連載コラム『君たちはどう観るか』第6回
『風立ちぬ』(2013)を最後に「長編アニメーション作品の制作からの“引退”」を表明した宮崎駿が、「宮﨑駿」に改名して挑んだ映画『君たちはどう生きるか』。
奇想天外な世界観やストーリー展開の他、宮﨑監督が「宮崎駿」として生きてきた半生を振り返るかのような自伝的要素も盛りだくさんなその内容は、早くから観客の間で賛否両論の嵐を巻き起こしています。
本記事では、映画に対する「つまらない」「意味不明という感想と、そうした感想が生まれた理由・原因についてクローズアップ。
宮﨑監督が本作を「“夢”の性質を持つ映画」として描いた理由、巨匠・黒澤明の映画『夢』の一編「鴉」へのオマージュ、そして「鴉」作中で描かれた“ある画家”の言葉などを考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『君たちはどう生きるか』の作品情報
【日本公開】
2023年(日本映画)
【原作・監督・脚本】
宮﨑駿
【主題歌】
米津玄師:『地球儀』
【製作】
スタジオジブリ
【声のキャスト】
山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村佳乃、木村拓哉、竹下景子、風吹ジュン、阿川佐和子、大竹しのぶ、國村隼、小林薫、火野正平
つまらない?意味不明?そう思われる理由を考察解説!
情報量と説明描写の“ギャップ”
映画作中のグロテスク描写に対する「気持ち悪い」という印象同様に、『君たちはどう生きるか』公開開始当初から散見されていた「つまらない」「意味不明」という感想。そうした感想の詳細を改めて見てゆくと、映画の“情報量”への言及が多々見受けられました。
「一つの描写/登場人物に、あまりにも多くのメタファーやモチーフが盛り込まれ過ぎている。またそれに対して、設定/描写に対する説明が少な過ぎる」「映画後半部では唐突な場面変化が非常に多く、『主人公たちが今どの場所にいるのか』を把握するので精一杯になり、物語に置いてかれてしまうほどだった」……。
無論、情報量の多い映画作品はこれまでにも十分存在します。しかし『君たちはどう生きるか』に関してはその情報量に対する説明描写が少ないゆえに「情報量が多過ぎる」という印象はより強まり、多くの観客がいわば「我々は何を見せられているんだ」状態に陥ってしまうのかもしれません。
また『君たちはどう生きるか』作中では、宮﨑監督が「宮崎駿」として手がけてきた過去作品のセルフパロディ、そして“漫画の神様”手塚治虫などの先人たちや盟友・高畑勲の作品へのオマージュ/パロディも縦横無尽に描かれていることも、「情報量が多過ぎる」という感想が生じる主な原因の一つになっているといえるでしょう。
宮﨑駿が視た「自分が『宮崎駿』として生きた夢」
一方で、『君たちはどう生きるか』の「情報量の多さに対する説明描写の少なさ」という特徴は“夢”の性質そのものであり、宮﨑監督は本作を通じて「胡蝶の夢」を……「『宮﨑駿』が目を覚ました時に書き残した、“自分が『宮崎駿』として生きてきた夢”」を描きたかったのではないかという解釈も存在します。
映画の情報量は、本作が「宮崎駿」のあらゆるイメージの断片がわずかな整合性とともに凝縮された“夢”ゆえに生じた印象に過ぎない。そして、人間が夢に対し現実世界の合理性をもって解釈を試みても“共通解”は見出せないのはもちろん、他者の夢を「つまらない」「意味不明」と解釈する現実主義者も、「面白い」と解釈する夢想家もいる……。
『君たちはどう生きるか』は、作品に対してあらゆる感想・解釈……共通解が存在しないゆえに、個人差はあるものの“答えのない解釈=永遠の空想”を人々の心に芽生えさせるために、“夢”の性質を持つ映画として描かれたとも考えられるのです。
黒澤明『夢』の一編「鴉」もオマージュ?
映画『夢』(1990)より
また『君たちはどう生きるか』を「“夢”の性質を持つ映画」と捉えた人々の中には、「宮崎駿」と縁ある創作者であり、宮﨑監督同様に「“夢”の性質を持つ映画」を手がけた映画監督……巨匠・黒澤明をイメージされた方も多いはずです。
黒澤明が自身の見た夢を基にオムニバス形式の物語へと構成した映画『夢』(1990)。夏目漱石『夢十夜』へのオマージュでもある「こんな夢を見た」という一文とともに綴られる「黒澤明」という人間の夢の断片集は、やはり映画好きの間でも評価の分かれる作品として知られています。
なお『夢』作中の一編「鴉」では、主人公の“私”が画家ゴッホの絵画『アルルの跳ね橋』を見ているうちに絵画の世界へと入り込んでしまい、その中でゴッホと出会い対話する物語が描かれます。
「空想と創作の世界へと迷い込んでしまう主人公」「その世界の“主”である者と主人公は出会い、空想と創作の本質をめぐる対話をする」……『鴉』で描かれる物語は、どこか『君たちはどう生きるか』における眞人と大叔父の対話の場面と重なります。
また、その作中では「ゴッホの遺作」という“伝説”を持つ絵画『黒い鳥のいる麦畑』の風景……「遺作」と「鳥」のイメージが同作中に登場することも、決して見逃すことはできないでしょう(ちなみに『黒い鳥のいる麦畑』は、実際はゴッホの遺作でない可能性が濃厚とのこと)。
かつて「宮﨑駿」が言葉を交わした、日本映画史の先人・黒澤明が手がけた映画『夢』。そして同作の一編「鴉」で描かれた「遺作」と「鳥」のイメージ……それらもまた、『君たちはどう生きるか』に盛り込まれた「宮崎駿」のイメージの断片であり、先人へのオマージュへの一部であり、本作を生み出したモチーフの一つなのかもしれません。
まとめ/画家ゴッホの「“絵になる風景”を探すな」
映画『夢』(1990)より
ちなみに「鴉」作中では、『タクシードライバー』(1976)のマーティン・スコセッシが演じた画家ゴッホが、主人公の“私”に対し自身の創作について以下のように語っています。
“絵になる風景”を探すな
よく見ると どんな自然でも美しい
僕は その中で 自分を意識しなくなる
すると自然は 夢のように絵になってゆく
いや 僕は自然を
むさぼり食べ 待っている
するとー 絵は出来上がって現れる
それを捉えておくのが難しい
「“絵になる風景”を探すな」……ゴッホのその言葉は、かつて画家を志すも筆を折り、映画監督となっても“絵になる風景”であるロケーションに執着し続けた黒澤明の内省の言葉ともとれます。
そして、ゴッホという先人の姿を借りた黒澤明の内省の言葉は、アニメーションという表現手法ゆえに、黒澤明並みかそれ以上に“絵になる風景”に執着し、自らの“美化”という悪癖と対峙し続けた「宮崎駿」にも深く突き刺さったはずです。
“夢”の性質を持つ映画として描かれた『君たちはどう生きるか』から垣間見える、黒澤明による映画『夢』の一編「鴉」の断片。しかしその断片もあくまで断片に過ぎず、映画に対する人々の空想を止められるものではないことは明らかでしょう。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。