊害も現れており、昔からあるアナログな文化のぬくもりや人と人とのリアルな繋がりを奪っているのも現実です。
本作の舞台は2045年。主人公のアリスは、祖母の形見の本や手縫いの刺繍などアナログのぬくもりを好み、家庭用ロボットたちも最新型にアップロードせずに使っていました。
家庭用ロボットたちは人間の心理をより理解しようと奔走したり、アリスたちを人間を征服しよう企む最新型ロボットのヨニクスの脅威から守ろうと戦います。さらには、自分たちは人間なのだ!と嬉しそうに言う場面もあります。
これは、最新型ロボットではなく、旧型ロボットが人間に近いという事を表し、人間たちのレベルの低さを表しているのだと感じました。
逆に最新型ロボットは人間たちを下に見ているので、排除しようとします。ロボットを作り出したのは人間なのに、そのロボットたちによって人間の存在が脅かされるという本末転倒な事態を本作は描いていますが、これは現実に起こらないとは言いきれません。
アリスは「人間の代わりはいない。人間は独創的で欠点のある存在だからよ」と言います。
たしかに、その欠点が良い意味も悪い意味でも、人間らしさだと言えます。その愚かさを自覚したうえで、技術の進歩に操られたり依存しすぎないことが、今の時代を生きる上で私たちに備わっているべき必須スペックだと思います。
まとめ
『アメリ』(2001)や『デリカテッセン』(1991)で見せたジャン⁼ピエール・ジュネ監督ならではの細部まで凝った世界観は健在で、特に家庭用ロボットたちの精巧な造形美や、少し不気味な雰囲気は本作の大きな魅力になっています。
また、コロナ禍をジョークとして持ち出したり、握手に代わる挨拶として肘を合わせる行為をする等、アフターコロナの世界を描いています。ウイルスのパンデミックによって人同士の接触が減った未来で、ロボットとの共存をテーマにした作品です。
そう考えると、あまりにリアルで笑えません。ここまでロボットに支配される未来が待っているとは考えたくないものです。
そう思いながら今日もネットフリックスにおススメされるがままに…。