映画『平坦な戦場で』は2025年7月5日(土)池袋シネマ・ロサで劇場公開!
ENBUゼミナール在学中に手がけた『遠上恵未(24)』にてPFFアワード2020で入選を果たした遠上恵未監督による長編映画『平坦な戦場で』。
恋人として平穏な日常を送っていたはずの高校生の男女が、思わぬ形で性的搾取に遭い日常が揺らいでいく……孤独や格差が蔓延する社会で、それでも向き合い、乗り越えていこうとする姿を高校生の2人を通して描き出します。
(C)2023/遠上恵未
W主演を務めたのは『犬も食わねどチャーリーは笑う』(2022)、『きまぐれ』(2024)の櫻井成美と、『脳天パラダイス』(2020)に出演し、『未亡人』(2020)で監督として自主制作も手がけた野村陽介。
直接的な描写はありませんが、性被害の問題を取り扱っています。鑑賞の際にはご注意ください。
映画『平坦な戦場で』の作品情報
(C)2023/遠上恵未
【日本公開】
2025年(日本映画)
【監督・脚本・編集】
遠上恵未
【キャスト】
櫻井成美、野村陽介、玉りんど、佐倉萌、竹下かおり、安藤チカラ、つかさ、山田荘一朗、上野山圭治、金子翔、大野やすひろ、大河原恵
【作品概要】
ENBUゼミナール在学中に手がけた『遠上恵未(24)』にて、PFFアワード2020で入選を果たした遠上恵未監督による初の長編作。
女性と男性、それぞれに押し付けられる“属性”や日常の加害性を描き出した本作は、第24回TAMA NEW WAVE コンペティション部門で入選、うえだ城下町映画祭 第21回自主制作映画コンテストで大賞を獲得しました。
『犬も食わねどチャーリーは笑う』(2022)、『きまぐれ』(2024)の櫻井成美と、『脳天パラダイス』(2020)に出演し、『未亡人』(2020)で監督として自主制作も手がけた野村陽介がW主演を務めました。
映画『平坦な戦場で』のあらすじ
(C)2023/遠上恵未
高校2年生の冬。恋人同士である早崎のぶえと村木智也は仲良く登下校を共にしていました。
ある夜、村木は路上で泣いていた自分の親と同世代くらいの女性を家まで送り届けます。その女性は、お礼にと村木を家に入れます。
そして、女性はペットのうさぎが亡くなったことを話し、「お金を払うから抱いてほしい」と村木に縋ります。
村木は断ることができず、女性を抱きますが、それがトラウマとなり学校を休んでしまいます。突然学校を休んだ村木にのぶえは不安を募らせます。
思わぬ形で性的搾取の被害に遭ったことで、変わってしまった関係性。2人はどう乗り越えていくのでしょうか。
映画『平坦な戦場で』の感想と評価
(C)2023/遠上恵未
恋人として平穏な日常を送っていたはずの高校生の男女が、思わぬ形で性的搾取の被害に遭うことを通して、日常に潜む「性」への偏見や加害性を描き出す映画『平坦な戦場で』。
村木は、年上の女性に「抱いてほしい」と頼まれ、断れなかったことで、その経験がトラウマとなり女性に対して嫌悪感を抱くようになります。
一方で、のぶえが街中を歩いていると「お金を払うからカラオケ行こう」と中年男性に話しかけられる場面も。村木に対してのぶえの方が、日常的に性的にみられる視線を体感しているといえるのではないでしょうか。
性に関心を持ち始めた高校生の会話の中にも、性に対する偏見は当たり前のように刷り込まれています。そしてそんな加害性に対し、多くの人は無自覚です。
また、まだまだ未熟である10代の頃は、時には性的にみられることに対し「それが自分の魅力であり、存在価値だ」と思い込んでしまう危険も。それ故に自分が性的に搾取されていることに気づけないという場合もあるのです。
(C)2023/遠上恵未
そのような加害性や搾取、“それが日常”と押し付けられていく男性性・女性性に対して無自覚であることを、高校生の男女を通して浮き彫りにしていきます。
何より本作は「性」だけでなく、その先にある孤独と、孤独の《共鳴》も描いていると言えます。村木ものぶえも孤独を感じており、2人の間は孤独であるからこそ結びついたシンパシーのようなものがあったでしょう。
だからこそ村木は、路上で泣いていた女性を放っておけなかったのかもしれません。しかし「抱いてほしい」という女性の頼みを断れなかったのは、女性の孤独な心への同情だけではないでしょう。
女性の家で、思いもよらない頼みを前に戸惑いや恐怖……様々な感情によって断れなかったのではないでしょうか。そのような状況で「NO」と拒絶することの難しさがそこにあります。
日常に潜む偏見や加害性と無関係でいられる人は恐らくいません。その中でどう生きていくべきか、高校生の2人を通して私たちに問いかけます。
まとめ
(C)2023/遠上恵未
タイトルの『平坦な戦場』に込められている通り、日常は平坦で当たり前のように続いていくかのように思えます。そんな日常のなかに偏見や差別、格差が当たり前のように潜んでいます。
日常を生きていくため、つい人は偏見や差別、格差から目を背け、自分にとって生きやすいところにばかり目を向けてしまいます。
しかし、無自覚でいたくない、人の痛みや孤独に気づける人でいたいという切実な思いが本作にが込められています。自覚的に生きていくことには過酷で、まさにその意味でこの社会、すなわち日常は戦場とも言えるでしょう。
生きやすさ、都合の悪いことに目を背け、誰かを傷つけて生きるよりは、無自覚でいたくない、気づいて、共に乗り越える人でありたいと思っている人は多いはずです。
必要な誰かに届いてほしいと同時に、自分はそばにいるという決意も感じられる映画と言えるでしょう。