昭和38年、初夏の横浜を舞台に綴られる高校生の恋物語。2人が見出した先は…。
佐山哲郎原作・高橋千鶴による少女漫画を宮崎駿が企画・脚本し、『ゲド戦記』(2006)の宮崎吾朗が監督を務めたアニメーション作品。
映画の主題歌「さよならの夏〜コクリコ坂から~」を手嶌葵が担当。劇中挿入歌なども担いピュアな歌声が物語を彩ります。
海を見下ろす小高い丘の上でコクリコ坂を切り盛りする少女・海。船乗りだった亡き父への思慕、そして、カルチェラタン取り壊しに奮闘する少年・俊との出会いをノスタルジックに描いた物語の魅力をネタバレありでご紹介いたします。
映画『コクリコ坂から』の作品情報
【公開】
2011年(日本映画)
【英題】
From Up on Poppy Hill
【監督】
宮崎吾朗
【脚本】
宮崎駿/丹羽圭子
【声のキャスト】
長澤まさみ、岡田准一、竹下景子、石田ゆり子、柊瑠美、風吹ジュン、内藤剛志、風間俊介、大森南朋、香川照之
【作品概要】
「なかよし」(講談社刊)に連載された佐山哲郎原作・高橋千鶴による少女漫画を宮崎駿が企画・脚本し、『ゲド戦記』(2006)の宮崎吾朗が監督を務めたアニメーション作品。
第35回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞しました。
コクリコ荘に暮らす少女・海役を長澤まさみ、通称・カルチェラタンの取り壊しに反対する俊役を『ゲド戦記』(2006)に続いて抜擢された岡田准一が声を当てました。
スタジオジブリ作品の常連である竹下景子、石田ゆり子、風吹ジュン、内藤剛志らが脇を固めます。また香川照之や風間俊介、大森南朋など実力派の豪華キャストが参加。
映画『コクリコ坂から』あらすじとネタバレ
1963年の横浜。海を見渡す高台にあるコクリコ荘という下宿屋を切り盛りする高校二年の松崎海(愛称・メル)。
彼女は、船乗りだった父から教えてもらった信号旗を毎朝、海に向かってあげていました。その信号旗は、“安全な航行を祈る”という意味でした。
父のタグボートに乗って通学していた高校三年の風間俊は、その旗に回答旗をあげていました。その少女が誰かは知らず、学級新聞に“旗をあげる少女”の詩を掲載しました。
俊は、文化部部室の建物・通称カルチェラタンが老朽化による取り壊しに抗議するべく、建物の屋根から防水水槽にダイブします。
丁度、メルが友達と昼食中の出来事で俊が落ちる瞬間に目が合いました。水浸しになった俊に思わず手を差し伸べたメルでしたが、気恥ずかしくなり手を放します。
一躍注目の的になった俊の写真を購入したメルの妹・空に俊のサインがほしいからカルチェラタンについてきてほしいと頼まれます。
カルチェラタンは、男子の文化系部室が入っている建物で、女子には近寄りがたい場所でした。
メルは空を連れて、俊が編集長を務める週刊カルチェラタンの部室を訪ねます。右手を怪我した俊の代わりに、ガリ切りの作業を手伝うことになるメル。
帰宅したメルは、急いで夕飯の支度をしようとしますが、カレーに使うお肉が切れていて、買い物に出かけます。丁度その時、自転車で帰宅中の俊と鉢合わせ、坂を下った商店街まで自転車の後ろに乗せてもらいます。
翌朝、下宿する美大生の広小路が描いた絵を目にしたメル。その絵でメルが毎朝旗をあげた後にタグボートから回答旗があがっていたことを知ります。
俊から誘われた全学討論集会に駆けつけたメルは、大多数の生徒が建て替え案に賛成する中、俊が壇上に上がって異議を唱える姿を目のあたりにします。
下宿人の医大生・北斗の送別会に俊たちも来ることに。
メルは俊に朝鮮戦争で帰らぬ人となった父を想って今でも旗をあげていることを話します。そして、父が写っている写真を見せました。その写真にはメルの実父である澤村雄一郎と小野寺善雄、立花洋の3人が写っていました。
メルが提案したカルチェラタンの大掃除がはじまり、女子生徒たちがボランティアとして手伝いに入ります。
メルの家で写真を見てから自分の出生に疑問を覚えた俊は、父親に実父のことを聞きます。それは親友の澤村雄一郎が戸籍謄本と赤ん坊を抱えてやってきたというものでした。
カルチェラタンの大掃除が順調に進む中で、俊が自分を避けているように感じたメルは、「嫌いになったのなら、はっきりそう言って」と言い放ちます。
俊は、澤村雄一郎が写っている写真を取り出すと、自分たちが兄妹であると告げ、今まで通りただの友達だと言ってメルと別れました。
映画『コクリコ坂から』感想と評価
歌謡曲とジャジーな曲調で誘うノスタルジックさ
物語の舞台は、昭和38年(1963)の横浜。戦後復興の象徴として語られる東京オリンピックを目前に日本は高度成長期真っ只中という時代です。
映画の冒頭からは、朝ごはんの支度から家事を手際よくこなしていく主人公・メルの姿とともに当時の生活様式が細やかに描かれます。
そこで挿入される曲は、手嶌葵が歌う「夜明け~朝ごはんの歌」という曲。メトロノームの規則正しいリズムが毎朝の営みをテンポよく映し出します。
俊がカルチェラタンの屋根から飛び降りるシーンでは、ドラムのビートを刻むジャズ調の曲が響き、ムードを引き立てます。後のカルチェラタンの場面では、このビートがカルチェラタンという魔窟の異空間に誘う音にもなってくるのです。
その他のシーンには、ピアノの他にアコーディオンやトランペット、カスタネットなどの音色が入り混じり、どこか懐かしい雰囲気を醸し出します。
そして、誰もが知っている坂本九の名曲「上を向いて歩こう」が劇中で印象深く流れます。俊とメルが自転車の2人乗りで坂を下っていくシーンと東京からの帰り道のシーンで流れ、2人の行く末を見つめるような哀愁を漂わせます。
効果的に使われた映画音楽が、物語の世界観を引き立てるだけではなく、エモーショナルをかきたてます。だからこそ、その時代を生きていない世代にとってもノスタルジックな気分を引き起こすのでしょう。
ジブリ作品の中で希有のファンタジーものではないものの、観るものを駆り立てるノスタルジックさがある意味では、未知の体験といったファンタジー性を放っています。
宮崎吾朗監督が描く初々しさ
人間の内面的な葛藤を描いた『ゲド戦記』(2006)に続き、宮崎吾朗監督が手掛ける長編二作目となる『コクリコ坂から』では、人を恋うる心を初々しく描き出しました。
屋根からダイブした俊と目が合い運命的な出会いをするメル。その出会いをメルが旗を降ろす時に思い出すカットバックで描き、印象付けます。
俊とメルの2人が、戦後という時代に翻弄されながらも“出生の秘密”を明かしていく行く末を、カルチェラタン存続をかけた学生たちの紛争と交えて描かれます。
その中で、俊とメルが互いに想いを寄せ合う雰囲気が2人の肩を寄せる距離感に表れています。
ガリ切りの作業を手伝う時、自転車の2人乗り、北斗の送別会での会話、カルチェラタンの大掃除、雨降りの相傘、東京からの帰り道、それらの場面で2人は互いの気持ちを確かめ合うように肩越しに触れ合う距離感でいます。
互いに意識する空気感が肩越しから伝わってくるようでした。
そして、俊の本当の出生を小野寺から聞いた後の2人もまた、肩を寄せ合い未来を見据えたような眼差しで同じ海を見つめていました。
2人が風間の運転するタグボートに乗っているシーンでは、風間が2人のハッピーエンドを茶化すように俊にアイコンタクトを送ります。俊はというと、赤面し照れ笑いをするのです。
終盤のこのシーンがなんとも初々しさを触発して、今までの2人の距離感に熱を持たせるような場面となりました。
まとめ
ひなげしの花というフランス語の“コクリコ”。冒頭からメルが切り盛りするコクリコ荘には、名前の由来通りひなげしの花が咲き誇っていました。
毎朝、亡き父の写真にひなげしの花を一輪飾るメルの姿が、ひなげしの「慰め」「感謝」「恋の予感」という花言葉に重なります。
本作は、俊とメルの内面的な葛藤を主観的に押し出すようには描いていません。
自分たちが兄妹であると告げられたメルは、毅然とした態度をとりますが夢の中では、亡き父の姿を探し、眠りながら涙を流すシーンからメルの内心がよく分かります。
そして、母の胸の中で子供に返ったようにむせび泣くメルの姿からも強い葛藤を抱いていたことが伝わりました。
誰かを恋う時、人はそう容易く自分の気持ちを言葉や動作ではっきりとは伝えきれません。
相手を想うからこそ、その距離感を大切にしたいと思うのでしょう。
誰かに想いを寄せる視点がとても温かく感じる作品です。その眼差しが宮崎吾朗監督ならではの演出なのでしょう。
また、エンディングに流れる主題歌「さよならの夏~コクリコ坂から~」を歌う手嶌葵の透明感ある歌声が物語と共に余韻を残しました。