謎に包まれた猿楽能の太夫「犬王」の秘密とは?
「犬王」とは室町幕府三代目将軍・足利義満の庇護を受けたとされる近江猿楽比叡座の太夫、のちの道阿弥のことです。当時、かの観阿弥・世阿弥父子と人気を二分していたといわれていますが、なぜかほとんど記録が残っていないことでも知られています。
湯浅政明監督による長編アニメーション映画『犬王』はそんな彼にスポットを当て、琵琶法師の青年と組んで失われた平家の物語を演じ、人々を熱狂の渦に巻き込んでゆく様を描き出していきます。
“平家の呪い”を解くことから始まったこのふたりのサクセスストーリーは、果たしてどんな結末を迎えるのでしょうか。
映画『犬王』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【原作】
古川日出男『平家物語 犬王の巻』
【監督】
湯浅政明
【脚本】
野木亜紀子
【キャスト】
アヴちゃん(女王蜂)、森山未來、柄本佑、津田健次郎、松重豊
【作品概要】
原作は古川日出男『平家物語 犬王の巻』。この本の前に古川は『平家物語』の現代語全訳を手がけており、それを基にテレビアニメ『平家物語』が制作されました。本作は平家が壇ノ浦で敗れてから半世紀以上が経ち、滅亡した平家の物語を語り継ぐため琵琶法師たちが全国各地の平家のかくれ谷をたずねまわるといった行動をもとにしています。
制作はテレビアニメ『平家物語』と同じくサイエンスSARU。監督は『夜は短し歩けよ乙女』、テレビアニメ『映像研には手を出すな!』などで知られる鬼才・湯浅政明です。彼は犬王を「ロックスター」と捉え、相棒の琵琶法師とともにストリートから旋風を巻き起こしてのし上がっていく栄光と挫折の物語に仕立て上げました。
脚本は『罪の声』にて第44回日本アカデミー最優秀脚本賞を受賞し、アニメ脚本は本作が初挑戦となった野木亜紀子。またキャラクター原案に『ピンポン』『鉄コン筋クリート』の漫画家・松本大洋、音楽に『花束みたいな恋をした』の大友良英など豪華なスタッフが集結しました。
映画『犬王』のあらすじとネタバレ
現代。夜の街、車が行き交うこの通りも、かつて武士や商人が歩いていた時代がありました。
壇ノ浦。源氏と戦って平家が滅んで60年、既にめぼしいものは拾い尽くしたその海に京から男たちがやってきました。彼らはそこに沈んだ神器を探しに来たのです。
漁師の息子・友魚(ともな)は父とともに、海底からそれらしき箱を引き揚げます。中にあった剣を引き抜いた父は“平家の呪い”によってその場で絶命し、友魚は両目の視力を失ってしまいます。そして父の亡霊に「無念をはらせ」と言われ追い立てられるように旅に出ます。
琵琶法師の老人・谷一の弟子となり、平家の物語を探しあちこちを旅するうちに、京の都では知られざる平家の話を持ち帰った琵琶法師が何十人も殺されているという噂を耳にします。その残虐さは「もののけの仕業では」といわれるほどでした。
そのころ京には、瓢箪の面をつけた犬のような異形の子がいました。彼は猿楽の名門・比叡座の棟梁の息子ですが、その醜さから父に嫌われ、屋外で犬とともに生活させられていました。
父が兄たちに教える芸を見ながら見様見真似で踊っていると、短かった彼の足が年相応の少年と同じくらいに伸びました。うれしくなった彼は通りを走り回り、面を取っては人々を驚かすといういたずらを仕掛けるのでした。
京にやってきた友魚は谷一に連れられ、彼の所属する琵琶法師の団体・覚一の座に迎えられます。そこでは皆「一」の字を名前にもらうことになっており、「友一」と名乗るよう命じられるのですが、父親の亡霊が現れ怒り始めます。名前を変えると見つけられなくなる、というのがその理由でした。
その夜、橋の上で友魚が悩んでいると瓢箪の少年が現れ、面を取って彼を驚かそうとします。しかし盲目である友魚には意味がありません。ふと琵琶に気づき弾けるのかと聞くと、友魚は「当然!」と言って弾き始め、たちまちふたりは意気投合します。
帰り際、友魚は覚一の座にいることを伝えるため「友一」と名乗り、名前のない瓢箪の少年は「比叡座の舞台でその名を轟かす!」と豪語して去っていきました。
時の将軍・足利義満は大和猿楽の観阿弥とその息子・藤若(のちの世阿弥)が大のお気に入り。この日も彼らを呼んで舞を堪能していました。
かつての名門・比叡座の棟梁はそんな状況に焦り、ふたりの息子に厳しい稽古をつけますがうまくいきません。その弟である瓢箪の少年が外で踊っていますが、父は怒って殴りつけ「その醜い長い腕がある限り舞台には上げさせない!」と怒鳴るのでした。
数年が経ち、瓢箪面の青年は友一に「芸をひとつ手に入れると身体の部位が変わっていく」と話します。何かの呪いなのか、亡霊の知り合いがいたら聞いてほしいと言われ、友一は父のことを思い出します。最初はうまくいきませんでしたが、「友魚」と名乗ると呼び出すことができました。
ずいぶん小さく優しげになった父は「故郷に残してきた母が死んだ」「だがちゃんと成仏した」と話します。それを聞いた青年が亡霊を感じようと感覚を研ぎ澄ますと、そこらじゅうに赤い小さな亡霊たちがあふれていることに気づきます。
それらは忘れ去られた平家所縁の亡霊たち。ふたりは自分たちの手で、彼らの語るそれぞれの物語を演じ、その無念を晴らして成仏させることを思いつきます。それによって青年の呪いが解けていくことも期待して……。
「比叡座の新旧対決」という触れ込みのもと神社で舞を披露する棟梁に対し、友一たちは河原で演目をおこなうことに。橋の上では、まるでロックバンドのギタリストのように友一が琵琶をかき鳴らし、ベースに見立てた大きめの琵琶と太鼓を従えて観客を呼び込みます。
満を持してその下の河原では、「犬王」と名乗ることにしたシテ面の青年がブレイクダンスのように踊り始めます。壇ノ浦の戦いで腕を斬られ、海に沈んだ数多の雑兵の無念をたくさんのワラの腕で表現し、犬王が天に向かって突き上げた長い右腕はグングン伸びていきます。やがてそれは爆発し、彼はきれいな右腕を手に入れたのでした。
この「腕塚」の演目は評判となり、次に彼らは清水寺で新作を披露することに。
まず平宗盛がシルエットで現れ、イルカの群れの動きによって勝敗を占う様が歌い上げられていきます。清水の舞台にしつらえられた白い布に、まるでプロジェクションマッピングのように大きな鯨が映し出されると、ワイヤーアクションさながらにその背の上に犬王が乗り、水しぶきまでが飛んでくるようなド派手なパフォーマンスが繰り広げられます。
しまいには大仕掛けの竜が登場し、観客たちの興奮は最高潮に。ついに、犬王の背中を覆っていた醜いウロコが弾け飛ぶのでした。
映画『犬王』の感想と評価
謎に包まれた実在の人物「犬王」を、当時の人々を魅了したカリスマスーパースターと設定し、まるで現代と変わらないライブパフォーマンスを行う……。
実際にアニメーション映画として具現化するには、とてつもなく高いハードルが存在したことが想像できます。そして、トップクリエイターたちが集結したことでこの映画は生まれたのです。
運命の出会い
この作品にまつわる運命の出会いで、最初に語るべきは原作です。
原作者の古川日出男はこの犬王の物語の執筆前に「平家物語」の現代語全訳をおこなっていました。それは彼が大震災を経験し「千年」というキーワードから「源氏物語」に取り組もうとしていたときに持ち込まれた話であり、その「平家物語」の仕事を終えたのち「外伝を書いてみませんか?」というオファーから思いついたのがこの『平家物語 犬王の巻』でした。
「平家物語」に向き合った膨大な資料・データの蓄積がなければ、短期間にこれを書き上げることはできなかったと原作者自身が語っている『平家物語 犬王の巻』。
やがて現代語訳「平家物語」はテレビアニメ『平家物語』となり、『平家物語 犬王の巻』は映画『犬王』に。琵琶法師によって語り継がれた物語がこうして今、新しく語られ始めたのもなにか“運命”を感じさせられます。
そして劇中では、京の都の橋の上で友魚と犬王が出会います。友魚がその場にいたのは、壇ノ浦に生まれ「平家の呪い」によって盲目となり、亡くなった父の無念をはらすために旅に出て琵琶法師となったからにほかなりません。それは彼の背負った運命です。
一方の犬王は、「平家物語を」我が物にしようとする父親のかけた呪いによって、異形の子として生まれました。そんな犬王がここで友魚に出会ったことによって、ふたりの運命は大きく動き始めることになるのです。
豪華スタッフの最高のパフォーマンス
次に特筆すべきはキャスト陣です。
「室町時代のロックスター」という唯一無二の存在・犬王に命を吹き込んだのが、ロックバンド「女王蜂」のボーカルである薔薇園アヴことアヴちゃん。
そのジェンダーレスでボーダーレスな存在感がヒシヒシと伝わってくる変幻自在な歌声は、まさに犬王そのもの。オファーを受けた時は“運命”を感じたといい、犬王を演じるにあたって悩んだ時は「自分は声優としてではなく、“熱源”として呼ばれたのだ」と思うことで取り組むことができたといいます。
犬王のバディとなる友魚役は、ダンサーとしても活躍する森山未來。アヴちゃんとは映画『モテキ』以来の共演で、お互いに楽しみにしていたそうです。森山は実際に琵琶を習い、歌唱はアヴちゃん直々の指導でこの新しい琵琶法師像を作り上げました。
全編を彩る音楽を作ったのは、フリージャズやノイズミュージックでも知られる大友良英です。渡されたコンテにはキャラクターの動きが描かれ、それに合わせて大友が曲をつくる。
歌詞は監督と脚本の野木が選んだ単語をアヴちゃんが自分の言葉に変えてゆく……そのようにして本作の音楽は作られました。最終的には映像に音楽の尺がぴったりハマるという奇跡のような仕上がりだったそうです。
もうひとつ忘れてはならないのが、やはり作画の素晴らしさ。本作では犬王たちのパフォーマンスシーンが見せ場となるため、ダンスや演奏など身体を使ったシーンが重要なのですが、湯浅監督は「他の作品よりも作画のハードルを上げた」といいます。
常に新しいアイデアを求められ、スタッフたちは見事に期待以上の画を生み出したのです。
「名前」の持つ意味
音楽的な文体が特徴の原作者・古川日出男。独特な世界観を描き出す監督・湯浅政明。この二人だけでもワクワクさせられるのに、脚本に野木亜紀子の名前を見つけた時、この映画に対する期待感はMAXになりました。
そして観終わった今、この物語は野木でなくてはならなかったと納得しました。それは野木が忘れ去られた人々の声をひろい上げ、声なき者たちの物語を紡ぐ脚本家だからです。
友魚は琵琶法師として埋もれた平家の物語を集め、犬王という最強の相棒によって最大限に広めていく。そこからさらに野木は、「名前」というキーワードを選んでふたりの関係を浮かび上がらせていきます。
「友魚」は自分の出自を表す名、そこから琵琶法師・覚一の座の一員として「友一」となり、やがて「自分の名前は自分で決める」と「友有」になります。「見つけられなくなるから名前を変えるな」と父親に言われていたのに、その父が成仏したあと彼は犬王とともに新しい人生を謳歌します。
一方犬王はそもそも名付けられていません。「名前は決めてある!」と彼は自ら「犬王」と名乗ります。そう、これは二人が自分の名を、自分の人生をつかみとっていく物語なのです。
そして野木はさらに、仕掛けを用意していました。それはオープニングとエンディングの現代パートです。これは原作にはない映画オリジナルの展開です。
現代の夜の街を友有の霊は彷徨っています。彼を600年も探し続けていた犬王がようやく友有を見つけ、二人はいっしょに成仏するのでしょう。600年もかかってしまったのは、友有が名前を変えてきたから。
友有は頑なに自分たちの「平家物語」にこだわって殺されてしまいますが、犬王は友有を守るためにそれを封印しました。そのことを友有は知らず、裏切られたと思ったのか、おそらく霊となってからは友有の名を捨てていたのでしょう。
そんな二人が和解するために長い時間が必要だった。それを表現するために現代パートは必要だったのかもしれません。
まとめ
この映画は「平家物語」を通して忘れ去られた者たちの声をひろうことの大切さを教えてくれました。
「平家物語」は死者、滅びゆく敗者の物語です。その内容に人々は怒り、悲しみ、思いをはせるのです。いまこの時代にこの映画が生まれたこと、その意味をもっと考えてみたくなりました。
そして、あの室町の時代のように「物語」が奪われたりしない、自由な“いま”に感謝しつつ、この世界を大切にしていかねばならないという思いを新たにしました。
最後に。湯浅監督は『犬王』を集大成的な作品と呼んでいましたが、次の作品も期待しています!