連載コラム『シニンは映画に生かされて』第5回
はじめましての方は、はじめまして。河合のびです。
今日も今日とて、映画に生かされているシニンです。
第5回でご紹介する作品は、妻とその愛人を殺した罪で投獄された主人公が、真犯人を殺すために復讐鬼と化す様を描いた、大庭功睦監督のノワール・サスペンス映画『キュクロプス』。
狂気と苦痛、そして混迷に満ちた復讐の物語であり、日本映画界におけるノワール映画復活の匂いを感じさせる作品です。
CONTENTS
映画『キュクロプス』の作品情報
【公開】
2019年(日本映画)
【脚本・監督】
大庭功睦
【キャスト】
池内万作、斉藤悠、佐藤貢三、あこ、杉山ひこひこ、島津健太郎、山中良弘、中野剛、新庄耕
【作品概要】
妻とその愛人を殺害した罪で14年の服役を終えた男が、狂気と苦痛にもがきながらも真犯人への復讐を果たそうとする様を描いたノワール・サスペンス。
監督・脚本を務めた大庭功睦は、フランスの著名な画家であるオディロン・ルドンの絵画『キュクロプス』から物語の着想を得ました。そして、飽和する情報社会で生きることに対して自身が抱いた不安感・焦燥感・不信感をテーマとして流し込み、狂気と苦痛、そして混迷に満ちた復讐の物語を完成させました。
キャストには、大庭監督が「若き日のクリストファー・ウォーケン」と評してその出演を猛打診し、本作でもその独特の存在感を発揮した池内万作をはじめ、監督がフリー助監督として様々な現場を渡り歩いた際に目をつけていた「強力」な俳優陣が揃いました。また紅一点であり、本作では一人二役を務めた女優のあこなど、魅力的なキャストにあふれています。
本作は、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018にてシネガーアワードと北海道知事賞のW受賞するという快挙を達成。また、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018の国内長編部門、ドイツで開催された日本映画祭「Nippon Connection 2018」にて正式上映されるなど、国内外問わず各地の映画祭で高い評価を得ました。
映画『キュクロプス』のあらすじ
妻・亜希子(あこ)とその愛人を殺した濡れ衣を着せられて投獄され、14年もの服役を終えた男・篠原洋介(池内万作)。
彼は妻を殺し自身を罠に嵌めた真犯人に復讐を果たすために、かつて殺人事件が起きた町へと戻ってきました。
当時事件の捜査を担当した刑事の一人である松尾(佐藤貢三)、彼の情報屋である西(斉藤悠)から、亜希子を殺した真犯人、現在は稲葉組で若頭を務めている財前(杉山ひこひこ)の存在を知らされる洋介。
やがて、彼は偶然立ち寄ったバー「ガラティア」で、壁に掛けられた一枚のルドンの絵画と、そこで働く亜希子と瓜二つの女性・ハル(あこ)と出会います。生き写しといえるほどのその姿に、洋介は思わず驚き、怯えるように店を去りました。
財前暗殺に向け、西の指導下で銃撃の訓練を始める一方、時が経つほどに事件の記憶が蘇り、悪夢に苛まれる洋介。ふとした瞬間に現れる亜希子の亡霊だけが、彼にとって唯一の救いとなりつつありました。
やがて、バー「ガラティア」に再び訪れた洋介が、とある理由から稲葉組の構成員を殴り倒してしまったことで、復讐の物語はさらに加速してゆきます。
オディロン・ルドンが描いた《キュクロプス》
オディロン・ルドンの絵画《キュクロプス》(1898〜1900年頃に作画)
映画タイトル、そして大庭監督が本作の着想を得たオディロン・ルドンの絵画です。
そのモチーフであるキュクロプスとは、ギリシャ神話に登場する単眼の巨人のことであり、特異な鍛治技術を持つ下級神族とされる一方で、ホメーロスの有名な叙事詩『オデュッセイア』では人を喰らう凶暴な巨人としても描かれています。
中でもルドンが描いたのは、ギリシャ神話内で最も名の知られているキュクロプスであり、海神ポセイドンの息子として生まれながらも多くの物語において凶暴な巨人として扱われているポリュペーモス。
そのポリュペーモスが登場するある物語の一場面を題材に選び、ルドンは絵画《キュクロプス》を描きました。
《キュクロプス》に描かれているポリュペーモスは、ルドン以前に制作された絵画での描かれ方とは異なり、不気味さはともかくとして恐ろしさはどこにもなく、むしろ優しげな印象を見る者に抱かせます。
巨人は画面右斜め下に横たわる水の精ガラティアを探していますが、その瞳が上方へ向けられていることから、ガラティアの裸体を気恥ずかしさゆえに直視することができないのだろうか、或いは単眼ゆえに、影に隠れるようにして横たわるガラティアの姿を見つけられないのだろうかと、様々な想像をすることが可能です。
劇中でも、洋介が初めてバー「ガラティア」に訪れた場面にて、壁に掛けられているルドンの絵画《キュクロプス》が映し出されます。
幻影に囚われる復讐鬼としての“キュクロプス”
そもそもなぜ大庭監督は、絵画《キュクロプス》、或いは単眼の人喰い巨人キュクロプスから、復讐の物語であるはずの本作のインスピレーションを得られたのでしょうか。その答えは、劇中で描かれる主人公・洋介の姿を観ることですぐに悟ることができます。
妻を守ることができなかった罪を自らに課し、その罪に苦しめられる洋介。「妻を殺した真犯人を殺す」というたった一つの目的のみに生き、周囲にも自らの怒りや悲しみ、そして憎悪を撒き散らします。
時にはその暴走する感情を表現することができず、ただ呻き、暴れ、狂う洋介の姿には、人をも喰らう凶暴な巨人としてのキュクロプスの姿が重なります。
特に、洋介が夜の埠頭に一人佇む中で妻・亜希子の亡霊と出会う場面では、赤い光が煌々と彼の顔を照らし、真紅に染まりながらも力なく微笑むその顔は、血塗れになりながらも人を喰らったことでその空腹を満たしたキュクロプスの顔を連想させます。
またルドンの絵画《キュクロプス》に描かれているポリュペーモスとしての姿も、劇中における洋介から見出だすことができます。
この世に存在しない女を探し求め、いつまでも彷徨い/さ迷い、暴れ続ける、凶暴な単眼の巨人。それはまさしく、劇中における「復讐鬼」洋介の姿であり、ルドンが描いたポリュペーモスそのものなのです。
“奥行きを失う”ための単眼
そして何よりも、キュクロプスが大庭監督に復讐の物語を着想させた最大の要素は、その凶暴な巨人が「単眼」であるという点です。
そう考えられる理由は、西谷弘監督が本作に寄せたコメントの中で「腕の先から生えたように銃を握り、照準を定め、片目を閉じる。男は単眼の巨人と化した」と語っている通り、相手を撃ち殺そうするために片眼を閉じる様を表しているためでもあります。しかしながら、もう一つ、「単眼」の大きな特性に深く関わっている、重要な理由が存在するのです。
片方の眼を閉じ、一つの眼のみで周囲の風景や事物を知覚しようとした時、多くの方が、知覚しようとする風景や事物の「奥行き」を捉えにくくなり、普段とは異なる視界のあり方に困惑されるでしょう。
この「『奥行き』を捉えにくくなる」のが、「単眼であること」の大きな特性なのです。
「片眼」=「単眼」になったことで、復讐鬼にしてキュクロプスである主人公・洋介は「奥行き」を捉えにくくなる。
それは、彼が自身を取り囲んでいる状況すらも捉えにくくなること、或いは、彼が突き進んでゆく時間の「奥行き」、すなわち時間の「前後」すらも捉えにくくなることを意味しています。
時間の「前後」。それは、その時間の中を進んでゆく人間にとっての「過去」と「未来」を指しています。
「妻を守れなかった」という過去に由来する罪を背負っていたにも関わらず、洋介は復讐鬼としてのキュクロプス、「単眼」の凶暴な巨人となってしまったことで、自身の罪が眠る過去も、復讐を終えた後の未来も捉えにくくなり、ついには見失い始める。
そして、眼前に立つ相手を殺そうと銃口を向ける「現在」、或いは「刹那」のみが残る。
それこそが、あらゆる復讐鬼が必ず行き着いてしまう状況にして、復讐に生きる人間の本質そのものであり、大庭監督は凶暴な巨人キュクロプスが持つ「単眼」という特徴から、「『復讐に生きる』という行為はどのような状況をもたらすのか」という疑問に対する一つの答えを導き出したのです。
大庭功睦監督とは
1978年生まれ。福岡県岡垣町出身。2001年に熊本大学文学部を卒業後、日本映画学校(現・日本映画大学)の16期生として映像科に入学。2004年に卒業します。
映画学校を卒業してからは、西谷弘監督の作品を中心に、入江悠監督の『太陽』、庵野秀明総監督・樋口真嗣監督の『シン・ゴジラ』など、数多くの映画・TVドラマの現場にフリーの助監督として携わりました。
2010年に自主製作した中編映画『ノラ』は数々の映画祭で上映され、第5回田辺・弁慶映画祭にて市民審査員賞を受賞しています。
参考映像:『ノラ』(2010)
まとめ
ギリシャ神話に登場する凶暴な単眼の巨人キュクロプス、そしてルドンの絵画《キュクロプス》から、復讐鬼の姿とその本質を見出した大庭監督の想像力。それは、作品の公開による映画『キュクロプス』の更なる評価の高まりと、今後の映画制作に対する多大なる期待を決定づけています。
そして、過去も未来も見失い始め、やがて「刹那」のみが残ることが最早決定づけられている復讐鬼と化した主人公には、どのような結末が訪れるのか。そこには、驚愕の真実が待ち受けています。
映画『キュクロプス』は、2019年5月3日(金)より、テアトル新宿を皮切りに全国で順次公開されます。
次回の『シニンは映画に生かされて』は…
次回の『シニンは映画に生かされて』は、2019年6月7日(金)より公開の映画『ガーデンアパート』をご紹介します。
もう少しだけ映画に生かされたいと感じている方は、ぜひお待ち下さい。