80年代日本映画を代表する伝奇ロマン!
1970年代後半から数々の映画を製作した角川映画。その角川映画からデビューした薬師丸ひろ子が主演を務めた、日本映画ファンの記憶に刻まれた作品が存在します。
その映画が『里見八犬伝』。豪華キャストで製作された、1984年の正月映画として公開された本作は記録的大ヒットとなりました。
それでは映画の枠を超えて、あの時代を代表する映画について紹介しましょう。
映画『里見八犬伝』の作品情報
【製作】
1983年(日本映画)
【製作】
角川春樹
【監督・脚本】
深作欣二
【原作・脚本】
鎌田敏夫
【キャスト】
薬師丸ひろ子、真田広之、千葉真一、寺田農、志穂美悦子、京本政樹、苅谷俊介、大葉健二、福原拓也、萩原流行、岡田奈々、汐路章、成田三樹夫、目黒祐樹、夏木マリ、松坂慶子
【作品概要】
滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」を脚本家・小説家の鎌田敏夫がアレンジした、80年代に製作された角川映画を代表する特撮伝奇ロマン映画。
監督は『仁義なき戦い』(1973)シリーズで知られ、80年代には『復活の日』(1980)・『魔界転生』(1981)・『蒲田行進曲』(1982)を手掛けた深作欣二。
同じ80年代に『ねらわれた学園』(1981)・『セーラー服と機関銃』(1981)・『探偵物語』(1983)に主演し、人気絶頂だった薬師丸ひろ子がヒロインを演じます。
彼女の相手役をアクション俳優として活躍し、『忍者武芸帖 百地三太夫』(1980)で初主演を果たした真田広之が務め、彼の師である千葉真一ら豪華キャスト共演の作品です。
映画『里見八犬伝』のあらすじとネタバレ
時は戦乱の世。蟇田素藤(=ひきたもとふじ、目黒祐樹)とその母、玉梓(=たまづさ、夏木マリ)に率いられた闇の軍勢は、里見家を攻めその城を落城させます。
恨み重なる里見一族を根絶やしにしたいと望む玉梓ですが、一族の1人静姫(薬師丸ひろ子)だけが逃れていました。
かつて玉梓は領主・蟇田定包(さだかね)と共に暴政の限りを尽くし、里見一族の手で撃ち滅ぼされていました。城の地下にある”御霊様”の魔人像に里見一族の血を捧げ、必ず静姫の首も捧げんと誓う玉梓。
忠実な老臣と共に落ち延び叔父の城を目指す静姫は、闇の軍勢の追手に襲われます。老臣は殺され1人となった静姫は、復讐を誓って逃亡を続けました。
玉梓と素藤は100年前、里見一族により殺されたものの、”御霊様”の力で蘇った妖怪です。焼けただれた体を高貴な姫の皮膚で被う素藤は、残る部分に静姫の皮膚を移植しようとします。
しかし静姫と信じて部下が捕らえた娘は、彼女の身代わりとなった侍女でした。その正体に気付き怒る玉梓たち。
同じ頃、雑兵として戦に出たいた犬江親兵衛(真田広之)は、戦場で武器や馬を得て貧しい村に帰っていました。しかし孤児の親兵衛を育てた老人は、既に亡くなっていました。
これからどうしたものか悩む親兵衛は、山道を逃れる静姫の姿に気付きます。彼女を少年と思い食べ物を与える親兵衛ですが、相手が女性と気付き後を追います。
彼女を捕らえ正体を暴こうとした親兵衛の前に、山伏姿の犬山道節(千葉真一)と犬村大角(寺田農)が現れ静姫を救います。目の前の娘が姫と呼ばれ、追手に追われていると知り驚く親兵衛。
自分たちは里見家に仕えた家臣の子孫だ、と静姫に明かした道節と大角は敵の軍勢を追い払います。姫を捕らえれば莫大な恩賞が与えられると親兵衛は悟ります。
その夜、祖父の記した巻物を見せ過去の出来事を静姫に語る道節。今から100年前、領民を苦しめていた暴君・蟇田定包は、里見義実(よしざね)とその家臣の手で討ち取られました。
定包を操っていた妖婦・玉梓は里見一族を呪う言葉を残し、息子の素藤と共に命を落とします。その呪いの言葉の力か、隣国に攻め込まれた義実は苦戦し落城の危機に見舞われます。
万事休した義実は、飼い犬の八房(やつふさ)に「敵将の首とれば、我が娘の伏姫(=ふせひめ、声・松坂慶子)を嫁に与える」と口にします。するとその夜、敵将の首を咥えて義実の前に現れた八房。
戦いに勝利したものの、君主の言葉に嘘があってはならぬと八房と暮らし始めた伏姫。しかしそれに怒った里見家の家臣たちは、鉄砲で八房を殺そうとします。
その銃弾は八房をかばった伏姫の体に命中します。その時、伏姫の体から八つの光る玉が飛び出しました。
伏姫は「100年後、この八つの霊玉を奉じた八人の勇者、八犬士が現れ、里見家の姫と共に玉梓の呪いを解くであろう」と言葉を残して落命します。
そこまで語った道節は静姫に伏姫の遺した笛を渡し、そして自らが持つ霊玉を差し出します。道節の玉には「忠」、大角の玉には「義」の文字がありました。
あと6人の犬士と共に戦おうと言われた静姫は、敵を打ち負かすには軍勢が必要だと訴えます。しかし玉梓たちの正体は妖怪変化、伏姫の言葉に従って八犬士の手で退治するしかないと訴える道節。
道節の体は病魔に犯され、あと1ヶ月しかありません。その間に残る6人を探し戦を挑むしか道は無いと訴えます。
玉梓も”御霊様”から八犬士が揃うと、我らを滅ぼすと知らされていました。息子の素藤に一刻も早く静姫を始末するよう命じる玉梓。
同じ頃犬塚信乃(京本政樹)は、密かに思いを寄せる義妹・浜路(岡田奈々)と代官の婚礼の宴に出ていました。その祝宴で犬坂毛野(志穂美悦子)は舞を披露します。
しかし毛野は代官の命を狙う暗殺者でした。代官を殺害した毛野は逃げますが、信乃は周囲から代官殺しを手引きしたと疑われました。
信乃をかばった浜路は刃に倒れ、逆上した信乃は周囲の者に斬り付けます。その時、「孝」の字が輝く霊玉を見つけ手に入れる信乃。彼は浜路の姿を探し求めますが、彼女の体は闇の軍勢の妖術使い・幻人(汐路章)に奪われていました。
報酬と引き換えに暗殺に手を染めた毛野に、闇の軍勢の一員・妖之介(萩原流行)は我に相応しい女と興味を抱きます。しかし毛野が「礼」の字の霊玉を持つ、八犬士の1人と知って驚く妖之介。
静姫を捕らえようと山中に罠を仕掛けていた親兵衛は、玉梓に出会って逃げた先で老婆の遺骸を見つけました。また山中の隠し寺を訪れた毛野はそこで信乃と出会い、これも宿命のなせる業かと刃を交えます。
そこは大角の母の住む寺で、道節一行が現れました。そこで闘いを止め静姫たちの前で平静を装う信乃と毛野。
やがて留守にしていた大角の母が現れますが、彼女は既に殺されており、その正体は闇の軍勢の一員・船虫でした。ここに静姫がいると知り、大ムカデの妖怪の正体を現して襲い掛かる船虫。
巨大ムカデに立ち向かう道節と大角に、信乃と毛野も加勢しますが苦戦します。すると4人が持つ霊玉が光輝いて飛び、妖怪の体を貫きました。
船虫は息絶え、道節は信乃と毛野も同志と気付きました。しかし共に戦う宿命だと説明された信乃は、毛野は仇だと言い受け入れようとしません。
すると静姫が4つの霊玉を手にしました。玉が激しく光り輝き、迫り来る玉梓の軍勢はその力を恐れて逃げ去りました。4人の犬士はこれは間違いなく自分たちの宿命と悟り、静姫と共に戦うことを誓います。
城に戻り傷付いた体を癒した玉梓に、妖術使いの幻人は全身に毒を持つ体に改造した美女たちを披露します。その中に浜路の姿もありました。
犬士一行は山の中を進みますが、静姫が親兵衛が仕掛けた罠に捕らえられます。自分を闇の軍勢の元に連れて行こうとする親兵衛に激しく反発する静姫。
2人が訪れた村では、住人が虐殺されていました。里見の姫を助けた疑いで闇の軍勢に襲われたと知り、嘆き悲しむ静姫を見た親兵衛は動揺します。
闇の軍勢の武者たちが現れ親兵衛は身を隠しますが、彼らは生き残った子供を見つけ、なぶり殺しにしようとします。その時、武者の1人が光る玉に打たれました。落馬した犬飼現八(大葉健二)の手には、「信」と書かれた霊玉が握られていました。
自らの身を差し出し子供たちを救おうとする静姫を縛り、単身武者たちに立ち向かう親兵衛。しかし子供は救えず軍勢は去って行きます。
親兵衛は子供たちの遺体を清めて葬る静姫を見守ります。これ以上領民が犠牲にならないよう、自ら玉梓の支配する城に向かうと叫んだ静姫。
しかし2人の前に、恩賞目当ての落ち武者狩りの住民たち、そして闇の軍勢の武者たちが現れました。静姫の身を守ろうとした親兵衛は、彼女を連れ洞窟に逃げ込みます。
しかしそこは、住民たちから入った者は生きて戻れぬ、と噂されている洞窟でした…。
映画『里見八犬伝』の感想と評価
世界の映画産業が斜陽化する70年代、日本映画界も同様の状態でした。しかしハリウッドはスケールの大きな作品を大量宣伝で売り込み、多数の映画館で一気に上映する「ブロックバスター方式」でヒット作を生み出し始めます。
この興行形態で成功を収めたのがスティーブン・スピルバークやジョージ・ルーカスですが、当時の日本の映画会社は同じ方法で映画を製作し宣伝する力を失っていました。
こうして世界の映画産業の中で、ハリウッドだけが一人勝ち…香港・イタリアなど、ビデオ市場向けのB級映画量産に沸く場所もありますが…そんな時代が到来します。しかし1976年その流れに挑むかのように、角川書店が映画製作に乗り出します。
自社で出版した横溝正史の推理小説を売るために映画に出資し始めた角川書店。そして自ら製作した第1作映画『犬神家の一族』(1976)が、大ヒットを記録します。
映画公開と同時に書籍を出版、多額の宣伝費を使用し映画と書籍の広告を、テレビや新聞で大規模に展開する。メディアミックスを利用した宣伝活動は成功を収め、世間から「角川商法」と呼ばれるようになりました。
これを指揮した人物こそ角川春樹。従来の映画会社の枠を越えた製作・興行・宣伝展開が、日本映画界に旋風を巻き起こします。
メディアミックスの手法は、同時に『野性の証明』(1978)でデビューした薬師丸ひろ子を、角川映画の看板女優に育て上げていました。
その薬師丸ひろ子を主演に、世界の映画界を圧倒するハリウッド映画に挑んでみせた作品こそ『里見八犬伝』です。
ハリウッドが世界を席巻し始めた時代
1977年、世界の映画興行の形を変えた作品がアメリカで公開されます。それは誰もが知る映画『スター・ウォーズ』(1977)でした。
日本での劇場公開が待ち望まれた『スター・ウォーズ』。しかし日本公開は翌1978年。その間に便乗して作られた、とされる映画が東宝の『惑星大戦争』(1977)であり、東映の『宇宙からのメッセージ』(1978)です。
『宇宙からのメッセージ』の監督は深作欣二。彼が『柳生一族の陰謀』(1978)で組んだ松田寛夫の脚本を映画化した作品です。この作品の原案は監督・脚本家の2人と共にマンガ家・石ノ森章太郎、SF作家・野田昌宏が作り上げました。
スペース・オペラに「南総里見八犬伝」の要素を加え、伏姫の体から飛び出した霊玉ならぬ、「リアベの実」の導きで結集した勇者が悪を討つ物語に、特撮監督として矢島信男が参加。日本映画界が『スター・ウォーズ』に正面から挑んだ作品です。
角川映画に倣いメディアミックス展開が繰り広げられた『宇宙からのメッセージ』。アメリカでも公開され海外でも高い収益を上げます。
しかし宇宙空間に、東映時代劇と任侠映画の殺陣を持ち込んだこの作品、当然ながら”『スター・ウォーズ』モドキ映画の1本”と、評論家からは酷評されました。
現在では深作欣二の演出、千葉真一に真田広之、志穂美悦子らのアクションなどが評価され、カルト的人気を持つ邦画となった『宇宙からのメッセージ』。しかし当時、東映のハリウッドへの挑戦はこうして終わりました。
残念ながら消化不良に終わった『宇宙からのメッセージ』。しかし同じ「南総里見八犬伝」の要素を持つ、ハリウッド映画のスケールを目指す映画を作ろうとする人物が現れます。それが角川春樹でした。
時代に挑んだ角川映画と薬師丸ひろ子
東映の中編5部作の剣劇映画、『里見八犬伝』(1954)のファンだった角川春樹。彼は薬師丸ひろ子を主演に、これを映画化しようと試みます。しかし80年代にかつての剣劇映画をそのままリメイクしても成功は望めません。
そこで彼は脚本に『スター・ウォーズ』に『レイダース 失われたアーク』(1981)、『フラッシュ・ゴードン』(1980)に『アメリカン・グラフィティ』(1973)の要素を加えて欲しい、と要望します。
本作の監督に起用された深作欣二が脚本に加わると、『魔界転生』(1981)のようなダークな物語に変化します。しかしアイドル映画としての魅力を重視する角川春樹はこれを認めず、やがて映画化される決定稿が完成します。
本作に登場する、『スター・ウォーズ』や『レイダース』を大いに意識したシーンは、当初から狙ったものでした。
しかしハリウッド大作映画に比較すると、大ムカデや大蛇といった矢島信男の特撮シーンは、実に手作り感あふれるものです。ここに当時の日米映画の力量の差が現れたとも言えるでしょう。
しかし仁瓶まゆみが手がけた特殊メイクと共に、おどろおどろしい「見世物小屋」感覚を持った、独特の魅力を放つ作品になったとも評せます。
そしてジャパンアクションクラブ(JAC)の若手スターとして、薬師丸ひろ子の相手役を務めた真田広之らの、体を張った激しいアクションシーンも登場します。『宇宙からのメッセージ』では強引であった剣劇が、時代劇を舞台にして華麗に繰り広げされました。
この激しくテンポの良い映画を、深作欣二は2000近いと言われるカット数を用いて作り上げました。これは俳優・スタッフを疲弊させ、乗馬やアクションにも挑戦した薬師丸ひろ子も撮影中に倒れ入院を余儀なくされます。
映画を期待させるため、誇張され伝えられた部分もあるでしょうが、天候に恵まれず長期化したロケ、危険な場所での撮影、特撮・アクションシーンの難航などの結果、製作費は高騰し撮影は公開直前まで行われたと伝えられています。
しかし1983年12月、拡大して劇場公開された本作は大ヒット、1984年の邦画配収1位を獲得。また大胆にも映画公開と同時にビデオを発売しますが(ビデオソフトは1本4800円で販売)、当時としては破格の5万本以上のセールスを記録しました。
この結果薬師丸ひろ子の人気はさらに沸騰します。映画の出演者・内容を含め、『里見八犬伝』は当時を代表する映画である、と呼んで良いでしょう。
まとめ
あの時代の空気を見る者に感じさせる映画『里見八犬伝』。当時を知らない方にも、この魅力は伝わるのではないでしょうか。
改めて作品を振り返ると、恋ありアクションありホラーあり、エロチックなシーンにラブシーンも存在する、あらゆる娯楽映画要素を詰め込みながら、最後まで破綻せずに観客を楽しませてくれる作品です。
ハリウッド映画的なスケール感を持っていますが、『宇宙からのメッセージ』のように海外市場は意識せず、アイドル映画として日本国内の観客をターゲットにした感はあります。しかしそれも本作成功の大きな要因でしょう。
そして原作の「南総里見八犬伝」を知らずとも楽しめるストーリー。駆け足で進むきらいはあるものの、説明過多に陥らずにテンポよく進む展開は見事です。
現代の映像作品には、この物語の設定や世界観の説明を省略する作品が増えたように見受けられます。しかし本作は見事に脚本と演出の力で全てを観客に伝えました。
これはかつて、黄金時代の日本映画界を支えた人々の力が結集した結果、と呼んで差し支えないでしょう。
かつての日本映画を支えた人々が、まだ映画を製作する体力を残していた映画会社と共に完成させた、最後の輝きを見せた大作映画の1つかもしれません。
以降日本映画は、テレビ局や製作委員会主導で作られる作品が増加し、スタジオ主導で製作される映画は少なくなります。日本映画業界の節目の時期に作られた作品こそ、本作だといえるでしょう。
『里見八犬伝』をご覧になる際は日本映画界、そして日本の芸能界の歴史と重ねると、より深く楽しむことができるのです。
増田健(映画屋のジョン)プロフィール
1968年生まれ、高校時代は8mmフィルムで映画を制作。大阪芸術大学を卒業後、映画興行会社に就職。多様な劇場に勤務し、念願のマイナー映画の上映にも関わる。
今は映画ライターとして活躍中。タルコフスキーと石井輝男を人生の師と仰ぎ、「B級・ジャンル映画なんでも来い!」「珍作・迷作大歓迎!」がモットーに様々な視点で愛情をもって映画を紹介。(@eigayajohn)