フランスで90万人動員の実力派監督・女優ノエミ・ルボフスキーが母に捧げた色彩豊かでファンタジックな自伝的物語です。
フランス・パリで情緒が不安定な母とに見守る娘のユニークなエピソードに、ふと登場する妖精のようなフクロウと共にポップな色彩で表現力豊かに描かれています。
親子の絆を痛感させる切なくファンタジックな展開が、観る者に優しい余韻を残します。
映画『マチルド、翼を広げ』の作品情報
【公開】
2019年(フランス映画)
【原題】
Demain et tous les autres jours
【脚本・監督】
ノエミ・ルボフスキー
【キャスト】
リュス・ロドリゲス、ノエミ・ルボフスキー、マチュー・アマルリック、アナイス・ドゥムースティエ、ミーシャ・レスコ
【作品概要】
ノエミ・ルボフスキーは前作『カミーユ、恋はふたたび』(2012)がフランスで90万人を動員する大ヒットを飛ばした人気監督であり、セザール賞に7度もノミネートされた名女優。本作では監督を務めながら、情緒不安定な母を熱演し、自らの子ども時代を詩的に表現しています。
マチルド役は初演技にして成熟した表現を見せた新星リュス・ロドリゲス、そしてマチルドを優しく見守る父役を監督・出演を務めた映画『バルバラ セーヌの黒いバラ』(2017)が話題のマチュー・アマルリックが愛情深く演じでいます。
映画『マチルド、翼を広げ』のあらすじとネタバレ
学校の校庭で、多くの子ども達がボール遊びや縄跳び、そして女子のグループで話し合っている中、壁にもたれノートに何かを描いている1人の少女が座っています。
グループのある女子がからかってそのノートを取りますが、その少女はすぐに取り返しました。
「ムキになりすぎ」と笑いながら、女子のグループは去っていきます。
学校の面談室で、その少女9歳のマチルドと母は、担任の先生と話しています。
「なぜ学校に来たのかを忘れたわ」と何度も話す母に、先生はマチルドに友達ができないことを心配して話そうとします。
母親は、先生の話をよそに窓から鳥の巣を見つけたとマチルドに知らせ、机の上にマチルドを乗せます。
ちぐはぐな会話に先生は面談を諦めた途端、「先生、私は悪い母親です」と言って母は去っていきました。
ある日マチルドが学校に行っている間に、母親はウェディングドレス売り場で試着をしていました。
少し歩いてみたいと言って、売り場から出て母親はデパートを歩き回ります。
母親はやっとお店に戻ってくると、結婚する相手のことをお客に聞かれ「人生と結婚するの」と答えます。
一方アパートで帰りが遅い母を1人待つマチルドは、テレビ電話で離婚した父親に相談しています。
「9時30分を過ぎたら(警察に)連絡するんだぞ、絶対」と父に言われ、マチルドは目覚まし時計の針を見つめています。
暗い外の道をウェディングドレス姿で歩く母の姿が見え、9時半に時計の針が差した途端、家のドアが開く音がしました。
「ごめんね。疲れてるから寝るわ」と言いながら、母は生気の無い表情で部屋に入りました。
マチルドは夢を見ているのか、という母親のために「グウェンドリーヌの呪い」という呪いを自らにかけ、水底に沈むという物語を語ります。
その薄暗い光景は、エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』の絵画の世界でした。
水底に沈んでいるのは、マチルドそのものでした。
ある日、母親はマチルドを呼びます。
居間にマチルドが行くと、テーブルの上に大きな包みがあり「プレゼントよ」という母親の前で、嬉しそうにマチルドは包み紙を開けました。
大きな鳥カゴに一羽のフクロウがはいっていました。
「飛んできたの」という母親に、少し戸惑いながらもマチルドは部屋に持っていきました。
その夜、マチルドが電気を消してベットに入ると「おやすみ」という声が聞こえました。
その声が聞こえる鳥カゴの方に行くと、フクロウが話していました。
マチルドは驚いて母親を呼ぼうとしますが、フクロウが「君にしか聞こえない」と教えてくれました。
マチルドとフクロウだけが会話できる2人の生活が始まりました。
映画『マチルド、翼を広げ』の感想と評価
リュス・ロドリゲス演じるマチルドは一見どこにでも居る可愛らしい少女ですが、繊細な様子で警戒している眼差しが特徴的です。
マチルドは9歳。日本でいうと小学生3、4年生のあどけない好奇心一杯のギャングエイジの時代の筈なのですが、明らかに友達がいなくて、1人で休み時間を過ごしています。
彼女の背景には情緒不安定すぎる母親の存在があり、しかし学校では何もないかのように日々過ごしています。
マチルドと母親の深く繋がっているのに壊れそうな母娘の絆が、本作のテーマです。
日本に限らず、世界の格差社会の中で、多くの問題を背景に核家族化や母子父子家庭が増加しています。
そういった時代背景の下、母と娘の絆をテーマにした映画が目立つようになりました。
参考映像:『レディ・バード』(2017)
『レディ・バード』は、まさに“母と娘”に真っ向から向き合っています。
高校3年生の娘は、失業した父親と家計を支える看護師の母親の元で暮らし、そんな家族に嫌気がさしています。
離れた場所の大学に通いたい娘は、地元の大学に行かせたいと願う母と大ゲンカして、車から飛び降り骨折してしまいます。
その後も母親との衝突を繰り返しますが、“思春期特有の痛い娘”は母親の本当の思いをだんだんと受け入れ、少女から大人へと成長いく姿に共感を呼びました。
参考映像:『悲しみにこんにちは』(2017)
母親を当時蔓延していたエイズで亡くした少女の思春期の葛藤を描いた『悲しみにこんにちは』で、6歳の少女フリダは、母はなぜ死んだのか、どうして自分は死の床に呼ばれなかったのか、母の話をするときなぜ祖母は声をひそめるのかと自問します。
モヤモヤを抱えたまま叔父夫妻に引き取られたフリダは、バルセロナからカタルーニャの田舎に移り住みます。
母親の喪失感を受け入れられず、叔母への順応と反発の間を激しく行き来する少女の葛藤を、共感させるエピソードの積み重ねで描きます。
映画のクライマックス、母の死の謎をめぐる会話を通し、フリダが叔母のマルガの娘になっていくシーンは、“母娘の絆”というテーマが凝縮された名場面です。
上記の2作品では、母と娘の反発、親子間の葛藤のなかに見る“母娘の絆”が描かれていましたが本作では違った点から“母と娘”が描かれています。
まず、父親が母親と娘との関係性を手放しています。
父親は、母親にも娘にも優しく穏やかに接していますが、どこか諦観した表情でマチルドとのテレビ電話に写っています。
そして「手が重い」と母親からも告げられています。
それまで多くの話し合いと時間が経過しており、端々に出てくる言葉から、自分が出てくる時は施設に連れて行くことだと父親は感じているようでした。
また、マチルドは、学校で先生や友達に母親のことを一切話していません。しかし周りが母親のことを感じ取っていることは、痛いほどわかっています。
だからこそ必死に母親を守っています。
つまり本作では、マチルドは母親を守り助けようと日々努力しています。
この健気さ故に、いつ崩れるのか分からない、そして母親より先にマチルドが壊れてしまうのではないかと、彼女の動向に目が離せなくなっていきます。
マチルドは『ハムレット』の水底に横たわるオフィーリアの映像のように自らを闇に閉じ込め、母親を献身的に、自らが犠牲となって支え続けていました。
それが先の2作品と決定的に違う点です。
まとめ
本作では“救世主”フクロウの存在も大きな意味を持ちました。
フクロウのお陰で、マチルドは自分の描く世界に身を安心して身を置くことが出来ました。
毎日、部屋で目覚まし時計を見つめて母親の帰宅を待つ時間が、フクロウとの楽しい会話に変わりました。
それはもしかすると無意識に自分を客観的に見つめるもう1人の自分を、フクロウに重ねていたのかもしれませんが、その行為を本作はファンタジーとして描いています。
観るものにとっても張り詰めていた心がホッとする時間で、落ち着いてマチルドを観る事が出来ます。
特に授業で扱った骸骨を助けるためにフクロウと相談し、大きな黒い袋を担いで骸骨を学校から救出し、林に埋葬するシーンは微笑ましくも切なくもある名場面です。
映画のクライマックスでは、成長したマチルドが施設の母親に会いに行くラスト・シーンでフクロウがマチルドの後を飛び、マチルドと母親との抱擁を、木に止まって見つめています。
そして鳴きながら、飛び立っていきます。もうフクロウは話さないし、役目を果たしたのでしょう。
マチルダと母親の本当の絆が繋がる瞬間に出会いにいきませんか。