太平洋戦争末期の神戸を舞台に、14歳の清太と4歳の節子は、懸命に生きる姿を描く。
作家・野坂昭如が自身の体験を元に描いた同名短編小説を、スタジオジブリの高畑勲監督が映画化しました。
昭和20年、夏。父は海軍の軍人として出征し、母と3人で暮らす14歳の清太と4歳の節子。空襲が街を襲い、家を焼かれ、母も空襲で亡くなった清太と節子は神戸から西宮の親戚の家に身を寄せます。
しかし、おばさんから次第に邪魔者扱いされるようになり、清太は節子を連れて防空壕に住み始めますが……。

(C)野坂昭如/新潮社,1988
映画『火垂るの墓』は、2024年に動画配信サービス「Netflix」で日本を除いた190以上の国や地域で配信が始まりました。
2025年7月15日には日本でも配信が始まり、戦後80年を迎える2025年に注目を集めています。
映画『火垂るの墓』(1988)の作品情報
【公開】
1988年(日本映画)
【原作】
野坂昭如
【監督、脚本】
高畑勲
【キャスト】
辰巳努、白石綾乃、志乃原良子、山口朱美、端田宏三、酒井雅代
【作品概要】
太平洋戦争における神戸空襲の体験を元に描いた野坂昭如の同名短編小説を映画化。野坂昭如は、同作で直木賞を受賞しました。
監督を務めたのは、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)、『かぐや姫の物語』(2013)の高畑勲。
本作は、宮崎駿監督の『となりのトトロ』と2本だてで1988年に公開されました。
映画『火垂るの墓』(1988)のあらすじとネタバレ

(C)野坂昭如/新潮社,1988
昭和20年、夏。父は、海軍の軍人として出征し、神戸の家では、母と14歳の清太と節子が暮らしていました。
ある日、空襲警報が鳴り心臓の弱い母に先に防空壕に行くように言うと、清太も父の写真を持って節子をおぶり防空壕に向かおうとします。
しかし、途中で空には敵機がやってきて爆弾が雨のように降りかかってきます。
あたりから火の手が上がり命からがら逃げた清太と節子。
約束の場所で待っていても母がやってきません。
そこに、小学校に避難するように言う声が聞こえてきます。
「母ちゃんも学校におるかもしれん」
清太と節子が学校に向かうと、知り合いのおばちゃんが清太に声をかけてきます。
「お母さん怪我したのよ」と言われ慌てて病室に向かうと包帯をした母の姿がありました。
清太は母の容体を節子に言うことができませんでした。そして、いつか母に言われていたように西宮の親戚のおばちゃんの家に身を寄せることにします。
次の日清太が母の様子を見に行くと、母は亡くなっていました。
清太は節子に母が亡くなったことを言わず、節子のいないところでおばちゃんに亡くなったことを伝え、節子に言わないでほしいと頼みます。
神戸の家は空襲で焼けてしまいましたが、地下に保管していた食料や、母の着物が見つかり西宮の家に持って行きます。
「やっぱり軍人さんは違うね、食料がなくて皆困っているというのに、あるところにはあるんやね」とおばちゃんは嫌味を言います。
清太が通っていた学校は焼け、学校に通わず節子の面倒を見ていました。
そんな清太たちにおばちゃんは、厳しく当たります。
清太の母の着物を売って得た米を食べて喜んでいた清太と節子でしたが、次の日からはまた雑炊に戻されてしまいます。
学徒として学校で国のために働くおばちゃんの息子と娘と違って遊んでいる清太と節子は雑炊だと言うのです。
「母ちゃんの着物を売ってもらった米じゃ」と清太が反論するとご飯は別にしようとおばちゃんは怒ります。
それを聞いた清太は銀行に行ってお金を下ろしてきます。
母ちゃんの貯金を下ろした清太は大喜びで七輪などを買い、自分たちで自炊し始めます。
おばちゃんの娘が「またきついこと言ったの?」と言うと「一言ごめんなさいと言えばいいのに、七輪やら何やら買ってあてつけみたいやわ」と言います。
空襲が来ると、清太は節子を連れて横穴の防空壕に向かうなか、町内会の人々は消化活動をしています。
そのこともおばちゃんは清太に文句を言い、何かときつく当たります。
映画『火垂るの墓』(1988)の感想と評価

(C)野坂昭如/新潮社,1988
子供から子供らしさを奪う戦争
14歳の清太と4歳の節子を通して戦争を描いたアニメ映画『火垂るの墓』(1988)。
本作は、空襲の場面や亡くなった人々、空襲で怪我を追った母親など残酷な描写がないわけではないですが、全編を通して主軸として描かれているのは、清太と節子の日常です。
当たり前の日常が奪われても日々を懸命に生きる姿に、今の私たちは何を感じるでしょうか。
おばさんに嫌味を言われると怒って、謝ったり気に入られようともしない清太は、不器用でもう少し大人になったら良いのにと思う気持ちもあるかもしれません。
しかし、そうではないのです。14歳の清太はお兄ちゃんであってもまだ子供なのです。
生活力があるはずもなく、親を亡くし遠い親戚のおばちゃんに嫌なことを言われたらそこに住みたくないと思うのは自然の感情でしょう。
4歳の節子が母を恋しがって夜泣いているとおばちゃんは怒って清太になんとかするように言いますが、14歳の清太に節子の世話をさせるのは酷です。
高畑勲監督は等身大の子供として清太と節子を描き、決して聞き分けの良い大人な良い子として描きませんでした。そこが、時を超えて人々が共感する点だと言えます。
一方で、おばちゃんは悪人なのでしょうか。働かない者にご飯はないというおばちゃんの意見は間違っているとも言えません。
当時の子供達は皆お国のために爆弾を作ったり、工場で従事したりしていました。
おばちゃんの子供もそうでした。生活が苦しい中、ただで食事にありつけるのは理不尽だと人々が思ってしまうような時代だったのです。
誰が悪いのでもなく、子供から子供らしさを奪う、それが戦争です。そしてその戦争は今も亡くなっていないのです。
まとめ

(C)野坂昭如/新潮社,1988
作家・野坂昭如が自身の体験を元に描いた同名短編小説を、スタジオジブリの高畑勲監督が映画化した映画『火垂るの墓(1988)』。
太平洋戦争末期、14歳の清太と4歳の節子を通して描かれた本作は、悲惨なシーンだけでなく、等身大の2人の姿が印象的です。
汗疹をかいた節子のために海にやってきた清太。2人ではしゃぐ姿は等身大の子供そのものです。
しかし、そこにもそんな2人を咎めるような目で見る親子がいたり、浜には亡くなった人が放置されていたり、等身大の日常の中に隠しきれぬ戦争の影があることを映し出しています。
ピアノを弾いて歌う2人をおばちゃんが叱る場面もそうです。その裏には、大変な思いをして戦っている兵隊がいるのだから、自分たちも耐えるべき、我慢するべきだという考えが人々の中にあったのかもしれません。
戦況下であっても、当たり前の日常はあったはずです。そのアンバランスさと、14歳と4歳という年齢の違いで、世間のことや大人の顔色がわかってしまう清太と無邪気な節子の対比が観客の心に突き刺さります。
いつの時代も子供は子供らしく生きる権利があり、大人は子供に手を差し伸べられる世界であってほしい……そんな思いが感じられる映画です。


































