連載コラム「最強アメコミ番付評」第8回戦
こんにちは、野洲川亮です。
2018年9月は『キャプテン・マーベル』、『ダークフェニックス』の予告解禁で、大いにテンションが上がっております。
さて、これまでの連載ではMCU作品を中心に取り上げてきましたが、今回は少し趣向を変えて、アメコミ作品から生まれた邦画作品を紹介していきます。
2010年に公開された『キックアス』は、当時スーパーヒーロー映画の新機軸として話題になり、アーロン・ジョンソン、クロエ・グレース・モレッツの主役二人をスターダムへのし上げました。
そして、そんな『キック・アス』の強い影響を受けた、邦画『ヒーローマニア生活』が2016年に公開されました。
同じ“スーパーヒーローアクション”を描いた両作品から、見えてきたものとは?
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映画『キック・アス』とは
『キックアス』は2008年コミックが映画に先行する形で刊行されます。
そして2010年に映画が公開されるのですが、当初製作は難航しました。
”少女が悪党を殺害していく”という過激な内容も影響して、映画会社からの出資が得られず、マシュー・ヴォーン監督自身が資金調達し、自主映画として製作、公開に至ります。
「キングスマン」、「X-MEN」シリーズの監督も務めたヴォーンの演出と言えば、軽快でスピーディーなアクションに、ド派手な音楽を掛け合わせるのがおなじみです。
今作はそんなヴォーン演出の源流とでも言うべき、アクションが連発されます。
『キックアス』で描かれるヒーロー像は、それまでの特殊能力を有する、いわゆる”スーパーヒーロー”とは一線を画するものでした。
オタクで喧嘩も弱いデイヴ(キックアス)は、手作りスーツと武器を手に、持ち前の正義感のみで悪党たちに立ち向かっていきます。
まだ小学生ながら父親に戦闘を仕込まれた”殺人少女”ヒットガールは、スタイリッシュなアクションで、ためらいなく敵をあっという間に殺戮していきます。
倫理的にあまりにも逸脱し、しかし究極のカタルシスを得られるその内容は、ヒットガール=クロエ・グレース・モレッツのキュートも相まって観客に受け入れられます。
意外?にも原作はキックアスより早かった! 『ヒーローマニア-生活-』とは
『キックアス』刊行の3年前、2005年に連載がスタートしたのが、福満しげゆき原作の漫画『生活』です。
途中、連載中断などを経て、偶然にも『キックアス』映画化と同じ年、2010年に単行本が発売されました。
映画化は2016年5月、東出昌大、窪田正孝、小松菜奈、片岡鶴太郎4人が自警団を結成し、マナーの悪い小悪党たちを成敗し、吊るしていく”吊るし魔”として活動していきます。
彼らの行動動機となるのは、キックアスとは違い、正義感ではなく上手くいかない自らの生活へのうっぷん晴らしや私欲によるものです。
主人公たちが立ち向かうのは、日常生活における様々な理不尽であり、それらはより一般の観客に距離の近いものとして、強い共感を呼び起こします。
アクションも、窪田正孝の強烈な身体能力を持ったものこそ見栄えしますが、ヒットガールのような超人が登場しないことで、やはり観客に実感を伴わせるものでした。
東出昌大が演じるうだつの上がらない情けない男も、うまく活かしたキャスティングです。
この主人公の行動動機が情けないことも、“誰しもが抱える弱さ”として共感を呼びます。
”特殊ではない一般人たち”の正義と矜持
前述してきましたが、どちらの作品にも共通しているのは、主人公がスーパーヒーローならぬ一般人、普通の人々だということです。
“気持ちの出発点”こそ違うものの、彼らは世の中にはびこる理不尽に心を砕かれています。
そして、無力な自分を呪い、現状を打破することを祈っているのです。
許せなかったが、立ち向かえなかった鬱屈を晴らすため、あることをきっかけに”なりきりヒーロー”として活動を始めるのも同様です。
さらに、映画中盤で自分が得た力以上の、より強大な暴力によって挫折、絶望するところも両作品の共通点で、そこからヒーローとしてどんな答えを導き出すのか?
というラストへ至る展開も、やはり共通したテーマとして描かれています。
興味深いのは、挫折を経た主人公が最後にどのような道を歩むのか?が全く違う描き方をされているということです。
ラストで行き着く答えの違い
自らのミスにより、ヒットガールの父親を死なせてしまったキックアスは、ラストでは不文律であった”殺し”を解禁し、盛大かつ爽快な方法で
映画的なカタルシス満載に、悪人たちをブチ殺していきます。
観客としては、得も言われぬカタルシスと倫理観の狭間に立たされる微妙な心境で、このラストをもって、作品の賛否もかなり変わってくることでしょう。
さらに続編の『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』(2013)でも、キックアスはなりきりヒーローの責任と向き合うことになります。
『ヒーローマニア-生活-』の主人公も、仲間の敵討ちのために立ち上がるまでは同様ですが、そのクライマックスはスタイリッシュさとはかけ離れた、トンカチや包丁などを使用した、“一般人の喧嘩の延長”のような泥臭い殺し合いです。
製作時『キックアス』が念頭にあったという豊島圭介監督ですが、ラストでは同じように明確なカタルシスを提示することなく、主人公たちをより滑稽に、より現実的な人間としての”次の一歩”を描き幕を閉じます。
日米の差、ヒーロー観の違いなど、様々な差異を感じることが出来るラストは、同じテーマから違う答えへ行き着いた、それぞれのスタッフの思いを感じることが出来ます。
どちらかしか見ていない、という方にはこの機会にぜひ見てほしい作品。どちらも見ていない場合は、興味を持った方からお先にどうぞ!
次回の「最強アメコミ番付評」は…
いかがでしたか。
次回の第9回戦では、『ヘルボーイ』から見るギレルモ・デル・トロ監督を紹介していきます。
お楽しみに!